上 下
11 / 86
第一話:探し物

【10】

しおりを挟む
 麗子はまだ完全には立ち直ってはいない様子だったが、血走っていた目は本来の白さを取り戻し、去り行く寿幸たちに頭を下げ続けて見送っていた。

「彼女、大丈夫でしょうか」

「さあねえ」

 それでもやはり、不安が頭をもたげてくる。一美がつい胸に浮かんだ不安を口にすると、隣からは無責任ともとれる反応が来る。

「あとは自分の気持ち次第だからなんともいえないけど、とりあえず早々に後を追うってことはないんじゃない?」

「そうでしょうか」

 憑りつかれているような狂気は消えたが、それでも精神的に憔悴していることに変わりはない。

「誰もかれもが家族想いな一家みたいだったからね。我が子との約束を守るためには生きていかなくちゃ。そうやって生きながらえているうち義務が楽しみに変わるといいねえ」

 それを見越して約束を取り付けたのだとしたら、五郎少年は目を見張るほどの知恵の持ち主だ。

 あの幼さで自分のことより母親を気遣うような子だから、ありえない話ではない。

「それに周りの人も放っておかないでしょ。公園マダムズたちも言ってたでしょ? あそこの大家さん、おせっかいなくらい面倒見がいいって。だから大丈夫だよ」

 麗子を取り巻く人々の話は、事件に直接的な関係はないと一美は思い込んでいたが、寿幸はきちんと記憶していたらしい。

 それに、寿幸の言う通りだ。これ以上、一美たちが気を揉んだところで出来ることなどない。

 あとは、彼女の周りの人々が、見守って、時に手を差し伸べてくれるだろう。

「そうですね」

 ならばもう、これ以上は悩むまい。そう思って、一美は気持ちを切り替えた。ちょうど商店街に差し掛かったところである。

「今日の夕飯は何にしましょうか」

 日はとうに暮れて、商店街にもちらほらと仕事帰りのサラリーマンやOLの姿が見られるようになった。

 この辺りはオフィス街に近い上、すぐ近くに下町の情緒も残しているので、独り身で通勤時間を短縮したくて、さらに癒しを求めている若者たちにひそかに人気があったりする。

 そんな若者たちのために、商店街も昔から変わらない良心的な値段設定と豊富な品揃えを貫いているので、一人暮らしあるあるの栄養が偏るという問題も起こりにくい。

「そうだねえ。魚がいいかな」

「じゃあ、大根が余っているのでぶり大根にしましょうか。魚屋さんによりましょう」

 生姜もこの間春巻きに使った残りがあるはずだから、主役のブリだけ購入すれば一品出来上がる。あとは適当につまめる副菜とみそ汁があればいいだろう。

 頭の中でメインのおかずに合う食材を考えていたら、隣から笑い交じりの声が聞こえた。

「いつも悪いねえ。ご飯の支度任せきりで」

「大丈夫です。むしろ寿幸さんは台所に立たないでもらった方がいいので」

「いやあ、面目ない。どうにも食材の機嫌を損ねちゃうんだよねえ。きっと前世に因縁があるんだろうね」

 仕事はできるのだが、彼はどうにも料理との相性が悪いのである。一美はそれを身をもって経験しているので、必死に料理を覚えた。

 そうしなければ一美は今でも寿幸が作った石炭みたいに黒焦げななにかを食べて生活していただろう。

「何言ってるんですか。単に苦手ってだけですよ」

 寿幸の冗談を笑いながら帰路に就く。一美にとってこれ以上の幸福な瞬間はないのである。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

帝国皇子のお婿さんになりました

クリム
BL
 帝国の皇太子エリファス・ロータスとの婚姻を神殿で誓った瞬間、ハルシオン・アスターは自分の前世を思い出す。普通の日本人主婦だったことを。  そして『白い結婚』だったはずの婚姻後、皇太子の寝室に呼ばれることになり、ハルシオンはひた隠しにして来た事実に直面する。王族の姫が19歳まで独身を貫いたこと、その真実が暴かれると、出自の小王国は滅ぼされかねない。 「それなら皇太子殿下に一服盛りますかね、主様」 「そうだね、クーちゃん。ついでに血袋で寝台を汚してなんちゃって既成事実を」 「では、盛って服を乱して、血を……主様、これ……いや、まさかやる気ですか?」 「うん、クーちゃん」 「クーちゃんではありません、クー・チャンです。あ、主様、やめてください!」  これは隣国の帝国皇太子に嫁いだ小王国の『姫君』のお話。

あなたが好きでした

オゾン層
BL
 私はあなたが好きでした。  ずっとずっと前から、あなたのことをお慕いしておりました。  これからもずっと、このままだと、その時の私は信じて止まなかったのです。

出戻り聖女はもう泣かない

たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。 男だけど元聖女。 一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。 「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」 出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。 ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。 表紙絵:CK2さま

この愛のすべて

高嗣水清太
BL
 「妊娠しています」  そう言われた瞬間、冗談だろう?と思った。  俺はどこからどう見ても男だ。そりゃ恋人も男で、俺が受け身で、ヤることやってたけど。いきなり両性具有でした、なんて言われても困る。どうすればいいんだ――。 ※この話は2014年にpixivで連載、2015年に再録発行した二次小説をオリジナルとして少し改稿してリメイクしたものになります。  両性具有や生理、妊娠、中絶等、描写はないもののそういった表現がある地雷が多い話になってます。少し生々しいと感じるかもしれません。加えて私は医学を学んだわけではありませんので、独学で調べはしましたが、両性具有者についての正しい知識は無いに等しいと思います。完全フィクションと捉えて下さいますよう、お願いします。

美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした

亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。 カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。 (悪役モブ♀が出てきます) (他サイトに2021年〜掲載済)

当たって砕けていたら彼氏ができました

ちとせあき
BL
毎月24日は覚悟の日だ。 学校で少し浮いてる三倉莉緒は王子様のような同級生、寺田紘に恋をしている。 教室で意図せず公開告白をしてしまって以来、欠かさずしている月に1度の告白だが、19回目の告白でやっと心が砕けた。 諦めようとする莉緒に突っかかってくるのはあれ程告白を拒否してきた紘で…。 寺田絋 自分と同じくらいモテる莉緒がムカついたのでちょっかいをかけたら好かれた残念男子 × 三倉莉緒 クールイケメン男子と思われているただの陰キャ そういうシーンはありませんが一応R15にしておきました。 お気に入り登録ありがとうございます。なんだか嬉しいので載せるか迷った紘視点を追加で投稿します。ただ紘は残念な子過ぎるので莉緒視点と印象が変わると思います。ご注意ください。 お気に入り登録100ありがとうございます。お付き合いに浮かれている二人の小話投稿しました。

溺愛

papiko
BL
長い間、地下に名目上の幽閉、実際は監禁されていたルートベルト。今年で20年目になる檻の中での生活。――――――――ついに動き出す。 ※やってないです。 ※オメガバースではないです。 【リクエストがあれば執筆します。】

モブオメガはただの脇役でいたかった!

天災
BL
 モブオメガは脇役でいたかった!

処理中です...