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幼少期の思い出 前
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夜、聖はお風呂に浸かりながら、今日一日の出来事を振り返っていた。そしてその度に羞恥に身悶えては、ばしゃばしゃと水面を波立たせた。
特に最後の観覧車での出来事は、聖の血をじわじわと煮えたぎらせていく。
(だ、ダメだ。やめよう。のぼせてしまう)
ぶんぶんと頭を振ると、まるで風呂上りに胴震いする犬のように水滴がそこら中に飛び散る。これ以上考えないようにと意識しても、気が付くと右手を見つめてしまっている。薬指に嵌っていた指輪は今、脱衣所で聖が出るのを待っているのだ。
本当は冬治が嵌めてくれたままにしておきたかったが、大事に保管したいという気持ちが勝った。
(せっかく冬治がくれたしな)
そう。そうだ。観覧車のゴンドラの中、冬治は聖の前に跪いて、そっと指輪を嵌めてくれた。そして、その後に……。
(だ、だから……っ! のぼせるって言ってんだろうが!)
もしもあの時、紙袋が倒れるのがあと一秒でも遅かったら、聖は冬治と口付けを交わしてしまったはずだ。何を考えているのだと、自分を叱咤しなければならない。
冬治にふさわしくないオメガである自分が、冬治の(たぶん)はじめてのキスを奪ってしまうところだった。雰囲気に呑まれたなんて言い訳にならない。
(もっと、気を付けなきゃ……)
冬治は使命感や責任感から聖の婚約者でいてくれるが、善意と配慮で用意されたその椅子にふんぞり返っているようではだめなのだ。その椅子は借り物の玉座。いずれは冬治の運命の相手に明け渡すのだから。
聖は濡れた両手で両頬を打ち、気合を入れなおす。
(俺がもっとちゃんとしねえと)
とりあえず、どんな状況でも自分の意志を変えないくらいの強さを身に付けることが目下の課題だ。そうでなくとも聖は普段から冬治のペースに巻き込まれて、何が正解だったか分からなくなってしまうのだ。そういう、コウモリみたいにどっちつかずな自分から脱却しなくてはならない。
(とにかく今は上がろう)
そろそろ立ち込める湯気の所為ではなく、意識がぼんやりしてきた。気分が悪くなる前にと湯船から上がり、柔らかなタオルで水気を拭う。ドライヤーをかけて、指輪をパジャマのポケットにしまって、水分補給のためにダイニングキッチンに向かった。
「お先に」
家事を終えて休んでいた母に声をかける。聖が風呂に入る時にはまだ洗い物の最中だったが、どうやら待たせてしまったようだ。一番風呂だった父は既に寝室に戻っているのだろう。
「ちゃんと温まった?」
「うん」
湯上りの麦茶をグラスに注ぎながら頷く。
「じゃあ、こっちおいで」
今日一日の心地よい疲労もたまっていたので飲んだらすぐに寝室に行きたかったのだが、母に手招きされた。なんだか、やけににこにこしている。
その理由は、テーブルに広げられた分厚い本にあるとすぐにわかった。小さな男の子が二人で写る写真の数々。母は家族アルバムを見ていたのだ。
「時間をつぶそうと思って眺めてたら、なんだか懐かしくなってきちゃってさ」
「ふーん」
母の隣の椅子に座り、同じアルバムを覗き込む。写真の隣には母の字で日付とミニタイトルが書いてある。マメだなと思いながら一枚一枚眺めていく。そうしたら聖も母のように笑顔になってしまった。と言っても聖の方は、眉は八の字になった困り笑顔だったが。
「俺と冬治ってほんといっつも一緒だな」
見開き一ページにつき六枚の写真を収納できるのだが、四方木家のアルバムのはずなのに冬治が登場しないページが存在しないくらいに、必ずどこかしらにその姿を確認することが出来る。
「そりゃそうだよ。冬治君はこのころから聖のべったりだったから」
「冬治の方が?」
聖は意外に感じた。幼少期の冬治はぼんやりしている子だったから、どちらかというと聖が連れまわしていた気がするのだ。
「そうだよ。ほら、これなんかさ」
「うわっ、なんだこれ」
母が指さした一枚の写真に、聖は思わず驚きの声をあげてしまった。
二月の寒い時期、夜、四方木家玄関での出来事を収めた一枚だ。と、母のメモを見なくとも、聖はパジャマ姿だし、冬治もくまちゃんのフードがついたコートの裾からパジャマのズボンがはみ出しているので、夜遅い時間だと一目でわかる。どっちも寝ぐせがついているところから、ついさっきまで寝ていたのだろう。だが、それにしては冬治だけやけに厚着だ。
「ほら、一時期冬治くん家がすごく忙しくて、毎日うちが幼稚園のお迎え行ってたときがあったろ?」
「あー、なんかうっすら覚えてるかも」
そうだ。仲良しの冬治と幼稚園が終わっても一緒に居られて、毎日天にも昇る気分だったのだ。この写真は、そのころに撮られた一枚なのだ。
「それで、いつも夜遅くにお母さんが迎えに来てたんだけどさ。冬治君が帰りたくないってぐずって」
「え、あの冬治が?」
ぽやんとしていて、泣いているところなんて見たことがないと思っていたのに、どうやら聖の記憶違いだったらしい。そういえばたしかに、写真の中の冬治の目尻に光るものがあった。
「あー、なんか、思いだしてきたかも……」
写真を眺めているうちに、聖の記憶の中におぼろげな光景が浮かび上がってくる。最初に見えたのは暖房で暖められたダイニング。この部屋だ。
特に最後の観覧車での出来事は、聖の血をじわじわと煮えたぎらせていく。
(だ、ダメだ。やめよう。のぼせてしまう)
ぶんぶんと頭を振ると、まるで風呂上りに胴震いする犬のように水滴がそこら中に飛び散る。これ以上考えないようにと意識しても、気が付くと右手を見つめてしまっている。薬指に嵌っていた指輪は今、脱衣所で聖が出るのを待っているのだ。
本当は冬治が嵌めてくれたままにしておきたかったが、大事に保管したいという気持ちが勝った。
(せっかく冬治がくれたしな)
そう。そうだ。観覧車のゴンドラの中、冬治は聖の前に跪いて、そっと指輪を嵌めてくれた。そして、その後に……。
(だ、だから……っ! のぼせるって言ってんだろうが!)
