白蜘蛛探偵事務所

葉薊【ハアザミ】

文字の大きさ
上 下
45 / 86
第二話:隠し事

【3】

しおりを挟む
 休みが明け、翌日からは通常通り営業が再開された。

 そして今日もいつも通り、過去の依頼者の知り合いか、一階カフェの店主から持ち込まれる依頼をこなしていく。

 店主の方に持ち込まれる依頼は、店主が真贋しんがんを見分けてくれるが、過去の依頼者から持ち込まれる方は、寿幸自身の目で確認しなければならない。

 はるばる赴いて結局無駄足なんてことも、珍しいことではなかった。

 まさしく今日もそのパターンで、単なる反射を霊だと勘違いし取り乱す依頼主を落ち着かせるのに苦心して、一時間にもわたる説得の末にようやく納得してもらえた。

 本業とは別の苦労で疲労困憊のこんな時は、車道をすいすい走る車がうらやましくなる。

「はあ、あのビルなかなか立地はいいんだけど、駐車場がないのがたまにキズだよねえ」

 一応、免許は取得済みの寿幸ではあるが、マイカー購入は保留中だ。

 そもそも置き場所がないのもあるが、なまじ公共交通機関が整っているため、普段は必要性を感じない。

 遠出をするときにはレンタカーを借りればよい話だし、購入した場合、時々は走らせなければならなかったり、そもそも車検も面倒くさい。

「それなんですけど、僕もそろそろ免許を取りたいなと思っていて」

「え。なんで?」

 意外な方向に話題が転がり、寿幸は真剣な表情で考え込む一美を見やる。

「なんでって、僕ももう大人ですし。僕も免許があった方が、いざとなったら運転を変われるじゃないですか。そもそも助手なんですから、本来運転は僕がするべきなんですよ」

 一美の力説には一理ある。あるのだが。

「あったら便利だろうけどねえ」

 煮え切らない返事をしつつ、内心冷や冷やしている寿幸である。

 長いこと一つ屋根の下で暮らしてきたのだ。成長を間近で見守って来たのだから、一美がもう子供じゃないことは百も承知だが、それでもやっぱり、幼いころの面影が消えてくれない。

 だからか、運転席に座る一美の姿を想像することを脳が拒否するのである。

「まあ、僕は、こうして寿幸さんと肩を並べて歩くのも好きだから、どっちでもいいんですけどね」

 はにかんだように笑って、ずいぶん可愛いことを言ってくれる。

 思わず撫でまわしたくなったが、ポケットの中でこぶしを握ってぐっとこらえた。

「うれしいこと言ってくれるねえ。一美くんは」

 当たり障りのない言葉でお茶を濁しながら、心の中では一美の意見に同意していた。

 寿幸とて、一美とは波長が合うというか、安らぎを感じる相手だと常々思っている。

 しかし、だからと言って寿幸が一美の未来を縛るわけにはいかないのだ。

 何しろ彼の今現在を縛ってしまっているのだ。これで未来まで束縛しようなどと、厚かましいにもほどがある。

 寿幸が一美をそばに置くことを許されている期間は、おそらくあとわずかだ。

 いずれその日が来たら、すぐにでも解放できるよう、着々と準備は整えている。他にも足りないものがあれば、なんでも協力する所存だ。

 だが、今この時だけは、こうしてそばにいる間くらいは、安らぎを享受しても許されるだろうか。

 口に出すことは決してしないから、心の中で願うくらいならば許してもらいたい。

「寿幸さん」

 ふいに一美に呼びかけられ、寿幸は思惟を止めた。

 顔を上げた寿幸は、事務所の前に見慣れた制服を見つけた。

 三人のうち二人は顔も知っている。つい最近見た顔だ。さすがにまだ記憶は薄れてはいない。

 相手側でも寿幸を見つけるなり、眼鏡の方は会釈をして、三人の中で最も小柄な少年は満面の笑みで駆け寄ってきた。

「寿幸探偵! ご無沙汰してます!」

 つい最近解決した憑依……乗っ取り事件の被害者。七森 陽ななもり ひかるが寿幸の前で敬礼した。

 寿幸は探偵であって軍人でも警察官でもないのだが、この子は少し、探偵という職業を履き違えているフシがある。

「相変わらず元気そうだね」

 疲れた体には若干胃もたれがする溌剌はつらつさだ。

「もちろん。すこぶる元気ですよ! そんでもって、今日は寿幸名探偵に相談があって来たんです」

 探偵は探偵でも、寿幸は心霊に関する依頼のみを取り扱う極めて特殊な事業だ。

 当然依頼主も特殊な悩みに煩悶はんもんし、青ざめ気落ちした表情で現れるのだが、この子は……陽は自分が被害者だった時と同じように、むしろ爛々と目を輝かせていた。
しおりを挟む

処理中です...