守護獣騎士団物語 犬と羽付き馬

葉薊【ハアザミ】

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アブニールの記憶 後

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 戦いは、生き残りが最後の一人になるまで続いた。
 肉を断つ音と、断末魔の悲鳴が絶え間なく響いていた森の中は、本来の静寂を取り戻している。その中に、一人分の荒い息遣いだけがかすかに聞こえていた。

「お、とうさん……お父さん」
 
 アブニールは茂みから飛び出して、汗と血が入り混じった水を拭う養父のもとに走った。雨上がりでもないのにぴしゃぴしゃと水が跳ねる音がする理由は考えたくもない。
 仲間を討たなければならない葛藤の中で戦い続けた養父は疲労していたが、駆け寄ってくる我が子には穏やかな笑顔を向けた。血があちこちに飛び散る地面に片膝をつき、我が子の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「ちゃんと隠れてたな。偉かったぞ」

 アブニールは無鉄砲な所があるから、飛び出してこないかと肝を冷やしていたのかもしれない。父親の懸念は杞憂だ。物怖じしないアブニールですら、腰を抜かすほど凄惨な現場だった。悔しいが、茂みに隠れてぶるぶると震え上がることしか出来なかった。
 今だって、激闘を終えた父が心配だったのもあるが、何よりも自分が怖くなって父に助けを求めたのだ。
 父の手は豪快で、頭がぐらぐら揺れるくらいに撫でられる。でもそのちょっと乱暴な撫で方がアブニールには心地よかった。父がそばにいてくれると実感できるから。

「……ああ、もう、……限界、が近いな」

 今は父のぬくもりだけに縋っていたい気持ちで目を閉じていたアブニールは、苦しそうな父の声で目を開けた。そして、飛び込んできた光景に言葉を失う。

「……ニール、どうやら、……とうさんも、らしい」

 もともと生えていた顎髭から広がるようにして、顔中が黒い短毛に覆われていく。鼻と唇の距離が縮まり、人の顔から獣の顔へと変わっていく。黒い毛におおわれた顔は、父の相棒であるグリズリーに酷似していた。

「お、おとうさん? うそ、だよね?」

 顔中に広がった黒い毛は首から肩へとさらに広がっていき、やがてアブニールの頭に触れていた手の感触も変わった。ずっしりと重く、分厚い肉のふくらみがでこぼこを作っている。

「お父さん、やだ……、ねえ」

 信じられない。信じたくなかった。父までもが、他の仲間たちのように理性を失った獣と化してしまうなんて。いっそ夢ならいいと思った。
 そうだ。アブニールはきっと、眠気に負けて眠ってしまって、悪夢を見ているのだ。目が覚めたらテントの中で寝かされていて、朝日が昇ったら、一人も欠けることなく元気に起きてきて、アブニールにおはようと笑いかけてくれるのだ。
 そうでなきゃあんまりだ。こんなのが現実なんて、あまりにも惨すぎて受け止めきれない。

「ニール……、これをやろう」

 父はまだ人のままの手で苦し気に胸を抑えていたが、服を握り締める手がふっと緩んだ。そして、長剣と一緒にベルトに固定していた短剣を手に取り、震えているアブニールにしっかりと握らせる。視界に入った父の片手はもう服の袖を破る程に膨らんでいる。

「でもこれ、おとうさんの宝物なんでしょう?」

 養父の奥さんからもらったお守りなのだと話していた。自分が死んだらお前に譲る、ともアブニールは聞かされていた。だからなおの事受け取るわけにはいかなかった。だって、これを渡されるという事はつまり……。

「前に約束しただろう。お父さんがもしも命を落とすようなことがあれば、これをお前に譲るって。仲間たちにも伝えておいたんだが、まさか直接渡せるとはなあ」

 父が嬉しそうにする意味が分からない。だって、自分はもうあとわずかしか生きられないと言っているようなものなのに。

「いいよ。いらない。まだ、いらないよ」

 現実を受け入れられないアブニールは意地でも返そうとする。しかし養父も譲らなかった。

「これはな。母さんが父さんのために遺してくれた大事なお守りなんだ。俺とお前は同じだから、きっとこいつは、お前の事も守ってくれるはずだ。だから、常に肌身離さず持ち歩いているんだぞ。いいな?」

「お父さん!」

 嘘だと。これからもアブニールとともに生きてくれるといつまでも言ってくれない父がもどかしくて叫ぶ。そんなアブニールの肩に父の手が置かれた。もはや人の姿を保っているのはこの手のひらくらいのものだ。

「ニール。いいか? お前は幸運に恵まれている」

 養父は時折苦しそうに呻きながらも、懸命にアブニールに語り掛けた。だからアブニールも、口を噤むしかない。本当はまだ、父を呼び止めたい気持ちがあった。だが、多分もう、心のどこかで、留めることは不可能なのだと分かっている。それならば、父の最期の言葉を一言一句余さず心に刻みつけたい。

「一度目は俺に拾われて生き延び、そして今回もお前だけは獣にならなかった。これにはきっと重要な意味があるんだ」

「重要な意味……?」

 小さな体には重たすぎる言葉を不安がるアブニールに、父は力強く頷く。大丈夫だ、と勇気づけるように。

「だから、お前は生き延びなければならない。いずれ、お前が生き延びた意味が分かるまで。自分の命を粗末に扱うような真似はしてはいけない。分かったな?」

 ここで頷いたら、すべて終わってしまう。それでもアブニールには頷く以外の選択は選べない。酷く固い動きでどうにか首肯したアブニールを父は最期に力強く抱きしめた。

「大人になるまで、そばに居てやれなくてすまない」

「おとうさん……」

「だが、この手で……お前を……る、よりは……」

 父の身体が肥大していく。耳元で獣のような咆哮があがった。それでも父は牙を鳴らしてなけなしの理性を保つ。

「……る、……めをつぶって……ひゃく、かぞえ、なさ、い」

 もはや人語を話すことすら苦しそうで、しゃがれた声は酷く聞き取りにくかったが、アブニールは言われた通り目を閉じた。

「いーち、……にーい……さーん」

 アブニールが退屈そうにしていると、仲間たちが遊びに誘ってくれた。肩車してくれたり、獣になってアブニールを背中に乗せて駆け回ってくれたり、空を飛んでくれたり、それからなんと言っても楽しかったのがかくれんぼだ。アブニールは鼻が利くから、仲間たちを探すのが上手かった。
 肉を裂く音……それから、どさりと、何か重たいものが倒れる音がする。それでもアブニールは養父の言いつけを守った。
 血の臭いが鼻に満ちていやだったけれど、今ならまだ、父を助けられるかもしれないという希望に縋りたくなるけれど、アブニールはちゃんと百まで数え続けた。
 
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