上 下
35 / 44

お姫様なんていない。上

しおりを挟む
 ひと眠りするとだいぶ気持ちも落ち着いていた。なんであんなに取り乱してしまったのかと恥ずかしくなるほど思考も冷静になり、薬の効果で身体の火照りも治まっていた。
 だがさすが母はオメガの先輩だけあって症状に詳しい。聖は食欲が落ちていて母が買ってきてくれたゼリーを食べただけで満腹だった。
 精神的に落ち着いたので、ようやく友人たちに連絡が出来た。迷惑をかけた事を詫びて、礼も伝える。

『いいのよ。危ない目に合わなくてよかった。副作用は出ていない? 明日は休むそうだけど、私もそれが良いと思うわ。最初の発情期はホルモンバランスも崩れて、情緒不安定になっちゃうから。良い機会だと思ってゆっくり休んでちょうだいね』

『わー、ひーくん。おめでと。ずっと来てほしかったみたいだし良かったね。ひーくんに冷たくされて、とーじくんだいぶ落ち込んでたよ。これでひーくんもヒエラルキーの一番下のオメガになったんだし、さっさととーじくんと仲直りして首噛んでもらったほうがいいんじゃない? 番になれるのは発情期の間限定だから今のうちに噛んでっておねだりしちゃえ』

 各々から、今にも声が聞こえてきそうなほどの返信が来て、聖は思わず笑ってしまった。心がさらに落ち着きを取り戻す。それから、意を決して冬治にも連絡を入れた。

『電話できそう?』

 冬治からの返信はこの一文だった。聖が出来ると答えると、すぐに電話がかかってくる。聖はにわかに緊張しながら、スマートフォンを耳に押し当てた。

『大丈夫? 薬効いてきた?』

「おう。もうすっかり元気。悪かったな。散々振り回して……」

『何言ってるの。無事でよかったよ。もしも俺以外の誰かと会ってたらと思うと今でも怖い』

 通話の向こうで、冬治がため息を吐くのが分かった。本当に散々迷惑をかけた。心配もかけた。そして、せっかく戌井といるところを邪魔してしまった。

「悪かったな。戌井くんは大丈夫だったか?」

『戌井君? うん、普通に一人で帰ってもらったけどなんで?』

 冬治の声からは純粋な疑問しか感じ取れず、聖は苦笑してしまった。
 聖の事なら事細かに気が付いてくれるのに、他のオメガ相手だと疎くなってしまうのか。優越感を覚えかけるが、そうではなく、ここは幼馴染として一言助言しておくべきだと思った。

「今回は俺のせいだけど、戌井君の事も俺にするくらい大切にしてやれよ?」

『……えっと、戌井君はむしろそういうの喜ばない方だと思うけど』

「あ、そうなのか」

 だとしたら余計な口出しをしてしまったと、聖は早速反省した。
 考えてみれば、オメガの誰もが聖のようにお姫様みたいに扱われたいと思っているわけじゃない。戌井に対しては戌井が望む付き合い方をしているのだ。新設のつもりがお節介になってしまうところだった。

『そういえば、ひーちゃん。どうして今日泣いたの?』

「え……?」

 予想していなかったわけじゃないが、痛いところをつかれてどきっとした。一瞬、本音が出かけたがすんでのところで呑み込み、予め用意していたセリフに置き換える。

「あ、なんか……情緒不安定になってたらしい。それで、わけもなく涙が出ちゃったと言うか。でも泣いてるとこ見られるの恥ずかしくて、逃げちゃったんだよ」

 少々苦しい言い訳だが、本当の事を馬鹿正直に伝えるよりはいい。冬治が聖に告げた想いがもしも、ほんの少しの間でも本当だった場合、冬治の心を揺らがせる結果になりかねない。
 せっかく丸く収まったのだ。今更かき乱したくはない。

『そう。今は大丈夫?』

「うん。落ち着いたから、大丈夫」

 嘘だ。本当はこの件に関しては全く納得できていない。それでも、冬治の想いに気付く前は純粋に冬治の幸せを願うことが出来たのだから、きっといつかまたあの頃の気持ちを取り戻せるはずなのだ。
 ようやく気付いたこの恋心が、思い出に変わったら。いつか。

『ひーちゃん、また泣いてない?』

「え、……な、泣いてねえよ」

 普通の音声通話だから顔は見えないはずなのに、どうして気付かれたのだろう。聖は見えていないと知っていながら、慌てて目尻を拭った。

「あ、そうだ。明日、大事をとって休むことになったんだ」

 戌井に関する話題はまだ、穏やかな気持ちで話せる内容じゃない。聖は本格的に泣きだしてしまう前に話題を変えた。

『そうなんだ。寂しいな』

 率直な言葉に胸を打たれた。だからつい、聖も本音をこぼしてしまう。

「うん。俺も寂しい」

 冬治に会えなくて。と付け足したかったが、こぶしを握って堪えた。

『……あのね。ひーちゃん』

「ん?」

 急に冬治の声が真剣みを帯びて、聖は首を傾げた。

『俺はね。本当は一瞬たりとも、ひーちゃんの匂いを他の誰かに奪われたくないんだ』

「え……?」

 冬治の発言でなければ、その独占欲の強さに恐れをなしてしまうところだった。恋する相手の言葉だから、求められる喜びに胸が高鳴る。

『だから、本当はもっと待つつもりだったけど、答えが欲しいんだ』

「こ、答えって……」

『聖の番に俺を選んでほしい。聖の首に俺の噛み痕を付けたいんだ』

 急激に身体が熱くなって、聖は一瞬薬の効果が切れてしまったのかと疑った。だけど違う。この熱は、聖が冬治と同じ想いでいる証拠だ。何しろ今、聖は冬治にうなじを噛まれる所を想像してしまった。
 そこに嫌悪感はなかった。一瞬、私服の喜びに満たされた。

「な、何言ってんだよ」

 だが、ダメだ。冬治には戌井がいるのだから。

「戌井君と付き合ってるのに、俺とも番になりたいっていうのか?」

 冬治が平気で二股をかけるような不誠実な人間ではないと見越した上で聞いた。

『……ひーちゃん。何言ってるの?』

「え、だ、だから……戌井君と付き合ってるだろ?」

『誰が?』

「誰って、お前が……」

 おかしい。冬治はこんなにも理解力がなかっただろうか。いや、そんなはずはない。聖が必死に勉強しても追いつけないほど、頭はいいはずだ。なのにどうしてこの件に関してだけ、こんなにも鈍いのだろうか。
 聖に想いを告げておきながら別のオメガと交際した罪悪感ではなさそうだ。冬治からは純粋な疑問しか感じられない。

『ひーちゃん。もしかして、俺と戌井君が付き合ってると勘違いしてたの?』

「か、勘違い……? 勘違いじゃねえだろ」

 まるで聖に非があるように言われてむっとした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄王子は魔獣の子を孕む〜愛でて愛でられ〜《完結》

クリム
BL
「婚約を破棄します」相手から望まれたから『婚約破棄』をし続けた王息のサリオンはわずか十歳で『婚約破棄王子』と呼ばれていた。サリオンは落実(らくじつ)故に王族の容姿をしていない。ガルド神に呪われていたからだ。 そんな中、大公の孫のアーロンと婚約をする。アーロンの明るさと自信に満ち溢れた姿に、サリオンは戸惑いつつ婚約をする。しかし、サリオンの呪いは容姿だけではなかった。離宮で晒す姿は夜になると魔獣に変幻するのである。 アーロンにはそれを告げられず、サリオンは兄に連れられ王領地の魔の森の入り口で金の獅子型の魔獣に出会う。変幻していたサリオンは魔獣に懐かれるが、二日の滞在で別れも告げられず離宮に戻る。 その後魔力の強いサリオンは兄の勧めで貴族学舎に行く前に、王領魔法学舎に行くように勧められて魔の森の中へ。そこには小さな先生を取り囲む平民の子どもたちがいた。 サリオンの魔法学舎から貴族学舎、兄セシルの王位継承問題へと向かい、サリオンの呪いと金の魔獣。そしてアーロンとの関係。そんなファンタジーな物語です。 一人称視点ですが、途中三人称視点に変化します。 R18は多分なるからつけました。 2020年10月18日、題名を変更しました。 『婚約破棄王子は魔獣に愛される』→『婚約破棄王子は魔獣の子を孕む』です。 前作『花嫁』とリンクしますが、前作を読まなくても大丈夫です。(前作から二十年ほど経過しています)

この愛のすべて

高嗣水清太
BL
 「妊娠しています」  そう言われた瞬間、冗談だろう?と思った。  俺はどこからどう見ても男だ。そりゃ恋人も男で、俺が受け身で、ヤることやってたけど。いきなり両性具有でした、なんて言われても困る。どうすればいいんだ――。 ※この話は2014年にpixivで連載、2015年に再録発行した二次小説をオリジナルとして少し改稿してリメイクしたものになります。  両性具有や生理、妊娠、中絶等、描写はないもののそういった表現がある地雷が多い話になってます。少し生々しいと感じるかもしれません。加えて私は医学を学んだわけではありませんので、独学で調べはしましたが、両性具有者についての正しい知識は無いに等しいと思います。完全フィクションと捉えて下さいますよう、お願いします。

薔薇の寵妃〜女装令嬢は国王陛下代理に溺愛される〜完結

クリム
BL
田舎育ち男爵家の次男坊ルーネは、近衛隊長の兄に頼まれ王宮に上がり、『女性』として3歳のアーリア姫殿下のお世話役になってしまう。姫殿下と16歳も離れているデューク国王陛下代理に思いを寄せられ押し倒されてしまう。男だとバレてしまっても、デューク国王陛下代理に求められ、次第に絆され、愛し合う、仮想中世王宮ボーイズラブです。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

「本編完結」あれで付き合ってないの? ~ 幼馴染以上恋人未満 ~

一ノ瀬麻紀
BL
産まれた時から一緒の二人は、距離感バグった幼馴染。 そんな『幼馴染以上恋人未満』の二人が、周りから「え? あれでまだ付き合ってないの?」と言われつつ、見守られているお話。 オメガバースですが、R指定無しの全年齢BLとなっています。 (ほんのりRの番外編は『麻紀の色々置き場』に載せてあります) 6話までは、ツイノベを加筆修正しての公開、7話から物語が動き出します。 本編は全35話。番外編は不定期に更新されます。 サブキャラ達視点のスピンオフも予定しています。 表紙と挿絵は、トリュフさん(@trufflechocolat) 投稿にあたり許可をいただき、ありがとうございます(,,ᴗ ᴗ,,)ペコリ ドキドキで緊張しまくりですが、よろしくお願いします。 ✤お知らせ✤ 第12回BL大賞 にエントリーしました。 新作【再び巡り合う時 ~転生オメガバース~】共々、よろしくお願い致します。 11/21(木)6:00より、スピンオフ「星司と月歌」連載します。 11/24(日)18:00完結の短編です。 1日4回更新です。 一ノ瀬麻紀🐈🐈‍⬛

【完結】聖人君子で有名な王子に脅されている件

綿貫 ぶろみ
BL
オメガが保護という名目で貴族のオモチャにされる事がいやだった主人公は、オメガである事を隠して生きていた。田舎で悠々自適な生活を送る主人公の元に王子が現れ、いきなり「番になれ」と要求してきて・・・ オメガバース作品となっております。R18にはならないゆるふわ作品です。7時18時更新です。 皆様の反応を見つつ続きを書けたらと思ってます。

可愛くない僕は愛されない…はず

おがこは
BL
Ωらしくない見た目がコンプレックスな自己肯定感低めなΩ。痴漢から助けた女子高生をきっかけにその子の兄(α)に絆され愛されていく話。 押しが強いスパダリα ‪✕‬‪‪ 逃げるツンツンデレΩ ハッピーエンドです! 病んでる受けが好みです。 闇描写大好きです(*´`) ※まだアルファポリスに慣れてないため、同じ話を何回か更新するかもしれません。頑張って慣れていきます!感想もお待ちしております! また、当方最近忙しく、投稿頻度が不安定です。気長に待って頂けると嬉しいです(*^^*)

僕は本当に幸せでした〜刹那の向こう 君と過ごした日々〜

エル
BL
(2024.6.19 完結) 両親と離れ一人孤独だった慶太。 容姿もよく社交的で常に人気者だった玲人。 高校で出会った彼等は惹かれあう。 「君と出会えて良かった。」「…そんなわけねぇだろ。」 甘くて苦い、辛く苦しくそれでも幸せだと。 そんな恋物語。 浮気×健気。2人にとっての『ハッピーエンド』を目指してます。 *1ページ当たりの文字数少なめですが毎日更新を心がけています。

処理中です...