白蜘蛛探偵事務所

葉薊【ハアザミ】

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第二話:隠し事

【11】

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 寿幸と一美は正樹の母親を追いかける。

 住宅街を抜け、横断歩道を渡り、三つ目の信号を曲がり、一歩目を踏み込んだところで、周囲の景色が一変した。

 無数の蝶が視界の両端を駆け抜ける。すると、まるで彼らが景色を塗り替えてしまったかのように両端に窮屈そうに建ち並ぶ建物が消え去った。

 代わりに現れたのは、霊山へとつながる鎮守の森。その前方には城郭のように巨大な建造物が、山を守る守護者のようにどっしりと構えている。

「よ、寿幸さん……ここって」

 一美が声を震わせる。寿幸は自分を奮い立たせながら、その荘厳で、しかし邪悪な気配を漂わせている建物を睨めつける。

「ああ。神影みかげ神社だ」

 無論、本物ではない。本来の神影神社はそれこそ山が聳えるにふさわしい都会の喧騒から離れた場所にある。

 おそらくこれは、千影の記憶から妖が作り上げた幻想だ。強い妖力を持つ妖は、現世とは次元の異なる空間を生み出すことができる。

 そしてその場所は言うならば妖の巣であり、作り手である妖が何物にも邪魔されず力を発揮できる空間でもあった。

『正樹が、この中に……?』

 鳥居をくぐる前からおぞましい空間だと分かる。こんな場所に我が子がいるのかと、正樹の母親は焦燥と不安が入り混じった表情を浮かべる。

「ここから先は極力俺のそばから離れないでください」

 居ても立ってもいられない彼女の気持ちを理解したうえで、寿幸は酷な頼みごとをする。

 ここより先は、霊を喰らう妖どもの巣窟だ。か弱い霊が単独で行動するなど、わざわざ喰われにいくようなものである。

 彼女が己の衝動と戦いつつも頷き承諾したのを見届け、寿幸は歩を進めた。

 鳥居をくぐる。本来は神域へと足を踏み入れる瞬間だが、頬を撫でるのは清らかな微風ではなく、北風のように冷え冷えとした冷風だった。

「……、」

 参道を進み始めるとすぐに隣から苦痛をかみ殺す呻き声が聞こえ、足を止める。

 視線を向けた先にはすまし顔で誤魔化しているものの明らかに顔色が悪くなっている一美がいた。

「平気ですから、早く中に入りましょう」

 強がって普段より声を張っているが、言葉尻が震えている。寿幸は正樹の母に一言断り、一美の背中に施した封印を強化した。

 若干だが一美の顔色が改善する。ほう、と一美がこっそり詰めていた息を吐いたことにも気づいていた。

 やはり相当苦しかったのだろう。

(やっぱり連れて来るべきじゃなかったな……)

 今はこのくらいしかしてやれない。後悔したところで後の祭りだ。

 奥へ進み、妖へと近づけば近づくほど、背中の痛みは増幅するだろう。しかしここに一人で置いていくことなど出来るはずもない。

 結局、苦痛を強いると分かっていて、同行させるしかないのだ。

「ごめんな」

 つい、謝罪の言葉が口を衝いて出てしまう。一美が勢いよく振り返った。睨みつけるような眼差しに、怒りを滲ませている。

「どうして寿幸さんが謝るんですか。ついていきたいって言ったのは僕なんですよ。やめてください……」

 普段より強い口調で言われても、寿幸には苦笑で返すことくらいしかできなかった。

 激しい後悔と、浅はかな自分に対する憤りとで、あまり心に余裕がないのだ。この禍々しい空間が感情を高ぶらせているため、制御が難しい。

 きっと一美が感情的になったのもそれが原因だろう。

 それでも、今更、後戻りも出来ない。

 絶対に守ると決めていた相手が痛みをこらえていると知りながら、寿幸に進む以外の選択肢は残されていないのだ。

 ならば、一刻も早く正樹を救い出し、この空間から抜け出すのみ。

 足を引っ張る余計な感情はすべてかなぐり捨てて、寿幸は自分の霊力を分け与えた式神たちを放った。

 折り紙の奴たちが、自我を得て、境内のあちこちへ飛んでいく。彼らに正樹の捜索を任せた。多めに放ったのは、蝶に打ち負かされてしまった場合に備えての予備である。

 極力、移動を最小限にするための手段だった。

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