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とらわれのセンチネル
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ふっと意識が浮上した時、頬に触れる冷たく固い感触に気付いた。鼻を突く臭気が否が応でも頭をはっきりさせて、冷たい石床の上に倒れていた経緯が思い出される。相変わらず両手は背中で縛られているので、腹筋に力を入れて起き上がった。途端に軽い眩暈を覚える。
無論悪漢に殴られた痛みではない。ここへ至るまでの道のりがひどすぎた。
様々な花の香りが入り混じり、そのどれもこれもが強烈にアピールしてくるのだ。一種類ずつ嗅げばあるいは良いにおいと感じるのかもしれないが、何種類もがごちゃ混ぜになると単なる悪臭だ。あれならまだ生ごみの方が我慢できる。
あまりに強いにおいに意識が遠のいたところまでは覚えていて、気が付いたら牢獄の中だ。
何はともあれ、潜入には成功した。首元には相変わらずネックレスが垂れさがっている。これを奪われなかったのなら、勝利はすでにこちらのものだ。
とはいえただ待っているというのも性に合わない。アブニールは身体を蛇のようにくねらせて拘束されている手を身体の前まで持ってくると、鋭い犬歯で縄を咬み千切った。
両腕が自由になった後で足の縄もほどき、ついでに靴底の間に仕込んでいる針金を取り出した。
鉄格子の鍵を開けて外に出る。どうやらここは地下のようだ。四方八方どこを見ても窓はなく、出入り口は階段を上った先にある。
空気は湿っていて、血や汗、糞尿の臭いで満ちていた。まあ、どこにでもある普通の牢獄といったところだ。しいて違うところを挙げるとすれば、収監されているのは罪人ではなく誘拐された被害者という点だろうか。
鉄格子の向こうの小部屋で生気を失った顔をしていたセンチネルたちは、自由に動き回っているアブニールを見て一様に驚愕の表情になった。
「あっ、あんた。どうやって」
上擦った声を上げる男は屈強で、アブニールは違和感を覚えた。どこかに罠などしかけられていないかと部屋の中を物色しながら問い返す。
「あんたこそ、なんでそんな大人しく捕まってんだ? 力を使えば、鉄格子なんて溶けた飴みたいに出来ちまいそうな見た目だぜ?」
「出来ねえんだよ」
「出来ない?」
誘拐されたセンチネルは力自慢の者ばかりのはずだ。まさか盛り上がった筋肉が見せかけということはあるまい。怪訝な顔でさらに問うと、男は苦虫を嚙み潰したような顔をした後で、何か閃いたように目を見開いた。淀んでいた目に光が取り戻されたように見える。
「そうだ! あんた、壁に掛けられてる宝玉が見えるだろ?」
確かに、明かりも蝋燭が薄明るく照らすだけの暗澹とした空間には不釣り合いな球体が飾られている。なぜこんな場所にと不審に感じたものの、何か仕掛けがあるわけでもなかったので放置していた。
「それは俺たちの力を封じる呪いの玉だ。それを壊してくれ」
「俺達の力を封じる?」
「ああ。そこの近くの牢屋に新入りがぶちこまれたとき、兵隊の一人があやまってその玉を落としちまったんだ」
他の兵隊は青ざめて怒鳴ったという。それが壊れたら、こいつらは力を取り戻してしまうと。
言われてみると、アブニールも目が覚めてから五感が鈍くなったように感じていた。本来なら、これだけの悪臭の中に居たらたとえ気絶していたとしても飛び起きただろうし、もっと気分が悪くなっていたはずだ。
試しにノワールを呼ぼうとしたが姿を現すこともない。なるほどスピリットアニマルも呼べないということは、男の話は本当なのだろう。
だとすると捨て置くことは出来ない。フラムたちが突入してきた際に、力が使えなければ一網打尽にされてしまう可能性がある。アブニールは宝玉を手に取ると振りかぶって地面にたたきつけた。固い床の上で、玉は粉々に砕ける。
「う……」
途端に五感が本来の鋭敏さを取り戻し、鼻が曲がるような臭いに吐き気を覚えた。アブニールの一挙一動を眺めていた男たちが感嘆の声を上げそうになる。どれほど音が響くのか分からないので、アブニールは静かにしろと先んじて言い放った。
「これでもう、とらわれの身でいなくても済むんだな」
「ああ、もう、家畜みたいに這い蹲って飯を食う必要もない」
どうやらここにいる間、彼らは相当酷い扱いを受けてきたようだ。感涙する姿に胸を痛めるも、まだ自由の身にしてやることは出来なかった。心苦しいが意を決してアブニールは口を開いた。
「いや、待ってくれ。俺の仲間がもうじき助けに来る。それまで辛抱しててくれ」
やっと逃げ出せると歓喜していたセンチネルたちは口々に不満を漏らす。その全てをアブニールは片手をあげて制した。
「俺達の仲間のところには、あんたらの相方が保護されてる」
アブニールが静かに告げると、彼らははっとして口を噤んだ。
「彼らは皆無事だ。傷だらけだった彼らを手当した奴らがこれから助けに来るんだ。だから協力してほしい。あんたらが何事もなく再会出来るためにも」
