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第3章 魔術覚醒編
第109話 ドイルは否定する。「貴族」という制度を、「魔術」という概念を。
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「話した通り、貴族とはギフトを伝える血統のことだ。だが、全員がギフトを得る訳ではない。また、ギフトも様々。必ずしも役立つものが得られるとは限らない」
武力を持って権威を得たギルモア家のような一族は多い。そのような家柄では、「絵描き」や「料理人」ギフトを得た者は居場所を探しにくい。ましてや「ギフトなし」は出来損ないの扱いを受けることが多かった。
ギフトのない人間は貴族の世界では婚姻相手を探すこともできない。「血が薄まること」を相手の家が恐れるのだ。
王族の事故死に関わるという重大な不始末を犯したにもかかわらず、ネルソンは形だけの勘当という処分で済まされた。これに見るように、ギルモア家は一度の過ちであればやり直しを認める大らかな家柄であった。
また、それでなければ武門の家は成り立たなかった。
戦で負けるたびに将の首を切っていてはキリがない。失敗を恐れて誰も挑戦をしなくなってしまう。
そんなギルモアであっても「ギフトなし」の女を嫁に迎えることは無かった。子供に「ギフトなし」が生まれれば一生部屋住みとするか、平民の家に養子に出した。
富裕な商家にでも出してやればギフトがなくとも幸福を得る道はあった。
だが、それは権威ある侯爵家だからできることであり、弱小貴族では事情が異なった。
貧乏男爵の子女など、養子に出すと言っても貰い手がいない。縁組をするメリットが無いからだ。
それでも「貴族の流れを汲む」という看板を欲しがる成金が、没落貴族から養子を迎えることがある。たいていすぐに没落するような成り上がりであったが、それでも行き先があることは「ギフトなし」にとって幸運と言われていた。
普通は「飼い殺し」か「お家追放」にされる。どちらにしろ、ろくに飯も食えない平民以下の暮らし向きとなってしまう。
ドイルの母がそうであった。
嫁ぎ先も見つからぬまま、目腐れ金を持たされて家を追い出された。女給や針子をしている内にどこの誰とも知れぬ流れ者の世話になり、ドイルを身ごもった。だが、つわりが始まる頃には男はいなくなっていた。
女給や針子として働くことで何とか食いつなぎ、ドイルを育てた母であったが、ドイルが10歳の時体を壊してあっけなくこの世を去った。
そのままであればドイルは餓死していたであろう。
たまたまドイルの実家である男爵家の後継ぎ候補がバタバタと流行り病で死んでしまい、ドイルの存在を便りで知っていた執事が迎えに来てくれたのだ。生前の母が、何かあった時のためにとつなぎをつけてくれていたのだった。
「ギフトなしと平民の間に生まれた子など」と祖父は否定的であったが、試みに祝福の儀を受けさせてみると、ドイルにギフトが顕れた。
ドイルが授かったギフトは「タイム・スライシング」という名だった。
ギフトを用いるとドイルは一度に多数の思考作業を並行して行うことができた。脳の処理時間を細かい単位に分割し、複数のタスクを順番に処理していくことで、あたかも複数の頭脳で作業をしているかのような結果を実現することができるのだ。
勉学に用いればいくらでも成績を上げることができた。
祖父は狂喜した。落ち目の家を建て直しうる麒麟児が生まれたと。
ドイルは……家など滅んでしまえば良いと思っていた。
落ち目の貴族など何の役にも立たない。家などという物があるから、母は貧乏に苦しまなければならなかった。家族を守れぬ「家」に何の意味があるか?
10歳の少年は「貴族」というシステム自体を「ムダ」として切り捨てていた。
しかし、アカデミーには行きたかった。己の頭脳を試してみたかった。
心に闇を抱えた少年は、闇を隠したままアカデミーに入学し、「万能の天才」と呼ばれた。
当然だろうとドイルは思った。
この世の理、因果の法をすべて解き明かしてやろうと野望を燃やしていた。
「私たちがドイルと知り合ったのはその頃のことだ。とにかくぎらぎらとした少年で、飢えた狐のようだった。疑う者をことごとく論破せずにはいられない性癖だった」
「敵が多くなりそうですね」
「周り中、敵だらけだったな」
ネルソンは苦笑いした。
「やがて、ドイルは禁忌に触れた」
「何をしたんですか?」
「魔術界に批判の矛先を向けたのだ」
「先生のやっていることは学問とは言えません」
10歳のドイルは、低い鼻をうごめかせて所論を述べた。
「現象の法則も明らかにできていないし、追試もできない。これでは『言ったもん勝ち』でしょう?」
「何を言うか! 我ら魔術師は昔からこうして神秘の技である魔術を受け継いできた。魔力も持たぬ者が賢しらに魔術を語るな!」
水掛け論であった。理論の何たるかを知らぬ実践者と、語るべき実体を観測することができない研究者とでは議論の成立するはずがない。
最後には何を言おうと、「ならばやって見せよ」と言われて終わりであった。
ドイルにとって魔術は不可知領域であり、己の天才が通用せぬ世界だったのだ。認識できぬ以上、ギフトも役に立てようがない。
公開討論の場で完膚なきまでに叩かれたドイルは、「学会出入り禁止」を言い渡された。学者として身を立てる道は、そこで絶たれた。
既に十分な単位を習得済みであったドイルは、史上最短の10カ月を以てアカデミーを卒業させられた。
実態は「追放」であった。
「男爵家に帰ることもできず、ドイルは再び天涯孤独の身となった。私には薬種問屋起業のきっかけを与えてもらった恩があったのでな、顧問として商会に入ってもらったのだ」
「それで研究論文が旦那様の書斎に……」
「うむ。その時から預かりっぱなしになった物だ」
公開論争に敗れたもののドイルはその後も魔力の何たるかについて研究を続けた。あの木箱に納められたノート類はその時の研究成果をまとめたものであった。
「その後ドイルは商会を去った。魔力の研究には興味を失ったと言って、あの木箱は置いて行った物だ。捨てるにしのびず、私が引き取って書斎に保管していた」
「そういうことでしたか。ドイルさんはなぜ出て行かれたんですか?」
「はっきりとした理由はついに聞けなかった。貴族社会を否定していたからな。その一員であることを止めていない私の世話になることが嫌になったのかもしれない」
それは大いにありうることだった。
貴族と魔術師を毛嫌いするドイルには、アカデミーにもネルソン商会にも居場所が無かったのだろう。
「それで平民社会に居場所を探したわけですか……」
バンスの飯屋で常連となったドイルは、代筆や個人教授、帳簿整理などの仕事を受けて食いつないでいた。「万能の天才」にしては随分と才能を安売りしたものである。
「お前の生まれ故郷はサン・クラーレだったな。実はサン・クラーレに使いを出してある」
「えっ? うちの町にですか?」
「ドイルを迎えに行かせたのだ。才能の無駄遣いは見過ごせんのでな」
確かに、アカデミー始まって以来の俊才を田舎町の代筆屋で終わらせるわけにはいかない。
そんなことになれば国家的な損失であろう。
「素直にいうことを聞きますかね? 昔ほどは頑固じゃないと思いますけど……」
「そこは手を打った。絶対に断れない人間を送ったのでな」
「そんな人がいたんですか?」
「ああ。奴の叔母だ」
ドイルの叔母レベッカは、民家に嫁いだ女だった。世間知らずのドイルの母が何とか生きて行けたのは、妹のレベッカが折に触れて支えてくれたからであった。
ドイルにとっては絶対的な味方であり、母以外で唯一心を許した存在であった。
「要するに、『叔母コン』なのだ。ドイルは」
「はあ?」
「ゴホン。叔母の言うことには逆らえないということです。そうですね、旦那様」
「あ、ああ。そういうことだ。レベッカなら確実にドイルを説得できるだろう」
ドイルが呪タウンに来る。
それなら、研究論文の内容について直接話を聞くことができるだろう。ステファノは期待に胸を膨らませた。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第110話 『不思議に見える必然』にこそギフトの神髄あり。」
「誰でも未来のことを占いたいものだ。戦の成り行き、商いの行く末。それらを知ることができれば地位を得、財を為すことができよう。お前は欲にまみれた者たちのおもちゃにされる恐れがある」
ネルソンの予言は、明確なビジョンとなってステファノを襲った。狭くて暗い部屋に押し込められ、鎖につながれた自分が見える。
ステファノはぶるぶると震えながら、頭を左右に振った。
……
◆お楽しみに。
武力を持って権威を得たギルモア家のような一族は多い。そのような家柄では、「絵描き」や「料理人」ギフトを得た者は居場所を探しにくい。ましてや「ギフトなし」は出来損ないの扱いを受けることが多かった。
ギフトのない人間は貴族の世界では婚姻相手を探すこともできない。「血が薄まること」を相手の家が恐れるのだ。
王族の事故死に関わるという重大な不始末を犯したにもかかわらず、ネルソンは形だけの勘当という処分で済まされた。これに見るように、ギルモア家は一度の過ちであればやり直しを認める大らかな家柄であった。
また、それでなければ武門の家は成り立たなかった。
戦で負けるたびに将の首を切っていてはキリがない。失敗を恐れて誰も挑戦をしなくなってしまう。
そんなギルモアであっても「ギフトなし」の女を嫁に迎えることは無かった。子供に「ギフトなし」が生まれれば一生部屋住みとするか、平民の家に養子に出した。
富裕な商家にでも出してやればギフトがなくとも幸福を得る道はあった。
だが、それは権威ある侯爵家だからできることであり、弱小貴族では事情が異なった。
貧乏男爵の子女など、養子に出すと言っても貰い手がいない。縁組をするメリットが無いからだ。
それでも「貴族の流れを汲む」という看板を欲しがる成金が、没落貴族から養子を迎えることがある。たいていすぐに没落するような成り上がりであったが、それでも行き先があることは「ギフトなし」にとって幸運と言われていた。
普通は「飼い殺し」か「お家追放」にされる。どちらにしろ、ろくに飯も食えない平民以下の暮らし向きとなってしまう。
ドイルの母がそうであった。
嫁ぎ先も見つからぬまま、目腐れ金を持たされて家を追い出された。女給や針子をしている内にどこの誰とも知れぬ流れ者の世話になり、ドイルを身ごもった。だが、つわりが始まる頃には男はいなくなっていた。
女給や針子として働くことで何とか食いつなぎ、ドイルを育てた母であったが、ドイルが10歳の時体を壊してあっけなくこの世を去った。
そのままであればドイルは餓死していたであろう。
たまたまドイルの実家である男爵家の後継ぎ候補がバタバタと流行り病で死んでしまい、ドイルの存在を便りで知っていた執事が迎えに来てくれたのだ。生前の母が、何かあった時のためにとつなぎをつけてくれていたのだった。
「ギフトなしと平民の間に生まれた子など」と祖父は否定的であったが、試みに祝福の儀を受けさせてみると、ドイルにギフトが顕れた。
ドイルが授かったギフトは「タイム・スライシング」という名だった。
ギフトを用いるとドイルは一度に多数の思考作業を並行して行うことができた。脳の処理時間を細かい単位に分割し、複数のタスクを順番に処理していくことで、あたかも複数の頭脳で作業をしているかのような結果を実現することができるのだ。
勉学に用いればいくらでも成績を上げることができた。
祖父は狂喜した。落ち目の家を建て直しうる麒麟児が生まれたと。
ドイルは……家など滅んでしまえば良いと思っていた。
落ち目の貴族など何の役にも立たない。家などという物があるから、母は貧乏に苦しまなければならなかった。家族を守れぬ「家」に何の意味があるか?
10歳の少年は「貴族」というシステム自体を「ムダ」として切り捨てていた。
しかし、アカデミーには行きたかった。己の頭脳を試してみたかった。
心に闇を抱えた少年は、闇を隠したままアカデミーに入学し、「万能の天才」と呼ばれた。
当然だろうとドイルは思った。
この世の理、因果の法をすべて解き明かしてやろうと野望を燃やしていた。
「私たちがドイルと知り合ったのはその頃のことだ。とにかくぎらぎらとした少年で、飢えた狐のようだった。疑う者をことごとく論破せずにはいられない性癖だった」
「敵が多くなりそうですね」
「周り中、敵だらけだったな」
ネルソンは苦笑いした。
「やがて、ドイルは禁忌に触れた」
「何をしたんですか?」
「魔術界に批判の矛先を向けたのだ」
「先生のやっていることは学問とは言えません」
10歳のドイルは、低い鼻をうごめかせて所論を述べた。
「現象の法則も明らかにできていないし、追試もできない。これでは『言ったもん勝ち』でしょう?」
「何を言うか! 我ら魔術師は昔からこうして神秘の技である魔術を受け継いできた。魔力も持たぬ者が賢しらに魔術を語るな!」
水掛け論であった。理論の何たるかを知らぬ実践者と、語るべき実体を観測することができない研究者とでは議論の成立するはずがない。
最後には何を言おうと、「ならばやって見せよ」と言われて終わりであった。
ドイルにとって魔術は不可知領域であり、己の天才が通用せぬ世界だったのだ。認識できぬ以上、ギフトも役に立てようがない。
公開討論の場で完膚なきまでに叩かれたドイルは、「学会出入り禁止」を言い渡された。学者として身を立てる道は、そこで絶たれた。
既に十分な単位を習得済みであったドイルは、史上最短の10カ月を以てアカデミーを卒業させられた。
実態は「追放」であった。
「男爵家に帰ることもできず、ドイルは再び天涯孤独の身となった。私には薬種問屋起業のきっかけを与えてもらった恩があったのでな、顧問として商会に入ってもらったのだ」
「それで研究論文が旦那様の書斎に……」
「うむ。その時から預かりっぱなしになった物だ」
公開論争に敗れたもののドイルはその後も魔力の何たるかについて研究を続けた。あの木箱に納められたノート類はその時の研究成果をまとめたものであった。
「その後ドイルは商会を去った。魔力の研究には興味を失ったと言って、あの木箱は置いて行った物だ。捨てるにしのびず、私が引き取って書斎に保管していた」
「そういうことでしたか。ドイルさんはなぜ出て行かれたんですか?」
「はっきりとした理由はついに聞けなかった。貴族社会を否定していたからな。その一員であることを止めていない私の世話になることが嫌になったのかもしれない」
それは大いにありうることだった。
貴族と魔術師を毛嫌いするドイルには、アカデミーにもネルソン商会にも居場所が無かったのだろう。
「それで平民社会に居場所を探したわけですか……」
バンスの飯屋で常連となったドイルは、代筆や個人教授、帳簿整理などの仕事を受けて食いつないでいた。「万能の天才」にしては随分と才能を安売りしたものである。
「お前の生まれ故郷はサン・クラーレだったな。実はサン・クラーレに使いを出してある」
「えっ? うちの町にですか?」
「ドイルを迎えに行かせたのだ。才能の無駄遣いは見過ごせんのでな」
確かに、アカデミー始まって以来の俊才を田舎町の代筆屋で終わらせるわけにはいかない。
そんなことになれば国家的な損失であろう。
「素直にいうことを聞きますかね? 昔ほどは頑固じゃないと思いますけど……」
「そこは手を打った。絶対に断れない人間を送ったのでな」
「そんな人がいたんですか?」
「ああ。奴の叔母だ」
ドイルの叔母レベッカは、民家に嫁いだ女だった。世間知らずのドイルの母が何とか生きて行けたのは、妹のレベッカが折に触れて支えてくれたからであった。
ドイルにとっては絶対的な味方であり、母以外で唯一心を許した存在であった。
「要するに、『叔母コン』なのだ。ドイルは」
「はあ?」
「ゴホン。叔母の言うことには逆らえないということです。そうですね、旦那様」
「あ、ああ。そういうことだ。レベッカなら確実にドイルを説得できるだろう」
ドイルが呪タウンに来る。
それなら、研究論文の内容について直接話を聞くことができるだろう。ステファノは期待に胸を膨らませた。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第110話 『不思議に見える必然』にこそギフトの神髄あり。」
「誰でも未来のことを占いたいものだ。戦の成り行き、商いの行く末。それらを知ることができれば地位を得、財を為すことができよう。お前は欲にまみれた者たちのおもちゃにされる恐れがある」
ネルソンの予言は、明確なビジョンとなってステファノを襲った。狭くて暗い部屋に押し込められ、鎖につながれた自分が見える。
ステファノはぶるぶると震えながら、頭を左右に振った。
……
◆お楽しみに。
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