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落とし物は。

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 昨日の雨を境に、ぐっと気温が低くなった。連日の小春日和が嘘のように、冷えた風が吹き渡る。朝晩などは特に冷え込み、布団から出るのが辛い季節の到来を感じた。テレビコマーシャルでは、クリスマスケーキやお節料理の予約をしきりに促している。
 とはいっても、四方木家には縁のない話だ。
 何しろ母親は料理教室の先生なので、季節のイベントの料理だってぱぱっと作ってしまう。
 聖にとっては母お手製の料理こそ子供のころから食べ慣れた味なので、今更外で買いたいとは思わなかった。今年も母は、クリスマスにきのこのポットパイを作ってくれるだろうか。
 さくさくのパイ生地をクリーミーなソースに浸して食べる。ターキーよりも、オードブルよりも楽しみな一品だ。来年の今ごろはそれどころじゃないだろうから、今年のうちにめいっぱい楽しんでおきたい。
 夕食の間中乾燥しておいた制服は無事渇き、聖も冬治も、今朝はちゃんと制服で登校することができた。いつも通り教室前で別れ、授業がはじまる。
 昼休みになればまた冬治と二人、腹ごしらえの為に食堂へ向かう。その道すがらに一度職員室に立ち寄った。冬治が一クラス分の提出物を担当教師に渡している間、聖は職員室の前の廊下で待っている。

「ん?」
 
 ふいに、手持無沙汰にスマートフォンを弄っていた聖の足元に何かが転がって来た。不思議な形のそれを拾い上げ、周囲を見回す。運のいいことに、近くを歩く人影はひとつだけだった。聖が拾い上げた黒い物体は、彼の落とし物に違いない。

「あの、落としましたよ」

 聖は早足で落とし主を追いかけた。ただでさえ背が高い上にせかせかとせっかちな歩き方をする人だから、普通の速度じゃ追いつけない気がしたのだ。しかも、聖の声が聞こえていないのか、どんどん歩いて行ってしまう。仕方なく、聖は声を張り上げた。

「あの、落とし物ですよ! って、うわっ」
 
 やっと呼ばれていることに気付いたらしい。彼はぴたりと、本当に唐突に立ち止まった。そんな止まり方をしたら、よろけてしまいそうなものだが、体幹は安定している。
 大変だったのはむしろ聖の方だった。もはや駆け足になっていたせいでブレーキが利かず、背中に突進してしまう。
 跳ね返ったのもまた、聖の方だった。ひょろりと痩せているように見えたが、聖が跳ね返ってよろめくくらいにぶつかってもびくともしていない。

「ご、ごめんなさい」

 微妙に納得がいかないような気もするが、ぶつかってしまった事には違いないので、聖は謝罪した。固い背中にぶつけた鼻がひりひりと痛い。

「いえ。こちらこそ考え事をしていました。すみません」

 彼はあまり感情のこもっていない声でぼそぼそと話すと、長い前髪の内側にちらりと見えている眼鏡の位置を整える。
 わざとなのか寒いのか、伸びきってヨレヨレになったカーディガンに指のほとんどが隠れてしまっている。髪型も櫛すら通していないのかボサボサで、なんというか全体的にもっさりした雰囲気だ。微妙に猫背なのも気になる。

「え」

 あらゆる意味で印象的な外見を見つめていると、彼はすっと手を差し出してきた。行動の意味が分からず、無言で差し出された手のひらの凝視してしまう。

「落とし物を拾ってくれたと聞きましたが」

「あ、ああ。そうだった」

 初対面だから致し方ないが、会話のテンポがつかみにくい。
 だが、そういえば、落とし物を渡す為に呼び止めたのだと思い出し、手にしていたそれを差し出す。その時偶然、それが不思議な形をしている理由が判明した。
 聖が最初に見た黒い面は裏側だったのだ。表に絵柄があり、その輪郭に沿って切り取られていたから変わった形をしていたのだ。
 
(そういえば、中学の時にアニメ好きな子がこういうの鞄とか筆箱につけてたっけ)

 そうだ。らばすと、とか言うストラップだ。
 
(それにしても、この子)

 足首まで広がる、たっぷりのフリルで飾られたドレス……いや、ローブだろうか。髪型は黒に紫のメッシュが入っていて、目はくりくりと大きく愛らしい。頭に大きなリボンがお洒落なとんがり帽子をかぶったその子は、片目を閉じて愛嬌たっぷりのウインクをしていた。

「メグにそっくり……うわわっ、」

 思ったことが口を衝いて出てしまう。すると、なぜか彼は突然、勢いよく聖の両肩を掴んできた。行動の逐一がスイッチを切り替えたみたいに突然だから、慣れない聖はいちいち驚かされる。

「君はっ、君は、橋詰 愛はしづめ めぐを知っているのか!」

「え……え、っと」

「教えてくれ! 重要な事なんだ!」

 機械音声のように抑揚も少なかった声にも気圧されるような熱がこもり、聖はその勢いに呑まれてどうしたらよいのか分からなくなってしまう。
 それに愛の場合、これまでの恋愛遍歴から鑑みて、どこかの誰かに恨みや未練を抱かれていても不思議ではない。だから、正直に話してよいものかどうかも悩みどころだ。

「ひーちゃん!」

 絶妙なタイミングで冬治が助けに来てくれる。本当に奇跡のようななタイミングで現れる幼馴染は、その恵まれた容姿も相まって、ヒロインのピンチに表れる王子様のようだ。もちろん聖はヒロインではないが、この際、そこはどうだっていい。
 
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