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第3章 魔術覚醒編
第106話 ステファノはギフトをまとい、型の意味するところを為す。
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午後の時間はマルチェルによる武術指導であった。
何やらざっくりとした筒袖、筒脚の上下は、ベルトではなく紐と帯で体に纏うようにできていた。
「道着を着て、庭に出なさい」
マルチェルも同じ仕立ての上下を身に着けている。ステファノが渡されたのは白っぽい生成の生地であったが、マルチェルは黒を着ていた。長い期間洗い晒したのであろう。色が抜けて濃いグレーといった風合いになっている。
着こなしが、いかにも武術家という風情であった。
「大地を直に感じられるように」
そういう理由で、足元は2人共裸足であった。
「お前を鍛え上げるつもりはありません。武術を志す訳ではありませんからね。しかし、正しい体の使い方は全ての道の基本です。そして正しい体のバランスを保つことは、健康の礎でもあります」
書斎に籠って体を壊さぬように、心身のバランスを保つことが午後の鍛錬の目的であった。
マルチェルの言葉通り鍛錬の内容は軽い運動が中心で、館を取りまく小道を走ったり、体の筋を伸ばしたりというものであった。
(これなら無理なく続けられるかも)
ステファノは「ギルモア流」の激しい稽古になるかもしれないと心配していたので、思いの外優しい内容に安堵した。
「では、呼吸が落ち着いたところで『演舞』を教えましょう」
「東の大国を発祥の地とする、わたしの流派の源流となった武術ではこれを『套路』と呼んだそうです。体の使い方と共に深い術理が込められていたようですが、内容の多くは門外不出とされました。
「よって、わたしも『套路』を正しく伝えている訳ではありません。これから見せる『演舞』は伝統的な動きの中に自分なりの意味を見出だし、『型』として集成したものです」
「伝統的な套路はきわめてゆったりとしたスピードで体を流れるように動かします。全体を通じて目を引くのは『重心』と『体幹』への意識です。体を放り投げるような移動は絶対に行わず、常にバランスを保つように構成されています」
マルチェルは初めに伝統的な型だと言った套路を実演して見せた。どこにも力がこもっていないように見える流麗な動きは、言葉通り急加速や急減速を行わない、流水のような舞いであった。
多くは両手の動きで敵の攻撃を捌き、自身の攻撃を行うというシナリオを再現しているように見えた。
ところどころ相手を掴まえたり、捻って投げるように見えるのはステファノの想像であろうか。
後半蹴り技が入れられていたが、それさえもバランスを保ちながらの動きであった。足先を空中に差し伸べたまま静かに静止する姿は、まさに舞踊家のそれにも思えた。
進み、回りながら、何度か同じ動きが繰り返される。左右を逆転させた動きもある。
深い踏み込みでは地面近くまで腰を落として、低い位置から手を伸ばす。それでも前かがみになることはほとんどない。
始まりと同じ直立した姿勢に戻って、套路は終了した。
「かなり長い動きでしょう。これだけの長さを覚えるのは初学者には大変です。『型』ではなくて『形』を覚えて終わってしまう人が大半になります」
「お前にこれを教えるには時間が足りません。ですので、お前にはこれから見せるわたし流の簡易的な『型』を練習してもらいます」
次に見せられた『型』は前の套路よりは素早い動きが中心であった。一連の動作の中で、ゆったりした部分と素早く動く部分がある。
体の姿勢も常に正中線を保っている訳ではなく、腰の捻りや肩を内側に入れる動作が入るために上体の動きが大きく見える。共通しているのは、重心がぶれない点であった。
『型』は套路の半分ほどの手数で終わり、元の姿勢に戻った。
「今日は3つの動作を覚えましょう。3日後に次の3つを。全部で12の動作がありますから、9日後には1式身につくでしょう。
「明日と明後日の2日間は自習です。基礎鍛錬と『型』の復習をしてもらいます。長ければよいという物ではありませんから、『型』の練習は1日1時間と決めましょう」
「それだと基礎鍛錬と合わせても2時間以内に終わるんじゃありませんか?」
「そうですね。それ以外の時間は体を休めたり、散策でもして過ごしなさい。頭も体も使うばかりでなく、休ませることが大切です」
ステファノはまだ若い。体と脳はまだ成長途中にあった。休ませることは育てることでもあるのだ。
マルチェルによる適切な指導の下、アカデミー入学を控えた1カ月間にステファノは見違えるほどにたくましく成長することになる。
