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すれ違いの果て

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 最初に微熱を感じた日から、じわじわと体調が優れなくなっていた。月が替わって急激に冷え込んだせいで風邪を引いてしまったのかもしれない。だったらもうひとおもいにぐっと高熱が出てくれればいいのに、熱があるとも呼べないような体温をキープしている。
 その日は起き上がるのも辛いくらいだったのだが、熱を測ってみるとやはり微熱。この程度で欠席するわけにはいかないと、怠い身体に鞭打って登校した。
 だが、昼休みが近づくにつれてなぜか呼吸が苦しくなってきて、身体も火照りはじめた。冬だというのに汗をかくほどで、見かねた珠樹と愛に保健室に行った方が良いと勧められた。
 歩けないほどではないので付き添いを断り、一人で保健室まで来たまでは良かったのだが、養護教諭の先生はこれから出張に出なくてはいけないという。たぶん、出張と言っていた気がする。
 熱のせいか頭もぼんやりしてきて、先生の話もほとんど頭に入ってこなかった。ただ鍵を渡され、寝ていていいと言われたような気がしたので、お言葉に甘えさせてもらったのだ。
 眠れないままベッドの上で放課後まで過ごした聖は、鞄を取りに行きがてら、預かった鍵を職員室に返しに行こうとした。その道すがらで見てしまったのだ。階段の踊り場で、抱き合う冬治と戌井の姿を。
 すると制御できないほどの怒りが生まれた。それ以上に、歯止めが利かず暴走する激情に戸惑い、逃げ出してしまった。
 冬治が追いかけてくるのが分かり、さらに速度を上げようとするが、微熱に侵された身体は鉛のように重たくて思うように動いてくれなかった。
 このままじゃ追いつかれてしまうと、聖はとっさに保健室に逃げ込んだ。
 保健室の鍵は聖が持っているので、鍵を閉めてしまえば冬治も追ってこられないはずだった。しかし鍵を閉めるよりも早く冬治が保健室の扉を開けてしまった。

「あ……」

 こうなれば聖は袋小路に追い詰められたことになる。かくなる上は窓から逃げるという方法もあるのだが、冬治の様子がいつもと違うことに気付いて、逃げる気が失せてしまった。

「と、冬治……?」

 冬治の呼吸も浅い。まさか、こんな短距離を走っただけで息が上がる程、冬治は運動不足ではないはずだ。なのに聖もまた発汗し、心なしか顔が赤い気がする。まさか、聖の熱がうつってしまったのだろうか。

「冬治、大丈夫か……?」
 
 恐る恐る呼び掛けてみて顔を上げた冬治と目が合うと、聖は原因不明の恐怖に慄いた。どうしてか、捕まったと感じた。
 冬治の様子がいつもと違う。どこが違うのか具体的には分からないが、いつもの冬治ではないことは確かだった。普段と様子が違う冬治を前に聖は一時冷静になり、だからこそ言い知れぬ恐怖に身体が震える。
 冬治は食いしばった歯の隙間から短く息を吐きつつ、後ろ手に扉を閉める。鍵を閉める音までして、聖は目を剥いた。冬治と二人で密室に閉じ込められてしまった。たったそれだけの事実になぜか絶望する。

「聖……」

 別に怒鳴られたわけでもないというのに、普段よりずっと低い声が聖を竦み上がらせた。心臓が不安になる程早く脈打ち、じわじわと後退りする。
 今の冬治に捕まってはいけないと本能が叫んでいる。だのに臆した身体はいう事を聞かず、じりじりと後退するしかできない。

「あっ……!」

 急に両ひざが何かにぶつかってかくんと曲がった。バランスを崩した身体は硬いベッドに仰向けに倒れる。慌てて起き上がろうとする聖の上に大きな影が覆いかぶさった。

「とう、じ……?」

 既視感のある光景に、聖は頭が真っ白になる。あの時と同じく冬治の表情には普段の余裕が見られなかった。ただあの時は、激怒していることが手に取るようにわかったから、聖もここまで恐怖することはなかった。
 今は悲鳴を上げたいくらいに恐ろしい。冬治の両目が据わっているのだが、それ以外は無なのだ。何かに操られているかのようなうつろな表情で聖を食い入るように見つめてくる。

