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神影律の記憶
【9】
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また景色が変わる。
今度は親子連れでにぎわうお昼時の公園に来ていた。
砂場で千影とよく似た女の子が遊んでいる。
律はすぐ近くで妹が砂のお城を作るのを手伝ってあげていた。これもまた千影の思い出だ。千影の思い出を千影の目線で見ているのだ。
(本当にかわいいんだな。妹さんのこと)
家族の中で唯一妹のことだけは話していたこと思い出す。
確かにかわいい。おにいちゃん見てと、だんごむしでも通りすがった野良猫でもなんでも兄に報告したがる。
千影が花壇で星の形をした石を見つけて持って行ってやると、お礼に砂のお団子をくれた。
今、この時だけは、世界が本来の色を取り戻したがって明滅している。千影にとっても楽しい思い出だったのだろうと思うと、律も嬉しかった。
だが、次の瞬間、楽しかった時間は凍り付く。
突如、トイレの裏の暗がりから生臭い臭いをともなって現れた黒い影。たとえではなく、本当に影が動いていた。
それはじわじわと妹ににじり寄る。
砂団子を手の中で転がしていた千影も、その不気味な気配に気づいたようだ。
その時にはすでに、影が妹にどろりと溶けた腕を伸ばしているところだった。
走っていったところで間に合わないと踏んだのか、千影は手にしていた砂団子を影めがけて投げつけた。
驚いて影は去っていくが、千影も突然のことでじっくり目標を定めることができなかった。
気が付くと、砂だらけになった妹が泣いていた。
顔の半分が特に汚れている。千影が投げた砂団子が直撃したのだと分かった。
妹の泣き声に血相を変えて飛んできた女性が、立ち尽くす千影の頬を張った。
「なんてことするの! 本当に貴方はお母さんのこと困らせてばっかりで! そんなに家族のことが嫌いなら、もううちの子じゃなくていいわ! どこへでも行きなさい!」
頭に血が上っていたのだろう。千影の母は千影の言い分も聞かず本当に置き去りにして、妹を抱いて帰ってしまった。
千影はほかの家族連れが帰って行っても、一人公園に取り残されていた。
何度か公園の入り口までは行くのだが、家に帰る勇気が出ずに引き返してしまう。
やがて千影は一人でブランコをこぎはじめた。鎖の擦れる音が、無人の公園に空しく響く。
(千影君……、)
記憶の中では手出しはできない。声をかけたところで届かない。分かっているからこそもどかしい。
ふいに、千影が顔をあげた。律も当時の千影と同じ光景を目の当たりにしてぞっとする。
先ほど妹を襲った黒い影がほぼ真上から千影を凝視していて、ないはずの目が合うと同時に千影の意識がぷっつり途絶えた。
(この時に憑りつかれたのか……)
律には分かったが、千影はどうして自分が自室に戻っているのか分からないみたいだった。多分、気絶したところを家族の誰かが迎えに来たのだろう。
倒れている千影を見て、何を思ったのか。少しくらいは反省してくれればいいのにと、律は考えてしまう。
千影はベッドから降りると、部屋の扉を開けた。
さっきまでかすかにしか聞こえなかった言い争いが、防壁を取り払ったことではっきりと聞こえてきた。
階下で、両親が喧嘩をしているようだ。
「だから、しつけだって何度も言ってるでしょ! あの子ったら、千秋に泥団子を投げつけたのよ? ああいう乱暴な所、いったい誰に似たのかしら」
「だからって置き去りにすることないだろ! 誘拐でもされたらどうするつもりだったんだ!」
「いっそのこと攫ってくれればいいのに……」
聞いている律ですら耳を疑う一言が飛び出し、おそらく千影の父親だろう人物も声を荒らげた。
「お前! なんてこと言うんだ! 千影だって俺たちの子供だろう!」
「あなたは家のことなんて何も知らないじゃない! あの子のせいで、うちが周りからどんな目で見られているか! 幽霊一家なんて呼ばれてんのよ! そのせいで、どこへ行っても肩身が狭いのよ! これから先、千秋が就学したらどうなるか。怖くてしょうがないわ!」
「霊感があるのは千影のせいじゃないだろう!」
「そのセリフ私より先に言う相手がいるんじゃなくって? 例えば、なんでも至らない嫁のせいにしたがる貴方のお母さんとか!」
「母さんは今関係ないだろう! 君こそいつもそうやって母さんを目の敵にするな!」
夫婦喧嘩はどんどん激しくなっていき、あたりの冷気も一層強くなった。……と、何かが千影の袖を控えめに引っ張る。
新しい服に着替えている妹の千秋が立っていた。砂もきちんと落ちていて、千影がほっとしたのが律にも伝わった。
千秋は、自分には優しい両親が互いに罵倒しあう声を恐ろしがって、こうして兄を頼ってきたのだ。
千影は千秋の手を握って、自分の部屋ではなく千秋の部屋に向かった。
「ちぃ、さっきの痛かったな。ごめんな」
はじめて、記憶の中で千影の声を聴いた。
「痛くないよ。それにちぃ知ってるもん。おにいちゃん、ちぃにやさしいもん。意地悪なんてしないもん。さっきもね、お母さんにそう言ったの。でも信じてもらえなかった。おにいちゃん、ごめんね。ひとりぼっちで怖い怖いだったね」
千影がぐっと拳を握った。泣きそうになったが、ギリギリのところで兄の矜持を保ったのだろう。
「ちぃが謝ることじゃないよ」
「でもお兄ちゃんがごめんなさいも変だよ」
「じゃあもうこの話はおしまいにして遊ぼうか。何がしたい?」
