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おまけのあれこれ
陽と要
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その事件は、とある日の休み時間に起こった。
「見てよ、二人とも。こないだの休み、三人で遊園地に行ったんだけどね。その時にこのカチューシャをお揃いで買ったんだよ」
正樹はもうすぐとろけてしまうんじゃないかというくらいニヤけながら、スマートフォンの画面を見せつけてくる。
陽、要、正樹の三人の近頃の会話は、必ず正樹の弟自慢から始まった。
「えー、可愛いじゃん。直哉君よく似合ってる」
遊園地のマスコットキャラクターなのだろう。兎の耳の片方の付け根にリボンが付いている。
「でしょう。いやもうさ、この世になお君に似合わないものなんて存在しないんじゃないかってくらい、可愛いよね」
とある事件をきっかけに、正樹一家の絆はより深まったのだが、正樹の直哉に対する愛情は、深まりすぎてもはやこじらせているといっても過言ではないくらいに進化を遂げている。
「似合うは似合うんだろうけど、これ、本人嫌がってねえ? しかめっ面してるように見えんだけど」
要の的確な指摘に、正樹は悪びれもせずに答えた。
「そこがまた可愛いんだよ」
「やめてやれよ。かわいそうに」と要が直哉に同情している。
まあ、正樹の愛情が深まった分、直哉が冷静なのでつり合いはとれているのかもしれない。多少の問題に目をつぶれば、とりあえず家族円満のようなので何よりだ。
「あの、周防君」
三人で話しているところに、どこか緊張した様子で女子生徒がやって来た。陽もつられて顔を上げて、気づく。彼女は、つい先日まで霊に悩まされていた同じクラスの女子生徒だった。
「何?」
要の態度はいつもと変わらない。相手を威嚇するつもりなんてないのに、目つきのせいで常に睨まれていると相手に錯覚させてしまう。
でも、今、彼女が緊張しているように見えるのは、どうやら恐れからではなさそうだ。
「ちょっと二人きりで話がしたくて。今日の放課後、時間ある?」
どこか含みのある誘いに、陽の心が一気に淀んだ。
その日は珍しく要と別々に下校することになり、陽は部屋に戻るなりベッドに倒れ込んだ。どこへ向ければよいのか分からない憤りを枕を殴ることで晴らす。
「なんだよ、こないだまで他の子と一緒になって要の事怖がってたくせにさ。ちょっと優しくされたらこれだもの。あーあ、ほんっと腹立つ」
普段、底抜けに明るく、どこまでも楽観的な陽だが、もちろん嫉妬だとか不満だとかのどろどろした感情も人並みには持ち合わせている。
「……今度こそ付き合っちゃうかな、要。かわいい子だったもんなぁ。はあ、」
こういうことは過去にもたびたびあった。
初対面ではいつも怖がられる要だが、内面を知るとどいつもこいつもころっと態度を変えるのだ。だから余計に腹立たしい。
でも一番許せないのは、こういう自分勝手な考えに至ってしまう自分自身だった。
要が本来頭に超が三つはつくくらいにお人よしで、誠実な人なのだと知ってもらうことは喜ぶべきことのはずなのに、自分だけが要の本質を知っているという優越感が薄れてしまうことに危機感を抱く。
幼馴染というのは特別な存在だが、だからこそその枠から抜け出ることが難しい。
要はいずれ、陽との時間を最優先に考えてはくれなくなるのだ。他の誰かと優先順位が入れ替わる。要の一番近くにはいられなくなる。
「いっその事、襲っちゃおうかな。既成事実……はつくれないけど」
嫉妬心で頭がおかしくなりそうだったので、少しでも冷静になるためにあえて自暴自棄になったように物騒な妄想をする。
でもたぶん、いや、確実に、現実では返り討ちにあうだろう。
時折見る夢のように、素直に身をゆだねてくれればどんなにいいか。
「ん……?」
どんどん思考が邪な方向に転がっていったとき、ふいに間の抜けた電子音が鳴り響いた。
今は誰かとおしゃべりする気分じゃないのに。面倒に感じながらもスマートフォンに手を伸ばし、画面を見るなり飛び起きた。
ベッドからも下りて、勢いよく窓を開く。またいで渡れそうなほど近い向こう側のベランダで、要が目を瞬かせていた。
「要、どうしたの?」
反射的に飛び出してきてしまったが、要の顔を見るなり後悔が押し寄せてきた。彼女と交際するという報告だったらどうしよう。作り笑いで誤魔化せるだろうか。
「いや……、お前今日、なんか元気なさそうに見えたから……」
要はスマートフォンを握り締め、目を逸らしながら言った。
陽の様子がいつもと違うことを心配して声をかけてくれたのだ。でも、心配していたと気付かれるのは恥ずかしいから、いつにもまして突き放すような口調になっている。
可愛いな、と思う。優しいくせに、素直に優しく出来ないところが。気分がほっこりして、心の中のドロドロが吹き飛んでいくかのようだ。
「うん、もうすっごい落ち込んでたよ。でも要が天使だからちょっとだけ元気になったかも。これでちゅーの一つでもしてくれたらすっかり元気になるんだけど」
「……ちょっとでも元気になったならよかったな。じゃ」
調子に乗って唇を尖らしてキスをする真似をすると、要は途端にあきれ顔になって踵を返してしまう。
「あー、うそうそ! 嘘だからちょっと待って!」
慌てて呼び止めると、要はため息をつきながらも再び振り返ってくれた。
「なんだよ」
さも面倒くさそうにしながらも、決して無視はしない。仏頂面をしながらも、ちゃんと耳を傾けてくれる。そういうところも好きだ。
「あのね。今日、どうなった?」
とかく人というものは、よせばいいのに藪をつついてしまう。蛇に噛まれて痛い思いをすると分かっているくせに。
「……今日?」
要は何のことか分からないというふうに聞き返され、陽は焦れる気持ちをどうにか抑えながら、もっと詳しく聞いた。
「今日の放課後。……告白されたんでしょ?」
「ああ」と要はようやく理解したような声を出した。
「あれなら、断った」
「えっ……」
声に喜色があふれてしまうのを抑えるのに必死だった。そういう自分を、酷く醜く感じる。でも感情は抑えられそうになかった。よかった。要が他の誰かのものにならなくて。
「な、なんで?」
感情を抑えこもうとすると、どうしたって声が震えてしまう。要に気付かれやしないかと内心ひやひやだった。
「なんでって、まあ……相手の事、良く知らねえしな」
困り顔で意味もなく眼鏡の位置を直している。彼女の前でもそうやって答えたのだろうか。
「それに……お前とこうして話してる方が、楽しいし……」
風の音にすら負けてしまいそうなほど小さな声で呟く。何てことないという顔をしているが、頬が赤くなっている。
手を伸ばせば届きそうなほど近いのだ。夕焼けのせいじゃないことくらいはっきり分かる。
「ま、元気ならよかったわ。んじゃ」
そして、普段よりも早口に言って、逃げるように部屋に戻ろうとしてしまう。陽は再び、その背中を呼び止めた。
「なんだよ……」
聞こえないふりをしてしまえばいいのに、それが出来ない。要のそういうところが、心の底から愛おしい。
怯えられると分かっていながら、困っている誰かを放っておくことが出来ない。
優しいのに素直になれないところも、なんやかんやと言いながら、陽と過ごす時間を大切にしてくれているところも。余すとこなく大好きだ。
「あと十回言って。おれといるほうが楽しいって」
だから、陽はつい図に乗ってしまうのだ。それがまた要の機嫌を損ねると分かっていながら。要がそれでも陽を受け入れてくれることに甘えてしまう。
「多いな。もう言わねえよ。つーか、何の話だ」
「今言ったばかりじゃない。もう忘れちゃったの?」
「空耳だろ」
「えー、お願いだから。言ってくれたらなんでもしてあげる。膝枕でも、お姫様抱っこでも」
「なんだその少女漫画みたいなチョイス。どっちもいらねえ。つーか、お姫様抱っこは無理だろ」
「信じる者は救われるよ」
「そもそも救われたいなんておもってねえよ」
軽快なテンポで続く会話を飽きることなく繰り返すこの時間を、要もどうやら楽しいと思ってくれているらしい。
陽だって同じ気持ちだ。このまま時間が止まってしまえばいいのにとすら本気で考えてしまうほどだ。
