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はじめてのガイディング

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「じゃあ、そろそろ荷物を返してくれ」

 男はしかし芝居じみた動作で肩を竦めるだけだ。どうやらまだ解放してはもらえないらしい。
 男が単なるお人よしではなく、なかなか一筋縄ではいかない相手だと分かった今、どんな思惑によるものか、その腹の内を探りたくなる。

「なんでそう生き急ぐかねえ。せっかちな男は嫌われるぜ」

「あんたに嫌われても別に構わねえが」

 きっぱり言い切ってやると、男はがっくりと項垂れる。わざとらしくて、演技だと丸わかりだ。

「つれないねえ。少なくとも俺はお前の事悪くないと思ってるぜ?」

「口説くのが尋問するのかどっちかにしてくれ。こっちは左足が痛くて精神的余裕がなくなって来てんだ。動かなくなる前に処置しておきたい」

 目を覚ますきっかけになった痛みは、今も脈動に合わせて定期的に鈍痛を与えてくる。意識がはっきりしていくのにつれて、我慢できなくなってきた。額に冷や汗が浮かぶ。

「おっと、気付かなくて悪いな。鎮痛剤は投与したんだが、もう効果が切れはじめたか」

 男の焦ったような表情は今度こそ演技ではない。手早く掛布の下半分をはがされる。怪我の具合を確認するのかと思いきや、男は包帯越しに左足の怪我に触れて、おもむろにまぶたを閉じた。

「痛……、な、何を……?」

 不可解な行動に当惑して疑問を口にするも、男からの返事はなかった。
 真意は不明だが集中しているのだと判断し、アブニールは邪魔しないよう大人しく口を噤む。
 すると不思議なことが起こった。外部からの刺激で痛みが一瞬増幅したのち、じわじわと、波が引くように和らいでいったのだ。まるで心臓が傷口に移動してしまったかのようにどくどくと脈打っていたのに、その感覚も今はない。
 やがて完全に痛みが消えると、男が目を開いた。呆けているアブニールをしたり顔で見遣った後、妙に優しい手つきで包帯を外される。

「嘘だろ……、傷が……?」

 男がわざわざ持ち上げてくれたことで、首を少し傾けただけで傷の具合がよく見えた。いや、傷の具合という表現はふさわしくないかもしれない。何しろ、アブニールの左足にはかさぶたすら残っていないのだから。
 
「どうですか。初体験の御感想は」

 包帯を外し終え、男がそっとアブニールの足を下ろす。言動は終始ふざけているのに、手つきはどこまでも優しい。

「変な言い方すんな。今のはなんだ?」

「ガイディングだよ。やっぱり知らなかったんだな、お前」

「……ガイディング?」

 おうむ返しするアブニールに、男は渋面を浮かべて嘆息した。浮かせていた腰を再び丸椅子の座面に落ち着け、腕組みをする。無知だと軽蔑されただろうか。

「情報がいきわたっていない証拠だな。だからこそ、怪我を治すのはお前が目覚めてからにしようと考えたんだが」

 どうやらアブニールのもの知らずに呆れているわけではないらしい。アブニールはほっとした気持ちになって、そんな自分に違和感を覚えた。
 冷遇されるのも、馬鹿にされるのも慣れっこのはずだ。別に、名前すらも知らない男にどう思われようが構わないはずなのに、なぜこんな気持ちになるのだろうか。

「まあ、こうして実演してみせたことだし、俺の話を信じてくれるだろ? 最初から説明してやる」

 男はそう宣言して、切り替えるためか居住まいを正した。姿勢よく座ると威風堂々としていて、ようやく騎士然とした風情を纏ったように感じる。

「……それは助かるけど、いいのか?」

 わずか十歳にして親の庇護を失ったアブニールにとって、知識を得られる機会はなるべく逃したくないどころか、貪欲につかみ取りたいほど貴重だ。しかし、教える側はそうではない。
 面倒だと拒まれるならそれも仕方のない事だと割り切って確認する。
 すると、男は見たことのない種類の笑みを浮かべた。

「そんな迷子の子犬みたいな顔すんなって。教えるって言っただろ?」

 湛えた微笑だけでなく、声音までもが慈しむように柔らかい。ふいに心をくすぐられたみたいで、アブニールは惑った。急に心臓がきゅっと萎んで苦しくなり、またすぐに元に戻る。理解不能な変調は、優しさに不慣れな所為だろうか。

「そうか。……学びの機会は貴重なんだ。ありがとう」

 単純かもしれないが、久方ぶりの親切にふれて心の拘束が緩んでしまう。その所為で、常に理性的であろうと心がけながらも、決して消えることのないアブニールの素直な一面が顔を覗かせてしまった。
 急に態度を軟化したことで面食らったのだろう。男が目を見開いて、しばし固まる。

「い、いや。じゃあ、まずは基礎的なことからはじめるぞ」

 硬直していたのはほんの数秒で、男は空咳を一つしてから、一度きりの教鞭を執った。

「まず、お前は……ああいや、もう面倒だ。お前の名前を教えてくれ。ちなみに俺はフラムという。今後はそう呼んでくれ」

「俺はアブニール。ニールでいい」

 自然な流れでお互い名乗ることになった。普段はそう簡単に名を明かしたりはしないが、そうしなければ説明が難しいというならやむを得ない。教養のためなら安いものだと自分を納得させる。

「アブニール、ニールか。良い名前だ。ではニール。お前は黒犬に赤目のスピリットアニマルを連れているな?」

 スピリットアニマルという単語は初耳だが、犬を相棒に連れていることをいきなり言い当てられて瞠目した。
 確かにアブニールにのそばには幼いころから黒い体毛の犬がいる。だが、普段は姿を消していて、アブニール以外の前にはそうそう姿を現さない。現に今も、部屋の中にその姿は見当たらない。

「ああ。ノワールって言うんだ。分かるのか?」

 目の色まで詳細に見抜かれた以上、ひた隠す方が不自然だろう。アブニールは相棒ノワールの存在を認めた。

「さっきの手当……ガイディングを行うことで、俺はお前の中に黒犬を感じ取った。まあ、詳細に言うなら一度目、毒を受けて瀕死だったお前を助けた時なんだがな。お前も俺に動物の気配を感じるだろ? お前の場合、気配というより匂いか」

「……馬」

 そういえば、嗅覚が馬の匂いを感じ取っていた。てっきり騎士だからかと思っていたが、そうではないらしい。思わずつぶやいた言葉に男……フラムは首肯した。

「俺のスピリットアニマルは馬だ。それも羽付きの馬、ペガサスなんだぜ。狭いところは苦手なんでへそを曲げるんだが、特別に見せてやろう」

 フラムはそう言うなり虚空に向かって「ブラン」と発した。すると、どこからともなく真っ白な馬が姿を現す。蹄の音もない、どこからか入って来た形跡もない。まるで透明のカーテンを外したかのように、唐突に室内に顕現した。
 機嫌が悪くなるというのも本当のようで、耳がぴったり後ろにくっついてしまっている。何なら歯もむき出していて、そんな相棒の様子にフラムは苦笑していた。

「ごめんな。もういいぞ」

 フラムの指示に従い、羽付きの白馬は一瞬にして霧散した。白い粒子が淡雪のように散って、それすらも消滅してしまう。ノワールが消える時と同じだ。ただしノワールは白ではなく黒の粒子を撒くのだが。
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