もしもあの時、紙袋が倒れるのがあと一秒でも遅かったら、聖は冬治と口付けを交わしてしまったはずだ。何を考えているのだと、自分を叱咤しなければならない。
冬治にふさわしくないオメガである自分が、冬治の(たぶん)はじめてのキスを奪ってしまうところだった。雰囲気に呑まれたなんて言い訳にならない。
(もっと、気を付けなきゃ……)
冬治は使命感や責任感から聖の婚約者でいてくれるが、善意と配慮で用意されたその椅子にふんぞり返っているようではだめなのだ。その椅子は借り物の玉座。いずれは冬治の運命の相手に明け渡すのだから。
聖は濡れた両手で両頬を打ち、気合を入れなおす。
(俺がもっとちゃんとしねえと)
とりあえず、どんな状況でも自分の意志を変えないくらいの強さを身に付けることが目下の課題だ。そうでなくとも聖は普段から冬治のペースに巻き込まれて、何が正解だったか分からなくなってしまうのだ。そういう、コウモリみたいにどっちつかずな自分から脱却しなくてはならない。
(とにかく今は上がろう)
そろそろ立ち込める湯気の所為ではなく、意識がぼんやりしてきた。気分が悪くなる前にと湯船から上がり、柔らかなタオルで水気を拭う。ドライヤーをかけて、指輪をパジャマのポケットにしまって、水分補給のためにダイニングキッチンに向かった。
「お先に」
家事を終えて休んでいた母に声をかける。聖が風呂に入る時にはまだ洗い物の最中だったが、どうやら待たせてしまったようだ。一番風呂だった父は既に寝室に戻っているのだろう。
「ちゃんと温まった?」
「うん」
湯上りの麦茶をグラスに注ぎながら頷く。
「じゃあ、こっちおいで」
今日一日の心地よい疲労もたまっていたので飲んだらすぐに寝室に行きたかったのだが、母に手招きされた。なんだか、やけににこにこしている。
その理由は、テーブルに広げられた分厚い本にあるとすぐにわかった。小さな男の子が二人で写る写真の数々。母は家族アルバムを見ていたのだ。
「時間をつぶそうと思って眺めてたら、なんだか懐かしくなってきちゃってさ」
「ふーん」
母の隣の椅子に座り、同じアルバムを覗き込む。写真の隣には母の字で日付とミニタイトルが書いてある。マメだなと思いながら一枚一枚眺めていく。そうしたら聖も母のように笑顔になってしまった。と言っても聖の方は、眉は八の字になった困り笑顔だったが。
「俺と冬治ってほんといっつも一緒だな」
見開き一ページにつき六枚の写真を収納できるのだが、四方木家のアルバムのはずなのに冬治が登場しないページが存在しないくらいに、必ずどこかしらにその姿を確認することが出来る。
「そりゃそうだよ。冬治君はこのころから聖のべったりだったから」
「冬治の方が?」
聖は意外に感じた。幼少期の冬治はぼんやりしている子だったから、どちらかというと聖が連れまわしていた気がするのだ。
「そうだよ。ほら、これなんかさ」
「うわっ、なんだこれ」
母が指さした一枚の写真に、聖は思わず驚きの声をあげてしまった。
二月の寒い時期、夜、四方木家玄関での出来事を収めた一枚だ。と、母のメモを見なくとも、聖はパジャマ姿だし、冬治もくまちゃんのフードがついたコートの裾からパジャマのズボンがはみ出しているので、夜遅い時間だと一目でわかる。どっちも寝ぐせがついているところから、ついさっきまで寝ていたのだろう。だが、それにしては冬治だけやけに厚着だ。
「ほら、一時期冬治くん家がすごく忙しくて、毎日うちが幼稚園のお迎え行ってたときがあったろ?」
「あー、なんかうっすら覚えてるかも」
そうだ。仲良しの冬治と幼稚園が終わっても一緒に居られて、毎日天にも昇る気分だったのだ。この写真は、そのころに撮られた一枚なのだ。
「それで、いつも夜遅くにお母さんが迎えに来てたんだけどさ。冬治君が帰りたくないってぐずって」
「え、あの冬治が?」
ぽやんとしていて、泣いているところなんて見たことがないと思っていたのに、どうやら聖の記憶違いだったらしい。そういえばたしかに、写真の中の冬治の目尻に光るものがあった。
「あー、なんか、思いだしてきたかも……」
写真を眺めているうちに、聖の記憶の中におぼろげな光景が浮かび上がってくる。最初に見えたのは暖房で暖められたダイニング。この部屋だ。
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