白蜘蛛探偵事務所

葉薊【ハアザミ】

文字の大きさ
上 下
33 / 86
神影律の記憶

【1】

しおりを挟む
 気が付くと暗闇の中に浮かんでいた。

 四方八方どこを見ても暗黒が広がるばかりで、どれほどの広さがあるのか目視だけでは把握することができない。

 勇敢な性質なら、歩き回って確認したりもするんだろうが、あいにくとここには臆病者しかいなかった。

 臆病者は、光は届かないがあたたかなこの暗闇に留まることを決め、膝を抱えて座っている。

 胸の内にあるのは不安でも絶望でもなかった。

 あるのは喪失感と悔恨だけ。

 青年は暗闇に包まれながら回顧かいこする。どういう経緯で自分はここにたどり着いたのか。


 市街地を外れしばらくのどかなあぜ道を進むと、気高い霊山を背景に佇む拝殿が見える。神影家はこの拝殿のほど近くに住居を構えていた。

 神主一家五人のほか、毎年実習生やら神職希望の人々が宿泊するため、二棟の家屋が建ち、渡殿わたどのでつながっている。

 渡殿からは砂利を敷き詰め、草木で彩った庭園が見える。

 庭園には池を渡す反り橋がかけられており、りつはこの橋から池を泳ぐ錦鯉にしぎごいを眺めることが好きだった。

 やがて一生涯の不自由を強いられる彼に、ああしろこうしろと口喧しく指図する人間は存在しない。

 その時が来るまではなるべく自由に、安全に生きていてほしいというのが家族の総意だった。

 だが律が何をしても、反対に何もしなくとも、口出しをしないのは人間に限った話である。

 彼らの肩やら頭やらを椅子替わりにしている動物たちはそうはいかなかった。

「律、おぬしせっかく強い霊力を持って生まれたのじゃから、少しはれつたちを手伝ってはどうじゃ?」

 烈というのは、律の父親であり現在の宮司でもある。先祖代々、男児には漢字一文字の名前を付けるのが神影家のしきたりなのである。

 頭の上に乗っかっている手のひらサイズのかめに平たい手でぽてぽて頭を叩かれ、律は億劫そうにため息を吐いた。

「嫌だよ。幽霊なんて怖いもの」

 神職の家に生を受け、生まれながらに霊視の能力を持っていたとしても、怖いものは怖いのだ。

 幼少期から身近にあったら怖くなくなるというのなら、この世に虫嫌いも猫嫌いも犬嫌いも存在しないはずだ。

「やれやれ、実力はあるってのに本人がこれじゃ宝の持ち腐れだな」

 今度は肩に乗っているオウムほどの大きさの鳥が、自慢の真っ赤な羽を整えながら言った。

「家族そろってお前を甘やかしたツケだな。どいつもこいつもお前に寛大すぎる。なあ、白猫。お前もそう思うだろ?」

 同意を求めて足元を見るが、そこには誰もいなかった。

「あれ、アイツどこ行った?」

 一緒にいると突っかかってばかりのくせに、鳥はわざわざ橋の上に降りてぴょこぴょこ飛び跳ね移動しながら好敵手ライバルを探しはじめる。

「ふむ。白虎びゃっこが単独行動とは珍しいこともあるもんじゃのう」

 頭の上で、亀が律と同じ疑問を抱いた。

 ライバルである鳥の矢継ぎ早の罵倒すら涼しい顔で躱して、優雅に毛づくろいをするようなクールなタイプなのだ。

「なんだよ、あいつ。まさかドジ踏んで池におっこちたんじゃねえだろうな」

 鳥が池をのぞき込もうと、てんてん跳ねて橋のすみっこにたどり着いた時。

「お前じゃあるまいし、そんなドジを踏むものか」

「うひゃあっ」

 急に横合いから返事が来て、驚いた鳥が池に落っこちそうになる。

 まるでそうなることが分かっていたかのように、軽やかに跳躍した猫が尾羽を噛んで引っ張り上げた。

「ほらみろ。落っこちそうなのはどっちだ」

「お前が急に声をかけたりするからびっくりしたんだろうが! 俺様の自慢の羽を噛むな! 汚れる!」

「助けてやったのに礼もなしか。相変わらずおしゃべりの癖に礼儀を知らない」

「もとはと言えばお前のせいなんだっつーの!」

「ところで、律。お前に会わせたい人間がいる。ついてこい」

「え……僕に?」

「無視かよ! この冷酷猫!」

 手短に用件だけ告げると、白猫は戸惑う律もぎゃあぎゃあ鳴く鳥も置き去りにして踵を返してしまう。

 不思議に思いつつも猫のあとを追ってみると、たどり着いたのは普段実習生たちが寝泊まりする別棟の建物だった。

 軽々縁側に飛び乗ると、鼻づらを使って器用に襖を開くので、律は慌てて猫を止めた。
しおりを挟む

処理中です...