白蜘蛛探偵事務所

葉薊【ハアザミ】

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最終話:かえる場所

【1】

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 白蜘蛛探偵事務所に、意外な客人が訪れた。

 長らく休眠状態にあった身体は枯れ木のようにやせ細り、顔色もあまりよいとは言えなかったが、眼力だけは鋭い。

 彼が、神影神社の次男であり、天賦の才を持つと噂される稀代の霊能者なのか。確かに、こうして相対すると、桁違いの霊力に圧倒される。

 らしくもなく緊張しながら見つめる寿幸の前で、神影家次男の律は茶を一息に干した。

 長らく千影の心の中に匿われていて、意識を取り戻した瞬間すらほんの一時間ほど前だという。

 そこから、硬直しきった自分の身体を無理やり動かしてここまで来て、ここへ至るまでの経緯を語ったのだから、喉も乾ききるというものだ。

 一つ息を吐いてから、はっとしたような顔になった。

「すみません。起きしなに飛び出してきたものですから」

 振舞われた茶を一気飲みしてしまったことを恥じているようだった。そういう仕草はきちんと年相応に見えて、寿幸はひそかに肩を撫で下ろした。

「突然飛び起きたと思ったら、間髪入れずにここへ連れていけ、だもんな。感動する暇もなかったうえに、忌々しい白猫まで俺様の背中に乗せることになるなんて」

 彼の右肩で真っ赤な羽をもつオウムくらいの大きさの鳥が抗議の声を上げている。見る者が見れば一目で分かる。このオウムは普通の鳥ではなく、十二神将のうちの一柱、朱雀だ。

「正直微妙な乗り心地だったな」

 律にぴったり寄り添って座っている白猫が平坦な口調で率直な感想を述べた。こちらも十二神将のうちの一柱。白虎である。

「なんだとてめえ! 嫌なら留守番してりゃよかっただろうが!」

「これ、人様の家で喧嘩するんじゃない」

 今度は律の頭の上に乗っている亀が、今にも言い争いに発展しそうな二人を叱りつけた。

「すみません。騒がしくて」

 最後に律が苦笑を浮かべながら謝った。

 一見微笑ましいだけのやり取りにみえるが、式神の中でも高位である十二神将を扱うのは容易ではない。

 並の霊能者では呼び出すことすら叶わず、呼び出せたとしても霊力をごっそり持っていかれるので数分使役できればいいほうだ。

 それを常に侍らせている上、平然と会話し、その上で霊力に衰えすら見せない律はやはり群を抜いている。

 なるほど千影が蝶の妖を倒すには律の力が必要不可欠だと断言するはずである。

 一美が気を利かせて静かに席を立ち、律に茶のお代わりを用意した。

「しかし、長らく眠っていたのであれば、身体もずいぶん鈍っていることだろう。よくここまでたどり着けたな」

 保が感心したように言った。一方、九条は玄武たちを警戒しているのか、律に席を譲る口実をつけて窓際に移動している。

「ええ。実を言うと今、ほとんど気力で起き上がっているような状態ですが、事は急ぎを要するのです。神代さん。貴方の先代の継承者が遺してくれた術と、それに、ちいちゃん……千影が妖力を使いつづけてくれたおかげで、蝶の妖力は著しく消耗している状態です。退治できるチャンスは今をおいてほかにありません」

 寿幸は頷いた。

 そして、妖が主導権を握った今、まずは消耗した分を回復しようと、今までにもまして騒動を起こすだろう。悪霊たちの無念を自分の妖力に還元するために。

「けど、巣が分からない事には捕まえることすらできないな」

 おそらくある程度回復するまでは、どこかに雲隠れしているはずだ。見つけ出すのは容易ではないだろう。

 本体にたどり着くためには、無念を晴らした悪霊が消滅し、その恨みや未練を蓄えた蝶を追う方法があるが、無数の蝶が飛び交い始めれば惑わされ、追跡は難しくなる。あちらも目くらましの為に大量の蝶を放つだろう。

「大丈夫です」

 律は悠然と微笑むと、立てた小指をいとおしそうに見つめた。

「僕の心は今、千影の心とつながっています。だから、たとえどこかに隠れていたとしても見つけ出すことが出来る」

 千影の心の中から出る間際、指切りを交わして心と心をつなげたのだという。

 自分の魂を自分の意志で肉体から離し、生者の心に潜り込ませる術自体、高等技術だというのに、その上、相手の心の中でさらに術を使ったのだと平然と話す律に寿幸は脱帽する。

「なら、居所は知れるとして、見つけた後はどうする」

 あちらも実力が拮抗している間は捕まりたくはないだろう。意地でも逃げ出すはずだ。

「神代さん。貴方は青龍せいりゅうを使役できますね」

 律は微笑を浮かべたまま、寿幸の奥の手を見抜いた。確かに寿幸は過去に一度、一美を救い出す際に青龍を呼び出したことがある。

 一か八かの賭けではあったが、寿幸にも少なからず十二神将を呼び出す力は備わっているようだ。

「出来るけど、もって三十分だな」

 ふいに隣から一美の視線を感じた。

 かつて青龍を呼び出したのちに昏倒したことを知っているから、心配してくれているのだろう。

「充分です。妖を一時眠らせることが出来ればいい。それに、むしろ霊力は温存してもらいたいです。本番はそれからですから。妖を祓う準備が整ったら、僕は再び千影の中に入ります」

「……なるほど。お前は内側から、俺は外側から妖を追い詰めるわけか」

「そういうことです」

 律ははっきりと頷いた。
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