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おまけのあれこれ
保と九条2
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その時ふいに、保は妖気を感じ取った。すぐ近くに子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。
向かったところで自分には何もできない。分かっていながら、持ち前の正義感が、見て見ぬふりを許さなかった。
(そうだ……。この時に、俺はヤツに出会った)
高台の上には寂れた神社があった。境内で数人の子供が、もっと小さい子供に対して小石をぶつけている。
「やめなさい!」
保は思わず一喝していた。子供たちがびくりと肩を震わせる。
「小さい子相手に何をやってるんだ」
近づきながら叱責すると、子供たちは途端に怪訝な顔になった。
「ち、小さい子?」
「何言ってんだ、こいつ」
「どうみてもただの石じゃん。ばっかじゃねーの!」
子供たちは口々に悪態を吐きながらも、手にしていた小石を放り投げて逃げていく。
おとなしく去ってくれてよかったと、保はほっと肩を撫で下ろした。食い下がられてこの場に長居されては手遅れになるところだった。
「助けてくれてありがとう。お兄さん」
石を投げられていた子供が満面の笑みで駆け寄ってくる。保は一歩引いて、腕を掴まれるのを回避した。
「勘違いするな。俺が助けたのはあの子たちの方だ」
子供の足が止まった。
「お前、あの子たちを食い殺すつもりだっただろう」
言い当てた直後、子供の笑顔の種類が変わった。無垢なものから邪悪なものへと。
「……なるほど。すべてお見通しだったというわけか」
それをきっかけに周囲の気温も急激に下がった。これは、この子供が放つ妖気だ。
なんて禍々しく、そして冷たいのだろう。つくづく、子供たちを逃がすことが出来て良かったと思う。
多分、並の妖ではないのだ。
「だが、おまえは一つ思い違いをしておる。余は何も食い殺そうとまでは考えておらん。あまりにもしつこいので少々痛い目をみさせてやろうとしたまで」
だがそれも、おまえに阻止されてしまった。と悪辣な笑みを浮かべながら言う。邪魔立てされたことに立腹している様子はない。それどころか、むしろ楽しそうだ。
それが奇妙で、保は身の危険を感じた。一刻も早くこの場から立ち去ったほうが良いかもしれない。
そう思い境内の方へと足を向け、そして手遅れだと悟る。
確かに鳥居があったその場所にはどす黒い煙のようなものが渦巻いていた。あれを生身で突破するのは不可能だと、見えるからこそわかってしまう。
「おまえの名はなんと言う?」
答えてなどやるものか。保の意志に逆らって、唇が勝手に動く。
「た、もつ……」
「ほう。良い名だ」
心にもないことを口にして、子供は歩み寄る。保はもう、避けることは出来なかった。あの、鳥居の周りに渦巻いているのと同じ黒煙が、保の両足首に巻き付いているのだ。まるで蛇のように。
「余は若いころにこの地に封じられた。あの朽ちかけた祠の中には、余を封じた石がある」
子供たちがこぞって狙いをつけていたものだ。彼らには、あれが単なる石に見えていたのだ。
そして、今こうして妖が姿を現しているということは、その封印は解かれてしまったか、著しく弱まっている。
「若気の至りというべきか。余もかつては思いつく限りの悪戯をやってのけたものだが、さすがにそれも飽きてしまってな。封じられるのならば、それはそれで良いかと考えた」
じわじわと、子供が……妖が、距離を詰めてくる。
保は極度の緊張で眩暈を覚えた。呼吸がままならない。警鐘を鳴らす心臓が痛い。逃げ出さなくてはいけないのに、身じろぎすらも出来ない。
「しかし、さすがに見える景色に変化がないのは退屈でな。そこで余は考えた。大人しく封じられはするが、今度は自由に動く器が良いと」
妖が何か身勝手な主張をしているが、酸欠で痺れた保の脳は動きが鈍くなっていて、理解するまでに時間がかかる。
どうやら、この妖は自分が封じられる場所を変えようとしているらしい。自分の意志で。なんて酔狂な。そもそもそれを封印と呼べるのだろうか。
いや、今考えるべきはどうやってこの危機を乗り越えるかだ。鈍る頭を捻るが、すでに八方ふさがりの状態では、成す術がない。
見えるだけの保でも出来る、逃げるという方法はすでに選べないのだ。
「……っ」
ひやりと氷のように冷たい手が首に触れてきて、保は身をすくませた。妖が愉快そうに笑うのが気に食わない。
「案ずるな。殺しはしない。人の身はそれだけで満杯だからな。余が入るための隙間を作らなければならない。……さあ、そのために何を喰らおうか?」
子供が舌なめずりをする。怯えて声も出せない保の様子に愉悦すら覚えていそうな表情で、そいつは……九条は保の首に牙を立てた。
(そうだ。思い出した。この時俺は、奴に……)
首を摩りながら保が顔を上げると、景色が元通りになっていた。整然とした事務所の中、傍らに保の顔を除き込む一美の姿が見えた。
「大丈夫ですか?」
「あ。ああ……。ありがとう、もう大丈夫だ」
隠されていた記憶の復元が終われば、頭痛も治まった。保は一美に礼を言って立ち上がり、窓の外へと目を向け、そして驚愕した。
縦横無尽に飛び交っていた蝶たちが、忽然と姿を消している。
「……これは、九条が?」
「はい」
