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神影律の記憶
【2】
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「だ、ダメだよ。今ここにはお客さんが泊っているんだって」
それも少し訳アリの人物だから、近づいてはならないと珍しく厳しい口調で言いつけられているのだ。
甘やかされているとはいえ、悪戯や悪さなどとは無縁の律だ。
父の真剣な顔が自分に向けられるのは初めての経験だったので、確かに律自身なんとなく気になってはいたのだが。
白猫は自分が通れるだけのわずかな隙間をつくると、律の制止も聞かずするりと身体を滑り込ませて部屋の中に入ってしまう。
「白猫に先を越されるなんて何たる不覚! 俺様も入るぞ!」
「あっ」
鳥が肩から飛び降りて、同じ隙間から同じく室内に突入してしまう。
「だ、ダメだってば……」
声では注意するものの、父の言いつけに縛られて律は前に進めない。と、室内から意外な声が聞こえてきた。
「うわっ、オウムだ! 白虎のお友達か?」
口数が少なく世間話すらめったにしない白猫が、室内の人物に本性を明かしていることにも驚いたが、何より声が子供のものだったので律は衝撃を受けた。
「お前、普通じゃねえな。俺様の本性もとっくに見抜いてんだろ?」
鳥が……朱雀が聞く。
「さすがに正体までは分からないけど……。うーん。白虎と一緒にいるなら朱雀ってところか?」
「正解だが、二度とこのクール気取りの猫と俺様をワンセットにするなよ。不愉快だ」
しかも、直接的ではないとはいえ朱雀の本性まで見抜いてしまった。一体何者なのだろう。気になってつい足が動きかける。
「どうやらただ者ではなさそうじゃのう。霊がなかなか離れていかないのも、白虎や朱雀が手懐けられたのも道理よな」
頭の上で亀が……玄武が冷静な声で言う。
さっきまでしんと静まり返っていて、人がいるかどうかすら分からなかった室内からは相変わらず明るい声が聞こえている。白虎や朱雀が、楽しそうなその声に答えていた。
たった障子一枚隔てた先に、いったい誰がいるのだろう。
律は一目その姿が見たくなってしまって、たまらなくなっていた。
だが、父の言いつけに背くなど、今までしたことがない。
でも気になる。この明るい笑い声の正体が。
おのずと、障子に手が伸びていた。律は好奇心に負けた。隔てる物が律自身の手で取り払われ、六畳の和室が露わになる。
部屋の中央には来客用の布団が敷かれ、そこに一人の子供が座っていた。
声だけで子供だと分かっていたが、姿を見てさらに驚いた。
その子の外見は、律とほとんど変わらない年頃だったのである。見た目通りの年齢なら、たぶん、ほぼ同い年だ。
「……誰だ?」
黒真珠のような瞳を瞬かせ、子供が律を見上げている。自分から開け放ったくせに、律は急にまごまごしながら答えた。
「え、えっと。律……。この家の子。入ってもいい?」
自己紹介の後に律が聞くと、子供はきょとんとした顔になった。もしかして拒まれるだろうか。ドキドキしながら待っていると、子供は急に声を立てて笑い出した。
「へんな遠慮するんだな。ここは君の家なんだろ?」
ひとしきり笑ってから、それだけで乱れてしまった呼吸を整えつつようやく質問の答えをくれる。
「入っていいよ。当たり前だろ」
長く悪霊にむしばまれ続けているために体力が著しく落ちているらしく、ちょっと笑っただけだというのに、もう顔色が悪くなっている。
よく見れば、布団から畳へと投げ出された手足は小枝のようにやせ細っていた。
元気そうに振舞っていても、相当衰弱しているのが手に取るようにわかる。
ただ不思議なのは、こうして面と向かっていても悪霊の気配を感じない事だった。
多分、身体の奥深くに隠れているのだろう。なかなか祓えないのはそうやって身を潜めて、呼びかけ自体に応じていないからだ。
そう感じた瞬間、律の中に不思議な感情が芽生えた。じゅわりと血が燃えるような。これはなんだろう。
「俺は千影」
「え?」
考え事をしていたせいで、律の反応は一拍遅れてしまった。千影と名乗った子供はまた笑い出す。
「ぼーっとしてた?」
「うん。ごめんね。でもちゃんと聞こえたから」
「ふーん?」
千影は律の弁明を怪しんでいるようで、しかしなぜか楽しそうに口角を上げた。
それも少し訳アリの人物だから、近づいてはならないと珍しく厳しい口調で言いつけられているのだ。
甘やかされているとはいえ、悪戯や悪さなどとは無縁の律だ。
父の真剣な顔が自分に向けられるのは初めての経験だったので、確かに律自身なんとなく気になってはいたのだが。
白猫は自分が通れるだけのわずかな隙間をつくると、律の制止も聞かずするりと身体を滑り込ませて部屋の中に入ってしまう。
「白猫に先を越されるなんて何たる不覚! 俺様も入るぞ!」
「あっ」
鳥が肩から飛び降りて、同じ隙間から同じく室内に突入してしまう。
「だ、ダメだってば……」
声では注意するものの、父の言いつけに縛られて律は前に進めない。と、室内から意外な声が聞こえてきた。
「うわっ、オウムだ! 白虎のお友達か?」
口数が少なく世間話すらめったにしない白猫が、室内の人物に本性を明かしていることにも驚いたが、何より声が子供のものだったので律は衝撃を受けた。
「お前、普通じゃねえな。俺様の本性もとっくに見抜いてんだろ?」
鳥が……朱雀が聞く。
「さすがに正体までは分からないけど……。うーん。白虎と一緒にいるなら朱雀ってところか?」
「正解だが、二度とこのクール気取りの猫と俺様をワンセットにするなよ。不愉快だ」
しかも、直接的ではないとはいえ朱雀の本性まで見抜いてしまった。一体何者なのだろう。気になってつい足が動きかける。
「どうやらただ者ではなさそうじゃのう。霊がなかなか離れていかないのも、白虎や朱雀が手懐けられたのも道理よな」
頭の上で亀が……玄武が冷静な声で言う。
さっきまでしんと静まり返っていて、人がいるかどうかすら分からなかった室内からは相変わらず明るい声が聞こえている。白虎や朱雀が、楽しそうなその声に答えていた。
たった障子一枚隔てた先に、いったい誰がいるのだろう。
律は一目その姿が見たくなってしまって、たまらなくなっていた。
だが、父の言いつけに背くなど、今までしたことがない。
でも気になる。この明るい笑い声の正体が。
おのずと、障子に手が伸びていた。律は好奇心に負けた。隔てる物が律自身の手で取り払われ、六畳の和室が露わになる。
部屋の中央には来客用の布団が敷かれ、そこに一人の子供が座っていた。
声だけで子供だと分かっていたが、姿を見てさらに驚いた。
その子の外見は、律とほとんど変わらない年頃だったのである。見た目通りの年齢なら、たぶん、ほぼ同い年だ。
「……誰だ?」
黒真珠のような瞳を瞬かせ、子供が律を見上げている。自分から開け放ったくせに、律は急にまごまごしながら答えた。
「え、えっと。律……。この家の子。入ってもいい?」
自己紹介の後に律が聞くと、子供はきょとんとした顔になった。もしかして拒まれるだろうか。ドキドキしながら待っていると、子供は急に声を立てて笑い出した。
「へんな遠慮するんだな。ここは君の家なんだろ?」
ひとしきり笑ってから、それだけで乱れてしまった呼吸を整えつつようやく質問の答えをくれる。
「入っていいよ。当たり前だろ」
長く悪霊にむしばまれ続けているために体力が著しく落ちているらしく、ちょっと笑っただけだというのに、もう顔色が悪くなっている。
よく見れば、布団から畳へと投げ出された手足は小枝のようにやせ細っていた。
元気そうに振舞っていても、相当衰弱しているのが手に取るようにわかる。
ただ不思議なのは、こうして面と向かっていても悪霊の気配を感じない事だった。
多分、身体の奥深くに隠れているのだろう。なかなか祓えないのはそうやって身を潜めて、呼びかけ自体に応じていないからだ。
そう感じた瞬間、律の中に不思議な感情が芽生えた。じゅわりと血が燃えるような。これはなんだろう。
「俺は千影」
「え?」
考え事をしていたせいで、律の反応は一拍遅れてしまった。千影と名乗った子供はまた笑い出す。
「ぼーっとしてた?」
「うん。ごめんね。でもちゃんと聞こえたから」
「ふーん?」
千影は律の弁明を怪しんでいるようで、しかしなぜか楽しそうに口角を上げた。
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