64 / 624
第2章 魔術都市陰謀編
第64話 戦争と医術。
しおりを挟む
「うわぁあーー!」
王女の死が逃れようのない事実だと悟ると、ネルソンは何度も床に己の頭を打ちつけた。
「俺のせいで……。あぁーーっ!」
すぐに額が割れ、血が滴った。
「わたしの前で死人を増やすな」
王女を看取った薬学講師は、ネルソンの胸倉を掴んで立ち上がらせた。
「死にたいというなら死なせてやろう。1人も2人も同じことだ。だがな、お前が死んで済むことか? 殿下はそれで生き返るのか?」
ネルソンには答えることができなかった。鼻水を垂らし泣き叫ぶことしかできなかった。
「お前のそれは、ただの自己憐憫だ。1ギルの値打ちもない」
講師は冷たく切って捨てた。
「殿下の死を意味あるものにする方法は、1つしかない。貴様にわかるか?」
講師は優しく言った。
「100万の命を救って見せろ。それができてから初めて死ね」
15歳のネルソンは、床に尻もちをついて泣いた――。
◆◆◆
「私の前には2つの道があった。薬学から手を引き軍人として生きる道。出世を捨てて薬学を修める道」
当然周りは軍人の本分を貫く道を進めて来た。軍人として国に貢献すれば、若き日の事故など忘れ去られると。
「私は薬学の道を選んだ。正直に言おう。自分の才を惜しんだのだ。100万の敵を殺すことよりも、100万の患者を救う可能性を選んだのだ」
ギルモア家として、さすがにそのまま不問に付すことはできなかった。幸いにも次男という自由な立場であることを利用して商家の養子にすることで、名目上の縁を絶った。
「私は薬学の研究に没頭した。贖罪の意味ももちろんあったが、それ以上に薬学の魅力に憑りつかれていた。医学とは人の死の上に築かれていく学問だが、私の経歴は王族を殺した所から始まっているのだ」
己で掛けた呪いのような物だと、ネルソンは呟いた。
その後、研究の過程でネルソンは数々の業績を挙げて来た。
「戦争で死ぬ兵士は、何が原因で死ぬと思うかね?」
「それは、剣で斬られたり、魔術で焼かれたり……」
「戦闘での負傷が直接原因で死ぬ将兵の数は思いの外少ない」
先ず第一に、多くの兵は本当の意味で戦闘に参加さえしていない。古参になればなる程、危険から離れた場所で生き残る振る舞いが上手くなる。前線には何も知らぬ新兵が送られ、死亡者の大半を占めることになる。
「剣すら持たぬ徴用兵が鬨の声を上げて棒を振り回し、その勢いで勝ち負けを決める。そんな戦いが多いのだ」
そんな戦場で死因の大半を占めるのは、戦闘ではなかった。
「まず栄養不良だ。まともな食事も摂れず、不衛生な環境にいれば栄養失調や食中毒が起こる。さらに怖いのは伝染病だ」
一旦発生すると、瞬く間に軍内に広がる。水も、食料も、トイレも寝床まで一緒なのであるから、逃れようがない。
栄養状態の悪さ、劣悪な衛生環境が災いして、感染すれば死につながることが多い。
「軽い傷から破傷風などの感染症を引き起こすことも珍しくない。軍にはまともな医師が従軍していなかったのだ」
不潔な布などを包帯代わりにしていれば、容易に感染を引き起こす。そもそも矢じりに糞便を塗りつけたり、城壁の上から糞尿を浴びせ掛けるなどの手段は、感染症を引き起こす手軽な殺傷方法として戦争で広く行われて来たのだ。
「私はあるキノコの菌糸から感染症に対抗する特効成分を抽出することに成功した」
ペニシリンのような抗生物質であろう。戦場での生存率、すなわち戦闘継続能力を著しく改善することになる。
「一介の薬学研究者に過ぎなかった私は、その功により王室御用達の薬師となり、密かに王国軍医療顧問となった」
ネルソン商会の得意先とは王室であると同時に、王国軍であった。
その縁でソフィアはジュリアーノ王子の母君につき、乳母として王子の養育に当たったのだ。
病弱だったジュリアーノ殿下が健康に育ったのには、ソフィアの貢献とネルソン商会が納めた医薬の働きが大きい。
王女の死が逃れようのない事実だと悟ると、ネルソンは何度も床に己の頭を打ちつけた。
「俺のせいで……。あぁーーっ!」
すぐに額が割れ、血が滴った。
「わたしの前で死人を増やすな」
王女を看取った薬学講師は、ネルソンの胸倉を掴んで立ち上がらせた。
「死にたいというなら死なせてやろう。1人も2人も同じことだ。だがな、お前が死んで済むことか? 殿下はそれで生き返るのか?」
ネルソンには答えることができなかった。鼻水を垂らし泣き叫ぶことしかできなかった。
「お前のそれは、ただの自己憐憫だ。1ギルの値打ちもない」
講師は冷たく切って捨てた。
「殿下の死を意味あるものにする方法は、1つしかない。貴様にわかるか?」
講師は優しく言った。
「100万の命を救って見せろ。それができてから初めて死ね」
15歳のネルソンは、床に尻もちをついて泣いた――。
◆◆◆
「私の前には2つの道があった。薬学から手を引き軍人として生きる道。出世を捨てて薬学を修める道」
当然周りは軍人の本分を貫く道を進めて来た。軍人として国に貢献すれば、若き日の事故など忘れ去られると。
「私は薬学の道を選んだ。正直に言おう。自分の才を惜しんだのだ。100万の敵を殺すことよりも、100万の患者を救う可能性を選んだのだ」
ギルモア家として、さすがにそのまま不問に付すことはできなかった。幸いにも次男という自由な立場であることを利用して商家の養子にすることで、名目上の縁を絶った。