「頼もしくはなったけど、可愛げが無くなって何だか残念ね」
エリスは妙な所で残念がっていたが、館の男たちは筋肉を比べ合ったりして盛り上がった。
型稽古の最終日、訓練初日から9日後がやって来た。この日もマルチェルは黒の道着姿であった。
最後の3手を伝授した後、マルチェルはステファノに12手を通しての『演舞』を命じた。
「はい。やってみます」
呼吸を整え、真っ直ぐに立ったステファノは演舞を開始した。脳裏には記憶に刻んだマルチェルの動きが再現されている。
その動きを脳内で再生しながら、もう1つの眼で「外から自分を」観ていた。
これはマルチェルのいない自習時間に自分で考え、1人工夫を重ねた練習方法であった。
ギフト「諸行無常」の使い方に似ている。いや、ギフトの使い方から想を得て型稽古に応用したものであった。
脳内のマルチェルと、外から観た自分。その2つを重ねるように体を動かしていく。若いステファノの肉体は、9日間の鍛錬をしなやかに吸収していた。
鍛錬初日とは見違える安定した重心と正確な動きであった。
ぽんぽんとマルチェルは笑顔で手を叩いた。
「良いでしょう。9日間でここまでできれば上の部です。良く自習しましたね。
「まだ動きの解釈に甘い部分がありますが、実戦を経験していないので仕方がないことでしょう。結構です」
「明日、旦那様がこちらに見えます。お前が聞きたいと言っていたことにも答えて下さるそうです」
ステファノの質問は書斎の「書類」についてであった。ドイルの論文や研究ノートがなぜネルソンの元にあるのか、そしてその中身は何なのか?
また、ステファノが我流で取り組んでいる「歌う詠唱法」は正しいのか?
それらの問いに対する答えを持って、明日ネルソンはやって来るということであった。
「ところで、ステファノ。演舞の時に何かしていましたね?」
「えっ?」
「わたしは旦那様のようにギフトの光を診ることはできません。しかし、ギフトの発する波動は多少なりとも感じることができるのです。演舞を行うお前から、ギフトの波動が出ていましたよ」
ステファノは自己流の練習方法について説明した。内なる眼と外なる眼について。
「ふむ。面白いですね。お前は『観る』ことに関しては、既に上級者の領域に足を踏み入れているのかもしれません。
「もう一度やってみてくれませんか? 今度はお前が言う『歌う詠唱法』も取り入れて」
「構いませんが、やったことが無いので失敗するかもしれませんよ?」
「失敗とは『成功しなかった』というだけのこと。どう失敗するかも大切な学びの機会です」
まるで指導者のようなマルチェルの言葉であった。
「わかりました。やってみます」
ステファノは夜毎行っているギフトの訓練を思い出した。あれから新しい成句は発見できていないが、ギフトの発動はスムーズになっていた。
やり方は同じだ。ギフトの発動は「詠唱」に任せ、意識の外で行う。
内なる意識はマルチェルの演舞と、己の客観視に充てる。マルチェルの映像を主観とし、己の映像を客観とする。体の制御は主観と客観を一致させることを目標とする。
「い~ろ~は~に~ほ~へ~と~、ち~り~ぬ~る~を~」
ステファノは既に自動的となった成句詠唱を始めた。同時に体は主観と客観の間を動き出す。
客観の自己像が赤い光の綿毛をまとう。光は尾を引き、型の動きに追従する。
すーっと尾を引いた後、線香花火が燃え尽きるように紫色に滲んで消えて行く。
「わ~か~よ~た~れ~そ~、つ~ね~な~ら~む~」
光の綿毛は波動となり、光の紐となって7色に分散する。紐は自己像を取り巻き、旋回し、捻じれる。
紐の動きはステファノが観た型の意味であった。「捌き」であり、「抑え」であり、「打ち」であり「払い」であった。
「かくありうべし」とステファノが視、「かくあれかし」とステファノが観た行く末であった。
「ハッ!」
気合を発して、マルチェルがステファノの捌きに手刀を合わせた。腕を打ち折る力ではないが、弾き飛ばす威力は込められていた。
「何っ?」
マルチェルの腕はステファノの腕に絡めとられ、体は円を描いて宙に投げ出された。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第107話 身心一如。「形」は「意」に依りて常に移り変わる。」
「ギフトとはまことに奥深いものです。わたしもまだまだギフトに対する向き合い方が足りないということか」
「ええ? そんなこと……」
「お前の『歌う詠唱法』――というのも面倒ですね。『呪文』に対する物として『誦文』とでも呼びましょうか。誦文というやり方にはギフトの可能性を広げる力があるのかもしれません」