この気持ちが、二人の関係が、今後どう変化していくのはまだ分からないが、先行きの不安に囚われるよりも、今はこの楽しい時間を心行くまで堪能しようと、陽は思った。
終わり
「見てよ、二人とも。こないだの休み、三人で遊園地に行ったんだけどね。その時にこのカチューシャをお揃いで買ったんだよ」
正樹はもうすぐとろけてしまうんじゃないかというくらいニヤけながら、スマートフォンの画面を見せつけてくる。
陽、要、正樹の三人の近頃の会話は、必ず正樹の弟自慢から始まった。
「えー、可愛いじゃん。直哉君よく似合ってる」
遊園地のマスコットキャラクターなのだろう。兎の耳の片方の付け根にリボンが付いている。
「でしょう。いやもうさ、この世になお君に似合わないものなんて存在しないんじゃないかってくらい、可愛いよね」
とある事件をきっかけに、正樹一家の絆はより深まったのだが、正樹の直哉に対する愛情は、深まりすぎてもはやこじらせているといっても過言ではないくらいに進化を遂げている。
「似合うは似合うんだろうけど、これ、本人嫌がってねえ? しかめっ面してるように見えんだけど」
要の的確な指摘に、正樹は悪びれもせずに答えた。
「そこがまた可愛いんだよ」
「やめてやれよ。かわいそうに」と要が直哉に同情している。
まあ、正樹の愛情が深まった分、直哉が冷静なのでつり合いはとれているのかもしれない。多少の問題に目をつぶれば、とりあえず家族円満のようなので何よりだ。
「あの、周防君」
三人で話しているところに、どこか緊張した様子で女子生徒がやって来た。陽もつられて顔を上げて、気づく。彼女は、つい先日まで霊に悩まされていた同じクラスの女子生徒だった。
「何?」
要の態度はいつもと変わらない。相手を威嚇するつもりなんてないのに、目つきのせいで常に睨まれていると相手に錯覚させてしまう。
でも、今、彼女が緊張しているように見えるのは、どうやら恐れからではなさそうだ。
「ちょっと二人きりで話がしたくて。今日の放課後、時間ある?」
どこか含みのある誘いに、陽の心が一気に淀んだ。
その日は珍しく要と別々に下校することになり、陽は部屋に戻るなりベッドに倒れ込んだ。どこへ向ければよいのか分からない憤りを枕を殴ることで晴らす。
「なんだよ、こないだまで他の子と一緒になって要の事怖がってたくせにさ。ちょっと優しくされたらこれだもの。あーあ、ほんっと腹立つ」
普段、底抜けに明るく、どこまでも楽観的な陽だが、もちろん嫉妬だとか不満だとかのどろどろした感情も人並みには持ち合わせている。
「……今度こそ付き合っちゃうかな、要。かわいい子だったもんなぁ。はあ、」
こういうことは過去にもたびたびあった。
初対面ではいつも怖がられる要だが、内面を知るとどいつもこいつもころっと態度を変えるのだ。だから余計に腹立たしい。
でも一番許せないのは、こういう自分勝手な考えに至ってしまう自分自身だった。
要が本来頭に超が三つはつくくらいにお人よしで、誠実な人なのだと知ってもらうことは喜ぶべきことのはずなのに、自分だけが要の本質を知っているという優越感が薄れてしまうことに危機感を抱く。
幼馴染というのは特別な存在だが、だからこそその枠から抜け出ることが難しい。
要はいずれ、陽との時間を最優先に考えてはくれなくなるのだ。他の誰かと優先順位が入れ替わる。要の一番近くにはいられなくなる。
「いっその事、襲っちゃおうかな。既成事実……はつくれないけど」
嫉妬心で頭がおかしくなりそうだったので、少しでも冷静になるためにあえて自暴自棄になったように物騒な妄想をする。
でもたぶん、いや、確実に、現実では返り討ちにあうだろう。
時折見る夢のように、素直に身をゆだねてくれればどんなにいいか。
「ん……?」
どんどん思考が邪な方向に転がっていったとき、ふいに間の抜けた電子音が鳴り響いた。
今は誰かとおしゃべりする気分じゃないのに。面倒に感じながらもスマートフォンに手を伸ばし、画面を見るなり飛び起きた。
ベッドからも下りて、勢いよく窓を開く。またいで渡れそうなほど近い向こう側のベランダで、要が目を瞬かせていた。
「要、どうしたの?」
反射的に飛び出してきてしまったが、要の顔を見るなり後悔が押し寄せてきた。彼女と交際するという報告だったらどうしよう。作り笑いで誤魔化せるだろうか。