相方であるガイドの名を出せば、彼らは従うしかない。思った通り、センチネルたちはとぼとぼと牢屋の奥に戻って行った。アブニールも自分の個室に戻り、頑丈の鉄扉を閉めた。
無論悪漢に殴られた痛みではない。ここへ至るまでの道のりがひどすぎた。
様々な花の香りが入り混じり、そのどれもこれもが強烈にアピールしてくるのだ。一種類ずつ嗅げばあるいは良いにおいと感じるのかもしれないが、何種類もがごちゃ混ぜになると単なる悪臭だ。あれならまだ生ごみの方が我慢できる。
あまりに強いにおいに意識が遠のいたところまでは覚えていて、気が付いたら牢獄の中だ。
何はともあれ、潜入には成功した。首元には相変わらずネックレスが垂れさがっている。これを奪われなかったのなら、勝利はすでにこちらのものだ。
とはいえただ待っているというのも性に合わない。アブニールは身体を蛇のようにくねらせて拘束されている手を身体の前まで持ってくると、鋭い犬歯で縄を咬み千切った。
両腕が自由になった後で足の縄もほどき、ついでに靴底の間に仕込んでいる針金を取り出した。
鉄格子の鍵を開けて外に出る。どうやらここは地下のようだ。四方八方どこを見ても窓はなく、出入り口は階段を上った先にある。
空気は湿っていて、血や汗、糞尿の臭いで満ちていた。まあ、どこにでもある普通の牢獄といったところだ。しいて違うところを挙げるとすれば、収監されているのは罪人ではなく誘拐された被害者という点だろうか。
鉄格子の向こうの小部屋で生気を失った顔をしていたセンチネルたちは、自由に動き回っているアブニールを見て一様に驚愕の表情になった。
「あっ、あんた。どうやって」
上擦った声を上げる男は屈強で、アブニールは違和感を覚えた。どこかに罠などしかけられていないかと部屋の中を物色しながら問い返す。
「あんたこそ、なんでそんな大人しく捕まってんだ? 力を使えば、鉄格子なんて溶けた飴みたいに出来ちまいそうな見た目だぜ?」
「出来ねえんだよ」
「出来ない?」
誘拐されたセンチネルは力自慢の者ばかりのはずだ。まさか盛り上がった筋肉が見せかけということはあるまい。怪訝な顔でさらに問うと、男は苦虫を嚙み潰したような顔をした後で、何か閃いたように目を見開いた。淀んでいた目に光が取り戻されたように見える。
「そうだ! あんた、壁に掛けられてる宝玉が見えるだろ?」
確かに、明かりも蝋燭が薄明るく照らすだけの暗澹とした空間には不釣り合いな球体が飾られている。なぜこんな場所にと不審に感じたものの、何か仕掛けがあるわけでもなかったので放置していた。
「それは俺たちの力を封じる呪いの玉だ。それを壊してくれ」
「俺達の力を封じる?」
「ああ。そこの近くの牢屋に新入りがぶちこまれたとき、兵隊の一人があやまってその玉を落としちまったんだ」
他の兵隊は青ざめて怒鳴ったという。それが壊れたら、こいつらは力を取り戻してしまうと。
言われてみると、アブニールも目が覚めてから五感が鈍くなったように感じていた。本来なら、これだけの悪臭の中に居たらたとえ気絶していたとしても飛び起きただろうし、もっと気分が悪くなっていたはずだ。
試しにノワールを呼ぼうとしたが姿を現すこともない。なるほどスピリットアニマルも呼べないということは、男の話は本当なのだろう。
だとすると捨て置くことは出来ない。フラムたちが突入してきた際に、力が使えなければ一網打尽にされてしまう可能性がある。アブニールは宝玉を手に取ると振りかぶって地面にたたきつけた。固い床の上で、玉は粉々に砕ける。
「う……」
途端に五感が本来の鋭敏さを取り戻し、鼻が曲がるような臭いに吐き気を覚えた。アブニールの一挙一動を眺めていた男たちが感嘆の声を上げそうになる。どれほど音が響くのか分からないので、アブニールは静かにしろと先んじて言い放った。
「これでもう、とらわれの身でいなくても済むんだな」
「ああ、もう、家畜みたいに這い蹲って飯を食う必要もない」
どうやらここにいる間、彼らは相当酷い扱いを受けてきたようだ。感涙する姿に胸を痛めるも、まだ自由の身にしてやることは出来なかった。心苦しいが意を決してアブニールは口を開いた。
「いや、待ってくれ。俺の仲間がもうじき助けに来る。それまで辛抱しててくれ」
やっと逃げ出せると歓喜していたセンチネルたちは口々に不満を漏らす。その全てをアブニールは片手をあげて制した。
「俺達の仲間のところには、あんたらの相方が保護されてる」
アブニールが静かに告げると、彼らははっとして口を噤んだ。
「彼らは皆無事だ。傷だらけだった彼らを手当した奴らがこれから助けに来るんだ。だから協力してほしい。あんたらが何事もなく再会出来るためにも」
相方であるガイドの名を出せば、彼らは従うしかない。思った通り、センチネルたちはとぼとぼと牢屋の奥に戻って行った。アブニールも自分の個室に戻り、頑丈の鉄扉を閉めた。
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