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神のいぬ間のひと休み
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ショートブレッドのつくりかたはどこで知れるだろうかと、私は姐さんと一緒に古本屋に寄ってみた。古本屋はどうやって届いているのか知らないけれど、表の古本屋から古本が流れてくるせいで、比較的新しめの古本まで流れてきていた。
「なんでこんなに古本が流れてくるんですか?」
店主は付喪神らしく、いつもはたきを持ってホケホケと笑っているおじいさんだった。付喪神と言っても神ではないらしく、あやかしと神の間くらいの存在らしい。
本の付喪神のおじいさんはホケホケ笑いながら教えてくれた。
「表にだって神隠しっつうもんはあるだろう? それと同じで、ときどき物が突然なくなったり、なくなったと思っていたもんが出てきたりってのはなかったかい?」
「ああ……ときどきありましたね」
「それとおんなじで、ときどき裏吉原に流れてくるもんを集めて売ってるのさ。死人のように川に流れちまったら困るからねえ」
それに私は顔を引きつらせた。
姐さんに記憶喪失の真相を教えてないんだから、そんな話はするなと。もっとも、姐さんは先生との依頼を記憶はなくとも理解しているらしく、自ら記憶を取り戻したいという感情はなさそうなのだ。
私とおじいさんがしゃてっている間も、一生懸命本を読んでいる。クッキーやビスケットの作り方は婦人誌に掲載されるようになったものの、うどん粉以外の材料を集めるのはなかなか大変で、一回つくるだけでもずいぶんと手間がかかる。
その中で、私は英語で書かれたお菓子の作り方の本を見つけ出した。そこにかろうじて【ショートブレッド】と書かれている作り方の項目を見つけ出す。
「姐さん姐さん、多分これじゃないですか?」
「ええ……これ、なんて書かれてるんだい?」
「英語ですね……でも数字は書いてありますから、その通りにつくればなんとかなりそうです。でも万屋でつくるとなったら先生にバレてしまいますし……喜多さん。私のお友達の繕い物屋さんがいるんですけれど、台所を借りれないか聞いてみましょう」
「音羽、ここに結構知り合いがいるんだねえ……」
姐さんから感心してもらえるとは思ってもおらず、私ははにかんだ。
「私、なんにもできません。ただ、頼る人だけは多くなりました」
「頼れる人に頼るってぇのも、力だと思うけどねえ」
姐さんの言葉に、私はドキリとした。それは表の吉原で、私が姐さんの部屋に転がり込んだときにも言われていたことだった。
『ひとりでほっぽり出されたらあたしたちは野垂れ死ぬから、できる限り味方をつくれ』
『頼れる人間がいたら、案外なんとかなるから』
そう繰り返し繰り返し教わっていたことだけれど、当然ながら姐さんはその記憶はないはずなのだ。
全く覚えていなくても、心に残ってくれていたのなら、それは少しだけ嬉しい。
とりあえず私は「先に喜多さんに台所を借りれないか交渉してから、材料を買いに行きましょう」と誘って行くことにした。
そういえば今日は花魁道中がない。今夜は神が来ない日なんだろうかとぼんやりと思った。
****
古本屋で英語の料理の本を買ってから、喜多さんの繕い屋に向かう。
繕い屋には、今日はいつにも増して仕事が多く、喜多さんはへろへろになりながら作業をしていた。
私はお腹を空かせている喜多さんに、怖々と交渉した。
「喜多さんに食事も用意しますから、台所貸していただけませんか? ちょっとショートブレッドを焼きたいんですけれど、万屋では焼けませんので」
「ご飯用意してくれるんですか? ありがたいです。今日はちょっと仕事が多過ぎて、朝からなにも食べてないんです……」
