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冷雨とお風呂

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 昼頃に冬治と雲が増えたと話していたら、帰り際にぱらぱらと降られてしまった。秋と冬の境目の雨はその名のとおり冷たく、一粒一粒がまるで氷のようだ。日が陰ったことで気温もぐんと下がり、聖は濡れてしまうからと遠慮する冬治を強引に自宅に招き入れた。

「うわ、玄関も寒いな。冬治、風呂入っちゃえよ。今急いで入れてくるから」

 室内に入ればすこしはましかと軽く考えていたが、まだ母がパート先から帰っていないため、誰もいない家の中は冷えきっていた。一気に冬になったみたいだ。これじゃあタオルで拭くだけでは足りないかもしれない。

「え、いいって。ひーちゃん」

 冬治が呼び止めるが、聖は足を止めることはしなかった。マメな母が朝のうちに洗っておいてくれたおかげで、スイッチ一つでお風呂が溜まりはじめる。聖はまず、濡れた靴下を脱いでタオルを二枚持って玄関に戻った。うち一枚を冬治に渡す。

「着替え持ってくるから、先に脱衣所で服脱いじゃってくれ」

「う、うん。でも、それならひーちゃんが先に入りなよ。俺はあとでもらうから」

 タオルを受け取って水気をふき取りながら、なおも冬治は気兼ねする。冬治に風邪をひかせるわけにはいかない聖は、強がることにした。

「俺の方こそ後でいいって。……は、くしゅっ」

 寒くないから、と続けるつもりだったのに、くしゃみを我慢できなかった。冬治の視線が少しだけ鋭くなる。

「くしゃみしてるよ? 寒いんでしょ?」

 じっとりと、真意を見透かそうとするように見つめてくる視線から目をそらす。

「さ、寒いわけじゃねえって」

「俺の方こそ寒くないから……、」

 冬治はなぜか中途半端に言いかけて顔を背けてしまった。それからしばらく無言になったのは、くしゃみを我慢しているのだと聖はピンときた。

「とーじー? 今くしゃみ我慢してるんじゃねえかあ?」

「ま、まさか……、」

 聖が疑いの視線を向けると、冬治はしらばっくれようとしたらしい。だが、その所為で堪えていたくしゃみが出てしまった。とどのつまり二人そろって遠慮して、やせ我慢していたのである。
 思わず顔を見合わせて吹きだしてしまった。幼馴染同士で何を遠慮合戦する必要があるというのか。

「わかった。なら一緒に入ろうぜ。先風呂場行ってて。俺もすぐ行くから」

 子供のころのノリで、聖はそう誘ってしまった。冬治は目を見開くが、着替えを取りに行くために階段を上っていた聖は、気が付かなかった。
 いざという時や急にお泊りになった場合に備え、聖の部屋には冬治用の服が仕舞われている。二人分の着替えを一式ずつ手に取って階段を下りるころには、風呂に湯が張っていた。
 だというのに冬治は、脱衣所にはいるものの、濡れた制服のまま立ち尽くしている。衣類に沁み込んだ水分はタオルで拭いたくらいでは渇きはしないというのに。

「何やってんだよ。風邪引いちゃうだろ」

「ひ、ひーちゃん。本当に? 本当に一緒に入る気?」

 冬治の声は不自然に上擦っている。そして頑なに聖と目を合わせようとしないのも気になった。

「だってそうしなきゃいつまでも平行線だろ?」

 この時の聖は、完全に幼馴染として冬治の身体を気遣っていたのだ。
 来年にはお互い受験を控えているのだし、身体は大袈裟なくらい大事にしたい。特に社長令息の冬治の双肩にかかる期待は大きいのだ。万全で臨めるように今のうちから備えておいても損はない。

「わ、分かったよ」

 腹を括った冬治が、なぜかヤケクソのように乱暴にブレザーを脱いではじめて、聖はやっと自分たちが年頃であることを思い出した。
 湿って少し色が濃くなったブレザーの下には、濡れて貼り付くシャツがあった。厚手のブレザーを浸透した水はスクールシャツまで湿らせ、肌色が透けている。扇情的な光景に衝撃を受けて固まる聖の前で、冬治は荒々しくシャツも脱ぐ。
 むき出しになった上半身が目に飛び込んできたところで、聖は回れ右をした。

「や、やっぱ、俺……後にする」

 蚊の鳴く声で呟き、逃げ出そうと一歩踏み出すが、冬治に肩を掴まれてしまった。
 今は特に思い出したくないのに、耳の奥で今朝の愛との会話がリピート再生されている。アルファの身体は総じて男らしいと愛は言っていたが、本当だった。
 一瞬にして記憶に焼き付いた冬治の肉体には、聖にはほとんどない筋肉の隆起がくっきりと刻まれていた。

「ダメだよ。一緒に入るって言うから脱いだのに。ほら、ひーちゃんも脱いで」

「お、俺も……っ?」

 冬治の上半身を直視してしまっただけで色々限界だというのに、この上さらに追い打ちをかけられるというのか。
 すでに聖は瀕死だ。これ以上は死体蹴りの粋だ。無理だ。耐えられない。
 なのに冬治は離してくれなかった。聖にも振り払う勇気がない。だって聖が固辞したら、冬治までもがやっぱり入らないと言い出すかもしれない。そのまま再び譲り合いに発展したら、二人して風邪を引いてしまうかもしれないのだ。

「脱がなきゃ風邪ひいちゃうだろ? 早く脱いで」

 冬治の口調が普段よりも若干荒っぽく聞こえるのは、土壇場で怖気づいた聖に呆れているからだろうか。すでに冬治は半裸だ。ただでさえ雨で冷え切った身体なのに、これ以上は待たせられない。

「わ、分かった……」

 聖が弱弱しく答えると、ようやく冬治の手が離れていった。聖は冬治に背を向けたまま、ブレザーのボタンに手をかける。聖もシャツまで濡れていた。せめてコートを着ていれば、ここまでしみ込むことはなかったかもしれない。でも、午前中は暖かかったのだ。
 いつもほぼ無意識でしている服を脱ぐという行為が、こんなにも難義に思えたのははじめてだ。指先が震えて、特にシャツのボタンを外すのに苦労した。

(俺のバカやろう! 考えなし! ほんとに、なんてこと言っちゃったんだか……)

 自分がいかに言ってはいけない事を口にしたのか、どうしてあの時冬治が遠慮したのか、今頃気付いたって遅い。後悔先に立たずだ。かくなる上は聖も腹を括り、一糸まとわぬ姿になるしかない。

(も、もう、冬治は脱いだのかな)

 振り向いて確認することなど絶対に出来ないが、冬治の状況が気になる。こうと決めた冬治は潔いのだ。きっととっくに全裸だろう。

「と、冬治……。先、浴室に入って」
 
 どうしても下着に指を引っかけたまま動けない聖は、小さな声で冬治に頼む。

「わかった」

 気遣うような優しい声の後に、背後で扉が開閉する音が聞こえる。脱衣所に一人になって、聖は長く息を吐いた。
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