裏吉原あやかし語り

石田空

文字の大きさ
上 下
31 / 33

神のいぬ間のひと休み

しおりを挟む
 ショートブレッドのつくりかたはどこで知れるだろうかと、私は姐さんと一緒に古本屋に寄ってみた。古本屋はどうやって届いているのか知らないけれど、表の古本屋から古本が流れてくるせいで、比較的新しめの古本まで流れてきていた。

「なんでこんなに古本が流れてくるんですか?」

 店主は付喪神らしく、いつもはたきを持ってホケホケと笑っているおじいさんだった。付喪神と言っても神ではないらしく、あやかしと神の間くらいの存在らしい。
 本の付喪神のおじいさんはホケホケ笑いながら教えてくれた。

「表にだって神隠しっつうもんはあるだろう? それと同じで、ときどき物が突然なくなったり、なくなったと思っていたもんが出てきたりってのはなかったかい?」
「ああ……ときどきありましたね」
「それとおんなじで、ときどき裏吉原に流れてくるもんを集めて売ってるのさ。死人のように川に流れちまったら困るからねえ」

 それに私は顔を引きつらせた。
 姐さんに記憶喪失の真相を教えてないんだから、そんな話はするなと。もっとも、姐さんは先生との依頼を記憶はなくとも理解しているらしく、自ら記憶を取り戻したいという感情はなさそうなのだ。
 私とおじいさんがしゃてっている間も、一生懸命本を読んでいる。クッキーやビスケットの作り方は婦人誌に掲載されるようになったものの、うどん粉以外の材料を集めるのはなかなか大変で、一回つくるだけでもずいぶんと手間がかかる。
 その中で、私は英語で書かれたお菓子の作り方の本を見つけ出した。そこにかろうじて【ショートブレッド】と書かれている作り方の項目を見つけ出す。

「姐さん姐さん、多分これじゃないですか?」
「ええ……これ、なんて書かれてるんだい?」
「英語ですね……でも数字は書いてありますから、その通りにつくればなんとかなりそうです。でも万屋でつくるとなったら先生にバレてしまいますし……喜多さん。私のお友達の繕い物屋さんがいるんですけれど、台所を借りれないか聞いてみましょう」
「音羽、ここに結構知り合いがいるんだねえ……」

 姐さんから感心してもらえるとは思ってもおらず、私ははにかんだ。

「私、なんにもできません。ただ、頼る人だけは多くなりました」
「頼れる人に頼るってぇのも、力だと思うけどねえ」

 姐さんの言葉に、私はドキリとした。それは表の吉原で、私が姐さんの部屋に転がり込んだときにも言われていたことだった。

『ひとりでほっぽり出されたらあたしたちは野垂れ死ぬから、できる限り味方をつくれ』
『頼れる人間がいたら、案外なんとかなるから』

 そう繰り返し繰り返し教わっていたことだけれど、当然ながら姐さんはその記憶はないはずなのだ。
 全く覚えていなくても、心に残ってくれていたのなら、それは少しだけ嬉しい。
 とりあえず私は「先に喜多さんに台所を借りれないか交渉してから、材料を買いに行きましょう」と誘って行くことにした。
 そういえば今日は花魁道中がない。今夜は神が来ない日なんだろうかとぼんやりと思った。

****

 古本屋で英語の料理の本を買ってから、喜多さんの繕い屋に向かう。
 繕い屋には、今日はいつにも増して仕事が多く、喜多さんはへろへろになりながら作業をしていた。
 私はお腹を空かせている喜多さんに、怖々と交渉した。

「喜多さんに食事も用意しますから、台所貸していただけませんか? ちょっとショートブレッドを焼きたいんですけれど、万屋では焼けませんので」
「ご飯用意してくれるんですか? ありがたいです。今日はちょっと仕事が多過ぎて、朝からなにも食べてないんです……」
「それ全然駄目ですよね!? わかりました。ひとまず私と姐さんで材料買いに行くついでに、喜多さんに軽くつまめるもの買ってきますから!」
「ありがとうございます……」

 へろへろになっている喜多さんに一旦台所を借りる許可をもらった私は、再び姐さんと一緒に大通りを歩きはじめた。

「今日は花魁道中はないんですね。道が静かです」
「そりゃねえ。神無月は神も出雲に出かけて、わざわざ裏吉原まで来ないから」
「あれ、そうだったんですか?」

 私はキョトンとしながら姐さんに尋ねる。
 姐さんは大見世に囲われていたのもあり、神に対する行事は比較的詳しかった。

「そうだよ。年に一度神は会議しているんだってさ」
「なるほど……その間は裏吉原も暇になるんですかね?」
「どうだろうね? 死神は神の管轄だけれど、行かないし。行かない神もいるから、いつもよりも神がいないだけで暇になるこたないと思うよ。ああ……しょうとぶれっどの材料はあそこで買うのかい?」
「あっ、はい」

