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第3章 魔術覚醒編

第108話 「誦文法」の可能性にステファノは動揺し、怯えた。

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「い~ろ~は~に~ほ~へ~と~」

 ステファノは何度も繰り返して自分のものとなって来た「誦文法」を開始した。瞬時に7色の光が紐となってステファノの体に纏いつく。既に客観視の自己像にも光紐こうちゅうは顕れるようになった。

「ち~り~ぬ~る~を~」

 ちりん……。

 ステファノの耳に、かすかにりんの音が響いた。しじまを震わせるような澄んだ音色である。

「わ~か~よ~た~れ~そ~~、つ~ね~な~ら~む~」

 ちりん。

 りんの音は、動きの節目、力を開放すべき瞬間にステファノの体内に響く。力を伝えるべき経路を震えとなって走り抜ける。

 ステファノはかすかな違和感を覚えた。誦文に破調がある。

「いろはにほへと」7音を、「ちりぬるを」5音が受ける。
 5音は新たな7音を呼んでいる。

 しかし、次に来るのは「わかよたれそ」の6音であった。
 これでは「律」が合わない。

 無意識のうちにステファノは「そ」の音を1音分長く伸ばして、「つねならむ」につなげる調整をしていた。
 それで破綻を防いでいたのだが、「そ」を長音にすることに違和感があった。成句のイメージが流れてしまう。
 
 今しも「型」は蹴りに力を伝える拍子を迎えようとしていた。長音では正しく力を載せることができない。
 その破綻の予感が悪寒のように体を襲う。震えがりんの音に変わる。

「わ~か~よ~た~れ~そ~、、つ~ね~な~ら~む~」

 ステファノの口からほとばしるように「え」の音が発せられた。完璧な7・5の連鎖がそこに生まれる。
 空中に蹴り出した右足から、緑の閃光が散った。

 離れて立つネルソンの肌に空気の振動が伝わって来た。

「むう、これは……」

 否。肌に伝わると感じたのは物質の振動に非ず。

「水属性の魔力か?」

 型は後半に入り、誦文も3度めとなった。

「い~ろ~は~に~ほ~へ~と~、ち~り~ぬ~る~を~」

 捌きの手では「赤」の光を漂わせ、打ちの手では「橙」の光を放出した。

「あれは火属性……」

「わ~か~よ~た~れ~そ~、え、つ~ね~な~ら~む~」

 払いの手では「黄」の光がほとばしり、投げではまたしても「緑」の光を放射する。

「雷属性に水属性。そうか、属性の相互作用が技の威力と連携を高めるのか」

 静かに正位置に戻り、力を納めるステファノはうっすらと紫の光を発していた。

「……いかがでしたか、旦那様?」

 思わず声を漏らしたネルソンに対して、マルチェルは冷静であった。
 前日に誦文式演舞法の不思議を一足先に経験していたからであろう。さらなる不思議を目の当たりにしても、初回ほどたじろぐことは無かった。

「確かにこれは驚くな。いや、実に興味深い」
「何やらつぶやいておいででしたが?」
「ああ。型の途中で、ステファノから魔力の発現を感じた。いや、わがギフト『テミスの秤』が診た」

「やはり魔力の発現でしたか。旦那様に見て頂き、確信が持てました」
「うむ。はっきり形を取った物だけでも『火』『雷』『水』の3属性が顕れていた」

 ネルソンが「た」のはステファノがる「色」としてではなかった。光が伝える「可能性」を属性に診たてた物であった。

「本質は間違いようもなく魔力だ。いつ術となってもおかしくない密度の濃さであった」
「なればこそ、触れただけのわたしが投げられたわけですな」
「違いない。あれだけの密度に練れていれば、純粋な魔力であっても物質に影響を及ぼすだろう」

 ネルソンはステファノに問い掛けた。

「ステファノ、お前には自分の魔力が視えているのですか?」

 ステファノはその問いに首を傾げた。

「自分ではよくわかりません。7色の光が見えているのですが」
「7色あるのか? 火、水、風、雷、土、光の6属性より多いな。まだ色が属性に対応すると決まったわけではないが……」
「お前の眼は、魔術界でも稀な物かもしれませんよ、ステファノ」