「誦文」
マルチェルが与えたその名前は、実にその体を表わしたものとステファノには思えた。
……
◆お楽しみに。
何やらざっくりとした筒袖、筒脚の上下は、ベルトではなく紐と帯で体に纏うようにできていた。
「道着を着て、庭に出なさい」
マルチェルも同じ仕立ての上下を身に着けている。ステファノが渡されたのは白っぽい生成の生地であったが、マルチェルは黒を着ていた。長い期間洗い晒したのであろう。色が抜けて濃いグレーといった風合いになっている。
着こなしが、いかにも武術家という風情であった。
「大地を直に感じられるように」
そういう理由で、足元は2人共裸足であった。
「お前を鍛え上げるつもりはありません。武術を志す訳ではありませんからね。しかし、正しい体の使い方は全ての道の基本です。そして正しい体のバランスを保つことは、健康の礎でもあります」
書斎に籠って体を壊さぬように、心身のバランスを保つことが午後の鍛錬の目的であった。
マルチェルの言葉通り鍛錬の内容は軽い運動が中心で、館を取りまく小道を走ったり、体の筋を伸ばしたりというものであった。
(これなら無理なく続けられるかも)
ステファノは「ギルモア流」の激しい稽古になるかもしれないと心配していたので、思いの外優しい内容に安堵した。
「では、呼吸が落ち着いたところで『演舞』を教えましょう」
「東の大国を発祥の地とする、わたしの流派の源流となった武術ではこれを『套路』と呼んだそうです。体の使い方と共に深い術理が込められていたようですが、内容の多くは門外不出とされました。
「よって、わたしも『套路』を正しく伝えている訳ではありません。これから見せる『演舞』は伝統的な動きの中に自分なりの意味を見出だし、『型』として集成したものです」
「伝統的な套路はきわめてゆったりとしたスピードで体を流れるように動かします。全体を通じて目を引くのは『重心』と『体幹』への意識です。体を放り投げるような移動は絶対に行わず、常にバランスを保つように構成されています」
マルチェルは初めに伝統的な型だと言った套路を実演して見せた。どこにも力がこもっていないように見える流麗な動きは、言葉通り急加速や急減速を行わない、流水のような舞いであった。
多くは両手の動きで敵の攻撃を捌き、自身の攻撃を行うというシナリオを再現しているように見えた。
ところどころ相手を掴まえたり、捻って投げるように見えるのはステファノの想像であろうか。
後半蹴り技が入れられていたが、それさえもバランスを保ちながらの動きであった。足先を空中に差し伸べたまま静かに静止する姿は、まさに舞踊家のそれにも思えた。
進み、回りながら、何度か同じ動きが繰り返される。左右を逆転させた動きもある。
深い踏み込みでは地面近くまで腰を落として、低い位置から手を伸ばす。それでも前かがみになることはほとんどない。
始まりと同じ直立した姿勢に戻って、套路は終了した。
「かなり長い動きでしょう。これだけの長さを覚えるのは初学者には大変です。『型』ではなくて『形』を覚えて終わってしまう人が大半になります」
「お前にこれを教えるには時間が足りません。ですので、お前にはこれから見せるわたし流の簡易的な『型』を練習してもらいます」
次に見せられた『型』は前の套路よりは素早い動きが中心であった。一連の動作の中で、ゆったりした部分と素早く動く部分がある。
体の姿勢も常に正中線を保っている訳ではなく、腰の捻りや肩を内側に入れる動作が入るために上体の動きが大きく見える。共通しているのは、重心がぶれない点であった。
『型』は套路の半分ほどの手数で終わり、元の姿勢に戻った。
「今日は3つの動作を覚えましょう。3日後に次の3つを。全部で12の動作がありますから、9日後には1式身につくでしょう。
「明日と明後日の2日間は自習です。基礎鍛錬と『型』の復習をしてもらいます。長ければよいという物ではありませんから、『型』の練習は1日1時間と決めましょう」
「それだと基礎鍛錬と合わせても2時間以内に終わるんじゃありませんか?」
「そうですね。それ以外の時間は体を休めたり、散策でもして過ごしなさい。頭も体も使うばかりでなく、休ませることが大切です」
ステファノはまだ若い。体と脳はまだ成長途中にあった。休ませることは育てることでもあるのだ。
マルチェルによる適切な指導の下、アカデミー入学を控えた1カ月間にステファノは見違えるほどにたくましく成長することになる。
「頼もしくはなったけど、可愛げが無くなって何だか残念ね」
エリスは妙な所で残念がっていたが、館の男たちは筋肉を比べ合ったりして盛り上がった。
型稽古の最終日、訓練初日から9日後がやって来た。この日もマルチェルは黒の道着姿であった。
