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それからの私は、お使いをしながらも、大神様の回答待ちでずっとそわそわしていた。
先生は気を遣ってか、私に買い物やお届けなど、あまり頭を使わなくて済む仕事ばかりをあてがい、その間は魔法の稽古も付けられなかった。
「大丈夫かい、音羽」
「いえ……心配おかけしてすみません」
「帷子も悪い奴ではないんだが、気の利く言葉も使わない奴だからね。あんまり真に受けて落ち込むのはやめたがいいよ」
「そうなんでしょうか……」
「そうさね。不明門、できる限りお前さんも音羽と一緒に仕事をしな」
「はいはいっと。こいつ今目を離したら溝にでも落ちてそうなんだもんなあ」
「お、落ちないよ!?」
「いや落ちるね、ここまで気もそぞろだったら」
不明門くんにまでそう言われたら、そうなんだなと納得するしかできなかった。
ふたりでお使いに行き、帰りに「せめてなんか甘いもんでも食え」と言われて買ったカルメン焼き。こんなに大きなものは吉原ではなかなか買えないものだったのに、食べるとなんだか味がしないのは、きっと私の気持ちが落ち着かないせいだ。
折角買ったのにと、どうにかもぞもぞと食べていたら、「あらおいしそうですね」と声をかけられた。声をかけてきたひとを見て、思わずぎょっとする。
出てくるたびに、こちらにさざ波を起こして立ち去っていく、御陵さんだった。私は小さく「こんにちは……」と会釈をするけれど、不明門くんは胡散臭いものを見る目で御陵さんを見る。
今日の御陵さんは髪型も落ち着いた横結びに、女物の着こなしとはいえどもいつもの男娼用の派手な着方はしていない。今日は珍しく休みなんだろうか。
「なんの用っすか。こちらはこれから万屋に帰るところですけど」
不明門くんが警戒心露わにしているのに「あらあら」と御陵さんはクスクス笑った。
「別に用なんてないですよ。今日はお仕事はお休み。久々に表通りを散策していたら、顔見知りがなんだか暗い顔をしているもの。どうかしたのかって話しかけるのが道理でしょう?」
「私、御陵さんが声をかけてくるほど、ひどい顔をしてたでしょうか」
「そうですね、していました。あなたはどう思うんですか?」
御陵さんは艶っぽくときおり髪を手櫛で整えながら、ちらりと横目で不明門くんを見る。
不明門くんは「フン」と鼻息を立てた。
「これを調子がいいなんて言ったら、ほとんどの病人は床で眠ることができねえんじゃないですかね」
「そうですね、病は気からですもの」
「も、もう……私が落ち込んでいても、いいじゃないですかあ……いつだって元気な訳ではないんですから」
ふたりにつつかれまくって、とうとう私はボロッと涙を溢すと、それに御陵さんは臆することなく「まあまあ」と私に手拭いを差し出した。
「もちろん、元気じゃないことはいけないことではないですわ。ただ、ここは徳が全てですもの。徳がなくなればここではやっていけない。存在が消滅するのがまだマシなくらいですのよ。死神に連れて行かれたら、もっとひどいことにもなるのだから……元気がないことを言い訳に、徳を積むのを放棄してはいけませんわ」
「知ってますよぉ、だからこうやって徳をずっと積み続けている訳で」
「なら安心ですね」
心配してくれているのか、こちらをからかいたいのか、どちらかにして欲しい。
私がぐんにゃりとしている中、不明門くんは「こいつあんまりからかわないでくださいよ」と自分が言うなよというようなことをのたまう。
「こいつ、ようやっと捜し人の手がかりを得られそうだけど、もしそれが外れたらどうしようって落ち着かないんですから」
「あらあら。それはおめでとうと言ったほうがよろしいですか?」
「おめでたいのかはわからないんですけど……」
私はどう言ったものかと迷う。姐さんが見つかりそうなのはいいけれど、まさか神様に手がかりをもらえそうなことまでは言っていいものか。
結局は本当にかいつまんで説明することにした。それを御陵さんは黙って聞くと「そうですねえ」と言いながら私の食べかけのカルメン焼きを半分千切って口にした。
それに不明門くんは「げえ」と言ったが、私はそもそも胸がいっぱいでこれ以上食べきれなさそうだったからちょうどよかった。
「こればかりは、全部流れに身を任せるしかないんじゃなくて?」
「流れって……」
「世の中ねえ、結局は運ですよ? 私は男娼が好きだから男娼として働いているけれど、世の中には好きでやっているひとばかりじゃないし。そして運がいい運が悪いって、それで自分を責めても仕方ないじゃないですか。どっちみち、裏吉原は神の箱庭なんだから、もう全部神のせいにしとけばいいし」
「……それ、前に先生にも言われました」
「あらあら、柊野様も少しは前向きになりましたのね」
そうクスクスと笑った。
思えば、先生も裏吉原に来るまでは苦労していたし、裏吉原に着いたら着いたで苦労している。今はすっかりと徳を積み重ねて、ここに永住するくらいには図太くなったみたいだけれど、来たばかりの頃はそうじゃなかったんだろう。
結局は御陵さんにからかわれただけな気もするけれど「ありがとうございます」と言って別れることになった。
御陵さんが去って行く中、不明門くんはちらちらと御陵さんのほうを見る。
「あのひと……」
「なに? 私まさかあのひとにまで励まされるとは思ってなかったんだけど」
「いや、あのひとはあれで情報通だよ。男神からも女神からも求められるんだから、引く手数多だしな……多分もう、音羽の情報もあのひとには届いてる」
「え……? だったら御陵さん、なんでわざわざ私に声をかけてきたの?」
捜し人がどうなったのかわからない。それだけでわざわざ私に声をかける理由が思いつかないでいたら、不明門くんは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「……あのひとなりに、今回の出来事の結果を知って声をかけてきたんじゃないのか。元気出せって」
そう言われて、私はどんな顔をすればいいのかわからなくなった。
でも多分、あのひとはその反応すら織り込み済みのような気がする。
****
私が万屋に帰った頃、先生が魔法の鶴を広げていた。そして私のほうをちらりと見る。
「お帰り」
「ただいま戻りました……あのう、私の捜索依頼は……」
「今ね、ちょうどお前さん宛に手紙が届いたところだよ」
そう言って、先生が広げていたのとは別の鶴を差し出された。空飛ぶ鶴は先生の魔法だけれど、誰かにその魔法を教えたんだろうか。私は不思議に思いながらその鶴を広げ……絶句した。
【篝と名乗る者はなし。しかし、記憶喪失の遊女は荒木屋で働いている】
「……姐さん?」
記憶喪失としか書かれてないし、それがどんなひとなのかはなんも書いてない。
私がわなないていると、先生が言った。
「あたしのほうに、お前さんが取引したって言う大神から依頼が入ったんだよ」
「な、なんですか?」
「記憶喪失の遊女がいるから、その記憶を取り戻せってね。どうする?」
頭の中はぐしゃんぐしゃんになる。
……まだ、そのひとが姐さんだと決まった訳じゃないというのがひとつ。
でも、もし姐さんが記憶喪失のまんま遊郭に閉じ込められてるんだったら、いくらなんでもあんまりじゃないかと叫びたくなるのがひとつ。
なによりも、こちらの都合でその記憶喪失の遊女の記憶を取り戻させていいのかが、わからなかった。
遊郭に入れられた記憶というのは、大概はろくでもないものだ。その折角忘れたろくでもない記憶を無理矢理押しつけることが親切なのかどうか、私では荷が重過ぎた。
「……荒木屋に行きたいです」
「そうかい。それで?」
「行って、問題の遊女さんに会いたいです……もし記憶をなくして困ってるんだったらなんとかすべきですが……困ってないなら」
「うん、わかった」
先生は自分の徳でなにかを和紙に書いたあと、鶴に折って飛ばした。あれは大神宛か荒木屋宛かは見えなかった。
「それじゃあ行こうか。不明門はどうするかい?」
「んー……行きたい。こいつの問題に下手に首突っ込んだから、最後までは」
「そうかい。それじゃ行こうか」
先生があんまりにいつも通りなのに、私はほっとした。
たったひとりだったらどうしようと思っていたけれど、先生がいて不明門くんがいる。それならなんとか、歩いていけそうなそんな気がした。
先生は気を遣ってか、私に買い物やお届けなど、あまり頭を使わなくて済む仕事ばかりをあてがい、その間は魔法の稽古も付けられなかった。
「大丈夫かい、音羽」
「いえ……心配おかけしてすみません」
「帷子も悪い奴ではないんだが、気の利く言葉も使わない奴だからね。あんまり真に受けて落ち込むのはやめたがいいよ」
「そうなんでしょうか……」
「そうさね。不明門、できる限りお前さんも音羽と一緒に仕事をしな」
「はいはいっと。こいつ今目を離したら溝にでも落ちてそうなんだもんなあ」
「お、落ちないよ!?」
「いや落ちるね、ここまで気もそぞろだったら」
不明門くんにまでそう言われたら、そうなんだなと納得するしかできなかった。
ふたりでお使いに行き、帰りに「せめてなんか甘いもんでも食え」と言われて買ったカルメン焼き。こんなに大きなものは吉原ではなかなか買えないものだったのに、食べるとなんだか味がしないのは、きっと私の気持ちが落ち着かないせいだ。
折角買ったのにと、どうにかもぞもぞと食べていたら、「あらおいしそうですね」と声をかけられた。声をかけてきたひとを見て、思わずぎょっとする。
出てくるたびに、こちらにさざ波を起こして立ち去っていく、御陵さんだった。私は小さく「こんにちは……」と会釈をするけれど、不明門くんは胡散臭いものを見る目で御陵さんを見る。
今日の御陵さんは髪型も落ち着いた横結びに、女物の着こなしとはいえどもいつもの男娼用の派手な着方はしていない。今日は珍しく休みなんだろうか。
「なんの用っすか。こちらはこれから万屋に帰るところですけど」
不明門くんが警戒心露わにしているのに「あらあら」と御陵さんはクスクス笑った。
「別に用なんてないですよ。今日はお仕事はお休み。久々に表通りを散策していたら、顔見知りがなんだか暗い顔をしているもの。どうかしたのかって話しかけるのが道理でしょう?」
「私、御陵さんが声をかけてくるほど、ひどい顔をしてたでしょうか」
「そうですね、していました。あなたはどう思うんですか?」
御陵さんは艶っぽくときおり髪を手櫛で整えながら、ちらりと横目で不明門くんを見る。
不明門くんは「フン」と鼻息を立てた。
「これを調子がいいなんて言ったら、ほとんどの病人は床で眠ることができねえんじゃないですかね」
「そうですね、病は気からですもの」
「も、もう……私が落ち込んでいても、いいじゃないですかあ……いつだって元気な訳ではないんですから」
ふたりにつつかれまくって、とうとう私はボロッと涙を溢すと、それに御陵さんは臆することなく「まあまあ」と私に手拭いを差し出した。
「もちろん、元気じゃないことはいけないことではないですわ。ただ、ここは徳が全てですもの。徳がなくなればここではやっていけない。存在が消滅するのがまだマシなくらいですのよ。死神に連れて行かれたら、もっとひどいことにもなるのだから……元気がないことを言い訳に、徳を積むのを放棄してはいけませんわ」
「知ってますよぉ、だからこうやって徳をずっと積み続けている訳で」
「なら安心ですね」
心配してくれているのか、こちらをからかいたいのか、どちらかにして欲しい。
私がぐんにゃりとしている中、不明門くんは「こいつあんまりからかわないでくださいよ」と自分が言うなよというようなことをのたまう。
「こいつ、ようやっと捜し人の手がかりを得られそうだけど、もしそれが外れたらどうしようって落ち着かないんですから」
「あらあら。それはおめでとうと言ったほうがよろしいですか?」
「おめでたいのかはわからないんですけど……」
私はどう言ったものかと迷う。姐さんが見つかりそうなのはいいけれど、まさか神様に手がかりをもらえそうなことまでは言っていいものか。
結局は本当にかいつまんで説明することにした。それを御陵さんは黙って聞くと「そうですねえ」と言いながら私の食べかけのカルメン焼きを半分千切って口にした。
それに不明門くんは「げえ」と言ったが、私はそもそも胸がいっぱいでこれ以上食べきれなさそうだったからちょうどよかった。
「こればかりは、全部流れに身を任せるしかないんじゃなくて?」
「流れって……」
「世の中ねえ、結局は運ですよ? 私は男娼が好きだから男娼として働いているけれど、世の中には好きでやっているひとばかりじゃないし。そして運がいい運が悪いって、それで自分を責めても仕方ないじゃないですか。どっちみち、裏吉原は神の箱庭なんだから、もう全部神のせいにしとけばいいし」
「……それ、前に先生にも言われました」
「あらあら、柊野様も少しは前向きになりましたのね」
そうクスクスと笑った。
思えば、先生も裏吉原に来るまでは苦労していたし、裏吉原に着いたら着いたで苦労している。今はすっかりと徳を積み重ねて、ここに永住するくらいには図太くなったみたいだけれど、来たばかりの頃はそうじゃなかったんだろう。
結局は御陵さんにからかわれただけな気もするけれど「ありがとうございます」と言って別れることになった。
御陵さんが去って行く中、不明門くんはちらちらと御陵さんのほうを見る。
「あのひと……」
「なに? 私まさかあのひとにまで励まされるとは思ってなかったんだけど」
「いや、あのひとはあれで情報通だよ。男神からも女神からも求められるんだから、引く手数多だしな……多分もう、音羽の情報もあのひとには届いてる」
「え……? だったら御陵さん、なんでわざわざ私に声をかけてきたの?」
捜し人がどうなったのかわからない。それだけでわざわざ私に声をかける理由が思いつかないでいたら、不明門くんは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「……あのひとなりに、今回の出来事の結果を知って声をかけてきたんじゃないのか。元気出せって」
そう言われて、私はどんな顔をすればいいのかわからなくなった。
でも多分、あのひとはその反応すら織り込み済みのような気がする。
****
私が万屋に帰った頃、先生が魔法の鶴を広げていた。そして私のほうをちらりと見る。
「お帰り」
「ただいま戻りました……あのう、私の捜索依頼は……」
「今ね、ちょうどお前さん宛に手紙が届いたところだよ」
そう言って、先生が広げていたのとは別の鶴を差し出された。空飛ぶ鶴は先生の魔法だけれど、誰かにその魔法を教えたんだろうか。私は不思議に思いながらその鶴を広げ……絶句した。
【篝と名乗る者はなし。しかし、記憶喪失の遊女は荒木屋で働いている】
「……姐さん?」
記憶喪失としか書かれてないし、それがどんなひとなのかはなんも書いてない。
私がわなないていると、先生が言った。
「あたしのほうに、お前さんが取引したって言う大神から依頼が入ったんだよ」
「な、なんですか?」
「記憶喪失の遊女がいるから、その記憶を取り戻せってね。どうする?」
頭の中はぐしゃんぐしゃんになる。
……まだ、そのひとが姐さんだと決まった訳じゃないというのがひとつ。
でも、もし姐さんが記憶喪失のまんま遊郭に閉じ込められてるんだったら、いくらなんでもあんまりじゃないかと叫びたくなるのがひとつ。
なによりも、こちらの都合でその記憶喪失の遊女の記憶を取り戻させていいのかが、わからなかった。
遊郭に入れられた記憶というのは、大概はろくでもないものだ。その折角忘れたろくでもない記憶を無理矢理押しつけることが親切なのかどうか、私では荷が重過ぎた。
「……荒木屋に行きたいです」
「そうかい。それで?」
「行って、問題の遊女さんに会いたいです……もし記憶をなくして困ってるんだったらなんとかすべきですが……困ってないなら」
「うん、わかった」
先生は自分の徳でなにかを和紙に書いたあと、鶴に折って飛ばした。あれは大神宛か荒木屋宛かは見えなかった。
「それじゃあ行こうか。不明門はどうするかい?」
「んー……行きたい。こいつの問題に下手に首突っ込んだから、最後までは」
「そうかい。それじゃ行こうか」
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