上 下
10 / 44

二人きりのゴンドラ

しおりを挟む
「あっ……」

 その時にはすでに、右手を取られていた。まるでエスコートされるお姫様みたいに、下から手のひらで掬い上げるように触れている。

「ほんとは左の指につけて欲しいけど、そこは後でのお楽しみにとっておこう」
 
 冬治の手にはゴールドの指輪があった。まさかと予想して頬を赤らめる聖の右手薬指に、ゆっくりと金の輪が嵌る。
 自分たちの他には誰もいない小さなゴンドラの中、その数秒間は呼気すら響くほど静謐で、まるで厳かな儀式のように神聖な雰囲気に包まれていた。

「お誕生日、おめでとう。聖」

 冬治は極上の微笑みを湛えると、嵌めたばかりの指輪に唇で触れた。
 まるで何かの誓いをたてるかのような仕草が驚くほど様になっていて、聖は瞠目した後、耳や首まで真っ赤にした。
 ありがとう、とか今のキスはなんなのか、とか言いたいことは山ほどあるのに、あまりの紅潮に喉が火傷してしまったようで、声が出せない。
 だからゴンドラ内は静かなのに心臓だけはやたらと煩くて、冬治に聞こえてしまうのではないかと心配でしょうがなかった。

「ふふ。ちょっとキザだったかな」

 冬治が固まってしまった聖を照れくさそうに見上げる。今、彼は床に片膝をついて跪いているのだ。かつて夢にまで見たシチュエーションに、聖は胸の高鳴りが止まらない。
 与えられるだけでいっぱいいっぱいの聖の手は、未だ冬治が主導権を握っている。指輪だけでなく、手の甲にまでキスをされ、聖は微かに肩を震わせた。

「十七年前の今日、ひーちゃんが生まれてきたんだよね。感謝しなきゃな」

「か、感謝って……、なんで冬治が」

 ようやく声が出たと思ったら、笑えるくらい震えていた。歓喜なのか、それとも緊張なのか。真っ白な頭では判別できない。

「だって、ひーちゃんがいなかったら、俺は寂しくて死んでしまうかもしれない」

 聖の手に頬をこすりつけながら嘆くので、聖は思わず笑ってしまった。途端に緊張に固くなっていた身体が弛緩する。

「ウサギかよ」

 ちなみにウサギが寂しいと死んでしまうという噂は、半分嘘で半分ホントらしい。
 孤独になったからといってすぐには死にやしないが、強いストレスによって寿命が縮まってしまうのだとか。
 本当に冬治がそんなことになったら困る。でも、大事な人に長生きしてほしいなと思えるのも、今ここに聖が生きて、物事を考えることが出来ているからだ。
 聖はちゃんとここにいる。ここで呼吸をして、鼓動を鳴らしている。聖は冬治の髪に指を潜らせ、両手で梳くように撫でた。

「ありがとう、冬治。俺も、お前が生まれて来てくれてよかったと思ってる」

「ひーちゃん」

「ちょっと気が早いけど、生まれてきてくれてありがとな」

 赤ん坊の頃から聖の日常には当然のように冬治が居た。だから、もしもいなかったらなんて想像もできないけれど、やっぱり冬治がいないと、自分の中の一部がぽっかり抜け落ちてしまったような寂しさを感じたことだろう。
 聖は冬治と、お互いの存在を確かめ合うようにしばらくの間見つめあった。

「あ……」

 ふいに冬治が両手を伸ばしてきて、聖の両頬を包み込む。大きな手のひらは少しだけ汗ばんでいた。緊張していたのだろうか。一体、何に。
 直接聞いてみようかとも思うのだが、薄く開いた唇が声を発することはなかった。
 ただ、聖をまっすぐに見つめる冬治の眼差しに捕らわれる。
 いつからか、名状しがたい空気がゴンドラの中に音もなく漂いはじめた。聖も、それに冬治も、誰かに操られているみたいに勝手に身体が動く。
 吐息が触れそうなくらい、距離が近づく。誰に習ったわけでもないのに、聖は自然とまぶたを閉じていた。
 もしもその時、冬治に渡す指輪が入った紙袋が倒れなければ、たぶん、唇同士が触れていたのではないかと思われる。
 本当に小さな音が、二人を急速に現実へと引き戻した。

(今、俺、俺達……何を、しようと……)

 我に返ったことで、溜め込んでいた羞恥が荒波のように体中を駆け巡った。ひとまず冷静にならなくてはと思うのに、目を閉じる直前に見た冬治の表情が頭の中を占領して、聖を苛み続ける。
 顔が熱い。多分真っ赤だから、正面にいるはずの冬治の顔を見られない。いっそ逃げ出したい。ゴンドラはちょうどてっぺんを超えたが、まだまだ地上は遠い。この場所からじゃ、飛び降りでもしない限り逃げられない。
 二人とも沈黙したまま、どれほど時間が経過したのだろう。パニック状態の聖には正確な時間が分からない。
 数秒だったかもしれないし、数分だったかもしれない。とにかく、沈黙を破ったのが冬治だったことだけは確かだ。

「ひーちゃん。俺にも嵌めて?」

 聖は未だ立ち直れていないのに、冬治はもう普段通りに戻っていた。右手を差し出してくるので、聖茹だってうまく回らない頭をどうにか働かせて、シルバーの指輪を取り出し、冬治の右手薬指に嵌めた。

「ふふ。ありがとう。ひーちゃん」

 満悦そうな冬治の笑顔を見ているうち、聖もやっと衝撃から立ち直ることが出来そうだった。とはいえ、どうしても唇に注目してしまうと、忘れたいようで忘れたくない記憶がぶり返すのだが。

(あ、あれは……そう、ふ、雰囲気に呑まれたんだ。うん)

 二人きりの観覧車で指輪を嵌めてもらうなんて、乙女の夢そのものだ。遠い過去に置き去りにしたとしても、人の性格は一朝一夕には変わることはない。
 特に幼いころの性格は、三つ子の魂百までなんて言葉もある通り、そう簡単に消し去れるものではないのだ。だから聖はあっけなく呑まれてしまった。
 今回は聖だけでなく冬治までもが、同じ空気感に影響を受けたというだけ。お祭りに行くとどうしても気分が浮き立ってしまうのと似たような現象だ。
 そう幾度も自分に言い聞かせることでどうにか逃げ出したい願望に打ち勝つが、頬に溜まった熱は、なかなか引いてはくれなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄王子は魔獣の子を孕む〜愛でて愛でられ〜《完結》

クリム
BL
「婚約を破棄します」相手から望まれたから『婚約破棄』をし続けた王息のサリオンはわずか十歳で『婚約破棄王子』と呼ばれていた。サリオンは落実(らくじつ)故に王族の容姿をしていない。ガルド神に呪われていたからだ。 そんな中、大公の孫のアーロンと婚約をする。アーロンの明るさと自信に満ち溢れた姿に、サリオンは戸惑いつつ婚約をする。しかし、サリオンの呪いは容姿だけではなかった。離宮で晒す姿は夜になると魔獣に変幻するのである。 アーロンにはそれを告げられず、サリオンは兄に連れられ王領地の魔の森の入り口で金の獅子型の魔獣に出会う。変幻していたサリオンは魔獣に懐かれるが、二日の滞在で別れも告げられず離宮に戻る。 その後魔力の強いサリオンは兄の勧めで貴族学舎に行く前に、王領魔法学舎に行くように勧められて魔の森の中へ。そこには小さな先生を取り囲む平民の子どもたちがいた。 サリオンの魔法学舎から貴族学舎、兄セシルの王位継承問題へと向かい、サリオンの呪いと金の魔獣。そしてアーロンとの関係。そんなファンタジーな物語です。 一人称視点ですが、途中三人称視点に変化します。 R18は多分なるからつけました。 2020年10月18日、題名を変更しました。 『婚約破棄王子は魔獣に愛される』→『婚約破棄王子は魔獣の子を孕む』です。 前作『花嫁』とリンクしますが、前作を読まなくても大丈夫です。(前作から二十年ほど経過しています)

祝福という名の厄介なモノがあるんですけど

野犬 猫兄
BL
魔導研究員のディルカには悩みがあった。 愛し愛される二人の証しとして、同じ場所に同じアザが発現するという『花祝紋』が独り身のディルカの身体にいつの間にか現れていたのだ。 それは女神の祝福とまでいわれるアザで、そんな大層なもの誰にも見せられるわけがない。  ディルカは、そんなアザがあるものだから、誰とも恋愛できずにいた。 イチャイチャ……イチャイチャしたいんですけど?! □■ 少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです! 完結しました。 応援していただきありがとうございます! □■ 第11回BL大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、またお読みくださった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m

僕は本当に幸せでした〜刹那の向こう 君と過ごした日々〜

エル
BL
(2024.6.19 完結) 両親と離れ一人孤独だった慶太。 容姿もよく社交的で常に人気者だった玲人。 高校で出会った彼等は惹かれあう。 「君と出会えて良かった。」「…そんなわけねぇだろ。」 甘くて苦い、辛く苦しくそれでも幸せだと。 そんな恋物語。 浮気×健気。2人にとっての『ハッピーエンド』を目指してます。 *1ページ当たりの文字数少なめですが毎日更新を心がけています。

薔薇の寵妃〜女装令嬢は国王陛下代理に溺愛される〜完結

クリム
BL
田舎育ち男爵家の次男坊ルーネは、近衛隊長の兄に頼まれ王宮に上がり、『女性』として3歳のアーリア姫殿下のお世話役になってしまう。姫殿下と16歳も離れているデューク国王陛下代理に思いを寄せられ押し倒されてしまう。男だとバレてしまっても、デューク国王陛下代理に求められ、次第に絆され、愛し合う、仮想中世王宮ボーイズラブです。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

可愛くない僕は愛されない…はず

おがこは
BL
Ωらしくない見た目がコンプレックスな自己肯定感低めなΩ。痴漢から助けた女子高生をきっかけにその子の兄(α)に絆され愛されていく話。 押しが強いスパダリα ‪✕‬‪‪ 逃げるツンツンデレΩ ハッピーエンドです! 病んでる受けが好みです。 闇描写大好きです(*´`) ※まだアルファポリスに慣れてないため、同じ話を何回か更新するかもしれません。頑張って慣れていきます!感想もお待ちしております! また、当方最近忙しく、投稿頻度が不安定です。気長に待って頂けると嬉しいです(*^^*)

君は俺の光

もものみ
BL
【オメガバースの創作BL小説です】 ヤンデレです。 受けが不憫です。 虐待、いじめ等の描写を含むので苦手な方はお気をつけください。  もともと実家で虐待まがいの扱いを受けておりそれによって暗い性格になった優月(ゆづき)はさらに学校ではいじめにあっていた。  ある日、そんなΩの優月を優秀でお金もあってイケメンのαでモテていた陽仁(はると)が学生時代にいじめから救い出し、さらに告白をしてくる。そして陽仁と仲良くなってから優月はいじめられなくなり、最終的には付き合うことにまでなってしまう。  結局関係はずるずる続き二人は同棲まですることになるが、優月は陽仁が親切心から自分を助けてくれただけなので早く解放してあげなければならないと思い悩む。離れなければ、そう思いはするものの既に優月は陽仁のことを好きになっており、離れ難く思っている。離れなければ、だけれど離れたくない…そんな思いが続くある日、優月は美女と並んで歩く陽仁を見つけてしまう。さらにここで優月にとっては衝撃的なあることが発覚する。そして、ついに優月は決意する。陽仁のもとから、離れることを――――― 明るくて優しい光属性っぽいα×自分に自信のないいじめられっ子の闇属性っぽいΩの二人が、運命をかけて追いかけっこする、謎解き要素ありのお話です。

学園の俺様と、辺境地の僕

そらうみ
BL
この国の三大貴族の一つであるルーン・ホワイトが、何故か僕に構ってくる。学園生活を平穏に過ごしたいだけなのに、ルーンのせいで僕は皆の注目の的となってしまった。卒業すれば関わることもなくなるのに、ルーンは一体…何を考えているんだ? 【全12話になります。よろしくお願いします。】

処理中です...