41 / 86
神影律の記憶
【9】
しおりを挟む
また景色が変わる。
今度は親子連れでにぎわうお昼時の公園に来ていた。
砂場で千影とよく似た女の子が遊んでいる。
律はすぐ近くで妹が砂のお城を作るのを手伝ってあげていた。これもまた千影の思い出だ。千影の思い出を千影の目線で見ているのだ。
(本当にかわいいんだな。妹さんのこと)
家族の中で唯一妹のことだけは話していたこと思い出す。
確かにかわいい。おにいちゃん見てと、だんごむしでも通りすがった野良猫でもなんでも兄に報告したがる。
千影が花壇で星の形をした石を見つけて持って行ってやると、お礼に砂のお団子をくれた。
今、この時だけは、世界が本来の色を取り戻したがって明滅している。千影にとっても楽しい思い出だったのだろうと思うと、律も嬉しかった。
だが、次の瞬間、楽しかった時間は凍り付く。
突如、トイレの裏の暗がりから生臭い臭いをともなって現れた黒い影。たとえではなく、本当に影が動いていた。
それはじわじわと妹ににじり寄る。
砂団子を手の中で転がしていた千影も、その不気味な気配に気づいたようだ。
その時にはすでに、影が妹にどろりと溶けた腕を伸ばしているところだった。
走っていったところで間に合わないと踏んだのか、千影は手にしていた砂団子を影めがけて投げつけた。
驚いて影は去っていくが、千影も突然のことでじっくり目標を定めることができなかった。
気が付くと、砂だらけになった妹が泣いていた。
顔の半分が特に汚れている。千影が投げた砂団子が直撃したのだと分かった。
妹の泣き声に血相を変えて飛んできた女性が、立ち尽くす千影の頬を張った。
「なんてことするの! 本当に貴方はお母さんのこと困らせてばっかりで! そんなに家族のことが嫌いなら、もううちの子じゃなくていいわ! どこへでも行きなさい!」
頭に血が上っていたのだろう。千影の母は千影の言い分も聞かず本当に置き去りにして、妹を抱いて帰ってしまった。
千影はほかの家族連れが帰って行っても、一人公園に取り残されていた。
何度か公園の入り口までは行くのだが、家に帰る勇気が出ずに引き返してしまう。
やがて千影は一人でブランコをこぎはじめた。鎖の擦れる音が、無人の公園に空しく響く。
(千影君……、)
記憶の中では手出しはできない。声をかけたところで届かない。分かっているからこそもどかしい。
ふいに、千影が顔をあげた。律も当時の千影と同じ光景を目の当たりにしてぞっとする。
先ほど妹を襲った黒い影がほぼ真上から千影を凝視していて、ないはずの目が合うと同時に千影の意識がぷっつり途絶えた。
(この時に憑りつかれたのか……)
律には分かったが、千影はどうして自分が自室に戻っているのか分からないみたいだった。多分、気絶したところを家族の誰かが迎えに来たのだろう。
倒れている千影を見て、何を思ったのか。少しくらいは反省してくれればいいのにと、律は考えてしまう。
千影はベッドから降りると、部屋の扉を開けた。
さっきまでかすかにしか聞こえなかった言い争いが、防壁を取り払ったことではっきりと聞こえてきた。
階下で、両親が喧嘩をしているようだ。
「だから、しつけだって何度も言ってるでしょ! あの子ったら、千秋に泥団子を投げつけたのよ? ああいう乱暴な所、いったい誰に似たのかしら」
「だからって置き去りにすることないだろ! 誘拐でもされたらどうするつもりだったんだ!」
「いっそのこと攫ってくれればいいのに……」
聞いている律ですら耳を疑う一言が飛び出し、おそらく千影の父親だろう人物も声を荒らげた。
「お前! なんてこと言うんだ! 千影だって俺たちの子供だろう!」
「あなたは家のことなんて何も知らないじゃない! あの子のせいで、うちが周りからどんな目で見られているか! 幽霊一家なんて呼ばれてんのよ! そのせいで、どこへ行っても肩身が狭いのよ! これから先、千秋が就学したらどうなるか。怖くてしょうがないわ!」
「霊感があるのは千影のせいじゃないだろう!」
「そのセリフ私より先に言う相手がいるんじゃなくって? 例えば、なんでも至らない嫁のせいにしたがる貴方のお母さんとか!」
「母さんは今関係ないだろう! 君こそいつもそうやって母さんを目の敵にするな!」
夫婦喧嘩はどんどん激しくなっていき、あたりの冷気も一層強くなった。……と、何かが千影の袖を控えめに引っ張る。
新しい服に着替えている妹の千秋が立っていた。砂もきちんと落ちていて、千影がほっとしたのが律にも伝わった。
千秋は、自分には優しい両親が互いに罵倒しあう声を恐ろしがって、こうして兄を頼ってきたのだ。
