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最終話:かえる場所
【5】
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気持ちを切り替え、今日は掃除でもしようかなと、部屋の中を見回してみる。
でも毎日やることがなくて掃除ばかりしているから、四隅に埃が積もっているなんてこともないし、見下ろせば鏡みたいに磨き上げられた床板が空しいくらいに眩しい。
「小説の続きでも読もうかな」
なるべく前向きでいられるようにという計らいで、本や漫画はたくさんある。
洗濯物と一緒にリクエストの紙を添えておけば新しいものを買ってきてくれるらしいが、頻繁に頼んでは申し訳ないので、なるべく長い小説を買ってもらって、少しずつ読み進めているのだ。
そうして年季の入った本棚に向かった千影は、本を取り出してみてあることに気付いた。
本でこすってしまったのか、背板が少しずれている。その向こうにわずかな空洞があるようだ。
目を凝らしてみると、手前側の背板には指先をかろうじてかけられるくらいのくぼみがあった。これはもしや、隠し扉という奴だろうか。
「何が入ってるんだろう」
緊張半分、期待半分でおそるおそる手を伸ばした。取っ手と呼んでいいものか判断に困るくぼみに指をひっかけて開き、中にあった物を取り出してみる。
そこには意外なものが隠されていた。
「ノート?」
誰もが一度は目にしたことがあるくらい有名な学習帳だった。
厳重に保管されていたために埃もかぶっておらず、ところどころよれたり折れ曲がったりしている以外は千影が使っていたノートと大差ない。
秘密の場所に隠された、まだ新しいノート。なんだか不気味だ。
ごくりと生唾を飲み、千影は引き寄せられるようにページを開いてみた。
他人の私物を勝手に覗くことは悪趣味だと分かっている。普段の千影ならば、こんな浅ましい真似は絶対にしない。
おそらくこの時、千影ではない何かがページを開かされたのだ。その内容を千影に見せつけるために。
「……!」
目に飛び込んできた不規則な文字の羅列に全身が総毛立った。
一秒でも早く閉じてしまいたいのに、身体が石になってしまったかのように固まって動かせない。
だから、いつまでも離れられない。今にも声が聞こえてきそうなほどの凄絶な怨念から。悲痛な慟哭から。
痛い、苦しい、助けて、誰も助けてくれない、どうして僕が、どうしてどうしてどうして、憎い、兄が憎い、兄嫁が憎い、子供たちが憎い、みんな死んでしまえ、いっそ道ずれにしてやろうか、外に出たい、ごはんが食べたい、外に出なくてもいいからお日様を浴びたい、海が見たい、悲しい、辛い、さみしい、日増しに痛みがひどくなる。痛い、痛い、せなかいたい、いたいいたいいたい……そして最後に、はやく死にたい、と後半に行くほど乱れた文字で刻まれている。
どのくらい時間が経過したのだろうか。ようやく動けるようになった千影は急いでノートを元あった場所に戻した。
隠し扉も閉めて、さらに読もうとしていた本を詰め込んで隙間を無くし、徹底的に視界に入らないようにする。
「う……、うえ、」
途端に身体の力が抜けた。その場に座り込み、口を押えてこみあげてくる吐き気を堪える。
開くまでは単なるノートだったはずなのに、開いた途端、凝縮されていた濃厚な遺恨が見えない凶器となって襲い掛かって来た。そのおぞましいほどの怨嗟を全身に浴びてしまった。
「はあ、……寒、寒い……」
吐き気が治まったと思ったら、今度は寒気が襲ってきた。自分自身をかき抱き、二の腕を擦って波が治まるのを待つ。
「……律、……りつ、ぅ」
体温が奪われるとますます孤独感がこみあげてきて、千影は無意識に律を求めてしまう。
玄武が去ってからそれほど時間が経っていないはずだ。ということは律は今学校にいる。いくら呼んでも無駄だとわかっているのに。
(……ダメだ。自分の力で何とかしなきゃ)
千影は唇をかみしめ、全身に力を込めた。纏わりついてくる真っ黒な淀みから身を守るために。
そうやって立ち直ろうとしているのに、浮かぶのは嫌な想像ばかりだ。
あれは数年後の千影だ。千影も将来的にはああやって、私怨に囚われ自分以外のものすべてが憎くて憎くて仕方が無くなってしまう。
大好きな律までも、やがてキライになってしまうのだろうか。そんなはずはないと言えるのは、きっと今だからだ。
「違う。俺は、……律を嫌いになんてならない」
千影にとって何よりも恐ろしいのは、律に対する愛情を失ってしまう事だ。
律の存在そのものももちろんだが、律を愛するという気持ちが千影の心の支えなのだから。これを失ってしまったら、千影はどうかなってしまう。
「大丈夫。絶対大丈夫だから」