最後の3手を伝授した後、マルチェルはステファノに12手を通しての『演舞』を命じた。
「はい。やってみます」
呼吸を整え、真っ直ぐに立ったステファノは演舞を開始した。脳裏には記憶に刻んだマルチェルの動きが再現されている。
その動きを脳内で再生しながら、もう1つの眼で「外から自分を」観ていた。
これはマルチェルのいない自習時間に自分で考え、1人工夫を重ねた練習方法であった。
ギフト「諸行無常」の使い方に似ている。いや、ギフトの使い方から想を得て型稽古に応用したものであった。
脳内のマルチェルと、外から観た自分。その2つを重ねるように体を動かしていく。若いステファノの肉体は、9日間の鍛錬をしなやかに吸収していた。
鍛錬初日とは見違える安定した重心と正確な動きであった。
ぽんぽんとマルチェルは笑顔で手を叩いた。
「良いでしょう。9日間でここまでできれば上の部です。良く自習しましたね。
「まだ動きの解釈に甘い部分がありますが、実戦を経験していないので仕方がないことでしょう。結構です」
「明日、旦那様がこちらに見えます。お前が聞きたいと言っていたことにも答えて下さるそうです」
ステファノの質問は書斎の「書類」についてであった。ドイルの論文や研究ノートがなぜネルソンの元にあるのか、そしてその中身は何なのか?
また、ステファノが我流で取り組んでいる「歌う詠唱法」は正しいのか?
それらの問いに対する答えを持って、明日ネルソンはやって来るということであった。
「ところで、ステファノ。演舞の時に何かしていましたね?」
「えっ?」
「わたしは旦那様のようにギフトの光を診ることはできません。しかし、ギフトの発する波動は多少なりとも感じることができるのです。演舞を行うお前から、ギフトの波動が出ていましたよ」
ステファノは自己流の練習方法について説明した。内なる眼と外なる眼について。
「ふむ。面白いですね。お前は『観る』ことに関しては、既に上級者の領域に足を踏み入れているのかもしれません。
「もう一度やってみてくれませんか? 今度はお前が言う『歌う詠唱法』も取り入れて」
「構いませんが、やったことが無いので失敗するかもしれませんよ?」
「失敗とは『成功しなかった』というだけのこと。どう失敗するかも大切な学びの機会です」
まるで指導者のようなマルチェルの言葉であった。
「わかりました。やってみます」
ステファノは夜毎行っているギフトの訓練を思い出した。あれから新しい成句は発見できていないが、ギフトの発動はスムーズになっていた。
やり方は同じだ。ギフトの発動は「詠唱」に任せ、意識の外で行う。
内なる意識はマルチェルの演舞と、己の客観視に充てる。マルチェルの映像を主観とし、己の映像を客観とする。体の制御は主観と客観を一致させることを目標とする。
「い~ろ~は~に~ほ~へ~と~、ち~り~ぬ~る~を~」
ステファノは既に自動的となった成句詠唱を始めた。同時に体は主観と客観の間を動き出す。
客観の自己像が赤い光の綿毛をまとう。光は尾を引き、型の動きに追従する。
すーっと尾を引いた後、線香花火が燃え尽きるように紫色に滲んで消えて行く。
「わ~か~よ~た~れ~そ~、つ~ね~な~ら~む~」
光の綿毛は波動となり、光の紐となって7色に分散する。紐は自己像を取り巻き、旋回し、捻じれる。
紐の動きはステファノが観た型の意味であった。「捌き」であり、「抑え」であり、「打ち」であり「払い」であった。
「かくありうべし」とステファノが視、「かくあれかし」とステファノが観た行く末であった。
「ハッ!」
気合を発して、マルチェルがステファノの捌きに手刀を合わせた。腕を打ち折る力ではないが、弾き飛ばす威力は込められていた。
「何っ?」
マルチェルの腕はステファノの腕に絡めとられ、体は円を描いて宙に投げ出された。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第107話 身心一如。「形」は「意」に依りて常に移り変わる。」
「ギフトとはまことに奥深いものです。わたしもまだまだギフトに対する向き合い方が足りないということか」
「ええ? そんなこと……」
「お前の『歌う詠唱法』――というのも面倒ですね。『呪文』に対する物として『誦文』とでも呼びましょうか。誦文というやり方にはギフトの可能性を広げる力があるのかもしれません」
「誦文」
マルチェルが与えたその名前は、実にその体を表わしたものとステファノには思えた。
……
◆お楽しみに。
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