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研究棟のマッドサイエンティスト

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 本当に精悍な目鼻立ちといいすらりとした長躯といい、容姿だけ見ればフラムと双璧を成せる逸材だというのに、よれよれで所々に色鮮やかな絵の具? ペンキ? が付着してやけにカラフルになった白衣といい、袖の上から厚手の手袋をはめているところといい、極めつけは首から下げたやたらレンズのでかいゴーグルといい、格好が独特で奇抜であるがゆえに、せっかくの美男が台無しになっている。

「これはね、犬笛を応用した技術でね。特定の相手にのみ声を届けられる特殊な拡声器なんですよ。ほら、ここのレバーを回して調整するんです。今は、最小値に絞ったので、近くにいるキミには聞こえたけど、団長には何も聞こえなかったでしょう? ということは実験は成功というわけなのですよ」

 上手くいったことがよほどうれしかったのか、聞いてもいないのに説明してくれる。嬉々として……いや、もはや恍惚の表情と言っても過言ではない様子で滔々と述べた。

「おや? ところでキミは誰ですか?」

 悦に入って語っていた男は、急に人格が変わったかのように真顔になり、フラムを盾にしているアブニールを観察し始めた。観察という表現がしっくりくる見方だ。足先からつむじまでつぶさに注視されている。

「ああ、そうか! キミが昨晩フラム団長が連れこんだという黒犬クンですね?」

「連れ込んだって言い方だと誤解を招くけどな」

「これは失礼」

 フラムのさりげない訂正に口先で謝罪して、白衣の男はアブニールの肩を勢いよく掴んだ。背後から接近されていることにも気付けなかったが、今も全く動きが予想できなかった。いつもならこんなに容易く触らせはしないのに。レーツェル同様、この男もただのマッドサイエンティストではなさそうだ。

「はあはあ、これが一度もガイドによるガイディングを受けたことがないにもかかわらず今日まで獣化を免れた黒犬クンですか」

 ただ、今のアブニールには心を落ち着けるだけの心のゆとりがなかった。何しろ、目と鼻の先で男が興奮しているのだ。初体験ではなくとも怖いものは怖い。

「なぜ、獣化を免れたのだろうか。有害物質が自然に体外に放出される体質なのか。もしや、特別な酵素の持ち主なのか?」

 今にもよだれを垂らしそうなくらい息を乱し、頬を染めてぎらぎらと目を輝かせている。
 今すぐ振りほどきたいのに、それを許さないほどの気迫に圧倒されていた。同じ人間を相手にしているとは思えないほど無遠慮に身体のあちこちを触りながらどんどん接近してくるので、次第にアブニールはえびぞりになっていく。

「筋肉量は普通……いや、控えめか。体系は痩せ型、足は長め、ふむ。至って普通の少年、いや、青年だな。ならば、やはり秘密は体内にあるのか」

「ちょっ……、おい!」

 止まらない独り言を延々と呟きながら、肩だの腰だの太ももだの撫でまくったあげく、臀部の狭間まで指を食い込ませようとしたので、アブニールはとうとう耐えきれなくなり抗議の声をあげた。

「はいはい、そこまでにしてくれ。クライス」

 頭突きでもかましてやろうかと身体に力をためるが、ギリギリのところでフラムがクライスを引き剥がしてくれた。

「何をするんですか。今大事な調査の最中なのです。団長とはいえ邪魔しないでいただきたい」

 ぷんぷん怒っているが、何をするんですかはアブニールの台詞である。
 別に暴かれた経験がないわけではないが、合意もなしに触られるなど不愉快極まりない。

「研究に没頭すると回りが見えなくなるってのはわかってんだが、下心があろうとなかろうとそこはダメだ。俺だってまだ触らせてもらってないのに」

 途中まで見直していたアブニールだったが、最後にぼそっと付け加えられた一言に半眼になる。
 
「最後の願望さえなけりゃあ、普通に感謝も出来るんだけどなあ」

 思わずため息をこぼすアブニールの前で、クライスが手を打つ。

「なるほど、それなら彼の許可があれば問題ないですね? キミ、どうか私に身体の隅々、いや、奥底まで調べさせてはくれまいか」

「あいにくとそこまで安売りはしてねぇんだ。せめて伯爵くらいにはなって出直してきな」

 きっぱりと突っぱねてやると、クライスは枯れた花のように目に見えてしおれる。
 
「なるほど、伯爵以上か」

 その後ろではフラムがアブニールの逃げの常套句を真に受けていた。もしも誘ってきたのが伯爵なら、辺境伯になってからと位が置き換わるだけなのだが、わざわざ教えてやる必要もないだろう。
 一騒動あったが、ようやく互いに自己紹介をすることになる。

「私はいつでもこの研究棟にいますので、気が変わったらいつでも来てください」

「たぶん一生ねえとは思うが、覚えとくよ」

「では、私はほかに取り掛かるべき研究がありますのでこれで」

 諦めは良い方らしく、アブニールの身体を調べられないと知るなりアブニールへの興味を無くした。そのあたり、アブニールとは気があうらしい。アブニールも手が届く範囲が手にはいれば十分で、あまりに高すぎる理想は追わない性質だから。

「まさか、研究棟に入りたくない理由って……」

 クライスが去っていったガラス扉を見つめながらアブニールは問う。

「毎度あの嵐を止めるのは骨が折れるんだよ。クライスの性格的に、お前に興味を示すことは明らかだったからな」

「そうか。だが俺も一度経験したことで教訓を得たよ。あっちがわにはなるべく行かねぇようにしようってな」

「そりゃ英断だ。どうかこれからも俺のために操を立ててくれ」

「そうだな。クライスにもあんたにも軽率に近寄らねえようにする」
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