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第一話:探し物
【2】
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暮れなずむ町の片隅、住宅の合間の細い路地に、彼女はたたずんでいた。
白地に桜の花を散らしたワンピース姿に、ボブカットした黒髪という、若々しく健康的な装いに、不健康な青白い肌を隠している。
何をするでもなくうつむいて、ただただ立ち尽くす少女。
「彼女に間違いないですね」
「そうだねえ」
近頃、この場所に現れる少女だ。
夕刻になると突然現れ、日の出とともに音もなく消えていく。それも、どこかへ去るのではない。その場でいなくなるのだ。まるで煙みたいに。
普通の人間にはタネや仕掛けでもない限り不可能な芸当である。
ちなみに出没している時間帯がはっきりわかるのは、彼女がちょうど向かい合っている民家の防犯カメラの映像のおかげだ。
むろん、設置した主人の目的は彼女ではなく、近所の悪ガキどもが壁に落書きをするので、その証拠を記録するためらしいが。
思いがけないものが撮れてしまって、主人は呪われやしないかと不安になった。
そして、彼にとっては古くからの友人であり、そしてうちも何かとお世話になっている神籬商店街会長に相談し、会長を介してうちに依頼がきたわけだ。
「悪霊という感じではありませんね」
「何か心残りがあって逝けないんだろうねえ。まあ、まずは本人の口からきいてみますか」
緩やかに波打つ髪を掻きつつ、彼は誰もが恐れる存在に怯みもせず歩み寄る。
「こんにちは。俺はこの近くのビルで、探偵をやってるもんなんですけど」
アニメや漫画ならいざしらず、現実で探偵に声をかけられるなんて稀有な出来事だろう。
それでも……これもベタなセリフだが、決して怪しい者ではないのである。
余計なキャッチフレーズのせいで新規客には警戒されがちだが、一度彼の実力を知ればリピーターになってくれる確率が高い。そういう客の紹介によってじわじわ客層が増えていく。
別にこっちにその気はないのに、一見さんお断りみたいな格式高いお店のようになっている。
今回などはその典型的な例だ。依頼主が会長さんに相談しなければ、会長さんが寿幸の実力を知らなければ、寿幸が依頼を受けることもなかったのだから。
だがもしそうなったとしても仕方がない話かもしれないと、一美は半ばあきらめている。
「心霊専門」の探偵事務所なんて、一般の人が聞けばうさんくさいと感じるに決まっているのだから。
『……た、んてい?』
突然親し気に声をかけられて、反射的に少女は顔を上げた。おかげで薄暗がりの中でもその顔……正確には頭部がはっきり見えるようになる。
あごのラインのおかげで彼女がもともと丸顔だっただろうことは想像にたやすい。今は右側頭部から片目にかけてややくぼんでしまっているが。
今の自分の姿を思い出したのだろう。彼女は、はっとしてから再び顔を伏せてしまった。
探偵が……寿幸が、哀れな彼女にことさら優しい声をかける。
「大丈夫だよ。俺たちは怖がらない。見慣れてるからね」
彼女はずっと顔を伏せていたが、ずっと顔を伏せていたかったわけじゃなかった。そして、こんな薄暗い場所に自ら望んで居続けていたわけでもなかった。
今回の依頼が来る少し前、少し離れた場所にある小学校の近くに女の霊が現れ、下校中の子供たちを追いかけるという噂が広まり、集団下校にまで発展する騒ぎになったらしい。
地方の些末な情報ですらあっという間に全国にまで広がるこの情報社会で、それでもあまり話題にならなかったのは、女の霊が(今時な言い方をするならば)バズるまえに消えてしまったからだった。
黒髪のボブ、頭が半端に空気の抜けたビニールボールみたいにへこんでいて、白地に桜の花柄のワンピース姿。
小学校近くに現れた女の霊と、近頃この場に出没する少女の特徴は酷似していた。
「何を探してるの?」
『ごっちゃん……弟の松波 五郎、です』
「その子ってもしかして、坂の上の千鳥小学校に通ってた?」
