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幼少期の思い出 後

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 現在と同じく、キッチン側から見たダイニングの奥には、ソファとコーヒーテーブルが置かれていた。そのコーヒーテーブルを退かして作った空間に、昼寝用の長座布団を敷いてもらって、冬治と二人で眠っていたのだ。
 記憶が朧気なのは半醒半睡の状態だったからだ。だが、そう、冬治の泣き声が聞こえて目が覚め、隣に寝ていたはずの冬治が居なくなっていることに気付いた。

「とーじ?」

 聖はさっきまでいたはずの冬治を探してダイニングを出た。

「ごめんね。聖君。起こしちゃったね」

 冬治の母が、寝惚け眼を擦っている聖に気付いて声をかけてくれる。その腕の中に、すんすんと洟をすすっている冬治がいた。寒いわけじゃないんだろう。だって、幼稚園からの帰り道にも身に着けていたコートを着ている。パジャマ一枚の聖の方がよっぽど薄着だ。

「聖、冬治君おうち帰るから、バイバイしようか」

 欠伸をしていると今度は母がそう言う。まだ半分寝ている聖はよく分からないまま、それでも母の指示通り、冬治に手を振った。

「とーじ、ばいばい。またあしたね」

 手を振りあっておしまいかと思いきや、冬治はいやいやをした。

「やだ。バイバイしない」

「もう、冬治ったら。もう夜なんだから、お家に帰って寝るんでしょう?」

「しない。ぼくずっとひーちゃんといっしょにいる。ひーちゃん家の子になる」

 寝起きでぐずっていたのもあったのかもしれないが、冬治はいつになく駄々っ子だ。記憶が鮮明になればなるほど、幼少期の冬治に「可愛い」という感情を向けずにいられなくなる。反抗期さえなかったような模範的な子供の冬治にも、こんなふうにわがままを言う時期があったのかと思うと非常に微笑ましい気持ちになった。

「……そうだ。この時の冬治、帰りたくないってぐずってたんだよな」

「そうそう。うちの子になるって言って」

「結局、どうやって納得させたんだっけ?」

 そのあたりはまだ靄がかかったままだ。夜遅い時間だったから、だいぶ睡眠の方に気持ちが傾いていたのかもしれない。聖は幼少期、規則正しく眠る子だったから。夜更かしはするしない以前に、体質的に出来なかったのだ。だから、起きているようでほぼ寝ていた。

「だから、これこれ」

 母がもう一度写真を指さす。ヒントをもらっても、聖は正解が分からなかった。

「ひーちゃんが、くしゃみしたんだよ。そしたら、このままじゃ風邪引いちゃうって分かったのかもね。急に泣くのをやめて、最後にぎゅーってしたらちゃんと帰るって冬治君が」

「……あー、そうだったか」

 これでこの一枚か。と納得する。子供ってのは本当に、大胆で、先々の事を考えてくれやしない。

「そういやあの頃、帰り際はいつも抱き合ってた気がするな……。はは、今生の別れでもないってのに」

 聖は毎日眠たかったが、冬治が帰る時にはちゃんと起きてぎゅっと抱きしめあったのだ。単に小さい子供のエピソードとして聞くと和むが、自分の過去だと思うと照れくさくもある。しかもその一枚が形として残っていると知ったらなおのこと。

「あ、そうそう。もう一つ思い出した。この時よりもう少し大きくなったころなんだけど、冬治くん家に遊びにいってさ」

 母が思い出し笑いをしながら、その時の出来事を話し始めた。

「沢山遊んで、じゃあそろそろお暇しようかってなった時にふと見たら、さっきまでそばで遊んでたはずの二人の姿がなくなってて」

 母親二人で探した結果、冬治だけはすぐに見つかったらしい。なぜか自分の部屋のドアにもたれかかっていたのだとか。

「それで、冬治君に、聖はどこにいるの? って聞いたら」

 冬治は「ひーちゃんは先にお家に帰った」と言ったという。

「そんなわけないんだけどね。聖はまだ一人でおつかいもしたことなかったんだから。一人で外に出てたら間違いなく迷子になっちゃう」

 何かに勘付いた冬治の母が、冬治の部屋に入れてと頼むが、冬治は頑なにその場を動かなかったのだ。ここまで聞けば、聖も察しがついた。聖は冬治の部屋の中にいる。

「冬治君、聖を返したくなくてお部屋に隠しちゃったんだよ」

「そ、そんなことあったか?」

 これもまた、思い出そうとしてもなかなか記憶がよみがえってこない。

「もしかしたら、トラウマなのかも」

 頭を捻りつつ喉を潤す聖に、母はとんでもない事を言った。あやうく麦茶が気管に入りかけるところだった。

「と、トラウマって……」

「聖はまだ一人ぼっちになった経験がなかったから。それでなくても、冬治君のお部屋って広いだろ? そこにぽつんと一人置き去りにされちゃったから、よっぽど怖かったんだろうな」

 冬治の母と冬治の一歩も譲らない攻防戦が続く中、にわかに部屋の中から悲鳴のような大泣きが聞こえたという。それまで頑なにその場を動かなかった冬治が血相を変えて部屋を飛び込むと、案の定、聖は部屋の中に居た。
 聖は急いで駆け寄ろうとする冬治の横をすり抜け、母に抱き着いたのだそうだ。まだ子供だから、やっぱり一番頼れるのはお母さんだったらしい。

「ある意味。冬治君にとってもトラウマかもな。何しろはじめて喧嘩した日だから」

「えっ、そうだっけ」

「そうだよ。一人ぼっちにされてパニックだったからだろうな」

 おろおろしながら謝る冬治にそっぽを向いて「とーじなんか大嫌い」と言い放ったそうだ。
 母は勿論謝らせようとしたが、自業自得だからと冬治の母に止められた。それでも一応母は冬治に謝ったそうだが、当の本人はあまりのショックで石のように固まってしまったのだとか。
 そのころの二人にとっては大問題なのだろうが、なるほどたしかに成長した今になって聞くと、ちょっぴり笑えてしまう思い出だ。
 今こうして気が置けない幼馴染のままでいられるという事は、ちゃんとその後に仲直り出来たという証拠で、だからこそ笑える話なのかもしれないが。

「ほーんと冬治君は昔っから聖一筋だよ。愛されてるなぁ。聖」

 揶揄いながらほっぺをつつく手をやんわり振り払う。

「やめろって、そんなんじゃねーよ」

「またまた、照れちゃって。今年は何もらったんだ? またチョーカー?」

「……い、いいから、風呂入って来いって! 俺ももう寝るからっ」

 正直に打ち明けるのは耐え難いほど恥ずかしいので、聖は一気にグラスを煽り、逃げるように椅子から立ち上がった。

「照れなくてもいいのに。さーて、そんじゃお風呂入ろっかな。お休み。聖」

 にやにやしながら母が風呂場に向かうのを見届けて、聖は様々な想いを籠めたため息を吐く。
 聖の十七歳の誕生日は、ため息で始まりため息で終わるのだった。
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