飯屋のせがれ、魔術師になる。

藍染 迅

文字の大きさ
上 下
67 / 663
第2章 魔術都市陰謀編

第67話 少年はペンを執った。

しおりを挟む
 白蛇は意志ある者のように壁をい、換気口から食肉倉庫へと入り込んだ。

 エバは煙管キセルを口から外し、右手の指を2本突き出すように前に向け、呪文に集中した。すると、蛇の胴体が、尾が、巻き取られた帯のようにするすると頭を追って換気口をくぐっていった。
 
 力を使い果たしたようにぐったりとしたエバは、数瞬後、ゆっくり煙草を吸いつけ、満足気に煙を吐き出した。
 ステファノには、大蛇が舌なめずりしたように見えた。

「エバさん……」

 タバコを吸い切ったエバは、煙管を木のうろに打ちつけて灰を捨てた。空になった煙管をぷっと吹き、火皿に残った灰ごとヤニを切る。
 熱くなった鉄皿を暫く冷やしてから、悠々と道具を仕舞い、エバは木の上から姿を消した。

 遠眼鏡を下ろし、茫然としている所へマルチェルがやって来た。

「現れたようですね、ステファノ。む? どうかしましたか?」

 肩を落としたステファノの様子を見とがめて、マルチェルが尋ねた。

「何でもありません。いえ、実は……」

 珍しくステファノは口ごもった。

「何があった? 落ちついて話してみなさい」

 マルチェルは答えを急がず、側の椅子に腰かけてステファノを見守った。

「実は、刺客の女に会ったことがあります」
「本当ですか? あの女は何者ですか?」

 マルチェルも別の場所から監視していたのであろう。刺客を「あの女」と呼んだ。

「名前はエバ。魔術師崩れの傭兵だと言っていました。主に護衛の仕事をしていると」
「護衛……ですか。わかりました。驚いたでしょうが、我々の役目はジュリアーノ殿下の守護です。気をしっかり持つのですよ」

 知り人が罪に手を染めていた衝撃。若いステファノがそれを受け止めるには少しの時間が必要だった。
 マルチェルはあえて深追いせず、ステファノが自ら立ち直るのを待つことにした。

「正体が知れた以上、焦る必要はありません。落ちついたら似顔絵を持って来てください」

 そう言うと、マルチェルは書斎を後にした。

 残されたステファノは文机に広げられた紙に向かったが、ペンを執る気力を見出せずにいた。自分の画が、指し示す指がエバを処刑台に送ることになる。
 それを想像せずにはいられなかった。

「ステファノ、入るわよ」

 その時、プリシラがトレイを持って書斎にやって来た。

「マルチェルさんが、何か持って行って上げなさいって……。どうしたの、その顔?」
「プリシラ……」

 ステファノは危うく崩れ掛けた心を何とか立て直した。自分の役目は何であったか?

「大丈夫? あんまり根を詰めないでね。紅茶を入れたから、置いて行くわね」

 深い事情を聞かされていないプリシラは、ステファノを気遣う言葉だけを残して去った。

 文机に置かれたティーセット。カップからは紅茶の柔らかい香りが漂っている。
 うっすらと立ち上る湯気は気まぐれに体をくねらせたかと思うと、すぐに消えてゆく。一瞬だけの妖精。

 震えていた心が静まった。

 ステファノは紅茶を口に入れ味わいながら、館の人々を思う。

 ネルソン、マルチェル、ソフィア。
 アラン、ネロ、ジョナサン、ケントク、エリス。

 ジュリアーノ王子。プリシラ。

 勇気があった。覚悟があった。決意があった。
 怒りがあった。怯えがあった。優しさがあった。

 掛け替えのない命があった。

「――俺は俺のできることをしよう。大切な人を守るために」

 ペンを執ると、ステファノは画を描いた。

 エバの顔を描いた。エバの立ち姿を描いた。
 銀色の髪を下ろした姿を描いた。微笑む顔を描いた。

 遠くを見る物憂げな表情を描いた。

 そこにいるのは樹上で毒蛇を操る暗殺者ではなく、夢多き少年に昔語りをする旅人の姿であった。
 
 ステファノがほのかに憧れたエバという名の女性であった。

 絵姿のインクが渇いた。ステファノの心のどこかで、何かがかさりと音を立てた。
しおりを挟む
Amebloにて研究成果報告中。小説情報のほか、「超時空電脳生活」「超時空日常生活」「超時空電影生活」などお題は様々。https://ameblo.jp/hyper-space-lab
感想 4

あなたにおすすめの小説

完)まあ!これが噂の婚約破棄ですのね!

オリハルコン陸
ファンタジー
王子が公衆の面前で婚約破棄をしました。しかし、その場に居合わせた他国の皇女に主導権を奪われてしまいました。 さあ、どうなる?

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました

ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

断罪イベント返しなんぞされてたまるか。私は普通に生きたいんだ邪魔するな!!

ファンタジー
「ミレイユ・ギルマン!」 ミレヴン国立宮廷学校卒業記念の夜会にて、突如叫んだのは第一王子であるセルジオ・ライナルディ。 「お前のような性悪な女を王妃には出来ない! よって今日ここで私は公爵令嬢ミレイユ・ギルマンとの婚約を破棄し、男爵令嬢アンナ・ラブレと婚姻する!!」 そう宣言されたミレイユ・ギルマンは冷静に「さようでございますか。ですが、『性悪な』というのはどういうことでしょうか?」と返す。それに反論するセルジオ。彼に肩を抱かれている渦中の男爵令嬢アンナ・ラブレは思った。 (やっべえ。これ前世の投稿サイトで何万回も見た展開だ!)と。 ※pixiv、カクヨム、小説家になろうにも同じものを投稿しています。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

投獄された聖女は祈るのをやめ、自由を満喫している。

七辻ゆゆ
ファンタジー
「偽聖女リーリエ、おまえとの婚約を破棄する。衛兵、偽聖女を地下牢に入れよ!」  リーリエは喜んだ。 「じゆ……、じゆう……自由だわ……!」  もう教会で一日中祈り続けなくてもいいのだ。

追放された薬師でしたが、特に気にもしていません 

志位斗 茂家波
ファンタジー
ある日、自身が所属していた冒険者パーティを追い出された薬師のメディ。 まぁ、どうでもいいので特に気にもせずに、会うつもりもないので別の国へ向かってしまった。 だが、密かに彼女を大事にしていた人たちの逆鱗に触れてしまったようであった‥‥‥ たまにやりたくなる短編。 ちょっと連載作品 「拾ったメイドゴーレムによって、いつの間にか色々されていた ~何このメイド、ちょっと怖い~」に登場している方が登場したりしますが、どうぞ読んでみてください。

処理中です...