千影は自分に言い聞かせた。なんで、どうして、会いに来てくれないのと、子供のように喚く心を落ち着かせるために。
でも毎日やることがなくて掃除ばかりしているから、四隅に埃が積もっているなんてこともないし、見下ろせば鏡みたいに磨き上げられた床板が空しいくらいに眩しい。
「小説の続きでも読もうかな」
なるべく前向きでいられるようにという計らいで、本や漫画はたくさんある。
洗濯物と一緒にリクエストの紙を添えておけば新しいものを買ってきてくれるらしいが、頻繁に頼んでは申し訳ないので、なるべく長い小説を買ってもらって、少しずつ読み進めているのだ。
そうして年季の入った本棚に向かった千影は、本を取り出してみてあることに気付いた。
本でこすってしまったのか、背板が少しずれている。その向こうにわずかな空洞があるようだ。
目を凝らしてみると、手前側の背板には指先をかろうじてかけられるくらいのくぼみがあった。これはもしや、隠し扉という奴だろうか。
「何が入ってるんだろう」
緊張半分、期待半分でおそるおそる手を伸ばした。取っ手と呼んでいいものか判断に困るくぼみに指をひっかけて開き、中にあった物を取り出してみる。
そこには意外なものが隠されていた。
「ノート?」
誰もが一度は目にしたことがあるくらい有名な学習帳だった。
厳重に保管されていたために埃もかぶっておらず、ところどころよれたり折れ曲がったりしている以外は千影が使っていたノートと大差ない。
秘密の場所に隠された、まだ新しいノート。なんだか不気味だ。
ごくりと生唾を飲み、千影は引き寄せられるようにページを開いてみた。
他人の私物を勝手に覗くことは悪趣味だと分かっている。普段の千影ならば、こんな浅ましい真似は絶対にしない。
おそらくこの時、千影ではない何かがページを開かされたのだ。その内容を千影に見せつけるために。
「……!」
目に飛び込んできた不規則な文字の羅列に全身が総毛立った。
一秒でも早く閉じてしまいたいのに、身体が石になってしまったかのように固まって動かせない。
だから、いつまでも離れられない。今にも声が聞こえてきそうなほどの凄絶な怨念から。悲痛な慟哭から。
痛い、苦しい、助けて、誰も助けてくれない、どうして僕が、どうしてどうしてどうして、憎い、兄が憎い、兄嫁が憎い、子供たちが憎い、みんな死んでしまえ、いっそ道ずれにしてやろうか、外に出たい、ごはんが食べたい、外に出なくてもいいからお日様を浴びたい、海が見たい、悲しい、辛い、さみしい、日増しに痛みがひどくなる。痛い、痛い、せなかいたい、いたいいたいいたい……そして最後に、はやく死にたい、と後半に行くほど乱れた文字で刻まれている。
どのくらい時間が経過したのだろうか。ようやく動けるようになった千影は急いでノートを元あった場所に戻した。
隠し扉も閉めて、さらに読もうとしていた本を詰め込んで隙間を無くし、徹底的に視界に入らないようにする。
「う……、うえ、」
途端に身体の力が抜けた。その場に座り込み、口を押えてこみあげてくる吐き気を堪える。
開くまでは単なるノートだったはずなのに、開いた途端、凝縮されていた濃厚な遺恨が見えない凶器となって襲い掛かって来た。そのおぞましいほどの怨嗟を全身に浴びてしまった。
「はあ、……寒、寒い……」
吐き気が治まったと思ったら、今度は寒気が襲ってきた。自分自身をかき抱き、二の腕を擦って波が治まるのを待つ。
「……律、……りつ、ぅ」
体温が奪われるとますます孤独感がこみあげてきて、千影は無意識に律を求めてしまう。
玄武が去ってからそれほど時間が経っていないはずだ。ということは律は今学校にいる。いくら呼んでも無駄だとわかっているのに。
(……ダメだ。自分の力で何とかしなきゃ)
千影は唇をかみしめ、全身に力を込めた。纏わりついてくる真っ黒な淀みから身を守るために。
そうやって立ち直ろうとしているのに、浮かぶのは嫌な想像ばかりだ。
あれは数年後の千影だ。千影も将来的にはああやって、私怨に囚われ自分以外のものすべてが憎くて憎くて仕方が無くなってしまう。
大好きな律までも、やがてキライになってしまうのだろうか。そんなはずはないと言えるのは、きっと今だからだ。
「違う。俺は、……律を嫌いになんてならない」
千影にとって何よりも恐ろしいのは、律に対する愛情を失ってしまう事だ。
律の存在そのものももちろんだが、律を愛するという気持ちが千影の心の支えなのだから。これを失ってしまったら、千影はどうかなってしまう。
「大丈夫。絶対大丈夫だから」
千影は自分に言い聞かせた。なんで、どうして、会いに来てくれないのと、子供のように喚く心を落ち着かせるために。
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