兄に遊んでもらえると分かって、千秋はうきうきした様子でおもちゃ箱へ向かった。
今度は親子連れでにぎわうお昼時の公園に来ていた。
砂場で千影とよく似た女の子が遊んでいる。
律はすぐ近くで妹が砂のお城を作るのを手伝ってあげていた。これもまた千影の思い出だ。千影の思い出を千影の目線で見ているのだ。
(本当にかわいいんだな。妹さんのこと)
家族の中で唯一妹のことだけは話していたこと思い出す。
確かにかわいい。おにいちゃん見てと、だんごむしでも通りすがった野良猫でもなんでも兄に報告したがる。
千影が花壇で星の形をした石を見つけて持って行ってやると、お礼に砂のお団子をくれた。
今、この時だけは、世界が本来の色を取り戻したがって明滅している。千影にとっても楽しい思い出だったのだろうと思うと、律も嬉しかった。
だが、次の瞬間、楽しかった時間は凍り付く。
突如、トイレの裏の暗がりから生臭い臭いをともなって現れた黒い影。たとえではなく、本当に影が動いていた。
それはじわじわと妹ににじり寄る。
砂団子を手の中で転がしていた千影も、その不気味な気配に気づいたようだ。
その時にはすでに、影が妹にどろりと溶けた腕を伸ばしているところだった。
走っていったところで間に合わないと踏んだのか、千影は手にしていた砂団子を影めがけて投げつけた。
驚いて影は去っていくが、千影も突然のことでじっくり目標を定めることができなかった。
気が付くと、砂だらけになった妹が泣いていた。
顔の半分が特に汚れている。千影が投げた砂団子が直撃したのだと分かった。
妹の泣き声に血相を変えて飛んできた女性が、立ち尽くす千影の頬を張った。
「なんてことするの! 本当に貴方はお母さんのこと困らせてばっかりで! そんなに家族のことが嫌いなら、もううちの子じゃなくていいわ! どこへでも行きなさい!」
頭に血が上っていたのだろう。千影の母は千影の言い分も聞かず本当に置き去りにして、妹を抱いて帰ってしまった。
千影はほかの家族連れが帰って行っても、一人公園に取り残されていた。
何度か公園の入り口までは行くのだが、家に帰る勇気が出ずに引き返してしまう。
やがて千影は一人でブランコをこぎはじめた。鎖の擦れる音が、無人の公園に空しく響く。
(千影君……、)
記憶の中では手出しはできない。声をかけたところで届かない。分かっているからこそもどかしい。
ふいに、千影が顔をあげた。律も当時の千影と同じ光景を目の当たりにしてぞっとする。
先ほど妹を襲った黒い影がほぼ真上から千影を凝視していて、ないはずの目が合うと同時に千影の意識がぷっつり途絶えた。
(この時に憑りつかれたのか……)
律には分かったが、千影はどうして自分が自室に戻っているのか分からないみたいだった。多分、気絶したところを家族の誰かが迎えに来たのだろう。
倒れている千影を見て、何を思ったのか。少しくらいは反省してくれればいいのにと、律は考えてしまう。
千影はベッドから降りると、部屋の扉を開けた。
さっきまでかすかにしか聞こえなかった言い争いが、防壁を取り払ったことではっきりと聞こえてきた。
階下で、両親が喧嘩をしているようだ。
「だから、しつけだって何度も言ってるでしょ! あの子ったら、千秋に泥団子を投げつけたのよ? ああいう乱暴な所、いったい誰に似たのかしら」
「だからって置き去りにすることないだろ! 誘拐でもされたらどうするつもりだったんだ!」
「いっそのこと攫ってくれればいいのに……」
聞いている律ですら耳を疑う一言が飛び出し、おそらく千影の父親だろう人物も声を荒らげた。
「お前! なんてこと言うんだ! 千影だって俺たちの子供だろう!」
「あなたは家のことなんて何も知らないじゃない! あの子のせいで、うちが周りからどんな目で見られているか! 幽霊一家なんて呼ばれてんのよ! そのせいで、どこへ行っても肩身が狭いのよ! これから先、千秋が就学したらどうなるか。怖くてしょうがないわ!」
「霊感があるのは千影のせいじゃないだろう!」
「そのセリフ私より先に言う相手がいるんじゃなくって? 例えば、なんでも至らない嫁のせいにしたがる貴方のお母さんとか!」
「母さんは今関係ないだろう! 君こそいつもそうやって母さんを目の敵にするな!」
夫婦喧嘩はどんどん激しくなっていき、あたりの冷気も一層強くなった。……と、何かが千影の袖を控えめに引っ張る。
新しい服に着替えている妹の千秋が立っていた。砂もきちんと落ちていて、千影がほっとしたのが律にも伝わった。
千秋は、自分には優しい両親が互いに罵倒しあう声を恐ろしがって、こうして兄を頼ってきたのだ。
千影は千秋の手を握って、自分の部屋ではなく千秋の部屋に向かった。
「ちぃ、さっきの痛かったな。ごめんな」
はじめて、記憶の中で千影の声を聴いた。
「痛くないよ。それにちぃ知ってるもん。おにいちゃん、ちぃにやさしいもん。意地悪なんてしないもん。さっきもね、お母さんにそう言ったの。でも信じてもらえなかった。おにいちゃん、ごめんね。ひとりぼっちで怖い怖いだったね」
千影がぐっと拳を握った。泣きそうになったが、ギリギリのところで兄の矜持を保ったのだろう。
「ちぃが謝ることじゃないよ」
「でもお兄ちゃんがごめんなさいも変だよ」
「じゃあもうこの話はおしまいにして遊ぼうか。何がしたい?」
兄に遊んでもらえると分かって、千秋はうきうきした様子でおもちゃ箱へ向かった。
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