千影は千秋の手を握って、自分の部屋ではなく千秋の部屋に向かった。
「ちぃ、さっきの痛かったな。ごめんな」
はじめて、記憶の中で千影の声を聴いた。
「痛くないよ。それにちぃ知ってるもん。おにいちゃん、ちぃにやさしいもん。意地悪なんてしないもん。さっきもね、お母さんにそう言ったの。でも信じてもらえなかった。おにいちゃん、ごめんね。ひとりぼっちで怖い怖いだったね」
千影がぐっと拳を握った。泣きそうになったが、ギリギリのところで兄の矜持を保ったのだろう。
「ちぃが謝ることじゃないよ」
「でもお兄ちゃんがごめんなさいも変だよ」
「じゃあもうこの話はおしまいにして遊ぼうか。何がしたい?」
兄に遊んでもらえると分かって、千秋はうきうきした様子でおもちゃ箱へ向かった。
今度は親子連れでにぎわうお昼時の公園に来ていた。
砂場で千影とよく似た女の子が遊んでいる。
律はすぐ近くで妹が砂のお城を作るのを手伝ってあげていた。これもまた千影の思い出だ。千影の思い出を千影の目線で見ているのだ。
(本当にかわいいんだな。妹さんのこと)
家族の中で唯一妹のことだけは話していたこと思い出す。
確かにかわいい。おにいちゃん見てと、だんごむしでも通りすがった野良猫でもなんでも兄に報告したがる。
千影が花壇で星の形をした石を見つけて持って行ってやると、お礼に砂のお団子をくれた。
今、この時だけは、世界が本来の色を取り戻したがって明滅している。千影にとっても楽しい思い出だったのだろうと思うと、律も嬉しかった。
だが、次の瞬間、楽しかった時間は凍り付く。
突如、トイレの裏の暗がりから生臭い臭いをともなって現れた黒い影。たとえではなく、本当に影が動いていた。
それはじわじわと妹ににじり寄る。
砂団子を手の中で転がしていた千影も、その不気味な気配に気づいたようだ。
その時にはすでに、影が妹にどろりと溶けた腕を伸ばしているところだった。
走っていったところで間に合わないと踏んだのか、千影は手にしていた砂団子を影めがけて投げつけた。
驚いて影は去っていくが、千影も突然のことでじっくり目標を定めることができなかった。
気が付くと、砂だらけになった妹が泣いていた。
顔の半分が特に汚れている。千影が投げた砂団子が直撃したのだと分かった。
妹の泣き声に血相を変えて飛んできた女性が、立ち尽くす千影の頬を張った。
「なんてことするの! 本当に貴方はお母さんのこと困らせてばっかりで! そんなに家族のことが嫌いなら、もううちの子じゃなくていいわ! どこへでも行きなさい!」
頭に血が上っていたのだろう。千影の母は千影の言い分も聞かず本当に置き去りにして、妹を抱いて帰ってしまった。
千影はほかの家族連れが帰って行っても、一人公園に取り残されていた。
何度か公園の入り口までは行くのだが、家に帰る勇気が出ずに引き返してしまう。
やがて千影は一人でブランコをこぎはじめた。鎖の擦れる音が、無人の公園に空しく響く。
(千影君……、)
記憶の中では手出しはできない。声をかけたところで届かない。分かっているからこそもどかしい。
ふいに、千影が顔をあげた。律も当時の千影と同じ光景を目の当たりにしてぞっとする。
先ほど妹を襲った黒い影がほぼ真上から千影を凝視していて、ないはずの目が合うと同時に千影の意識がぷっつり途絶えた。
(この時に憑りつかれたのか……)
律には分かったが、千影はどうして自分が自室に戻っているのか分からないみたいだった。多分、気絶したところを家族の誰かが迎えに来たのだろう。
倒れている千影を見て、何を思ったのか。少しくらいは反省してくれればいいのにと、律は考えてしまう。
千影はベッドから降りると、部屋の扉を開けた。
さっきまでかすかにしか聞こえなかった言い争いが、防壁を取り払ったことではっきりと聞こえてきた。
階下で、両親が喧嘩をしているようだ。
「だから、しつけだって何度も言ってるでしょ! あの子ったら、千秋に泥団子を投げつけたのよ? ああいう乱暴な所、いったい誰に似たのかしら」
「だからって置き去りにすることないだろ! 誘拐でもされたらどうするつもりだったんだ!」
「いっそのこと攫ってくれればいいのに……」
聞いている律ですら耳を疑う一言が飛び出し、おそらく千影の父親だろう人物も声を荒らげた。
「お前! なんてこと言うんだ! 千影だって俺たちの子供だろう!」
「あなたは家のことなんて何も知らないじゃない! あの子のせいで、うちが周りからどんな目で見られているか! 幽霊一家なんて呼ばれてんのよ! そのせいで、どこへ行っても肩身が狭いのよ! これから先、千秋が就学したらどうなるか。怖くてしょうがないわ!」
