白蜘蛛探偵事務所

葉薊【ハアザミ】

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第一話:探し物

【6】

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 千影は相変わらずわざと寿幸を挑発するように、大仰おうぎょうな身振り手振りをとともに話した。

 いや、ようにではない。

 実際に挑発しているのだ。そうして幾度となく、敵対するふりをして寿幸に遠回しにヒントを与える。

「千影。君の親切心を否定したくはないけど、分かってるよね。蝶が得た力はやがて君自身に還元される。蝶の力が増幅すればするほど、君の自我は飲み込まれていくんだ。善霊であっても、未練がある限りは結果的に蝶の栄養になってしまうんだよ」

 寿幸は何度となく伝えた妖の恐ろしさを再び千影に伝えた。千影はしつこいとでも言いたげにため息を吐いてから反論する。

「そんなこと知ってるって。俺だって、何の知識もなしに役目を変わったわけじゃないんだからな。でも、今の俺にできるのはこのくらいしかないんだから、しょうがないだろ?」

「君にできることは、今からでも神影家に戻って保護してもらうことだ。神影家の敷居が高いっていうなら、神代家でも構わない。ともかく、君一人で抱え込んでいたら、そのうち本当に君は食われてしまう」

「無理。どっちにも帰れない。帰ったところで、意味がない」

 同じ呪いの片割れを引き継いだ一美には、千影の気持ちがよく分かる。

 一美の呪いは定期的に寿幸が封じてくれるが、千影の場合はそうではないのだ。ほぼ野放しの状態で、いつ何時、寿幸の言う通り呪いに自我を食われてしまうかわからない状態である。

 それならば、自我が途切れる瞬間まで、自分にできることをしたいと望んで行動することは不思議なことではない。一美だって、千影の立場ならば同じ道を選んだ。

『お兄ちゃん……』

 互いに譲らない論争を繰り広げていると、弱弱しい声が下方から上った。見れば、千影の傍らでおろおろしていた少年が、心配そうに千影を見上げている。

『お兄ちゃん、食べられちゃうの? 僕のせい?』

 すべてを理解することはできなくとも、断片的に聞き取った単語から、自責の念にかられてしまったようだ。

 いたいけな五郎少年に千影はわざわざしゃがみ込んで答える。

「大丈夫。お兄ちゃんはつよいからな。食べられたりなんかしないぞ」

『本当に?』

「本当だ」

 わざと明るく言って見せた後、千影は寿幸を横目に見てにやりと笑った。

 童顔で愛嬌があるため、悪辣あくらつというよりかは悪戯いたずらを思いついた子供のように見える。

 そして、五郎少年に何事か耳打ちする。

 いったい何を伝えたのか、五郎少年は寿幸のほうを怯える顔で見た後、脱兎のごとく駆け出してしまった。

「あーあ……なんてことを。こっちは今まさに坂道上ってきてへとへとだっていうのに」

 寿幸がうんざりした様子で天を仰ぐ。

 そんな寿幸の反応を面白がるように、千影は明るく笑った。とても呪いにむしばまれているとは思えない純粋な笑顔で。

「さあ、急がないと見失っちゃうぞ。あっちは捕まったらお祓いされちゃうと思ってるから本気で逃げると思うけど、ちゃんと捕まえられるか? なんだったら、誰か味方につけたほうが良いかもな」

 機嫌よく笑いながら、千影が指を鳴らす。

 と、それまで自由気ままに飛び交っていた蝶たちが、急に規則的に動き始める。彼らは寄り集まって黒い帯となり、千影の身体を包み込むように飛びまわる。

 そして赤い鱗粉りんぷんのみを残して、千影ごと姿を消してしまった。

「逃げられましたね」

「……そうだねえ」

 いつもどおり、深追いする気はなさそうだ。さすがに寿幸一人で千影を救うことはできないのだから無理もない。

 蝶の呪いは凶悪で、霊能者一人でどうにかできるほどたやすくはない。それこそ神代家神影家双方の先祖が、祓うのではなく封じるという道を選ばざるを得なかったほどの力があるのだ。

 説得のほかには見逃すしかない現状に、きっと寿幸は遣る瀬無い気持ちでいることだろう。

 落胆しているようにも見える背中に声をかけようとした一美だったが、それよりも早く寿幸が振り返った。

「んじゃ、ちょっと背中向けてもらえる?」

 完全に吹っ切れたわけではないだろうが、気持ちを切り替えることにしたらしい。

 寿幸の昔からの悪い癖だ。あれこれ苦悩したり、憂慮ゆうりょしたりしているくせに、相手に見抜かれないよう飄然ひょうぜんとふるまう。

 そうして真っ先に言われた言葉に一美は困ったように笑った。本当はもっと頼ってほしいが、どうやらまだ一美はまだそこまで信頼してもらえてはいないようだ。

 悲しいが、彼が隠すことにした以上、一美も気付かぬふりをして話を合わせるほかない。

「大丈夫ですよ。少しうずいただけです」

「それでも念のためね。すぐ終わるから」

「……わかりました」

 ほかの部分でもそうなのだが、呪いに関してはとりわけ心配性になる。おそらく罪悪感を抱いているから余計だろう。

 おとなしく背中を向けた一美は、背中に暖かく大きな手のひらの感触を感じながら、いつも胸の中で語り掛ける。声に出さなければ届くはずはないとわかっていながら。

 確かにこの呪いは、本来神代家の次兄に生まれた寿幸が受け継ぐものだったかもしれない。でも、それだって先祖が勝手に決めたことであって、寿幸が責任を感じることではないのだと。

(言ったところで納得してくれないだろうしな)

 だから一美は、正直な気持ちも胸に押しとどめるしかないのである。

 しばらくおとなしくしていると、耳になじむ寿幸のことばが途絶え、手のぬくもりが離れていった。

 それを合図に、一美はまぶたを開く。

 振り向いた寿幸はいつも通り少し眠たそうな顔で一美を見つめていた。ただぼんやり眺めているようでいて、実は顔色なんかを確認しているのだと、一美は気づいている。

「じゃ、追いかけっこといきますか」

 あえて子供っぽい表現を選ぶので、一美は笑ってしまった。逃げている相手は子供だから、確かに「追いかけっこ」だ。間違えてはいない。

 幼少時代に友達のいなかった一美には、興味はあっても参加はできない遊びだった。だからか、今更ながらにちょっとだけ童心に返る。

「当てはありますか? 五郎君の姿はもう見えませんけど」

「せっかく千影が助言してくれたし、こっちは強力な味方を付けることにしようか」

「桜子さんのところへ行くんですね」

「本当はあんまり巻き込みたくなかったけどね。さすがに今時の小学生男子が秘密基地に選ぶ場所なんか見当もつかないし、やむを得ないねえ」

 一美は寿幸の提案に賛同し、二人でこの事件のスタート地点に戻ることにした。

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