震える声で誰にともなく問いかけると、すぐ隣で一美が言いにくそうに肯定した。そのまま、二人して呆然と窓際で立ち尽くしていると、急に事務所の扉が開かれる。
向かったところで自分には何もできない。分かっていながら、持ち前の正義感が、見て見ぬふりを許さなかった。
(そうだ……。この時に、俺はヤツに出会った)
高台の上には寂れた神社があった。境内で数人の子供が、もっと小さい子供に対して小石をぶつけている。
「やめなさい!」
保は思わず一喝していた。子供たちがびくりと肩を震わせる。
「小さい子相手に何をやってるんだ」
近づきながら叱責すると、子供たちは途端に怪訝な顔になった。
「ち、小さい子?」
「何言ってんだ、こいつ」
「どうみてもただの石じゃん。ばっかじゃねーの!」
子供たちは口々に悪態を吐きながらも、手にしていた小石を放り投げて逃げていく。
おとなしく去ってくれてよかったと、保はほっと肩を撫で下ろした。食い下がられてこの場に長居されては手遅れになるところだった。
「助けてくれてありがとう。お兄さん」
石を投げられていた子供が満面の笑みで駆け寄ってくる。保は一歩引いて、腕を掴まれるのを回避した。
「勘違いするな。俺が助けたのはあの子たちの方だ」
子供の足が止まった。
「お前、あの子たちを食い殺すつもりだっただろう」
言い当てた直後、子供の笑顔の種類が変わった。無垢なものから邪悪なものへと。
「……なるほど。すべてお見通しだったというわけか」
それをきっかけに周囲の気温も急激に下がった。これは、この子供が放つ妖気だ。
なんて禍々しく、そして冷たいのだろう。つくづく、子供たちを逃がすことが出来て良かったと思う。
多分、並の妖ではないのだ。
「だが、おまえは一つ思い違いをしておる。余は何も食い殺そうとまでは考えておらん。あまりにもしつこいので少々痛い目をみさせてやろうとしたまで」
だがそれも、おまえに阻止されてしまった。と悪辣な笑みを浮かべながら言う。邪魔立てされたことに立腹している様子はない。それどころか、むしろ楽しそうだ。
それが奇妙で、保は身の危険を感じた。一刻も早くこの場から立ち去ったほうが良いかもしれない。
そう思い境内の方へと足を向け、そして手遅れだと悟る。
確かに鳥居があったその場所にはどす黒い煙のようなものが渦巻いていた。あれを生身で突破するのは不可能だと、見えるからこそわかってしまう。
「おまえの名はなんと言う?」
答えてなどやるものか。保の意志に逆らって、唇が勝手に動く。
「た、もつ……」
「ほう。良い名だ」
心にもないことを口にして、子供は歩み寄る。保はもう、避けることは出来なかった。あの、鳥居の周りに渦巻いているのと同じ黒煙が、保の両足首に巻き付いているのだ。まるで蛇のように。
「余は若いころにこの地に封じられた。あの朽ちかけた祠の中には、余を封じた石がある」
子供たちがこぞって狙いをつけていたものだ。彼らには、あれが単なる石に見えていたのだ。
そして、今こうして妖が姿を現しているということは、その封印は解かれてしまったか、著しく弱まっている。
「若気の至りというべきか。余もかつては思いつく限りの悪戯をやってのけたものだが、さすがにそれも飽きてしまってな。封じられるのならば、それはそれで良いかと考えた」
じわじわと、子供が……妖が、距離を詰めてくる。
保は極度の緊張で眩暈を覚えた。呼吸がままならない。警鐘を鳴らす心臓が痛い。逃げ出さなくてはいけないのに、身じろぎすらも出来ない。
「しかし、さすがに見える景色に変化がないのは退屈でな。そこで余は考えた。大人しく封じられはするが、今度は自由に動く器が良いと」
妖が何か身勝手な主張をしているが、酸欠で痺れた保の脳は動きが鈍くなっていて、理解するまでに時間がかかる。
どうやら、この妖は自分が封じられる場所を変えようとしているらしい。自分の意志で。なんて酔狂な。そもそもそれを封印と呼べるのだろうか。
いや、今考えるべきはどうやってこの危機を乗り越えるかだ。鈍る頭を捻るが、すでに八方ふさがりの状態では、成す術がない。
見えるだけの保でも出来る、逃げるという方法はすでに選べないのだ。
「……っ」
ひやりと氷のように冷たい手が首に触れてきて、保は身をすくませた。妖が愉快そうに笑うのが気に食わない。
「案ずるな。殺しはしない。人の身はそれだけで満杯だからな。余が入るための隙間を作らなければならない。……さあ、そのために何を喰らおうか?」
子供が舌なめずりをする。怯えて声も出せない保の様子に愉悦すら覚えていそうな表情で、そいつは……九条は保の首に牙を立てた。
(そうだ。思い出した。この時俺は、奴に……)
首を摩りながら保が顔を上げると、景色が元通りになっていた。整然とした事務所の中、傍らに保の顔を除き込む一美の姿が見えた。
「大丈夫ですか?」
「あ。ああ……。ありがとう、もう大丈夫だ」
隠されていた記憶の復元が終われば、頭痛も治まった。保は一美に礼を言って立ち上がり、窓の外へと目を向け、そして驚愕した。
縦横無尽に飛び交っていた蝶たちが、忽然と姿を消している。
「……これは、九条が?」
「はい」
震える声で誰にともなく問いかけると、すぐ隣で一美が言いにくそうに肯定した。そのまま、二人して呆然と窓際で立ち尽くしていると、急に事務所の扉が開かれる。
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