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第一話:探し物
【10】
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麗子はまだ完全には立ち直ってはいない様子だったが、血走っていた目は本来の白さを取り戻し、去り行く寿幸たちに頭を下げ続けて見送っていた。
「彼女、大丈夫でしょうか」
「さあねえ」
それでもやはり、不安が頭をもたげてくる。一美がつい胸に浮かんだ不安を口にすると、隣からは無責任ともとれる反応が来る。
「あとは自分の気持ち次第だからなんともいえないけど、とりあえず早々に後を追うってことはないんじゃない?」
「そうでしょうか」
憑りつかれているような狂気は消えたが、それでも精神的に憔悴していることに変わりはない。
「誰もかれもが家族想いな一家みたいだったからね。我が子との約束を守るためには生きていかなくちゃ。そうやって生きながらえているうち義務が楽しみに変わるといいねえ」
それを見越して約束を取り付けたのだとしたら、五郎少年は目を見張るほどの知恵の持ち主だ。
あの幼さで自分のことより母親を気遣うような子だから、ありえない話ではない。
「それに周りの人も放っておかないでしょ。公園マダムズたちも言ってたでしょ? あそこの大家さん、おせっかいなくらい面倒見がいいって。だから大丈夫だよ」
麗子を取り巻く人々の話は、事件に直接的な関係はないと一美は思い込んでいたが、寿幸はきちんと記憶していたらしい。
それに、寿幸の言う通りだ。これ以上、一美たちが気を揉んだところで出来ることなどない。
あとは、彼女の周りの人々が、見守って、時に手を差し伸べてくれるだろう。
「そうですね」
ならばもう、これ以上は悩むまい。そう思って、一美は気持ちを切り替えた。ちょうど商店街に差し掛かったところである。
「今日の夕飯は何にしましょうか」
日はとうに暮れて、商店街にもちらほらと仕事帰りのサラリーマンやOLの姿が見られるようになった。
この辺りはオフィス街に近い上、すぐ近くに下町の情緒も残しているので、独り身で通勤時間を短縮したくて、さらに癒しを求めている若者たちにひそかに人気があったりする。
そんな若者たちのために、商店街も昔から変わらない良心的な値段設定と豊富な品揃えを貫いているので、一人暮らしあるあるの栄養が偏るという問題も起こりにくい。
「そうだねえ。魚がいいかな」
「じゃあ、大根が余っているのでぶり大根にしましょうか。魚屋さんによりましょう」
生姜もこの間春巻きに使った残りがあるはずだから、主役のブリだけ購入すれば一品出来上がる。あとは適当につまめる副菜とみそ汁があればいいだろう。
頭の中でメインのおかずに合う食材を考えていたら、隣から笑い交じりの声が聞こえた。
「いつも悪いねえ。ご飯の支度任せきりで」
「大丈夫です。むしろ寿幸さんは台所に立たないでもらった方がいいので」
「いやあ、面目ない。どうにも食材の機嫌を損ねちゃうんだよねえ。きっと前世に因縁があるんだろうね」
仕事はできるのだが、彼はどうにも料理との相性が悪いのである。一美はそれを身をもって経験しているので、必死に料理を覚えた。
そうしなければ一美は今でも寿幸が作った石炭みたいに黒焦げななにかを食べて生活していただろう。
「何言ってるんですか。単に苦手ってだけですよ」
寿幸の冗談を笑いながら帰路に就く。一美にとってこれ以上の幸福な瞬間はないのである。
「彼女、大丈夫でしょうか」
「さあねえ」
それでもやはり、不安が頭をもたげてくる。一美がつい胸に浮かんだ不安を口にすると、隣からは無責任ともとれる反応が来る。
「あとは自分の気持ち次第だからなんともいえないけど、とりあえず早々に後を追うってことはないんじゃない?」
「そうでしょうか」
憑りつかれているような狂気は消えたが、それでも精神的に憔悴していることに変わりはない。
「誰もかれもが家族想いな一家みたいだったからね。我が子との約束を守るためには生きていかなくちゃ。そうやって生きながらえているうち義務が楽しみに変わるといいねえ」
それを見越して約束を取り付けたのだとしたら、五郎少年は目を見張るほどの知恵の持ち主だ。
あの幼さで自分のことより母親を気遣うような子だから、ありえない話ではない。
「それに周りの人も放っておかないでしょ。公園マダムズたちも言ってたでしょ? あそこの大家さん、おせっかいなくらい面倒見がいいって。だから大丈夫だよ」
麗子を取り巻く人々の話は、事件に直接的な関係はないと一美は思い込んでいたが、寿幸はきちんと記憶していたらしい。
それに、寿幸の言う通りだ。これ以上、一美たちが気を揉んだところで出来ることなどない。
あとは、彼女の周りの人々が、見守って、時に手を差し伸べてくれるだろう。
「そうですね」
ならばもう、これ以上は悩むまい。そう思って、一美は気持ちを切り替えた。ちょうど商店街に差し掛かったところである。
「今日の夕飯は何にしましょうか」
日はとうに暮れて、商店街にもちらほらと仕事帰りのサラリーマンやOLの姿が見られるようになった。
この辺りはオフィス街に近い上、すぐ近くに下町の情緒も残しているので、独り身で通勤時間を短縮したくて、さらに癒しを求めている若者たちにひそかに人気があったりする。
そんな若者たちのために、商店街も昔から変わらない良心的な値段設定と豊富な品揃えを貫いているので、一人暮らしあるあるの栄養が偏るという問題も起こりにくい。
「そうだねえ。魚がいいかな」
「じゃあ、大根が余っているのでぶり大根にしましょうか。魚屋さんによりましょう」
生姜もこの間春巻きに使った残りがあるはずだから、主役のブリだけ購入すれば一品出来上がる。あとは適当につまめる副菜とみそ汁があればいいだろう。
頭の中でメインのおかずに合う食材を考えていたら、隣から笑い交じりの声が聞こえた。
「いつも悪いねえ。ご飯の支度任せきりで」
「大丈夫です。むしろ寿幸さんは台所に立たないでもらった方がいいので」
「いやあ、面目ない。どうにも食材の機嫌を損ねちゃうんだよねえ。きっと前世に因縁があるんだろうね」
仕事はできるのだが、彼はどうにも料理との相性が悪いのである。一美はそれを身をもって経験しているので、必死に料理を覚えた。
そうしなければ一美は今でも寿幸が作った石炭みたいに黒焦げななにかを食べて生活していただろう。
「何言ってるんですか。単に苦手ってだけですよ」
寿幸の冗談を笑いながら帰路に就く。一美にとってこれ以上の幸福な瞬間はないのである。
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