「いや……、お前今日、なんか元気なさそうに見えたから……」
要はスマートフォンを握り締め、目を逸らしながら言った。
陽の様子がいつもと違うことを心配して声をかけてくれたのだ。でも、心配していたと気付かれるのは恥ずかしいから、いつにもまして突き放すような口調になっている。
可愛いな、と思う。優しいくせに、素直に優しく出来ないところが。気分がほっこりして、心の中のドロドロが吹き飛んでいくかのようだ。
「うん、もうすっごい落ち込んでたよ。でも要が天使だからちょっとだけ元気になったかも。これでちゅーの一つでもしてくれたらすっかり元気になるんだけど」
「……ちょっとでも元気になったならよかったな。じゃ」
調子に乗って唇を尖らしてキスをする真似をすると、要は途端にあきれ顔になって踵を返してしまう。
「あー、うそうそ! 嘘だからちょっと待って!」
慌てて呼び止めると、要はため息をつきながらも再び振り返ってくれた。
「なんだよ」
さも面倒くさそうにしながらも、決して無視はしない。仏頂面をしながらも、ちゃんと耳を傾けてくれる。そういうところも好きだ。
「あのね。今日、どうなった?」
とかく人というものは、よせばいいのに藪をつついてしまう。蛇に噛まれて痛い思いをすると分かっているくせに。
「……今日?」
要は何のことか分からないというふうに聞き返され、陽は焦れる気持ちをどうにか抑えながら、もっと詳しく聞いた。
「今日の放課後。……告白されたんでしょ?」
「ああ」と要はようやく理解したような声を出した。
「あれなら、断った」
「えっ……」
声に喜色があふれてしまうのを抑えるのに必死だった。そういう自分を、酷く醜く感じる。でも感情は抑えられそうになかった。よかった。要が他の誰かのものにならなくて。
「な、なんで?」
感情を抑えこもうとすると、どうしたって声が震えてしまう。要に気付かれやしないかと内心ひやひやだった。
「なんでって、まあ……相手の事、良く知らねえしな」
困り顔で意味もなく眼鏡の位置を直している。彼女の前でもそうやって答えたのだろうか。
「それに……お前とこうして話してる方が、楽しいし……」
風の音にすら負けてしまいそうなほど小さな声で呟く。何てことないという顔をしているが、頬が赤くなっている。
手を伸ばせば届きそうなほど近いのだ。夕焼けのせいじゃないことくらいはっきり分かる。
「ま、元気ならよかったわ。んじゃ」
そして、普段よりも早口に言って、逃げるように部屋に戻ろうとしてしまう。陽は再び、その背中を呼び止めた。
「なんだよ……」
聞こえないふりをしてしまえばいいのに、それが出来ない。要のそういうところが、心の底から愛おしい。
怯えられると分かっていながら、困っている誰かを放っておくことが出来ない。
優しいのに素直になれないところも、なんやかんやと言いながら、陽と過ごす時間を大切にしてくれているところも。余すとこなく大好きだ。
「あと十回言って。おれといるほうが楽しいって」
だから、陽はつい図に乗ってしまうのだ。それがまた要の機嫌を損ねると分かっていながら。要がそれでも陽を受け入れてくれることに甘えてしまう。
「多いな。もう言わねえよ。つーか、何の話だ」
「今言ったばかりじゃない。もう忘れちゃったの?」
「空耳だろ」
「えー、お願いだから。言ってくれたらなんでもしてあげる。膝枕でも、お姫様抱っこでも」
「なんだその少女漫画みたいなチョイス。どっちもいらねえ。つーか、お姫様抱っこは無理だろ」
「信じる者は救われるよ」
「そもそも救われたいなんておもってねえよ」
軽快なテンポで続く会話を飽きることなく繰り返すこの時間を、要もどうやら楽しいと思ってくれているらしい。
陽だって同じ気持ちだ。このまま時間が止まってしまえばいいのにとすら本気で考えてしまうほどだ。
この気持ちが、二人の関係が、今後どう変化していくのはまだ分からないが、先行きの不安に囚われるよりも、今はこの楽しい時間を心行くまで堪能しようと、陽は思った。
終わり
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