 私たちは問屋に買い物に来ていた。本来は問屋は商売人が商売に使うものを買いに来る店なんだけれど、裏吉原では住んでいる住民たちも普通に生活用品を買いに来る。
 店屋物の材料が並ぶ問屋は、当然ショートブレッドの材料も買い揃えることができる。
 うどん粉、砂糖、バター。それらを買って、帰りに喜多さんがすぐ食べられるようにと、肉フライを何本か買って帰った。
 繕い物をしていた喜多さんは、私が買ってきた肉フライを見ると、針山に針を突き刺して一生懸命食べはじめた。相当お腹が空いていたらしく、お茶も淹れてあげるとそれもグビグビと飲みはじめた。
 私たちは「それじゃあ台所お借りしますね」と言ったら、喜多さんは手を拭ってから再び針を手に取る。

「どうぞー」
「ありがとうございます」

 こうして私たちは英語の作り方と睨めっこしながら、ショートブレッドをつくりはじめた。
 砂糖とバターを白くなるまで混ぜると書いてあるものの、買ったばかりのバターは固くて、そもそも砂糖と混ぜることができない。

「あ、あれ……?」
「できないねえ」

 私たちがもたもたしていたら、ちくちく縫い物をしている喜多さんが口を挟んできた。

「こちらに火鉢がありますから、そこで少しバターを溶かしながら作業をすればよろしいのでは?」
「あっ、はい! ありがとうございます。姐さん。バターと砂糖を混ぜてもらってていいですか?」
「そりゃ頑張るけど……でも音羽はどうするんだい?」
「これをおーぶん? で焼かないと駄目って書いてあるんですけど、喜多さんの家の台所にはそんなのありませんから、かまどで焼こうと思います」

 喜多さんの家は、昔ながらのかまどであり、瓦斯すら通っていない。魔法の使える先生や不明門《あけず》くん、私だったらともかく、他のひとたちは苦労しただろうなと想像ができた。
 私は自分の徳を使って、先生から教わった火を出す魔法を使うと、かまどの上に鉄板を敷かせてもらった。ここでショートブレッドを焼かせてもらう。

「バターと砂糖混ざったけど」
「はい。次はうどん粉を混ぜるそうです」
「はいはい」

 姐さんが火鉢で少しだけ温めたおかげで、ちゃんとバターと砂糖は白くなるまで混ざった。その上にざるで濾したうどん粉を加え、ひとまとめできるようになるまで混ぜる。この時点で既にいい匂いがしているのは、多分バターのおかげだ。

「あとは?」
「ここに鉄の型があるんで、ここに残しておいたバターを塗ってから、底いっぱいに敷き詰めていきます」
「はいはい」

 私が型にバターを塗り、姐さんができたショートブレッドの生地を型に敷き詰めていった。あとは私が用意した台に載せて焼けるまで待つだけだ。
 しばらく私たちは台所を片付け、喜多さんの仕事のお手伝いをしていたところで、プンといい匂いが立ちこめた。
 それに喜多さんはにこにこと笑う。

「ええっと、クッキーでしたっけ?」
「ショートブレッドだって。先生の故郷のお菓子」
「まあ。ではそのショートブレッド、どうしてわざわざうちで焼いたんですか?」

 それに私と姐さんは顔を見合わせると、姐さんはうっすらと頬を染めていた。

「……恩人に感謝の印に渡したくて」
「まあ」

 喜多さんはなにかを勘付いたみたいだけど、ただにこにこと笑っているだけだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

荷車尼僧の回顧録

石田空
大衆娯楽
戦国時代。 密偵と疑われて牢屋に閉じ込められた尼僧を気の毒に思った百合姫。 座敷牢に食事を持っていったら、尼僧に体を入れ替えられた挙句、尼僧になってしまった百合姫は処刑されてしまう。 しかし。 尼僧になった百合姫は何故か生きていた。 生きていることがばれたらまた処刑されてしまうかもしれないと逃げるしかなかった百合姫は、尼寺に辿り着き、僧に泣きつく。 「あなたはおそらく、八百比丘尼に体を奪われてしまったのでしょう。不死の体を持っていては、いずれ心も人からかけ離れていきます。人に戻るには人魚を探しなさい」 僧の連れてきてくれた人形職人に義体をつくってもらい、日頃は人形の姿で人らしく生き、有事の際には八百比丘尼の体で人助けをする。 旅の道連れを伴い、彼女は戦国時代を生きていく。 和風ファンタジー。 カクヨム、エブリスタにて先行掲載中です。

お江戸陰陽師あやし草紙─これはあやかしのしわざですか?─

石田空
キャラ文芸
時は江戸。日々暦をつくって生活している下っ端陰陽師の土御門史郎の元に、押しかけ弟子の椿がやってくる。女だてらに陰陽道を極めたいという椿に振り回されている史郎の元には、日々「もののけのしわざじゃないか」「あやかしのしわざじゃないか」という悩み事が持ち込まれる。 お人よしで直情型な椿にせかされながら、史郎は日々お悩み相談に精を出す。

ナマズの器

螢宮よう
キャラ文芸
時は、多種多様な文化が溶け合いはじめた時代の赤い髪の少女の物語。 不遇な赤い髪の女の子が過去、神様、因縁に巻き込まれながらも前向きに頑張り大好きな人たちを守ろうと奔走する和風ファンタジー。

あやかし古都の九重さん~京都木屋町通で神様の遣いに出会いました~

卯月みか
キャラ文芸
旧題:お狐様派遣します~京都木屋町通一之船入・人材派遣会社セカンドライフ~ 《ワケあり美青年に見初められ、お狐様の相談係になりました》 失恋を機に仕事を辞め、京都の実家に帰ってきた結月。仕事と新居を探していたある日、結月は謎めいた美青年と出会った。彼の名は、九重さん。小さな派遣事務所を営んでいるという。「仕事を探してはるんやったら、うちで働いてみませんか?」思わぬ好待遇に惹かれ、結月は彼のもとで働くことを決める。けれどその事務所を訪れるのは、人間界で暮らしたい悩める狐たちで――神使の美青年×お人好し女子のゆる甘あやかしファンタジー!

【あらすじ動画あり / 室町和風歴史ファンタジー】『花鬼花伝~世阿弥、花の都で鬼退治!?~』

郁嵐(いくらん)
キャラ文芸
お忙しい方のためのあらすじ動画はこちら↓ https://youtu.be/JhmJvv-Z5jI 【ストーリーあらすじ】 ■■室町、花の都で世阿弥が舞いで怪異を鎮める室町歴史和風ファンタジー■■ ■■ブロマンス風、男男女の三人コンビ■■ 室町時代、申楽――後の能楽――の役者の子として生まれた鬼夜叉(おにやしゃ)。 ある日、美しい鬼の少女との出会いをきっかけにして、 鬼夜叉は自分の舞いには荒ぶった魂を鎮める力があることを知る。 時は流れ、鬼夜叉たち一座は新熊野神社で申楽を演じる機会を得る。 一座とともに都に渡った鬼夜叉は、 そこで室町幕府三代将軍 足利義満(あしかが よしみつ)と出会う。 一座のため、申楽のため、義満についた怨霊を調査することになった鬼夜叉。 これは後に能楽の大成者と呼ばれた世阿弥と、彼の支援者である義満、 そして物語に書かれた美しい鬼「花鬼」たちの物語。 【その他、作品】 浅草を舞台にした和風歴史ファンタジー小説も書いていますので 興味がありましたらどうぞ~!(ブロマンス風、男男女の三人コンビ) ■あらすじ動画(1分) https://youtu.be/AE5HQr2mx94 ■あらすじ動画(3分) https://youtu.be/dJ6__uR1REU

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

狼神様と生贄の唄巫女 虐げられた盲目の少女は、獣の神に愛される

茶柱まちこ
キャラ文芸
 雪深い農村で育った少女・すずは、赤子のころにかけられた呪いによって盲目となり、姉や村人たちに虐いたげられる日々を送っていた。  ある日、すずは村人たちに騙されて生贄にされ、雪山の神社に閉じ込められてしまう。失意の中、絶命寸前の彼女を救ったのは、狼と人間を掛け合わせたような姿の男──村人たちが崇める守護神・大神だった。  呪いを解く代わりに大神のもとで働くことになったすずは、大神やあやかしたちの優しさに触れ、幸せを知っていく──。  神様と盲目少女が紡ぐ、和風恋愛幻想譚。 (旧題:『大神様のお気に入り』)

雨降る朔日

ゆきか
キャラ文芸
母が云いました。祭礼の後に降る雨は、子供たちを憐れむ蛇神様の涙だと。 せめて一夜の話し相手となりましょう。 御物語り候へ。 --------- 珠白は、たおやかなる峰々の慈愛に恵まれ豊かな雨の降りそそぐ、農業と医学の国。 薬師の少年、霜辻朔夜は、ひと雨ごとに冬が近付く季節の薬草園の六畳間で、蛇神の悲しい物語に耳を傾けます。 白の霊峰、氷室の祭礼、身代わりの少年たち。 心優しい少年が人ならざるものたちの抱えた思いに寄り添い慰撫する中で成長してゆく物語です。 創作「Galleria60.08」のシリーズ作品となります。 2024.11.25〜12.8 この物語の世界を体験する展示を、箱の中のお店(名古屋)で開催します。 絵:ゆきか 題字:渡邊野乃香

処理中です...