「それ全然駄目ですよね!? わかりました。ひとまず私と姐さんで材料買いに行くついでに、喜多さんに軽くつまめるもの買ってきますから!」
「ありがとうございます……」
へろへろになっている喜多さんに一旦台所を借りる許可をもらった私は、再び姐さんと一緒に大通りを歩きはじめた。
「今日は花魁道中はないんですね。道が静かです」
「そりゃねえ。神無月は神も出雲に出かけて、わざわざ裏吉原まで来ないから」
「あれ、そうだったんですか?」
私はキョトンとしながら姐さんに尋ねる。
姐さんは大見世に囲われていたのもあり、神に対する行事は比較的詳しかった。
「そうだよ。年に一度神は会議しているんだってさ」
「なるほど……その間は裏吉原も暇になるんですかね?」
「どうだろうね? 死神は神の管轄だけれど、行かないし。行かない神もいるから、いつもよりも神がいないだけで暇になるこたないと思うよ。ああ……しょうとぶれっどの材料はあそこで買うのかい?」
「あっ、はい」
私たちは問屋に買い物に来ていた。本来は問屋は商売人が商売に使うものを買いに来る店なんだけれど、裏吉原では住んでいる住民たちも普通に生活用品を買いに来る。
店屋物の材料が並ぶ問屋は、当然ショートブレッドの材料も買い揃えることができる。
うどん粉、砂糖、バター。それらを買って、帰りに喜多さんがすぐ食べられるようにと、肉フライを何本か買って帰った。
繕い物をしていた喜多さんは、私が買ってきた肉フライを見ると、針山に針を突き刺して一生懸命食べはじめた。相当お腹が空いていたらしく、お茶も淹れてあげるとそれもグビグビと飲みはじめた。
私たちは「それじゃあ台所お借りしますね」と言ったら、喜多さんは手を拭ってから再び針を手に取る。
「どうぞー」
「ありがとうございます」
こうして私たちは英語の作り方と睨めっこしながら、ショートブレッドをつくりはじめた。
砂糖とバターを白くなるまで混ぜると書いてあるものの、買ったばかりのバターは固くて、そもそも砂糖と混ぜることができない。
「あ、あれ……?」
「できないねえ」
私たちがもたもたしていたら、ちくちく縫い物をしている喜多さんが口を挟んできた。
「こちらに火鉢がありますから、そこで少しバターを溶かしながら作業をすればよろしいのでは?」
「あっ、はい! ありがとうございます。姐さん。バターと砂糖を混ぜてもらってていいですか?」
「そりゃ頑張るけど……でも音羽はどうするんだい?」
「これをおーぶん? で焼かないと駄目って書いてあるんですけど、喜多さんの家の台所にはそんなのありませんから、かまどで焼こうと思います」
喜多さんの家は、昔ながらのかまどであり、瓦斯すら通っていない。魔法の使える先生や不明門《あけず》くん、私だったらともかく、他のひとたちは苦労しただろうなと想像ができた。
私は自分の徳を使って、先生から教わった火を出す魔法を使うと、かまどの上に鉄板を敷かせてもらった。ここでショートブレッドを焼かせてもらう。
「バターと砂糖混ざったけど」
「はい。次はうどん粉を混ぜるそうです」
「はいはい」
姐さんが火鉢で少しだけ温めたおかげで、ちゃんとバターと砂糖は白くなるまで混ざった。その上にざるで濾したうどん粉を加え、ひとまとめできるようになるまで混ぜる。この時点で既にいい匂いがしているのは、多分バターのおかげだ。
「あとは?」
「ここに鉄の型があるんで、ここに残しておいたバターを塗ってから、底いっぱいに敷き詰めていきます」
「はいはい」
私が型にバターを塗り、姐さんができたショートブレッドの生地を型に敷き詰めていった。あとは私が用意した台に載せて焼けるまで待つだけだ。
しばらく私たちは台所を片付け、喜多さんの仕事のお手伝いをしていたところで、プンといい匂いが立ちこめた。
それに喜多さんはにこにこと笑う。
「ええっと、クッキーでしたっけ?」
「ショートブレッドだって。先生の故郷のお菓子」
