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第一話:探し物
【1】
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少年は、背中を齧られるような断続的な痛みで意識を取り戻した。
開いた睫毛から雨粒がはねて落ちる。鬱陶しくて二度三度瞬きしたら、ようやく視界がはっきりした。
合わせを逆にした真っ白な着物は背中側がぐしょぬれで、それでもまだ濡らし足りないといわんばかりに、空からは周囲の景色をけぶらせる煙雨が降り続ける。
日増しに寒さが厳しくなる神帰月。雨に晒され続けた背中は寒いが、反対に腹側は熱いぐらいだった。
歩くたび頬をくすぐる、少し波打つ黒髪がくすぐったい。
背中はまだ鼓動にあわせて痛みを訴えてくる。呼吸をするたびとても辛い。
ああでも、呼吸をしているんだ。と少年は気付いた。
自分は生きている。否、生かされた。救われた。
今少年を背負ってくれているこの人物に。
彼は、少年を背負い、汗と雨と出血とで少年以上にぐしょぬれになって、ふらつきながらも一歩一歩、少年を……一美を、閉じ込める檻から遠ざけようとしてくれている。
「寿幸さん……」
呼び慣れた名前を呼ぶまでに随分と時間がかかった。
最初に口を開いたら、口内がカラカラに乾いていたせいでむせてしまって、腹に力を入れてどうにか押し出した声は、酷い喉風邪をひいた時のように掠れていた。
「……もう少しで屋根のあるとこにいけるから、もうちょい寝てな」
強がって笑みを浮かべていたが、寿幸は一美なんかよりもよほどひどい有様だった。
あちこちに刻まれたかまいたちのような切り傷は、一美が使命を全うするまで幽閉されるはずだった「座敷牢」から救い出してくれた際のもの。
まだ傷口が新しく固まっていないから、雨粒につれられて頬から顎へと伝い落ちている。
「うちの祭神様は本当に常識にとらわれないというか、大胆不敵な方だからねえ。なんと今、この先のビル一棟を丸々買い取って、一階でカフェなんか経営しちゃってんだよね」
一美の表情から胸中を悟ったかのように、殊更ひょうきんに振舞う。
取り戻したばかりの「力」を散々使って、歩くだけでふらついているくせに。
「ま、そういう人だからさ。上の階とか空いてるから使っていいよって言ってもらえたんだよね」
知っていた。ずっと、一美を救い出す方法を探してくれていたこと。
ただ救出するだけではなくて、その先の生活も考えて少しずつ準備をしてくれていたこと。
そして家族と訣別してまで、傷だらけになってまで一美を救ってくれたこと。
「だから、家なき子なんてことにはさせないから、安心していいよ」
何か答えなくてはと思ったが、今度は言葉が詰まって何も言えなかった。
役目から逃れてしまった負い目、無茶をした寿幸に対する憤懣、急に自由を手に入れたことに対する戸惑い、様々な感情が胸の中で混ざり合い重なり合ってぐるぐる渦を描いている。
そして、少し離れたところでなにものとも交わらない純粋な喜びが、一美の混沌とした胸中を暖かく照らしていた。
(寿幸さん……、ごめんなさい。僕のために、僕の所為で)
愛おしい気持ちがこみあげて、抱き着く腕に力を込めた。
(でも、ありがとうございます)
一美は、物心ついたころには孤独だった。ゆえに愛情に飢えていて、時折与えられる優しさを宝物みたいに感じる。
両親の顔は分からない。生まれてすぐに施設の前に捨てられていたので、最初は名前すらもなかった。
そんな一美を周囲ははじめ同情的な目でみていたが、だんだんとそれが敬遠へと変わっていった。
理由は至極簡単。一美には生まれながらにそれが見えたからだ。
赤ん坊のころには、何も思われなかった。喃語しか話せないのだから当然だ。
でも、成長するにつれだんだんと言葉を覚えていくと、それまで受け入れられていた行為がおかしい事だと気付かれて、恐ろしがられた。
誰もいない方向を見て明らかに誰かと会話をしていたり、ずぶ濡れのお爺さんがいるから傘を貸してあげようと庭に飛び出そうとしたり、一美の行動は普通の人から見れば異質そのものだったから。
次第に皆に距離を置かれるようになった矢先、一美を引き取りたいという物好きな男性が現れた。それが、神代家当主だった。
神代家は一美の奇妙な力こそを求めていて、施設側は厄介払いが出来る。話しがまとまるのは早かった。
引き取られてすぐに、告げられた。
一美はやがて、神代家に代々伝わる呪いをその身に受け継ぐことになると。
それは、かつて都を震撼させたおそろしい蝶の妖らしい。
あまりに妖力が強いので、ひとりの身体では抑えきれず、神代家と同じく神職の家系である神影家と、はんぶんずつ封じているのだそうだ。
本来は両家の二番目に生まれた子供が、その役目を担うはずだった。
だけど、その二番目の子が突然「力」を失ってしまった。
生身の器はやがて朽ちる。その前に、新しい器に入れ替えなくてはならない。でなければ、また災厄が世に放たれてしまう。
神代家は血眼になって新しい器を探した。そして一美が選ばれた。
当時の一美はひとりぼっちが寂しくて、誰かに構ってもらえるだけで嬉しかった。
妖の器になるのは怖いけれど、失望されてまた独りぼっちにならないために耐え抜こうと思った。
自分はその為に生まれてきたんだとすら、思ったのだ。
(でも、貴方は違うと言ってくれた……)
そして、必ず助け出すという約束を、ゆびきりげんまんで誓ってくれた約束を果たしてくれた。
だから今度は一美が約束を果たす番である。