どうしてそんなことがわかるんだろう。素直な驚きと疑問を瞳に宿しながらも、彼女は正直にうなずく。
『でも、お友達に聞こうとしても、私のこの顔を見ると逃げてしまうの』
逃げる子供たちを追いかけたわけじゃない。ただ彼女は、五郎という弟のことを探していただけなのだ。
それだけなのに大きな問題に発展してしまい、彼女のほうが怖くなってこの場に逃げ込んだ。
『ここは、うちへの近道なの。ごっちゃんと時々使ってた。だから、ここにいればごっちゃんのほうから来てくれるんじゃないかって思って、待ってるの』
彼女は自ら探すことをあきらめ、この場ではぐれた弟が現れるのを待っていた。極力顔を見られないよう明かりの届かない暗がりで。
「……君は自分が霊だってわかってるんだね。そして、五郎君も一緒にそうなったことも知ってる」
再びうなずく彼女のつぶれた瞳から、赤い涙がこぼれた。
「授業が終わって、いつも通りごっちゃんを学童に迎えにいったの。その帰り道、急にものすごい音がして、振り返ったらもう目の前に車が迫ってた」
自分には振り向く余裕があったが、五郎がその瞬間を目撃できたか、自覚できたかどうかはその時点ではわからなかったという。
だが、その後一人残された母のもとを訪ねてみたら、父親のそばに新たに二つ位牌が増えていたらしい。
『ごっちゃんきっと、ママにも私にも会えなくてひとりぼっちで泣いてるわ。かわいそう。早く見つけてあげたいの』
透明と赤と交互に流す涙は、自身の死を嘆くためのものではなかった。彼女は死してなお、家族のことを想いつづけているのである。
家族想いの少女の涙を目の当たりにして、寿幸がどういう行動をとるのか。付き合いの長い一美にはわざわざ聞き出さずともわかった。
「そういうことなら、お兄さんが一肌脱ごうかね。君の弟を探し出してあげるよ」
『えっ……』
びっくりしたおかげで彼女の涙がとまった。片方だけ見開かれた瞳に純粋な期待の光が灯る。
『ほんとう? 本当に見つけてくれるの?』
「探偵だからね。できる限りのことはしてみますよ」
希望を取り戻した彼女に対し、寿幸はのんびりした口調でそう答えた。
白地に桜の花を散らしたワンピース姿に、ボブカットした黒髪という、若々しく健康的な装いに、不健康な青白い肌を隠している。
何をするでもなくうつむいて、ただただ立ち尽くす少女。
「彼女に間違いないですね」
「そうだねえ」
近頃、この場所に現れる少女だ。
夕刻になると突然現れ、日の出とともに音もなく消えていく。それも、どこかへ去るのではない。その場でいなくなるのだ。まるで煙みたいに。
普通の人間にはタネや仕掛けでもない限り不可能な芸当である。
ちなみに出没している時間帯がはっきりわかるのは、彼女がちょうど向かい合っている民家の防犯カメラの映像のおかげだ。
むろん、設置した主人の目的は彼女ではなく、近所の悪ガキどもが壁に落書きをするので、その証拠を記録するためらしいが。
思いがけないものが撮れてしまって、主人は呪われやしないかと不安になった。
そして、彼にとっては古くからの友人であり、そしてうちも何かとお世話になっている神籬商店街会長に相談し、会長を介してうちに依頼がきたわけだ。
「悪霊という感じではありませんね」
「何か心残りがあって逝けないんだろうねえ。まあ、まずは本人の口からきいてみますか」
緩やかに波打つ髪を掻きつつ、彼は誰もが恐れる存在に怯みもせず歩み寄る。
「こんにちは。俺はこの近くのビルで、探偵をやってるもんなんですけど」
アニメや漫画ならいざしらず、現実で探偵に声をかけられるなんて稀有な出来事だろう。
それでも……これもベタなセリフだが、決して怪しい者ではないのである。
余計なキャッチフレーズのせいで新規客には警戒されがちだが、一度彼の実力を知ればリピーターになってくれる確率が高い。そういう客の紹介によってじわじわ客層が増えていく。
別にこっちにその気はないのに、一見さんお断りみたいな格式高いお店のようになっている。
今回などはその典型的な例だ。依頼主が会長さんに相談しなければ、会長さんが寿幸の実力を知らなければ、寿幸が依頼を受けることもなかったのだから。
だがもしそうなったとしても仕方がない話かもしれないと、一美は半ばあきらめている。
「心霊専門」の探偵事務所なんて、一般の人が聞けばうさんくさいと感じるに決まっているのだから。
『……た、んてい?』
突然親し気に声をかけられて、反射的に少女は顔を上げた。おかげで薄暗がりの中でもその顔……正確には頭部がはっきり見えるようになる。
あごのラインのおかげで彼女がもともと丸顔だっただろうことは想像にたやすい。今は右側頭部から片目にかけてややくぼんでしまっているが。
今の自分の姿を思い出したのだろう。彼女は、はっとしてから再び顔を伏せてしまった。
探偵が……寿幸が、哀れな彼女にことさら優しい声をかける。
「大丈夫だよ。俺たちは怖がらない。見慣れてるからね」
彼女はずっと顔を伏せていたが、ずっと顔を伏せていたかったわけじゃなかった。そして、こんな薄暗い場所に自ら望んで居続けていたわけでもなかった。
今回の依頼が来る少し前、少し離れた場所にある小学校の近くに女の霊が現れ、下校中の子供たちを追いかけるという噂が広まり、集団下校にまで発展する騒ぎになったらしい。
地方の些末な情報ですらあっという間に全国にまで広がるこの情報社会で、それでもあまり話題にならなかったのは、女の霊が(今時な言い方をするならば)バズるまえに消えてしまったからだった。
黒髪のボブ、頭が半端に空気の抜けたビニールボールみたいにへこんでいて、白地に桜の花柄のワンピース姿。
小学校近くに現れた女の霊と、近頃この場に出没する少女の特徴は酷似していた。
「何を探してるの?」
『ごっちゃん……弟の松波 五郎、です』
「その子ってもしかして、坂の上の千鳥小学校に通ってた?」
どうしてそんなことがわかるんだろう。素直な驚きと疑問を瞳に宿しながらも、彼女は正直にうなずく。
『でも、お友達に聞こうとしても、私のこの顔を見ると逃げてしまうの』
逃げる子供たちを追いかけたわけじゃない。ただ彼女は、五郎という弟のことを探していただけなのだ。
それだけなのに大きな問題に発展してしまい、彼女のほうが怖くなってこの場に逃げ込んだ。
『ここは、うちへの近道なの。ごっちゃんと時々使ってた。だから、ここにいればごっちゃんのほうから来てくれるんじゃないかって思って、待ってるの』
彼女は自ら探すことをあきらめ、この場ではぐれた弟が現れるのを待っていた。極力顔を見られないよう明かりの届かない暗がりで。
「……君は自分が霊だってわかってるんだね。そして、五郎君も一緒にそうなったことも知ってる」
再びうなずく彼女のつぶれた瞳から、赤い涙がこぼれた。
「授業が終わって、いつも通りごっちゃんを学童に迎えにいったの。その帰り道、急にものすごい音がして、振り返ったらもう目の前に車が迫ってた」
自分には振り向く余裕があったが、五郎がその瞬間を目撃できたか、自覚できたかどうかはその時点ではわからなかったという。
だが、その後一人残された母のもとを訪ねてみたら、父親のそばに新たに二つ位牌が増えていたらしい。
『ごっちゃんきっと、ママにも私にも会えなくてひとりぼっちで泣いてるわ。かわいそう。早く見つけてあげたいの』
透明と赤と交互に流す涙は、自身の死を嘆くためのものではなかった。彼女は死してなお、家族のことを想いつづけているのである。
家族想いの少女の涙を目の当たりにして、寿幸がどういう行動をとるのか。付き合いの長い一美にはわざわざ聞き出さずともわかった。
「そういうことなら、お兄さんが一肌脱ごうかね。君の弟を探し出してあげるよ」
『えっ……』
びっくりしたおかげで彼女の涙がとまった。片方だけ見開かれた瞳に純粋な期待の光が灯る。
『ほんとう? 本当に見つけてくれるの?』
「探偵だからね。できる限りのことはしてみますよ」
希望を取り戻した彼女に対し、寿幸はのんびりした口調でそう答えた。
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