「ど、どうし……、あっ」

 次の瞬間、信じられないことが起こった。冬治の手が聖のブレザーのボタンを外しはじめたのである。それだけでは飽き足らず、カーディガンとシャツをひとまとめに捲り上げられた。

「やっ、何して……っ」

 むき出しの肌に冷気が触れて聖は惑乱した。上半身のほとんどを冬治の眼前に晒している状況に顔が熱くなる。

「あっ……ちょ、ちょっと」

 布地を取り払われた肌を冬治の手が撫でまわしている。あからさまに性感を誘う動きに聖は愕然とした。その事実は、聖にとって非常に受け入れがたい事だった。
 いつも優しくて、紳士的で、聖の事を大切にしてくれる冬治。その冬治に強姦されようとしている。

「だっ、ダメ! 駄目だ!」

 聖は懸命にもがいた。原因は分からないが、今の冬治は正常ではない。
 この危機的状況を回避できるか否かは、聖にかかっているのだ。分かっているのに、熱に侵され脱力する自分の身体がもどかしい。懸命に腕を突っ張っているはずなのに、まるで力が入っていないのが分かる。
 それでも歯を食いしばって押しのけようとするのだが、力負けした。冬治は暴れる聖に伸し掛かって動きを封じると、信じられない行動に出た。
 力強くシャツの襟が引っ張られ、衝撃でボタンが飛ぶ。むき出しになった鎖骨に舌を這わせはじめたのだ。

「……あ」

 鎖骨や肩口に感じる、ちくりとした痛み。冬治が聖の肌に歯を立てている。味見するように舌を這わせ、最終的に首筋にまで到達した。
 そこには冬治のくれたチョーカーがある。聖を守る最後の砦が。

「……っ」

 刹那、耳元で冬治が呻く声が聞こえた。聖ははっとして声をかける。

「と、冬治……っ」

 首を守るチョーカーに阻まれ、冬治の理性がかすかに取り戻されたのだと分かった。

「冬治、しっかりしてくれ! こんなの駄目だ! こんな形でお前と結ばれたくない!」

 きっとこれが、最初で最後のチャンスだと思った。だから聖は懸命に呼びかける。恐れをなして震える両腕に力をこめて、思いきり抱き締めた。冬治の身体は驚くほど熱くなっていた。匂い立つ冬治の香りに聖までもが邪な感情な支配されそうになる。
 聖は運命を呪った。いや、自分の愚かしさを恥じた。
 自分の身に何が起こっているのか。冬治がどうして聖を犯そうとしたのか。その二つの原因に気付いてしまったのだ。

(くそ……っ、こんな時に発情期が来るなんて……!)

 発情期にオメガが放出するフェロモンは、どれだけ理性的なアルファであっても太刀打ちできないほどに性欲を刺激してしまう。冬治が理性を失ってしまったのは、聖の所為なのだ。微熱の原因が、発情期の前兆だと見抜けなかった。それどころかここ最近は毎日の体温計測すら怠っていた。

「ぁ、ぐ……」

 ふいに冬治が聖の身体を思いきり抱き締めてきた。二の腕を掴む指先が肉に食い込んで痛い。呼吸もままならないほど力を籠められ、ぎしぎしと骨が軋む音すら聞こえる気がして苦しかった。
 でもその痛みと苦しみは全て、聖への罰だ。

「冬治……、ごめん」

 気付けばまた聖は冬治に詫びていた。前も同じ状況で冬治に謝ったのに、学習能力のない自分に反吐が出る。
 今、冬治は懸命に自分の本能と戦ってくれているのだ。聖を傷つけまいと、暴走しそうな自分を死に物狂いで押し留めている。だけどそれだけでは足りなかったのか、冬治自身が聖にプレゼントしてくれたチョーカーに歯を立て始めた。

「冬治……っ」

 獣のように呼吸しながら、冬治は食いちぎらんばかりにチョーカーに噛みつく。苦しそうな呼吸が、本当はその奥にある聖自身に歯型を付けたいのだと切々と訴えかけてきて涙を誘った。
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