「霊感があるのは千影のせいじゃないだろう!」
「そのセリフ私より先に言う相手がいるんじゃなくって? 例えば、なんでも至らない嫁のせいにしたがる貴方のお母さんとか!」
「母さんは今関係ないだろう! 君こそいつもそうやって母さんを目の敵にするな!」
夫婦喧嘩はどんどん激しくなっていき、あたりの冷気も一層強くなった。……と、何かが千影の袖を控えめに引っ張る。
新しい服に着替えている妹の千秋が立っていた。砂もきちんと落ちていて、千影がほっとしたのが律にも伝わった。
千秋は、自分には優しい両親が互いに罵倒しあう声を恐ろしがって、こうして兄を頼ってきたのだ。
千影は千秋の手を握って、自分の部屋ではなく千秋の部屋に向かった。
「ちぃ、さっきの痛かったな。ごめんな」
はじめて、記憶の中で千影の声を聴いた。
「痛くないよ。それにちぃ知ってるもん。おにいちゃん、ちぃにやさしいもん。意地悪なんてしないもん。さっきもね、お母さんにそう言ったの。でも信じてもらえなかった。おにいちゃん、ごめんね。ひとりぼっちで怖い怖いだったね」
千影がぐっと拳を握った。泣きそうになったが、ギリギリのところで兄の矜持を保ったのだろう。
「ちぃが謝ることじゃないよ」
「でもお兄ちゃんがごめんなさいも変だよ」
「じゃあもうこの話はおしまいにして遊ぼうか。何がしたい?」
兄に遊んでもらえると分かって、千秋はうきうきした様子でおもちゃ箱へ向かった。
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
くまさんのマッサージ♡
はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。
2024.03.06
閲覧、お気に入りありがとうございます。
m(_ _)m
もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。
2024.03.10
完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m
今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。
2024.03.19
https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy
イベントページになります。
25日0時より開始です!
※補足
サークルスペースが確定いたしました。
一次創作2: え5
にて出展させていただいてます!
2024.10.28
11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。
2024.11.01
https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2
本日22時より、イベントが開催されます。
よろしければ遊びに来てください。
【完結】『ルカ』
瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。
倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。
クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。
そんなある日、クロを知る青年が現れ……?
貴族の青年×記憶喪失の青年です。
※自サイトでも掲載しています。
2021年6月28日 本編完結
転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
凶悪犯がお気に入り刑事を逆に捕まえて、ふわとろま●こになるまで調教する話
ハヤイもち
BL
連続殺人鬼「赤い道化師」が自分の事件を担当する刑事「桐井」に一目惚れして、
監禁して調教していく話になります。
攻め:赤い道化師(連続殺人鬼)19歳。180センチくらい。美形。プライドが高い。サイコパス。
人を楽しませるのが好き。
受け:刑事:名前 桐井 30過ぎから半ば。170ちょいくらい。仕事一筋で妻に逃げられ、酒におぼれている。顔は普通。目つきは鋭い。
※●人描写ありますので、苦手な方は閲覧注意になります。
タイトルで嫌な予感した方はブラウザバック。
※無理やり描写あります。
※読了後の苦情などは一切受け付けません。ご自衛ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる