白蜘蛛探偵事務所

葉薊【ハアザミ】

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第一話:探し物

【30】

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「あ……」

 それから、どれだけの時間が経ったのだろう。やにわに寿幸の声が沈黙をやぶった。

 寿幸が背後を振り返る。一美もつられて視線をやれば、薄闇の中に赤い光が瞬いて分厚い雲の中に入っていくところだった。

 虎太郎の魂が向かうべき場所へ向かった証拠だ。同時に、今回の件にも千影が一枚噛んでいたことへの証明でもある。

 遠目からでもはっきりわかる。あれは、千影の使役する蝶だ。

「やっぱり千影君の力でしたね」

「そうだねえ。やれやれ、今回はいったい何頭使ったんだか……」

 陽が肉体を奪われた場所……、あの公園には幽霊の噂など立ったことがなかった。

 それが、急に霊感のない者にまで視認できるようになるなんて、強い悪心にとらわれて悪霊にでもならない限りありえない。

 千影が虎太郎に力を与え、その後もこっそり協力していたのだ。

「ただいま戻りましたー!」

 よくとおる声が静寂を破り、軽やかな足音がのんびりした足音を二つ引きつれて近づいてくる。

 陽は無事肉体を取り戻したようだ。その目じりに涙の粒が見え、一美はついじっと見つめてしまった。

 視線に気づいた陽が目を擦り、「おれが泣いたわけじゃないですよ」と笑う。

 次いでやって来た要が寿幸たちに会釈して、もう一人、水橋も現れ姿勢を正した。

「話は周防たちから聞きました。探偵さん、先ほどは大変失礼いたしました」

 水橋の声は先ほどに比べて鼻声になっていた。自分でも気づいたのか、すんと鼻を啜ってから深く頭を下げる。

「ありがとうございます。おかげでコタ……虎太郎と話すことが出来ました」

 顔を上げた水橋の手にお守りが握られていることに気付き、一美は思わずほっと息を吐いた。虎太郎は無事に水橋との約束を果たすことが出来たのだ。

「怪しまれるのも仕事のうちですから。あと、この子らもちゃんと家の近くまで送り届けるのでご心配なく」

「何から何まですみません。依頼料は俺の方からお支払いしますので」

 どうやらあらかじめ三人の間でやりとりが行われたらしく、要たちは口をはさむことはしなかった。ただ要はほんの少し申し訳なさそうにしている。

「じゃ、気が向いた時にでも連絡よろしく。一応名刺に連絡先も記載してあるんで」

 まだ仕事が残っているらしい水橋との会話を、寿幸は手短に終わらせた。再び校舎に戻っていく水橋は、何度も何度も寿幸に頭を下げながら、ようやく昇降口に入った。

 陽の学生という立場もあって長引かせることは許されない事件だったが、どうにか大事になる前に解決までこぎつけることが出来た。

「んじゃ、そろそろ帰りますかね。夕飯食ってからで平気? 平気ならご馳走するからちゃちゃっとカフェか事務所で済ませようか」

 時間帯的に夕食時である。育ち盛りの二人は歩き回ったこともあってさぞ空腹だろう。

「ほんとーですか? やった! 要、行こうよ!」

「お前な。少しは遠慮しろよ」

 端から乗り気な陽を要があきれ顔で窘める。たった一日だが、すっかり見慣れた光景に思えた。

「えー、だっておれまだマスターのごはん食べてないし! 要ばっか狡いじゃん!」

「また日を改めて行けばいい話だろうが」

「ええー、今日が良い。もうそういう口になってるもん」

「どういう口だよ」

「それに俺がもう一件お仕事を頑張ればいい話でもあるよね」

 寿幸が楽しそうに口をはさむと、陽が便乗した。

「ですよね! 寿幸探偵の名推理、直接見られないのは残念だけど応援してます!」

「お前が言うな」

 調子がいい陽の発言に、すかさず要がツッコミを入れる。

「まあまあ。一応マスターにも事件が解決したこと伝えとかないといけないからね。怒らせるととんでもなく怖いから。俺を助けると思って一緒においで」

 遠慮していた要も、寿幸の言葉でやっと納得した様子だった。

 ちなみに寿幸が言った「怒らせると怖い」というのは決して冗談ではない。機嫌を損ねると神罰が下るのだから、本当におっかないのだ。

 とにもかくにも意見が揃ったところで、一行は一路カフェを目指して歩き出した。

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