 ネルソンは腕を組んで思案を巡らせた。

「マルチェルが名づけた『誦文しょうもん式演舞法』か。これは確かに研究に値する発見に違いない。ステファノ、残りの期間に誦文の行い方とその効果について論文にまとめなさい」
「論文など書いたことがありませんが……」
「難しく考える必要はない。そうだな、私に伝えるつもりで行動と成果、原因と結果を整理してみろ。ギフトに関する部分はぼかして構わない。むしろ避けて書いた方が良い」

「わかりました。やってみます」

「しかし、困ったな……」

 ネルソンは腕を解いて苦笑を浮かべた。

「何がでしょうか?」
「『誦文式演舞法』の方法論が確立したら、おそらく軍事機密に指定されるぞ。お前はアカデミー生という立場を飛び越えて、研究者か指導者の立場に立たされるかもしれんな」
「えっ? いくら何でも、そんなことはないでしょう。まだ初級魔術も使えないんですよ」

 ネルソンとマルチェルは顔を見合わせて首を振った。

「ステファノ、お前は事の重要性を理解していません。お前のような入門者とも言えない人間が魔力による物質制御を成功させるなど、過去に例のないことなのです」

 噛んで含めるようにマルチェルが説明した。

「魔力による物質制御ですか?」
「そうです。お前の適性を審査しようというマリアンヌ学科長でさえ、魔力で人間1人を吹き飛ばすことなどできません。上級魔術師にしかできないことでしょう」
「そんなに難しいことなんですか?」

 大きくうなずいたネルソンが話を引き取った。

「もし、『誦文式演舞法』を学んでお前と同じことができるようになるとしたら、お前は軍のお抱え教官となるだろう。さらに、それを魔術発動にまで応用できるとしたら――」
「魔術発動に応用できたら……」

「この世から戦争が無くなるかもしれん」
「旦那様」
「うむ。場所を変えよう。マルチェル、ステファノと着替えを。書斎で待っている」

 思いもよらぬ話の展開に、ステファノは動転した。単なる心身の鍛錬が軍事機密に発展するとは。

「ステファノ、驚くのは当たり前ですが、落ちつきなさい。お前には旦那様とギルモア侯爵家が後見についていることを思い出すように。そして何より――」

 マルチェルは言葉がステファノに染み込むようにと、間合いを開けた。

「ジュリアーノ殿下が後ろ盾にいらっしゃることを忘れてはなりません」

 そうだった。
 
 強力すぎる後ろ盾だと思っていたが、こうなるとこれ以上ないほど頼りがいがある組み合わせではないか。
 王族と侯爵家の庇護を危ぶむなど、不敬罪ものの罰当たり行為だ。

 カチカチに固まっていた肩の力を抜いて、ステファノは不器用にほほ笑んだ。

「そうですね。妙な心配は失礼に当たりますね。旦那様を信じて、すべてお任せします」
「それで良い。お前1人くらいのことはどうにでもなります。お前は若者らしく真っ直ぐ夢に向かって進みなさい」
「はい! きっと魔術師になって見せます」

 ようやくステファノの瞳に輝きが戻るのを見て、マルチェルは唇を綻ばせた。

 ◆◆◆

 書斎に集まった3人は、余人を交えずに話の続きを始めた。

「さて、ステファノからの質問に答えておこうか。残された機会はそれほど多くもないからな」

 ひと月の準備期間の内、10日が既に立とうとしている。残り20日の間に、ネルソンがステファノに割ける時間は限られていた。王子の婚姻、陰謀の後始末、商会の実務、そして新薬開発など、ネルソンの双肩にかかる重荷は数多かった。

「ドイルのことから話そう。マルチェルが伝えたように、私たちはドイルとアカデミー時代に出会った。ある意味で我々は似た物同士だったのだ」

 ドイルもまた複雑な過去を持つ人間の1人であった。

――――――――――
 ここまで読んでいただいてありがとうございます。

◆次回「第109話 ドイルは否定する。「貴族」という制度を、「魔術」という概念を。」

 落ち目の貴族など何の役にも立たない。家などという物があるから、母は貧乏に苦しまなければならなかった。家族を守れぬ「家」に何の意味があるか?
 10歳の少年は「貴族」というシステム自体を「ムダ」として切り捨てていた。

 しかし、アカデミーには行きたかった。己の頭脳を試してみたかった。

 心に闇を抱えた少年は、闇を隠したままアカデミーに入学し、「万能の天才」と呼ばれた。
 当然だろうとドイルは思った。

 ……
  
◆お楽しみに。
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