あの日交わした、誰よりも幸福になるために努力するという約束を。
緩みかけていた腕に再び力を籠める。決して離さないように強く。
開いた睫毛から雨粒がはねて落ちる。鬱陶しくて二度三度瞬きしたら、ようやく視界がはっきりした。
合わせを逆にした真っ白な着物は背中側がぐしょぬれで、それでもまだ濡らし足りないといわんばかりに、空からは周囲の景色をけぶらせる煙雨が降り続ける。
日増しに寒さが厳しくなる神帰月。雨に晒され続けた背中は寒いが、反対に腹側は熱いぐらいだった。
歩くたび頬をくすぐる、少し波打つ黒髪がくすぐったい。
背中はまだ鼓動にあわせて痛みを訴えてくる。呼吸をするたびとても辛い。
ああでも、呼吸をしているんだ。と少年は気付いた。
自分は生きている。否、生かされた。救われた。
今少年を背負ってくれているこの人物に。
彼は、少年を背負い、汗と雨と出血とで少年以上にぐしょぬれになって、ふらつきながらも一歩一歩、少年を……一美を、閉じ込める檻から遠ざけようとしてくれている。
「寿幸さん……」
呼び慣れた名前を呼ぶまでに随分と時間がかかった。
最初に口を開いたら、口内がカラカラに乾いていたせいでむせてしまって、腹に力を入れてどうにか押し出した声は、酷い喉風邪をひいた時のように掠れていた。
「……もう少しで屋根のあるとこにいけるから、もうちょい寝てな」
強がって笑みを浮かべていたが、寿幸は一美なんかよりもよほどひどい有様だった。
あちこちに刻まれたかまいたちのような切り傷は、一美が使命を全うするまで幽閉されるはずだった「座敷牢」から救い出してくれた際のもの。
まだ傷口が新しく固まっていないから、雨粒につれられて頬から顎へと伝い落ちている。
「うちの祭神様は本当に常識にとらわれないというか、大胆不敵な方だからねえ。なんと今、この先のビル一棟を丸々買い取って、一階でカフェなんか経営しちゃってんだよね」
一美の表情から胸中を悟ったかのように、殊更ひょうきんに振舞う。
取り戻したばかりの「力」を散々使って、歩くだけでふらついているくせに。
「ま、そういう人だからさ。上の階とか空いてるから使っていいよって言ってもらえたんだよね」
知っていた。ずっと、一美を救い出す方法を探してくれていたこと。
ただ救出するだけではなくて、その先の生活も考えて少しずつ準備をしてくれていたこと。
そして家族と訣別してまで、傷だらけになってまで一美を救ってくれたこと。
「だから、家なき子なんてことにはさせないから、安心していいよ」
何か答えなくてはと思ったが、今度は言葉が詰まって何も言えなかった。
役目から逃れてしまった負い目、無茶をした寿幸に対する憤懣、急に自由を手に入れたことに対する戸惑い、様々な感情が胸の中で混ざり合い重なり合ってぐるぐる渦を描いている。
そして、少し離れたところでなにものとも交わらない純粋な喜びが、一美の混沌とした胸中を暖かく照らしていた。
(寿幸さん……、ごめんなさい。僕のために、僕の所為で)
愛おしい気持ちがこみあげて、抱き着く腕に力を込めた。
(でも、ありがとうございます)
一美は、物心ついたころには孤独だった。ゆえに愛情に飢えていて、時折与えられる優しさを宝物みたいに感じる。
両親の顔は分からない。生まれてすぐに施設の前に捨てられていたので、最初は名前すらもなかった。
そんな一美を周囲ははじめ同情的な目でみていたが、だんだんとそれが敬遠へと変わっていった。
理由は至極簡単。一美には生まれながらにそれが見えたからだ。
赤ん坊のころには、何も思われなかった。喃語しか話せないのだから当然だ。
でも、成長するにつれだんだんと言葉を覚えていくと、それまで受け入れられていた行為がおかしい事だと気付かれて、恐ろしがられた。
誰もいない方向を見て明らかに誰かと会話をしていたり、ずぶ濡れのお爺さんがいるから傘を貸してあげようと庭に飛び出そうとしたり、一美の行動は普通の人から見れば異質そのものだったから。
次第に皆に距離を置かれるようになった矢先、一美を引き取りたいという物好きな男性が現れた。それが、神代家当主だった。
神代家は一美の奇妙な力こそを求めていて、施設側は厄介払いが出来る。話しがまとまるのは早かった。
引き取られてすぐに、告げられた。
一美はやがて、神代家に代々伝わる呪いをその身に受け継ぐことになると。
それは、かつて都を震撼させたおそろしい蝶の妖らしい。
あまりに妖力が強いので、ひとりの身体では抑えきれず、神代家と同じく神職の家系である神影家と、はんぶんずつ封じているのだそうだ。
本来は両家の二番目に生まれた子供が、その役目を担うはずだった。
だけど、その二番目の子が突然「力」を失ってしまった。
生身の器はやがて朽ちる。その前に、新しい器に入れ替えなくてはならない。でなければ、また災厄が世に放たれてしまう。
神代家は血眼になって新しい器を探した。そして一美が選ばれた。
当時の一美はひとりぼっちが寂しくて、誰かに構ってもらえるだけで嬉しかった。
妖の器になるのは怖いけれど、失望されてまた独りぼっちにならないために耐え抜こうと思った。
自分はその為に生まれてきたんだとすら、思ったのだ。
(でも、貴方は違うと言ってくれた……)
そして、必ず助け出すという約束を、ゆびきりげんまんで誓ってくれた約束を果たしてくれた。
だから今度は一美が約束を果たす番である。
あの日交わした、誰よりも幸福になるために努力するという約束を。
緩みかけていた腕に再び力を籠める。決して離さないように強く。
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