白蜘蛛探偵事務所

葉薊【ハアザミ】

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第一話:探し物

【27】

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 まぶたの裏が赤く染まり、死を覚悟した彼女だったが、うめき声をあげたのは男の方だった。

 思わず目を開けた彼女はそのまま瞠目した。

 目の前には何とも不気味な、しかしどこか妖美な光景が広がっている。

 無数の蝶が、男のまわりにたかっていた。血のシミのような模様が入った奇妙な蝶が、どこからともなく現れ、彼女を守ったのである。

 飲み込めない事態に呆然と立ち尽くす彼女の前に、青年が立ちはだかった。

 制服こそ見覚えがあったが、頬に沿うように切り揃えた髪型にも、零れ落ちそうなほど大きな瞳にも見覚えはない。

 青年は呆ける彼女に微笑みかけると、後ろを振り返った。

『もうこれ以上、罪を重ねるのはやめてください』

(え……?)

 顔は知らない。だが、声には聞き覚えがあった。

 会話をしたのはたった一度きり。それでも忘れることのできない声。行方不明になったはずの佐伯 虎太郎の声だった。

 そんなはずはないのに、でも彼女は分かった。彼は佐伯 虎太郎だ。

「な、なんだ。お前は……」

『覚えてないんですね。僕のこと。僕ははっきり覚えています。五年前の雨の日に貴方が女性を殺めたことも、僕の首を絞めたことも』

 そういって自分の首元に触れるが、そこには傷一つない綺麗な肌があるのみだ。

「な、なにを言って……」

 突如現れた不気味な少年に睨まれ、男は後ずさった。しかし、男の後方から新たに人影が現れる。足音に気付いた男が振り向き、そして絶望の表情を浮かべた。

「まさか、貴様が妖狐だったとはな」

 見た目は中学生くらいにしか見えない。

 しかし、刃物を握る男を前にしても怯むことすらなく、堂々と立つ姿からは威厳と経験を感じられた。

「な、何の話ですか。刑事さん……。言ってる意味が」

 男は中学生くらいの彼を刑事と呼んだ。警察官なのだ。だから、暴漢を前にしても物怖じ一つしないのだ。

「この期に及んでしらばっくれるか。自分で害しておきながら被害者ぶって堂々と現場に戻ってくる大胆さといい、ずいぶん図太い神経をしている」

「犯人は現場に戻ってくるとよく言いますからね。それより先輩、とりあえず婦女暴行の現行犯未遂でしょっぴいちゃいましょうよ」

「そうだな。つもる話は取調室でじっくりしようじゃないか」

 窮地に立たされた男が逃走を図ろうと、迷わず小柄な男の方へと駆け寄る。体当たりでもして退路を作るはずだったのだろうが、あっという間に返り討ちにあい、次の瞬間には地面に組み付されていた。

「ふん。俺程度なら吹き飛ばせるとでも思ったか? これに懲りたら二度と人を見た目で判断しないことだ」

 自分より体の大きな男をやすやすと押さえつけて小柄の男が忠告する。なんだか青筋が立っているようにも見える彼の方に、長躯の男が手を置いた。

「まあいいじゃないですか。その小さい身体で敵を油断させるのは先輩のオハコでしょ?」

「そんなつもりはない。それより、」

「はいはい。十八時五十三分被疑者確保と」

 腕時計を確認しつつ、取り押さえられている男の手に長身の方の男が手錠をかける。

 そのまま男は警察官に連行されていったが、入れ替わりに今度は新たに三人組が近づいてきた。

 見覚えのある容貌に彼女は目を剥く。三人組はさっきカフェで虎太郎の話をしていた人たちと雰囲気が似ていた。

「今度はきちんと報告しろよ」

「わかってますよ。根に持つなあ」

「嫌なら根に持たせるな」

 驚いたことに、彼らは警察と知り合いらしい。すれ違いざまに何やら釘を差されたらしいくせ毛の男が、さも面倒そうに応じている。

 その背後には女性に見紛うほど綺麗な男。長い髪をうなじに近い位置で一つに結ぶ様は神社で見かける巫女を彷彿させた。

 もう一人は目つきの鋭い高校生だった。彼女……いや、彼女の前に立つ青年を見て怒っているような驚いているような悲しんでいるような複雑な表情を浮かべている。

「さてと、じゃあみんな揃ったところでね」

 くせ毛の男が手を叩くと、のんびりした口調だったにも関わらず不思議と場が引き締まった。
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