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唯一無二のボンド

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「あ……っ」

 艶やかな声を上げて、アブニールはのけぞった。二度、三度身震いした後、脱力感に負けて突っ伏す。汗ばんだ逞しい腕が枕代わりとなって受け止めてくれた。
 高く上げた腰に密着していた体温が離れていくと、内側に溜まった灼熱が体外に逃げて太ももを伝う。覚えのある感覚に、アブニールは呼吸を喘がせながら何が行われていたのか悟った。

(なんで……こうなったんだっけ)
 
 途切れる直前の記憶にはフラムが居た。その時すでにアブニールはほとんど獣になり果てていて、人語を話すことも出来ない状態だった。
 フラムは反論も否定も出来ないアブニールを組み敷いて、半ば強制的なガイディングを行ったのだ。手指を絡めあうよりもはるかに濃厚で効果的な方法を用い、アブニールの獣化を解こうと奮闘してくれた。
 痺れていた脳がぎこちなく動き出すと、断片的ではあったものの獣化している間の記憶が蘇る。真っ先に思い出したのは、本能的な恐怖から暴れるアブニールを押さえつけ、フラムが吐露した切実な想いだ。

『恨んでくれていい。憎んでもいいから死ぬな……っ』

 鼓膜から伝わって心にまで届いた声にアブニールはすっかり抵抗を辞めて、フラムに身体を委ねた。たぶん。意識的にもほとんど獣になっていても、この男は信用に足る相手だと勘付くことが出来たのだ。
 アブニールを差し迫る死から救うためだけの行為は、性急で荒々しかった。それでもアブニールを少しでも悦ばせようと出来うる限りの努力をしてくれたことを、この身が知っている。
 非合意の性交渉は彼のポリシーに反していたはずだが、それよりもアブニールの命を優先してくれた。
 
(そういえば……)

 アブニールは鉛のように重たい身体を震わせながら上体を起こした。
 逃れようと暴れた際に腕に噛みついてしまった事を思い出したのだ。歯の形状も人のそれから棘のような犬歯に変わっていた。
 そんな牙が食い込めば、当然皮膚に穴が開く。逞しく筋肉が盛り上がった腕には無数の傷跡があり、そこからまだ血が流れているのを見て、アブニールは激しい罪悪感に襲われた。

「悪い……痛むか?」

 そっと傷を撫でるが、アブニールはフラムのように治癒の力など持たない。傷つけることしか出来ない自分がとても愚かしく、歯がゆい。

「まったくだ。ただでさえ一日中方々駆けまわってくったくただってのに、散々森の中を走り回ることになったんだからな」

 フラムはアブニールが謝罪していることとは別の理由で立腹しているらしく、着衣の乱れを整えてどっかりと胡坐をかいた。アブニールもよろよろ起き上がって、捲り上げられたり、ずりさげられたりしている衣服を元通りにする。

「悪かった。迷惑をかけた」

 此度の一件に関しては全面的にアブニールに非がある。まさかフラムが侯爵を追い詰めるために捜査を続けていたとは思わず、邪魔をしてしまった。
 薬を注入された時点で隙をついて逃げるつもりではいたが、逃亡に失敗していれば間違いなく王暗殺に差し向けられただろう。あやうくこの手でフラムの兄を害するところだった。

「迷惑じゃなくて、心配だ。馬鹿」

 返す言葉もなくて肩を落とす。巻き込むつもりはなかったと言いたいところだが、結果的にこうして面倒をかけてしまったのだ。そして何より、アブニールはフラムから大事なものを奪ってしまった。

「あんた……ボンドを結んだな?」

 汗ばんで貼り付く前髪をかき上げていたフラムが、目を見開いてアブニールを見遣る。狼狽したように見えたのはつかの間で、すぐに合点がいったような様子になった。

「あー……。そういやお前、寮舎に居た頃は図書館に足繫く通ってたっけな」

 アブニールは頷く。かつての仲間の死の真相。そして自分自身の身体について理解を深めるため、獣使いの研究に関する本は一通り目を通している。その中にボンドの記述があった。
 ボンドは極めて相性の良いセンチネルとガイトのみが結ぶことの出来る特別な契約である。
 一度ボンドを結んだガイドは他のセンチネルに対するガイディングが不可能になるが、その代わり相手のセンチネルに対しては並外れた効力を発揮する。
 その力は獣化したセンチネルをも正常に戻すほどで、ガイドが受ける共感による弊害も最小限に止めることが出来る。
 つまりボンドを結ばなければ、さしものフラムとて今のアブニールを救うことは不可能だった。むしろ共感の影響を受けてフラムまでもが精神崩壊を起こす危険性もあった。

「お前を救うにはこれしかなかったんだ。黙ってたことは謝る」

「俺は別に怒ってるわけじゃねえよ。あんたが助けてくれなきゃ、俺は獣になってた。そうじゃねえ。あんたは騎士団の人間だ。これからもセンチネルを助けなきゃいけねえ立場だ。それなのに……」

 フラムのガイディングは、もうアブニールにしか効果を発揮しない。アブニールは取り返しのつかない事をしてしまったと、つくづく自分の軽率な行いを恥じた。さらに猛省したところで一度結んだ契約を破棄することは出来ないという事実が、アブニールを容赦なく追い詰める。

「別に他にもガイドはいる。俺の役目は仲間のガイディングだけじゃねえんだ。今回みたいに時間がないときに長距離の移動が必要な時なんて、大活躍なんだぜ? お前にも俺の雄姿を見せたいくらいだったな」

 確かに短時間で各地の会員制酒場を巡ったというのだから驚きだ。人間の力では、たとえ汽車や船を使ったとしても成し得ない。感心する一方で今更のように疑問も浮かんだ。

「そういや、なんでそんなに大急ぎで捜査してたんだ? 見たところ侯爵に雲隠れする様子はなかったように見えるが」

 やはり王が城下に下りる前に危険分子をすべて取り除いておきたかったのだろうか。アブニールが考え込むと、フラムは深くため息を吐いた。それがアブニールを馬鹿にしているように聞こえて、若干腹が立つ。

「なんだよ。でけえため息つきやがって」

「いや、お前って普段は驚くほど察しがいいってのに、自分の事になるととたんに鈍感になるんだなと思ってな」

「この俺が鈍いって?」

 納得がいかなくて眉根を寄せると、にやりと笑ったフラムにしわの寄った眉間をつつかれた。

「鈍いだろうが。俺が部下に協力してもらってまで解決を急いだのは、叔父上と会ってからのお前の様子がずっとおかしかったからに決まってんだろ」

 当然のように話すフラムに、アブニールは呆気にとられて固まった。
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