60 / 86
第二話:隠し事
【18】
しおりを挟む
ほどなくして保と奏、そして正樹の父が到着し、事務所内は一気に手狭になった。寿幸は客人たちに席を譲り、窓際に立つ。
同じく立ったままの保が一渡り全員を見渡し、口火を切る。
「七年前、とある神社の前で一人の男性の遺体が発見されました。当時の天候や、被害者のそばに酒瓶が転がっていたことから、酩酊して徘徊した被害者が誤って石段を踏み外し、転落したことによる事故死と片付けられましたが、再捜査の結果、事件現場に不審な人影を見たという目撃証言が出ました」
残念ながら目撃者は天寿を全うしたと、保は付け加えた。
「しかし目撃者のお孫さんが、目撃者の証言を覚えていてくれました。それによると……」
口元にほくろのある、小柄な女性。
その特徴を聞いて、正樹と正樹の父親は顔をこわばらせたが、継母は身じろぎ一つしなかった。保の話に口をはさむでも、身の潔白を訴えるでもなく、ただ静かに耳を傾けている。
そして保が最後の一音を発すると、ゆっくりとまぶたを開いた。
「はい。お察しの通り、私がこの手で元夫の命を奪いました」
彼女は言い逃れすらしなかった。それどころか、潔く罪を認め、「申し訳ございませんでした」と深々と頭を下げた。
「ずいぶんあっさり認めるんですね。なのに当時は事故に見せかけた。これはなぜですか?」
九条の核心を突いた質問も彼女はあらかじめ予想していたのだろう。重苦しい空気と、なぜか謝罪している母の姿に戸惑っている直哉を一度見遣り、再び口を開く。
「私は、幼くして両親を失いました。頼れる者もなく、施設に入ったのですが、あまり良い思い出がありません」
一度目の結婚当時の彼女にも、縋れる親類や仲間はいなかった。
元夫も浪費癖が原因で家を勘当されている。そもそも繋がりがあったとしても、被害者の親族に我が子を預けるなど出来るはずもなかった。
「頼れる者がいなければ、必然的に直哉は施設に入ることになる。……もしもそこで、辛い思いをしても、もう私はそばにいてあげられません。だから言えなかった。この子を、守りたかったんです」
彼女の声は次第に涙声になっていく。
母の涙を敏感に察知して、怯えるばかりだった直哉は急に勇ましい顔つきになって母親を抱きしめた。
彼女は、少しずつだが確かに成長していく我が子を慈しむように撫でた後、新たに家族となった二人を力強いまなざしで見つめた。
「二人とも、ごめんなさい。聞いての通り私は罪を犯しました。そして、それをずっと隠していた。この子を安心して託せる相手が見つかるまでは、隠し通すつもりでした」
家族に向けて、改めて罪の告白をする。
「だけど、この子に罪はありません。騙していたくせに、こんなお願いをするのは厚かましいと承知の上で、どうかお願いします。この子を……直哉を、守ってくださいませんか」
我が子を抱きしめたまま、彼女は今度は家族に向けて首を垂れて頼み込んだ。今度はなかなか頭を上げない。おそらく、何らかの反応を待っている。
ほどなく、その時は訪れた。
「一つだけ、聞いてもいいかな」
穏やかな声で沈黙を破ったのは、正樹の父親だった。
「僕と結婚してくれたのは、直哉のためだけだったのかな」
意外な問いに、彼女は目を丸くした。それから頬を赤らめて、かすかに顔を横に振る。
「よかった。それを聞いて安心した」
柔和に微笑んでみせたあと、言葉に誠意をこめて続ける。
「もちろん。直哉のことは任せてくれ。というか、君に頼まれるまでもなく、面倒をみるつもりだよ。だって僕は、直哉の父親じゃないか。家族三人で君が帰ってくるのを待っているよ」
それから正樹と視線を交わし、驚きのあまり呆然とする彼女に、正樹も言葉を贈った。
「僕もなおくんの兄として、出来る限りのことは全部やるよ。でもきっと、なおくんはお母さんがいなくて寂しいだろうから、なるべく早く帰ってきてあげてね」
どこか清々しい表情の正樹の胸中にはきっと、母から託された願いが呼び起こされているのだろう。
そして正樹はその上で、自分が幸せになるために、家族で過ごす道を選んだのだ。
動もすれば、家族関係どころか人間関係にまで影響を及ぼすほどの衝撃的な告白であったが、彼らはすべてを知った上で、彼女の頼みを聞き入れた。
そして、やがて罪を償う彼女に帰る場所を与えた。
咽び泣く彼女と家族三人は、その後しばらく互いに抱きしめあった。しばしの別れを惜しむように。そして再会の誓いを固くするかのように。
