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大衆酒場の店主
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今日ほど夜明けが待ち遠しいと感じたことはない。アブニールは日が昇ると同時に山小屋を出て、陽の光を浴びながら身体を伸ばした。
寮舎のふかふかのベッドに慣れてしまっていまいち疲れが取れていない気がする。首や肩を回して丁寧にストレッチしたあと、川の水で顔を洗った。
さてこれからはアブニールは餌の役目を担う。と言っても気負う必要はない。
いつも通りに仕事を請け負って過ごしていればよいのだ。
フラムの話では、アブニールが再び狙われる可能性は高いという。そもそも獣使い自体稀少で、かつその中でも戦闘に特化したセンチネルはさらに数が少ない。何でも屋の裏で暗殺にも手を染めてきたアブニールをみすみす逃す手はないと考えるだろうと話していた。
もちろん、この読みが外れた場合の作戦も用意している。レーツェルたちの追跡によって発見された香木の群生する森の中に、アブニール自ら乗り込むのだ。無論アブニールの鼻は利かなくなってしまうが、騎士団の連中はアブニールの居場所を特定することが出来る。
昨日、クライスからもらったペンダントをアブニールは確かめるように握りしめる。
一見単なる人口ルビーだが、実際には発信機になっており、対応する受信機に絶えず信号が送られているらしい。
このペンダントがあれば、いかなる方法で監禁場所に入ったとしても、フラムたちに居所を報せることが出来るのだ。
遠吠えの原理を応用しているのだと興奮気味に説明していたが、詳しい仕組みは高度すぎて半分も理解できなかった。
(鼻が利かねえ以上森の中で迷う可能性もあるし、出来れば攫ってくれると手っ取り早いんだがな)
そのためにもひとまず人目に付く場所へ行かなくてはと、アブニールは城下町に赴いた。何でも屋としての証明書で堂々と大門から中に入り、わざと往来の激しい表通りを選んで歩く。
なるべく人通りの多い道を選んでいるが、当て所もなく歩き回っているわけではなかった。目的地は決まっている。
アブニールが守護獣騎士団の兵舎で保護されていると知り手紙を送ってくれた店主が経営する大衆酒場だ。一応無事に帰ってきたことを報告したほうがいいだろう。
それに兵舎の食堂もなかなかだったが、久方ぶりに店主の手料理が食べたい気分だった。
(おっと、早く着きすぎたか)
あまりにも楽しみでいつの間にか早足になっていたのかもしれない。たどり着いた酒場の入り口の扉にはcloseの看板が掛けられていた。まだ開いていないというなら仕方がない。夜遅くまで仕事をしている店主を起こすのは忍びなく適当にぶらついて時間をつぶそうと踵を返す。
ノックをした覚えはないし、騒がしくしたつもりもないのだが、気配に敏感な店主はアブニールが訪問に勘付いてしまったらしい。背後でドアベルが鳴って振り向くと、開いた扉の向こうから今朝の陽光にも負けない陽気な笑顔が覗いていた。
「元気になってよかったな。毒矢を受けたって聞いてほんとに心配してたんだぜ?」
「格下だと思って油断しちまったんだ。まあ、今は御覧のとおりピンピンしてるよ」
「元気になって何よりだな。じゃ、今朝は快気祝いってことで俺のおごりでいいぜ」
気さくな店主はアブニールを快く迎え入れ、エプロンを着けてキッチンに立った。温めたフライパンにバターを溶かして片手で器用に卵を割る。
「しかもニールがガイドを知らないとは盲点だったな。俺よりずっと賢いから、知ってるとばかり」
てきぱきキッチンを行ったり来たり動き回りながら、客との会話もおろそかにしない店主も相当すごいと思う。
「俺はあんたが俺と同じセンチネルだってことを知らなかったけどな」
「あれ、言ってなかったか? ま、でかい声で言うのもリスクがあるしな。いつか俺たちが堂々と素性を明かして歩けるように王様には頑張ってもらわないとな。……ほい、お待ち!」
営業時間外だというのに快くアブニールに朝食を振舞ってくれる。アブニールは感謝を告げてさっそく食事をはじめた。店主は仕込みを始めながら、さらにアブニールに話しかけてくる。
「でもまさかガイドに助けられるなんて、ほんと運が良かったよな。どうだった……?」
振り向いた店主はアブニールが口元に人差し指を当てていることに気付いて、口を閉じた。店主はアブニールの意図を正しく察して話題を変える。
「これからはまた仕事に復帰するんだろ?」
「ああ。サボってたぶん稼がねえと」
腸詰めにフォークに突き刺しつつ答えると、店主がレタスと千切りつつ声を立てて笑った。
「サボってたんじゃなくて、療養だろ? それにそんながつがつ働かなくたって十分余裕があるくせに」
「ま、そうなんだけどな。身体が資本だから若いうちになるべく稼いで余生に備えておかねえといけないから」
「現役引退したらうちを手伝ってくれてもいいんだぜ? ニールがいたら、きっとお客さんひっきりなしで大繁盛だろうな」
満更冗談でもなさそうに言われる。アブニールもそんな余生も悪くないなと思えた。
「そのころにはジジイになってるだろ。足手まといにしかならねえよ」
軽口で応じて牛乳を飲む。ふと視線を感じて顔を上げると、店主がアブニールに物珍しそうな視線を送っていた。
「なっ、なんだよ……?」
目を丸くして見つめられていることに気付いて、アブニールは当惑した。店主はアブニールの疑問ににんまりと笑って答える。
「いや、きみと未来の話が出来るようになるなんて思わなかったなって嬉しくなった」
「なんだよそれ、俺だって将来設計くらいしてる」
無計画な人間と言われたようで、思わず言い返してしまう。店主は「そうじゃなくて」と頭を振った。
「なんかニールって生き急いでるというか、いつ死んでもいいぞって感じがしてたから。未来に夢見るようになるなんて、ここ数日で何か心境に変化があったのかもなってさ」
たとえそうだとしても、店主には何の影響もないというのに、なぜか自分のことのように嬉しそうだ。
寮舎のふかふかのベッドに慣れてしまっていまいち疲れが取れていない気がする。首や肩を回して丁寧にストレッチしたあと、川の水で顔を洗った。
さてこれからはアブニールは餌の役目を担う。と言っても気負う必要はない。
いつも通りに仕事を請け負って過ごしていればよいのだ。
フラムの話では、アブニールが再び狙われる可能性は高いという。そもそも獣使い自体稀少で、かつその中でも戦闘に特化したセンチネルはさらに数が少ない。何でも屋の裏で暗殺にも手を染めてきたアブニールをみすみす逃す手はないと考えるだろうと話していた。
もちろん、この読みが外れた場合の作戦も用意している。レーツェルたちの追跡によって発見された香木の群生する森の中に、アブニール自ら乗り込むのだ。無論アブニールの鼻は利かなくなってしまうが、騎士団の連中はアブニールの居場所を特定することが出来る。
昨日、クライスからもらったペンダントをアブニールは確かめるように握りしめる。
一見単なる人口ルビーだが、実際には発信機になっており、対応する受信機に絶えず信号が送られているらしい。
このペンダントがあれば、いかなる方法で監禁場所に入ったとしても、フラムたちに居所を報せることが出来るのだ。
遠吠えの原理を応用しているのだと興奮気味に説明していたが、詳しい仕組みは高度すぎて半分も理解できなかった。
(鼻が利かねえ以上森の中で迷う可能性もあるし、出来れば攫ってくれると手っ取り早いんだがな)
そのためにもひとまず人目に付く場所へ行かなくてはと、アブニールは城下町に赴いた。何でも屋としての証明書で堂々と大門から中に入り、わざと往来の激しい表通りを選んで歩く。
なるべく人通りの多い道を選んでいるが、当て所もなく歩き回っているわけではなかった。目的地は決まっている。
アブニールが守護獣騎士団の兵舎で保護されていると知り手紙を送ってくれた店主が経営する大衆酒場だ。一応無事に帰ってきたことを報告したほうがいいだろう。
それに兵舎の食堂もなかなかだったが、久方ぶりに店主の手料理が食べたい気分だった。
(おっと、早く着きすぎたか)
あまりにも楽しみでいつの間にか早足になっていたのかもしれない。たどり着いた酒場の入り口の扉にはcloseの看板が掛けられていた。まだ開いていないというなら仕方がない。夜遅くまで仕事をしている店主を起こすのは忍びなく適当にぶらついて時間をつぶそうと踵を返す。
ノックをした覚えはないし、騒がしくしたつもりもないのだが、気配に敏感な店主はアブニールが訪問に勘付いてしまったらしい。背後でドアベルが鳴って振り向くと、開いた扉の向こうから今朝の陽光にも負けない陽気な笑顔が覗いていた。
「元気になってよかったな。毒矢を受けたって聞いてほんとに心配してたんだぜ?」
「格下だと思って油断しちまったんだ。まあ、今は御覧のとおりピンピンしてるよ」
「元気になって何よりだな。じゃ、今朝は快気祝いってことで俺のおごりでいいぜ」
気さくな店主はアブニールを快く迎え入れ、エプロンを着けてキッチンに立った。温めたフライパンにバターを溶かして片手で器用に卵を割る。
「しかもニールがガイドを知らないとは盲点だったな。俺よりずっと賢いから、知ってるとばかり」
てきぱきキッチンを行ったり来たり動き回りながら、客との会話もおろそかにしない店主も相当すごいと思う。
「俺はあんたが俺と同じセンチネルだってことを知らなかったけどな」
「あれ、言ってなかったか? ま、でかい声で言うのもリスクがあるしな。いつか俺たちが堂々と素性を明かして歩けるように王様には頑張ってもらわないとな。……ほい、お待ち!」
営業時間外だというのに快くアブニールに朝食を振舞ってくれる。アブニールは感謝を告げてさっそく食事をはじめた。店主は仕込みを始めながら、さらにアブニールに話しかけてくる。
「でもまさかガイドに助けられるなんて、ほんと運が良かったよな。どうだった……?」
振り向いた店主はアブニールが口元に人差し指を当てていることに気付いて、口を閉じた。店主はアブニールの意図を正しく察して話題を変える。
「これからはまた仕事に復帰するんだろ?」
「ああ。サボってたぶん稼がねえと」
腸詰めにフォークに突き刺しつつ答えると、店主がレタスと千切りつつ声を立てて笑った。
「サボってたんじゃなくて、療養だろ? それにそんながつがつ働かなくたって十分余裕があるくせに」
「ま、そうなんだけどな。身体が資本だから若いうちになるべく稼いで余生に備えておかねえといけないから」
「現役引退したらうちを手伝ってくれてもいいんだぜ? ニールがいたら、きっとお客さんひっきりなしで大繁盛だろうな」
満更冗談でもなさそうに言われる。アブニールもそんな余生も悪くないなと思えた。
「そのころにはジジイになってるだろ。足手まといにしかならねえよ」
軽口で応じて牛乳を飲む。ふと視線を感じて顔を上げると、店主がアブニールに物珍しそうな視線を送っていた。
「なっ、なんだよ……?」
目を丸くして見つめられていることに気付いて、アブニールは当惑した。店主はアブニールの疑問ににんまりと笑って答える。
「いや、きみと未来の話が出来るようになるなんて思わなかったなって嬉しくなった」
「なんだよそれ、俺だって将来設計くらいしてる」
無計画な人間と言われたようで、思わず言い返してしまう。店主は「そうじゃなくて」と頭を振った。
「なんかニールって生き急いでるというか、いつ死んでもいいぞって感じがしてたから。未来に夢見るようになるなんて、ここ数日で何か心境に変化があったのかもなってさ」
たとえそうだとしても、店主には何の影響もないというのに、なぜか自分のことのように嬉しそうだ。
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