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理想のアルファ

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 父と一緒に家を出ると、白い縦格子の門扉の向こうに人影を見つけた。最初はこちらに背を向けていたが、扉が開閉する音を合図に振り返る。

「おはよう、ひーちゃん」

 目が合うなり今朝の青空にも負けない爽やかな微笑を向けられ、聖は早速怯む。邪念の一切ない清廉な微笑。今日も見事な王子様スマイルだ。美形がそんな笑い方をすると、穏やかなはずなのに途轍もない破壊力がある。

「おはようございます。おじさん」

「おはよう、冬治とうじ君。今日も頼む」

「任せてください」

 聖が怯んでいる間に、幼馴染こと嘉瀬 冬治かせ とうじは、聖の父といつものやりとりを交わしていた。オメガが、それもまだ最初の発情期が来ていないオメガが一人で登校するのは危険だからと、冬治は毎日、聖と一緒に登下校してくれているのだ。

(それにしても、この二人が並ぶとでっかいな……)

 どちらも高身長で、体つきも男らしく引き締まっているのが服越しにもわかる。足も長い見事なモデル体型だから、ただでさえチビな聖は、どうしても気後れしてしまう。
 今あの間に挟まったら、まるで某宇宙人のモノクロ写真みたいになるだろうことは想像に難くない。だからどうしても近寄る勇気が出ず、ちょっと離れた位置から二人の会話が終わるのを待った。

「それじゃあ、行ってくる」

 冬治との会話を終えた父が聖に言う。聖も「いってらっしゃい」と返した。
 一足先に駅へと向かう父の背中を見送りながら、さり気なく冬治の隣に並ぶ。肩を並べると、身長の差が歴然だ。
 子供のころは聖の方が見下ろしていた。なのに今は、隣にいるとめいっぱい首をそらさなきゃ目が合わない。

(くそぅ、一人ですくすく育ちやがって……)

 置いてけぼりにされたみたいで悔しい。こっそりと拗ねた後、再び秀麗な横顔を見上げた。

「俺達も行こうか」

 冬治の方でも聖を見下ろしていて、ばっちり視線がかち合ってしまった。それだけで心臓が飛び跳ねる。

「お、おう」

 照れくささもあってつっけんどんに返してしまったが、冬治は気分を害した風でもなく歩き出す。聖も足を踏み出しながら性懲りもなくまた冬治の横顔を見上げる。
 アルファ、オメガともに容姿が優れているものが多い聞くが、冬治は頭いっこぶん抜きん出ていると断言できる。
 アルファらしい悠然とした雄々しさはもちろんある。だけど目尻がとろりと垂れた目の形が全体的な雰囲気をやわらげて、アルファにありがちな近寄りがたい雰囲気を緩和していた。
 性格も、三種の性別の中で最も優秀でありながら、ちっとも驕ったところがなく、弱い立場の相手にも惜しみなく救いの手を差し伸べる。
 容姿端麗で品行方正、その姿も生き様も、聖が理想とするアルファそのものだ。

(格好いいよなあ)

 だからつい、羨望の眼差しを送ってしまう。綺麗なものはいくらでも見ていられる。あれと似たような感覚だ。目に映しているだけで鼓動が早くなるのも、恋情ではなく憧憬だ。
 子供のころの聖が憧れてやまなかった童話の中の王子様。冬治はまさにその王子様へと成長を遂げた。
 これで聖も理想通りのオメガに成長できていれば何も問題なかった。しかし、人生ってのはそんなに甘いものじゃないらしい。聖は童話に出てくるお姫様にはなれなかった。だから、王子様の相手にはふさわしくないのだ。たとえ妄想だとしても。

(だから、今だけ……)

 でも、幸いなことに聖は理想のアルファの幼馴染だった。その特権に甘えて、時間が許す限り見つめていたい。近い将来、聖の居る場所を冬治の運命の相手に明け渡す日が来るまで。

「ふふ」

 ふいに、冬治が笑い声を立てた。何か思い出し笑いでもしたのかと疑問に思っていると、冬治の視線がこちらへ向けられる。

「そんなにじっと見られたら恥ずかしいよ」

 不自然でない程度に盗み見ていたつもりだったが、ばっちり気付かれていたらしい。気恥ずかしさと後ろめたさで顔から火が出そうだった。

「べ、別に見てねえって」

 今更否定したところで手遅れなのに、見え透いた嘘を吐く。でも聖のひねくれた性格なんて今に始まったことではないので、冬治は慣れっこみたいだった。
 笑顔のまま足を止めたかと思うと、少し遅れて止まった聖の頬を両手で包み込んでくる。優しい手のひらに導かれるようにして方向転換すると、冬治も体ごと聖の方を向いていて、スニーカーの爪先同士がこつんとぶつかった。

「どうせなら正面から見てよ」

 鼓膜と心臓を同時に揺さぶる甘いバリトンボイスに誘惑される。匂い立つアルファの色香に酔いそうになったが、すぐにここがどこかを思い出して腕を突っ張った。

「ば、馬鹿、近いだろ! こんな往来で……!」
 
 傍から見たら、不自然なほど距離が近い。だけど聖が全力で押しのけようとしても、冬治の身体はびくともしなかった。鍛えているわけでもないだろうに服越しの肉体が硬いのが分かる。こんなの聖には勝ち目がない。

「いいじゃない。周りからどう見られても」

「よ、よくねえだろ。それに誤解される」

 公序良俗は守られるべきだし、それにあらぬ誤解を生んでもいけない。だというのこの冬治という男は、時折パーソナルスペースを意識の外に追いやってしまうことがある。気が置けない幼馴染の聖だからなのだと思うと嬉しいが、あともう少しで結婚適齢期に差し掛かる年頃の二人に適切な距離とはいえない。
 密着するのは聖としても安心できるし、嫌いではないのだが、ここは心を鬼にして幼馴染の素行不良を咎めることにする。

「誤解? 違うでしょ? 俺達は婚約者なんだから」

 耳を打つ甘美な響きに、聖の心臓がまた大きく跳ねた。
 二人純白のタキシードを身に着けて神聖なチャペルで挙式を挙げる図が脳内に思い浮かんでしまい、慌ててかき消す。

「そ、それは親が決めた口約束だろうが。ていうか、どんな関係だろうと公共の場では慎むべきなんだよ! わかったら、離せ」

「俺は気にしないけどなあ」

 腑に落ちない様子ではあったが、冬治はしぶしぶ聖を解放してくれた。

「ああ、ちょっと待て。まだこっち向いとけ」

 ほっとしつつ、不満気に方向転換しようとする冬治を止めた。コートのポケットに手を突っ込み、スティック型の薬用リップクリームを取り出す。

「唇乾燥してるぞ、全く。割れやすいんだからこまめに保湿しろって言ってんだろうが」

 いきなり距離が縮まって狼狽したが、思いがけない気付きもあった。
 たとえ唇だろうとも、冬治の完璧な顔貌に傷があってはいけない。だから再三注意しているのに、本人は全く頓着しない。それでも美男なのだから腹立たしい話ではある。自分が使うわけでもない聖が常に携帯しなければならないのも癪だった。

「ありがとう。ひーちゃん」

 冬治は機嫌を直して身をかがめてくる。しかし、差し出したリップクリームを受け取ろうとはしない。塗れ、ということだ。まったく、呆れた話である。

「あのなあ、ちっちゃい子じゃないんだからさ。このくらい自分でやれよなあ」

 そう口で窘めつつも、冬治が変なところで妙に頑固なのもしっているので、乞われるがまま塗ってやった。かさかさで、今にも切れてしまいそうだった唇が潤いを取り戻したことに肩を撫で下ろす。

「うん。分かってる。いつも、ありがとね。ひーちゃん」

「本当に分かってんのかよ」

 じっとりと疑いの視線を向けながらも、聖は冬治のためのリップクリームを当然のように自分のポケットにしまっていた。
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