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第2章 魔術都市陰謀編
第93話 言葉にならない祈り。
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ステファノが目を覚ましたのは、ネルソン別宅の小部屋であった。滞在中の居室としてあてがわれた部屋で、室内の様子に見覚えがあった。
「なぜ、ここにいるんだろう?」
理由を考える前に、ベッドサイドに人がいることに気づいた。
「ステファノ、目が覚めた?」
「プリシラ……」
彼女は今日も茶髪をポニーテールにまとめ、メイド服を着ていた。
「無理しないで寝ていて。お医者様がゆっくり休ませるようにって」
プリシラは布団の上からステファノの胸に手を置いて、言った。
「俺、どうしたんだろう? 覚えてないや……」
ふと手を持ち上げてみると、両手は手首から先に包帯が巻かれていた。指先が赤黒い。
「詳しいことはわたしにもわからないけど……。人さらいに遭って、危ないところだったって……」
ステファノが目を覚まして尋ねたら、そう伝えてやってくれとマルチェルに言われていた。
つらい思いをしたはずなのでいたわってやってくれと。
「そうだ、俺。閉じ込められて、手足を縛られて……。それで……うっ!」
突然すべてを思い出したステファノを、発作のような震えが襲う。
「うう、う、う、ううーー……」
ステファノは壁に向かって寝返りを打ち、胎児のように体を丸めた。
震えは収まるどころか大きくなり、寝台を揺らすほどになった。
「う、うわぁあーっ!」
ステファノは両手の包帯をむしり取ろうとするが、指先に力が入らない。焦れたステファノは、歯で包帯にかじりついた。
「むー、んぐぅーっ!」
包帯の下の傷口が開き、新たな血がにじんで来る。
「ダメ! ステファノ、傷が開いちゃう!」
「んーぅう、がっ、ぐぅーうっ、うっ……」
どうしたら良いのか? プリシラにはわからない。悔しさに、悲しさに、涙があふれて来る。
「お願い、止めてぇ―っ!」
プリシラは手首にかみつくステファノの頭ごと、覆いかぶさるように抱きしめた。どうか自分を傷つけないでくれと願いながら、頬を押しつけてしがみついた。
「お願い、止めて。お願い、止めて――」
ポニーテールの髪がステファノの顔にかかり、頬をプリシラの涙が濡らした。
「もう大丈夫だから。誰もステファノを虐めないから。ここにはわたししかいないから……」
何を言えば良いのかいのかわからないまま、プリシラはとにかく語り続けた。ステファノの凍てついた心に自分の言葉が届くようにと祈りながら。
ステファノは自分の物とは別の震えを腕に、そして背中に感じた。不思議なことに、その震えに注意を向けると自分の震えが薄れて行くような気がした。
ステファノの震えは「怖れ」が起こしたものだ。だが、伝わってくるプリシラの震えは違った。
哀れみとも悲しみとも違う。母や姉が幼子のために寄せる思い、強い願いが起こさせる震えであった。言葉にするなら「慈愛」であり、「慈しみ」なのだろう。
その本質は「言葉にならない祈り」であった。
「痛みよ、去れ」
「悲しみよ、失せよ」
プリシラの全身がそう訴えていた。
気づけばステファノの震えが止まり、岩のように固まっていた筋肉が穏やかにほどけていた。
「ごめん、プリシラ。心配させちゃって」
声を掛けると、プリシラはがばっと体を起こした。
みるみる顔が赤くなる。
「だ、大丈夫? ステファノ?」
必死にメイド服の乱れを直し、髪を手で撫でつける。
「うん。思い出すとまだ苦しいけど、もうおかしくなるようなことは無いと思う」
「良かった。包帯がずれちゃったね。巻き直して上げるからこっちに手を出して」
プリシラはステファノの包帯を一旦ほどき、傷口に軟膏を塗り直してから再び巻き直した。
あらわになった手首の皮膚は、麻縄がこすれた跡からところどころ肉が見えていた。その周りは黒と紫に変色し、爪で搔きむしった跡は赤い筋になっている。
「ツーっ……俺はどれくらい寝ていたんだろう?」
包帯を直してもらいながら、ステファノは尋ねた。
「そんなに長くないわ。昨日の夜担ぎ込まれてからだから。今はお昼前よ」
ならば、半日寝過ごしたくらいか。傷がふさがっていないことも頷ける。
「アランさんが馬車で運んでくれたのよ。それからジョナサンさんがお医者さんを呼びに行って」
マルチェルは「現場」の後始末に当たっていたらしい。
鴉を呼んで死体を片づけた後、口入屋の元締めと残りの手下を縛り上げて衛兵詰所に差し出したのだ。
罪状は誘拐と監禁、そして脅迫など。
ジェドーの手先として地上げや営業妨害、無法な借金の取り立てなどを担当していたのだ。
マルチェルが体のツボを2、3箇所圧してやると随分と舌の回りが良くなり、口入屋はべらべらと悪事を白状した。1時間で供述書は10ページを超えた。
アランがステファノを運んだ馬車は、口入屋が用意したものだ。あのまま運び出されていたら、今頃ステファノは獣の餌になっていたことだろう。