同じく立ったままの保が一渡り全員を見渡し、口火を切る。
「七年前、とある神社の前で一人の男性の遺体が発見されました。当時の天候や、被害者のそばに酒瓶が転がっていたことから、酩酊して徘徊した被害者が誤って石段を踏み外し、転落したことによる事故死と片付けられましたが、再捜査の結果、事件現場に不審な人影を見たという目撃証言が出ました」
残念ながら目撃者は天寿を全うしたと、保は付け加えた。
「しかし目撃者のお孫さんが、目撃者の証言を覚えていてくれました。それによると……」
口元にほくろのある、小柄な女性。
その特徴を聞いて、正樹と正樹の父親は顔をこわばらせたが、継母は身じろぎ一つしなかった。保の話に口をはさむでも、身の潔白を訴えるでもなく、ただ静かに耳を傾けている。
そして保が最後の一音を発すると、ゆっくりとまぶたを開いた。
「はい。お察しの通り、私がこの手で元夫の命を奪いました」
彼女は言い逃れすらしなかった。それどころか、潔く罪を認め、「申し訳ございませんでした」と深々と頭を下げた。
「ずいぶんあっさり認めるんですね。なのに当時は事故に見せかけた。これはなぜですか?」
九条の核心を突いた質問も彼女はあらかじめ予想していたのだろう。重苦しい空気と、なぜか謝罪している母の姿に戸惑っている直哉を一度見遣り、再び口を開く。
「私は、幼くして両親を失いました。頼れる者もなく、施設に入ったのですが、あまり良い思い出がありません」
一度目の結婚当時の彼女にも、縋れる親類や仲間はいなかった。
元夫も浪費癖が原因で家を勘当されている。そもそも繋がりがあったとしても、被害者の親族に我が子を預けるなど出来るはずもなかった。
「頼れる者がいなければ、必然的に直哉は施設に入ることになる。……もしもそこで、辛い思いをしても、もう私はそばにいてあげられません。だから言えなかった。この子を、守りたかったんです」
彼女の声は次第に涙声になっていく。
母の涙を敏感に察知して、怯えるばかりだった直哉は急に勇ましい顔つきになって母親を抱きしめた。
彼女は、少しずつだが確かに成長していく我が子を慈しむように撫でた後、新たに家族となった二人を力強いまなざしで見つめた。
「二人とも、ごめんなさい。聞いての通り私は罪を犯しました。そして、それをずっと隠していた。この子を安心して託せる相手が見つかるまでは、隠し通すつもりでした」
家族に向けて、改めて罪の告白をする。
「だけど、この子に罪はありません。騙していたくせに、こんなお願いをするのは厚かましいと承知の上で、どうかお願いします。この子を……直哉を、守ってくださいませんか」
我が子を抱きしめたまま、彼女は今度は家族に向けて首を垂れて頼み込んだ。今度はなかなか頭を上げない。おそらく、何らかの反応を待っている。
ほどなく、その時は訪れた。
「一つだけ、聞いてもいいかな」
穏やかな声で沈黙を破ったのは、正樹の父親だった。
「僕と結婚してくれたのは、直哉のためだけだったのかな」
意外な問いに、彼女は目を丸くした。それから頬を赤らめて、かすかに顔を横に振る。
「よかった。それを聞いて安心した」
柔和に微笑んでみせたあと、言葉に誠意をこめて続ける。
「もちろん。直哉のことは任せてくれ。というか、君に頼まれるまでもなく、面倒をみるつもりだよ。だって僕は、直哉の父親じゃないか。家族三人で君が帰ってくるのを待っているよ」
それから正樹と視線を交わし、驚きのあまり呆然とする彼女に、正樹も言葉を贈った。
「僕もなおくんの兄として、出来る限りのことは全部やるよ。でもきっと、なおくんはお母さんがいなくて寂しいだろうから、なるべく早く帰ってきてあげてね」
どこか清々しい表情の正樹の胸中にはきっと、母から託された願いが呼び起こされているのだろう。
そして正樹はその上で、自分が幸せになるために、家族で過ごす道を選んだのだ。
動もすれば、家族関係どころか人間関係にまで影響を及ぼすほどの衝撃的な告白であったが、彼らはすべてを知った上で、彼女の頼みを聞き入れた。
そして、やがて罪を償う彼女に帰る場所を与えた。
咽び泣く彼女と家族三人は、その後しばらく互いに抱きしめあった。しばしの別れを惜しむように。そして再会の誓いを固くするかのように。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
22
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる