夢見がちオメガ姫の理想のアルファ王子

葉薊【ハアザミ】

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二人きりのゴンドラ

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「あっ……」

 その時にはすでに、右手を取られていた。まるでエスコートされるお姫様みたいに、下から手のひらで掬い上げるように触れている。

「ほんとは左の指につけて欲しいけど、そこは後でのお楽しみにとっておこう」
 
 冬治の手にはゴールドの指輪があった。まさかと予想して頬を赤らめる聖の右手薬指に、ゆっくりと金の輪が嵌る。
 自分たちの他には誰もいない小さなゴンドラの中、その数秒間は呼気すら響くほど静謐で、まるで厳かな儀式のように神聖な雰囲気に包まれていた。

「お誕生日、おめでとう。聖」

 冬治は極上の微笑みを湛えると、嵌めたばかりの指輪に唇で触れた。
 まるで何かの誓いをたてるかのような仕草が驚くほど様になっていて、聖は瞠目した後、耳や首まで真っ赤にした。
 ありがとう、とか今のキスはなんなのか、とか言いたいことは山ほどあるのに、あまりの紅潮に喉が火傷してしまったようで、声が出せない。
 だからゴンドラ内は静かなのに心臓だけはやたらと煩くて、冬治に聞こえてしまうのではないかと心配でしょうがなかった。

「ふふ。ちょっとキザだったかな」

 冬治が固まってしまった聖を照れくさそうに見上げる。今、彼は床に片膝をついて跪いているのだ。かつて夢にまで見たシチュエーションに、聖は胸の高鳴りが止まらない。
 与えられるだけでいっぱいいっぱいの聖の手は、未だ冬治が主導権を握っている。指輪だけでなく、手の甲にまでキスをされ、聖は微かに肩を震わせた。

「十七年前の今日、ひーちゃんが生まれてきたんだよね。感謝しなきゃな」

「か、感謝って……、なんで冬治が」

 ようやく声が出たと思ったら、笑えるくらい震えていた。歓喜なのか、それとも緊張なのか。真っ白な頭では判別できない。

「だって、ひーちゃんがいなかったら、俺は寂しくて死んでしまうかもしれない」

 聖の手に頬をこすりつけながら嘆くので、聖は思わず笑ってしまった。途端に緊張に固くなっていた身体が弛緩する。

「ウサギかよ」

 ちなみにウサギが寂しいと死んでしまうという噂は、半分嘘で半分ホントらしい。
 孤独になったからといってすぐには死にやしないが、強いストレスによって寿命が縮まってしまうのだとか。
 本当に冬治がそんなことになったら困る。でも、大事な人に長生きしてほしいなと思えるのも、今ここに聖が生きて、物事を考えることが出来ているからだ。
 聖はちゃんとここにいる。ここで呼吸をして、鼓動を鳴らしている。聖は冬治の髪に指を潜らせ、両手で梳くように撫でた。

「ありがとう、冬治。俺も、お前が生まれて来てくれてよかったと思ってる」

「ひーちゃん」

「ちょっと気が早いけど、生まれてきてくれてありがとな」

 赤ん坊の頃から聖の日常には当然のように冬治が居た。だから、もしもいなかったらなんて想像もできないけれど、やっぱり冬治がいないと、自分の中の一部がぽっかり抜け落ちてしまったような寂しさを感じたことだろう。
 聖は冬治と、お互いの存在を確かめ合うようにしばらくの間見つめあった。

「あ……」

 ふいに冬治が両手を伸ばしてきて、聖の両頬を包み込む。大きな手のひらは少しだけ汗ばんでいた。緊張していたのだろうか。一体、何に。
 直接聞いてみようかとも思うのだが、薄く開いた唇が声を発することはなかった。
 ただ、聖をまっすぐに見つめる冬治の眼差しに捕らわれる。
 いつからか、名状しがたい空気がゴンドラの中に音もなく漂いはじめた。聖も、それに冬治も、誰かに操られているみたいに勝手に身体が動く。
 吐息が触れそうなくらい、距離が近づく。誰に習ったわけでもないのに、聖は自然とまぶたを閉じていた。
 もしもその時、冬治に渡す指輪が入った紙袋が倒れなければ、たぶん、唇同士が触れていたのではないかと思われる。
 本当に小さな音が、二人を急速に現実へと引き戻した。

(今、俺、俺達……何を、しようと……)

 我に返ったことで、溜め込んでいた羞恥が荒波のように体中を駆け巡った。ひとまず冷静にならなくてはと思うのに、目を閉じる直前に見た冬治の表情が頭の中を占領して、聖を苛み続ける。
 顔が熱い。多分真っ赤だから、正面にいるはずの冬治の顔を見られない。いっそ逃げ出したい。ゴンドラはちょうどてっぺんを超えたが、まだまだ地上は遠い。この場所からじゃ、飛び降りでもしない限り逃げられない。
 二人とも沈黙したまま、どれほど時間が経過したのだろう。パニック状態の聖には正確な時間が分からない。
 数秒だったかもしれないし、数分だったかもしれない。とにかく、沈黙を破ったのが冬治だったことだけは確かだ。

「ひーちゃん。俺にも嵌めて?」

 聖は未だ立ち直れていないのに、冬治はもう普段通りに戻っていた。右手を差し出してくるので、聖茹だってうまく回らない頭をどうにか働かせて、シルバーの指輪を取り出し、冬治の右手薬指に嵌めた。

「ふふ。ありがとう。ひーちゃん」

 満悦そうな冬治の笑顔を見ているうち、聖もやっと衝撃から立ち直ることが出来そうだった。とはいえ、どうしても唇に注目してしまうと、忘れたいようで忘れたくない記憶がぶり返すのだが。

(あ、あれは……そう、ふ、雰囲気に呑まれたんだ。うん)

 二人きりの観覧車で指輪を嵌めてもらうなんて、乙女の夢そのものだ。遠い過去に置き去りにしたとしても、人の性格は一朝一夕には変わることはない。
 特に幼いころの性格は、三つ子の魂百までなんて言葉もある通り、そう簡単に消し去れるものではないのだ。だから聖はあっけなく呑まれてしまった。
 今回は聖だけでなく冬治までもが、同じ空気感に影響を受けたというだけ。お祭りに行くとどうしても気分が浮き立ってしまうのと似たような現象だ。
 そう幾度も自分に言い聞かせることでどうにか逃げ出したい願望に打ち勝つが、頬に溜まった熱は、なかなか引いてはくれなかった。
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