本人たちは数珠つなぎにされて衛兵詰所まで歩くことになった。
無傷なのは元締めだけだったので、時間の掛かる道中だった。
「マルチェルさんは朝帰りで、まだ寝ているそうよ」
どうやらマルチェルは昨夜の内にもう一軒ハシゴをしたらしかった。
「なぜ、ここにいるんだろう?」
理由を考える前に、ベッドサイドに人がいることに気づいた。
「ステファノ、目が覚めた?」
「プリシラ……」
彼女は今日も茶髪をポニーテールにまとめ、メイド服を着ていた。
「無理しないで寝ていて。お医者様がゆっくり休ませるようにって」
プリシラは布団の上からステファノの胸に手を置いて、言った。
「俺、どうしたんだろう? 覚えてないや……」
ふと手を持ち上げてみると、両手は手首から先に包帯が巻かれていた。指先が赤黒い。
「詳しいことはわたしにもわからないけど……。人さらいに遭って、危ないところだったって……」
ステファノが目を覚まして尋ねたら、そう伝えてやってくれとマルチェルに言われていた。
つらい思いをしたはずなのでいたわってやってくれと。
「そうだ、俺。閉じ込められて、手足を縛られて……。それで……うっ!」
突然すべてを思い出したステファノを、発作のような震えが襲う。
「うう、う、う、ううーー……」
ステファノは壁に向かって寝返りを打ち、胎児のように体を丸めた。
震えは収まるどころか大きくなり、寝台を揺らすほどになった。
「う、うわぁあーっ!」
ステファノは両手の包帯をむしり取ろうとするが、指先に力が入らない。焦れたステファノは、歯で包帯にかじりついた。
「むー、んぐぅーっ!」
包帯の下の傷口が開き、新たな血がにじんで来る。
「ダメ! ステファノ、傷が開いちゃう!」
「んーぅう、がっ、ぐぅーうっ、うっ……」
どうしたら良いのか? プリシラにはわからない。悔しさに、悲しさに、涙があふれて来る。
「お願い、止めてぇ―っ!」
プリシラは手首にかみつくステファノの頭ごと、覆いかぶさるように抱きしめた。どうか自分を傷つけないでくれと願いながら、頬を押しつけてしがみついた。
「お願い、止めて。お願い、止めて――」
ポニーテールの髪がステファノの顔にかかり、頬をプリシラの涙が濡らした。
「もう大丈夫だから。誰もステファノを虐めないから。ここにはわたししかいないから……」
何を言えば良いのかいのかわからないまま、プリシラはとにかく語り続けた。ステファノの凍てついた心に自分の言葉が届くようにと祈りながら。
ステファノは自分の物とは別の震えを腕に、そして背中に感じた。不思議なことに、その震えに注意を向けると自分の震えが薄れて行くような気がした。
ステファノの震えは「怖れ」が起こしたものだ。だが、伝わってくるプリシラの震えは違った。
哀れみとも悲しみとも違う。母や姉が幼子のために寄せる思い、強い願いが起こさせる震えであった。言葉にするなら「慈愛」であり、「慈しみ」なのだろう。
その本質は「言葉にならない祈り」であった。
「痛みよ、去れ」
「悲しみよ、失せよ」
プリシラの全身がそう訴えていた。
気づけばステファノの震えが止まり、岩のように固まっていた筋肉が穏やかにほどけていた。
「ごめん、プリシラ。心配させちゃって」
声を掛けると、プリシラはがばっと体を起こした。
みるみる顔が赤くなる。
「だ、大丈夫? ステファノ?」
必死にメイド服の乱れを直し、髪を手で撫でつける。
「うん。思い出すとまだ苦しいけど、もうおかしくなるようなことは無いと思う」
「良かった。包帯がずれちゃったね。巻き直して上げるからこっちに手を出して」
プリシラはステファノの包帯を一旦ほどき、傷口に軟膏を塗り直してから再び巻き直した。
あらわになった手首の皮膚は、麻縄がこすれた跡からところどころ肉が見えていた。その周りは黒と紫に変色し、爪で搔きむしった跡は赤い筋になっている。
「ツーっ……俺はどれくらい寝ていたんだろう?」
包帯を直してもらいながら、ステファノは尋ねた。
「そんなに長くないわ。昨日の夜担ぎ込まれてからだから。今はお昼前よ」
ならば、半日寝過ごしたくらいか。傷がふさがっていないことも頷ける。
「アランさんが馬車で運んでくれたのよ。それからジョナサンさんがお医者さんを呼びに行って」
マルチェルは「現場」の後始末に当たっていたらしい。
鴉を呼んで死体を片づけた後、口入屋の元締めと残りの手下を縛り上げて衛兵詰所に差し出したのだ。
罪状は誘拐と監禁、そして脅迫など。
ジェドーの手先として地上げや営業妨害、無法な借金の取り立てなどを担当していたのだ。
マルチェルが体のツボを2、3箇所圧してやると随分と舌の回りが良くなり、口入屋はべらべらと悪事を白状した。1時間で供述書は10ページを超えた。
アランがステファノを運んだ馬車は、口入屋が用意したものだ。あのまま運び出されていたら、今頃ステファノは獣の餌になっていたことだろう。
本人たちは数珠つなぎにされて衛兵詰所まで歩くことになった。
無傷なのは元締めだけだったので、時間の掛かる道中だった。
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