「まあ。ではそのショートブレッド、どうしてわざわざうちで焼いたんですか?」
それに私と姐さんは顔を見合わせると、姐さんはうっすらと頬を染めていた。
「……恩人に感謝の印に渡したくて」
「まあ」
喜多さんはなにかを勘付いたみたいだけど、ただにこにこと笑っているだけだった。
「なんでこんなに古本が流れてくるんですか?」
店主は付喪神らしく、いつもはたきを持ってホケホケと笑っているおじいさんだった。付喪神と言っても神ではないらしく、あやかしと神の間くらいの存在らしい。
本の付喪神のおじいさんはホケホケ笑いながら教えてくれた。
「表にだって神隠しっつうもんはあるだろう? それと同じで、ときどき物が突然なくなったり、なくなったと思っていたもんが出てきたりってのはなかったかい?」
「ああ……ときどきありましたね」
「それとおんなじで、ときどき裏吉原に流れてくるもんを集めて売ってるのさ。死人のように川に流れちまったら困るからねえ」
それに私は顔を引きつらせた。
姐さんに記憶喪失の真相を教えてないんだから、そんな話はするなと。もっとも、姐さんは先生との依頼を記憶はなくとも理解しているらしく、自ら記憶を取り戻したいという感情はなさそうなのだ。
私とおじいさんがしゃてっている間も、一生懸命本を読んでいる。クッキーやビスケットの作り方は婦人誌に掲載されるようになったものの、うどん粉以外の材料を集めるのはなかなか大変で、一回つくるだけでもずいぶんと手間がかかる。
その中で、私は英語で書かれたお菓子の作り方の本を見つけ出した。そこにかろうじて【ショートブレッド】と書かれている作り方の項目を見つけ出す。
「姐さん姐さん、多分これじゃないですか?」
「ええ……これ、なんて書かれてるんだい?」
「英語ですね……でも数字は書いてありますから、その通りにつくればなんとかなりそうです。でも万屋でつくるとなったら先生にバレてしまいますし……喜多さん。私のお友達の繕い物屋さんがいるんですけれど、台所を借りれないか聞いてみましょう」
「音羽、ここに結構知り合いがいるんだねえ……」
姐さんから感心してもらえるとは思ってもおらず、私ははにかんだ。
「私、なんにもできません。ただ、頼る人だけは多くなりました」
「頼れる人に頼るってぇのも、力だと思うけどねえ」
姐さんの言葉に、私はドキリとした。それは表の吉原で、私が姐さんの部屋に転がり込んだときにも言われていたことだった。
『ひとりでほっぽり出されたらあたしたちは野垂れ死ぬから、できる限り味方をつくれ』
『頼れる人間がいたら、案外なんとかなるから』
そう繰り返し繰り返し教わっていたことだけれど、当然ながら姐さんはその記憶はないはずなのだ。
全く覚えていなくても、心に残ってくれていたのなら、それは少しだけ嬉しい。
とりあえず私は「先に喜多さんに台所を借りれないか交渉してから、材料を買いに行きましょう」と誘って行くことにした。
そういえば今日は花魁道中がない。今夜は神が来ない日なんだろうかとぼんやりと思った。
****
古本屋で英語の料理の本を買ってから、喜多さんの繕い屋に向かう。
繕い屋には、今日はいつにも増して仕事が多く、喜多さんはへろへろになりながら作業をしていた。
私はお腹を空かせている喜多さんに、怖々と交渉した。
「喜多さんに食事も用意しますから、台所貸していただけませんか? ちょっとショートブレッドを焼きたいんですけれど、万屋では焼けませんので」
「ご飯用意してくれるんですか? ありがたいです。今日はちょっと仕事が多過ぎて、朝からなにも食べてないんです……」
「それ全然駄目ですよね!? わかりました。ひとまず私と姐さんで材料買いに行くついでに、喜多さんに軽くつまめるもの買ってきますから!」
「ありがとうございます……」
へろへろになっている喜多さんに一旦台所を借りる許可をもらった私は、再び姐さんと一緒に大通りを歩きはじめた。
「今日は花魁道中はないんですね。道が静かです」
「そりゃねえ。神無月は神も出雲に出かけて、わざわざ裏吉原まで来ないから」
「あれ、そうだったんですか?」
私はキョトンとしながら姐さんに尋ねる。
姐さんは大見世に囲われていたのもあり、神に対する行事は比較的詳しかった。
「そうだよ。年に一度神は会議しているんだってさ」
「なるほど……その間は裏吉原も暇になるんですかね?」
「どうだろうね? 死神は神の管轄だけれど、行かないし。行かない神もいるから、いつもよりも神がいないだけで暇になるこたないと思うよ。ああ……しょうとぶれっどの材料はあそこで買うのかい?」
「あっ、はい」
私たちは問屋に買い物に来ていた。本来は問屋は商売人が商売に使うものを買いに来る店なんだけれど、裏吉原では住んでいる住民たちも普通に生活用品を買いに来る。
店屋物の材料が並ぶ問屋は、当然ショートブレッドの材料も買い揃えることができる。
うどん粉、砂糖、バター。それらを買って、帰りに喜多さんがすぐ食べられるようにと、肉フライを何本か買って帰った。
繕い物をしていた喜多さんは、私が買ってきた肉フライを見ると、針山に針を突き刺して一生懸命食べはじめた。相当お腹が空いていたらしく、お茶も淹れてあげるとそれもグビグビと飲みはじめた。
私たちは「それじゃあ台所お借りしますね」と言ったら、喜多さんは手を拭ってから再び針を手に取る。
「どうぞー」
「ありがとうございます」
こうして私たちは英語の作り方と睨めっこしながら、ショートブレッドをつくりはじめた。
砂糖とバターを白くなるまで混ぜると書いてあるものの、買ったばかりのバターは固くて、そもそも砂糖と混ぜることができない。
「あ、あれ……?」
「できないねえ」
私たちがもたもたしていたら、ちくちく縫い物をしている喜多さんが口を挟んできた。
「こちらに火鉢がありますから、そこで少しバターを溶かしながら作業をすればよろしいのでは?」
「あっ、はい! ありがとうございます。姐さん。バターと砂糖を混ぜてもらってていいですか?」
「そりゃ頑張るけど……でも音羽はどうするんだい?」
「これをおーぶん? で焼かないと駄目って書いてあるんですけど、喜多さんの家の台所にはそんなのありませんから、かまどで焼こうと思います」
喜多さんの家は、昔ながらのかまどであり、瓦斯すら通っていない。魔法の使える先生や不明門《あけず》くん、私だったらともかく、他のひとたちは苦労しただろうなと想像ができた。
私は自分の徳を使って、先生から教わった火を出す魔法を使うと、かまどの上に鉄板を敷かせてもらった。ここでショートブレッドを焼かせてもらう。
「バターと砂糖混ざったけど」
「はい。次はうどん粉を混ぜるそうです」
「はいはい」
姐さんが火鉢で少しだけ温めたおかげで、ちゃんとバターと砂糖は白くなるまで混ざった。その上にざるで濾したうどん粉を加え、ひとまとめできるようになるまで混ぜる。この時点で既にいい匂いがしているのは、多分バターのおかげだ。
「あとは?」
「ここに鉄の型があるんで、ここに残しておいたバターを塗ってから、底いっぱいに敷き詰めていきます」
「はいはい」
私が型にバターを塗り、姐さんができたショートブレッドの生地を型に敷き詰めていった。あとは私が用意した台に載せて焼けるまで待つだけだ。
しばらく私たちは台所を片付け、喜多さんの仕事のお手伝いをしていたところで、プンといい匂いが立ちこめた。
それに喜多さんはにこにこと笑う。
「ええっと、クッキーでしたっけ?」
「ショートブレッドだって。先生の故郷のお菓子」
「まあ。ではそのショートブレッド、どうしてわざわざうちで焼いたんですか?」
それに私と姐さんは顔を見合わせると、姐さんはうっすらと頬を染めていた。
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