「私は薬学の研究に没頭した。贖罪の意味ももちろんあったが、それ以上に薬学の魅力に憑りつかれていた。医学とは人の死の上に築かれていく学問だが、私の経歴は王族を殺した所から始まっているのだ」
己で掛けた呪いのような物だと、ネルソンは呟いた。
その後、研究の過程でネルソンは数々の業績を挙げて来た。
「戦争で死ぬ兵士は、何が原因で死ぬと思うかね?」
「それは、剣で斬られたり、魔術で焼かれたり……」
「戦闘での負傷が直接原因で死ぬ将兵の数は思いの外少ない」
先ず第一に、多くの兵は本当の意味で戦闘に参加さえしていない。古参になればなる程、危険から離れた場所で生き残る振る舞いが上手くなる。前線には何も知らぬ新兵が送られ、死亡者の大半を占めることになる。
「剣すら持たぬ徴用兵が鬨の声を上げて棒を振り回し、その勢いで勝ち負けを決める。そんな戦いが多いのだ」
そんな戦場で死因の大半を占めるのは、戦闘ではなかった。
「まず栄養不良だ。まともな食事も摂れず、不衛生な環境にいれば栄養失調や食中毒が起こる。さらに怖いのは伝染病だ」
一旦発生すると、瞬く間に軍内に広がる。水も、食料も、トイレも寝床まで一緒なのであるから、逃れようがない。
栄養状態の悪さ、劣悪な衛生環境が災いして、感染すれば死につながることが多い。
「軽い傷から破傷風などの感染症を引き起こすことも珍しくない。軍にはまともな医師が従軍していなかったのだ」
不潔な布などを包帯代わりにしていれば、容易に感染を引き起こす。そもそも矢じりに糞便を塗りつけたり、城壁の上から糞尿を浴びせ掛けるなどの手段は、感染症を引き起こす手軽な殺傷方法として戦争で広く行われて来たのだ。
「私はあるキノコの菌糸から感染症に対抗する特効成分を抽出することに成功した」
ペニシリンのような抗生物質であろう。戦場での生存率、すなわち戦闘継続能力を著しく改善することになる。
「一介の薬学研究者に過ぎなかった私は、その功により王室御用達の薬師となり、密かに王国軍医療顧問となった」
ネルソン商会の得意先とは王室であると同時に、王国軍であった。
その縁でソフィアはジュリアーノ王子の母君につき、乳母として王子の養育に当たったのだ。
病弱だったジュリアーノ殿下が健康に育ったのには、ソフィアの貢献とネルソン商会が納めた医薬の働きが大きい。
0
お気に入りに追加
98
あなたにおすすめの小説
【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する
雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。
その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。
代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。
それを見た柊茜は
「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」
【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。
追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん…....
主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します
幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話
妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』
『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』
『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』
大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな
七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」
「そうそう」
茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。
無理だと思うけど。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します
有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。
妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。
さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。
そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。
そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。
現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる