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お姫様なんていない。上

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 ひと眠りするとだいぶ気持ちも落ち着いていた。なんであんなに取り乱してしまったのかと恥ずかしくなるほど思考も冷静になり、薬の効果で身体の火照りも治まっていた。
 だがさすが母はオメガの先輩だけあって症状に詳しい。聖は食欲が落ちていて母が買ってきてくれたゼリーを食べただけで満腹だった。
 精神的に落ち着いたので、ようやく友人たちに連絡が出来た。迷惑をかけた事を詫びて、礼も伝える。

『いいのよ。危ない目に合わなくてよかった。副作用は出ていない? 明日は休むそうだけど、私もそれが良いと思うわ。最初の発情期はホルモンバランスも崩れて、情緒不安定になっちゃうから。良い機会だと思ってゆっくり休んでちょうだいね』

『わー、ひーくん。おめでと。ずっと来てほしかったみたいだし良かったね。ひーくんに冷たくされて、とーじくんだいぶ落ち込んでたよ。これでひーくんもヒエラルキーの一番下のオメガになったんだし、さっさととーじくんと仲直りして首噛んでもらったほうがいいんじゃない? 番になれるのは発情期の間限定だから今のうちに噛んでっておねだりしちゃえ』

 各々から、今にも声が聞こえてきそうなほどの返信が来て、聖は思わず笑ってしまった。心がさらに落ち着きを取り戻す。それから、意を決して冬治にも連絡を入れた。

『電話できそう?』

 冬治からの返信はこの一文だった。聖が出来ると答えると、すぐに電話がかかってくる。聖はにわかに緊張しながら、スマートフォンを耳に押し当てた。

『大丈夫? 薬効いてきた?』

「おう。もうすっかり元気。悪かったな。散々振り回して……」

『何言ってるの。無事でよかったよ。もしも俺以外の誰かと会ってたらと思うと今でも怖い』

 通話の向こうで、冬治がため息を吐くのが分かった。本当に散々迷惑をかけた。心配もかけた。そして、せっかく戌井といるところを邪魔してしまった。

「悪かったな。戌井くんは大丈夫だったか?」

『戌井君? うん、普通に一人で帰ってもらったけどなんで?』

 冬治の声からは純粋な疑問しか感じ取れず、聖は苦笑してしまった。
 聖の事なら事細かに気が付いてくれるのに、他のオメガ相手だと疎くなってしまうのか。優越感を覚えかけるが、そうではなく、ここは幼馴染として一言助言しておくべきだと思った。

「今回は俺のせいだけど、戌井君の事も俺にするくらい大切にしてやれよ?」

『……えっと、戌井君はむしろそういうの喜ばない方だと思うけど』

「あ、そうなのか」

 だとしたら余計な口出しをしてしまったと、聖は早速反省した。
 考えてみれば、オメガの誰もが聖のようにお姫様みたいに扱われたいと思っているわけじゃない。戌井に対しては戌井が望む付き合い方をしているのだ。新設のつもりがお節介になってしまうところだった。

『そういえば、ひーちゃん。どうして今日泣いたの?』

「え……?」

 予想していなかったわけじゃないが、痛いところをつかれてどきっとした。一瞬、本音が出かけたがすんでのところで呑み込み、予め用意していたセリフに置き換える。

「あ、なんか……情緒不安定になってたらしい。それで、わけもなく涙が出ちゃったと言うか。でも泣いてるとこ見られるの恥ずかしくて、逃げちゃったんだよ」

 少々苦しい言い訳だが、本当の事を馬鹿正直に伝えるよりはいい。冬治が聖に告げた想いがもしも、ほんの少しの間でも本当だった場合、冬治の心を揺らがせる結果になりかねない。
 せっかく丸く収まったのだ。今更かき乱したくはない。

『そう。今は大丈夫?』

「うん。落ち着いたから、大丈夫」

 嘘だ。本当はこの件に関しては全く納得できていない。それでも、冬治の想いに気付く前は純粋に冬治の幸せを願うことが出来たのだから、きっといつかまたあの頃の気持ちを取り戻せるはずなのだ。
 ようやく気付いたこの恋心が、思い出に変わったら。いつか。

『ひーちゃん、また泣いてない?』

「え、……な、泣いてねえよ」

 普通の音声通話だから顔は見えないはずなのに、どうして気付かれたのだろう。聖は見えていないと知っていながら、慌てて目尻を拭った。

「あ、そうだ。明日、大事をとって休むことになったんだ」

 戌井に関する話題はまだ、穏やかな気持ちで話せる内容じゃない。聖は本格的に泣きだしてしまう前に話題を変えた。

『そうなんだ。寂しいな』

 率直な言葉に胸を打たれた。だからつい、聖も本音をこぼしてしまう。

「うん。俺も寂しい」

 冬治に会えなくて。と付け足したかったが、こぶしを握って堪えた。

『……あのね。ひーちゃん』

「ん?」

 急に冬治の声が真剣みを帯びて、聖は首を傾げた。

『俺はね。本当は一瞬たりとも、ひーちゃんの匂いを他の誰かに奪われたくないんだ』

「え……?」

 冬治の発言でなければ、その独占欲の強さに恐れをなしてしまうところだった。恋する相手の言葉だから、求められる喜びに胸が高鳴る。

『だから、本当はもっと待つつもりだったけど、答えが欲しいんだ』

「こ、答えって……」

『聖の番に俺を選んでほしい。聖の首に俺の噛み痕を付けたいんだ』

 急激に身体が熱くなって、聖は一瞬薬の効果が切れてしまったのかと疑った。だけど違う。この熱は、聖が冬治と同じ想いでいる証拠だ。何しろ今、聖は冬治にうなじを噛まれる所を想像してしまった。
 そこに嫌悪感はなかった。一瞬、私服の喜びに満たされた。

「な、何言ってんだよ」

 だが、ダメだ。冬治には戌井がいるのだから。

「戌井君と付き合ってるのに、俺とも番になりたいっていうのか?」

 冬治が平気で二股をかけるような不誠実な人間ではないと見越した上で聞いた。

『……ひーちゃん。何言ってるの?』

「え、だ、だから……戌井君と付き合ってるだろ?」

『誰が?』

「誰って、お前が……」

 おかしい。冬治はこんなにも理解力がなかっただろうか。いや、そんなはずはない。聖が必死に勉強しても追いつけないほど、頭はいいはずだ。なのにどうしてこの件に関してだけ、こんなにも鈍いのだろうか。
 聖に想いを告げておきながら別のオメガと交際した罪悪感ではなさそうだ。冬治からは純粋な疑問しか感じられない。

『ひーちゃん。もしかして、俺と戌井君が付き合ってると勘違いしてたの?』

「か、勘違い……? 勘違いじゃねえだろ」

 まるで聖に非があるように言われてむっとした。
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