裏吉原あやかし語り

石田空

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唐突な登壇

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 相変わらず先生と不明門あけずくんと魔法の勉強……というより、ほぼ語学の勉強だけれど……をしながら万屋の細々とした仕事をこなす。
 ここに到着してから、早十日は過ぎ、私も最初は心配だからとついてきてくれた不明門あけずくんの付き添いなしでも、お使いをこなせるようになってきた。
 それでも喜多さんみたいな女の子のあやかしの依頼だったらいざ知らず、男のあやかしの依頼は心配して付き添いたがっていた。

「そりゃ先生の弟子って言えば、大概の奴は黙るけどさ。遊郭に登って神に見つかったりしたらどうなるかわかったもんじゃないし……」
「でも不明門あけずくん。神様は多分私のことなんかどうでもいいと思うけど。火傷跡だって全然消えないし」
「神ってのは気まぐれなんだよ。珍味だって判断したら、老若男女問わず持って帰っちまうから。先生だって魔法が使える珍品ってことで、神でも手に負えない量の徳を稼ぎきってなかったら大変だったんだからさ」
「ええ……先生、そこまで徳を積んでたんですか……?」

 私は思わず今日も煙管を吹かせながら店番をしている先生に振り返る。先生は話を聞いていたのか聞いていなかったのか、黙って普段店番している店先に置いてある木の棚の引き戸を開いた。そこに並んでいるものを見て、絶句した。
 そこには瓶がびっしりと並び、どの瓶にもしっかりと墨汁のような徳が占められていた。

「……こんなにたくさんあったら、万が一盗まれたら大変なことになりますね」
「そうはいってもね。うちの店のもんは基本的にあたしとあんたたち弟子認定したもん以外は開けられないようにしているから。開けた奴は大概雷に打たれて退散しているから、盗みようもないよ」
「……そんな怖い仕掛け、うちにあったんですか?」

 今初めて聞いた、万屋にかかっている魔法に私はガクガクとした。自分が雷に打たれないからいいと言えばいいのか、人が雷に打たれるのを見るかもしれないとおそれればいいのか、今の自分にはわからない。
 それに不明門あけずくんはあっさりと言ってのけた。

「そりゃそうだろ。遊郭だって、遊女が逃げ出さないようにって、徳の管理は厳重なんだし。どこでだってそんなことやってるよ」
「……なるほど」

 とりあえず、私は今回は男性客のところにお使いに行かなくてはいけなくて、結局は不明門あけずくんについてきてもらうことにした。
 普段は派手な大通りに面した場所で働いている人々や、ときどき見世のひとたちからの依頼を受けていたものの、今日通っている道は路地裏で、どことなく煤けて見える場所だった。

「……裏吉原にもこんな場所があったんですね」
「なに、表の吉原にはないの?」
「いえ。私みたいな下働きが出入りしていたのは、基本的にここみたいなところでした。大通りは吉原に来たお客さんや遊女の姐さんたちのもので、裏方は目立たず隠れてひっそりとでしたから」
「なあるほど。そりゃこの辺りも神の花街だからさ。神の目に触れさせたくないもんは、大概端っこに追いやられてるんだよ」
「なるほど……」

 そう言いながら、ふたりで到着した長屋を見た。これだけ見ると裏吉原も吉原とあまり変わらないんだなという気持ちになってくるけれど、路地に出て遊んでいる子たちは、大通りに面しているひとたちよりも明らかに人から離れていた。
 着物を着たひとつ目の女の子が、角の生えた女の子と一緒に縄跳びをして遊んでいる。あちこちに干してある洗濯物を取り込んでいるひとも、気のせいか少し透けていたり、顔がなかったりする。

「……前に見た遊女さんは首を伸ばしていたように見えますけど」
「ああ、あれ? 神が気に入ったら、割と面白がって遊郭に置きたがるんだよな。あいつら勝手だから」

 不明門あけずくんも表立って文句を言っちゃいけないと思っているのか、その声はどこかくぐもっていた。
 そうこうしている内に、目的の部屋に辿り着いた。

「すみません、万屋です。お仕事に伺いました」
「はいよ、入っとくれ」
「失礼します」

 戸を開けた途端、ツンと独特のにおいがした。なんだろうと思ったら、その長屋の一室は見事なまでに綺麗な塗りの施されたかんざしが並んでいた。まだ木を削って磨いているものから、色を塗って乾かしているもの。乾いたものを磨いて仕上げているものまでが並んでいる。
 今日の依頼は長屋で簪職人さんが見世からの依頼で、祭り用の花魁の簪を発注したが、人手が足りなくって取りに行けるひとがいない。だから取りに行けというものだった。
 私たちは簪を慎重に入れ物に移し替えると、職人さんから松葉色の徳を注いでもらった。

「今の時期だと、人手が足りなくってなあ。もしやするとお嬢ちゃんも頼まれるかもしれないから気を付けてな」
「大袈裟な……私見世とかには立てませんし」
「遊女ってえのは、なにも酌や芸をするだけじゃねえからなあ」

 職人さんにまで不明門あけずくんと同じようなことを言われてしまい、私はげんなりとしながら、大通りを目指しはじめる。半分持ってくれた不明門あけずくんはうんざりとした顔をした。

「だから言っただろ。そんなもんだって」
「でも……ちょっと顔立ちが綺麗だったらそうじゃないかもしれませんけど、私見世にだって出せそうもないじゃないですか」
「さっきの池尾いけのおさんだって言ってたじゃねえか。遊女は酌や芸をするだけじゃねえって。顔が関係ない仕事だってあんだからな。というか、なんでオマエこんなに危機感ないんだよ。表でも吉原にいたはずなのにさ」
「だって……私表だったら売り物にならないって怒られてたから……」

 父から受けた火傷は、魔法をきちんと覚えれば治るのかはわからない。ただ、私はこの火傷のおかげで見世に立たずに済んだんだから、魔法を覚えたからと言って治したいとも思っていない。
 不明門あけずくんは呆れた顔で「師匠になんか言われたら知んねえからな」と悪態をついた。そうこうしている内に、目的の見世が見えてきた。
 こうやって見世の裏側に来ると、表でやっていた仕事を思い出し、少しだけ縮こまる思いがする。前に男娼の見世に行ったときは、男性しかいない分だけ少しだけ安堵があったけれど。ここは女の遊女しかいない。
 それにしても。普段だったら一階に使用人たちが集まっているんだから大概誰かいるはずなのに、今は誰もいない。不用心過ぎないだろうか。

「すみませーん、万屋でーす。お頼みの簪持って参りましたぁー!!」

 声をすると、ドタドタドタッと階段を駆け下りてくる音が響いた。遣り手は幽霊なのかあやかしなのかはわからないものの、しわしわの手に真っ白な髪を伸ばしっぱなしにしているのはわかる。

「ああ! よかった! 万屋さん! 追加で依頼を受けてもらいたかったのだけれど、ちょうどよかった!」
「はあ」
「ちょっとね。幽霊熱にやられてね、幽霊の遊女が全滅しちゃったのよ。皆今は物置で看病中」

 ちなみに物置部屋に入れられているのは、乱暴な訳ではない。ここは本当に大量の人が住んでいるから、ひとり病人を放置していたら全員かかってもしょうがない。だから病人は隔離部屋代わりに物置部屋で看病する習慣がある。
 でもこの話を聞いている限り、幽霊以外のあやかしは元気そうだけれど。

「そうなんですか……」
「でもね、今晩は宴会があってね、宿屋にひとを派遣しないと駄目なのよ。大変申し訳ないのだけど、行ってくださらない?」
「えっ……!」

 私は思わずビクンッと背中を跳ねさせる。不明門あけずくんはこちらを半眼で睨んでいる。「ほれ、だから言っただろ」と言いたげな顔だった。
 私は慌てる。

「た、大変申し訳ございませんが。受けるには私、火傷とかありますし……」
「あら、多分大丈夫だわ。どうせあいつら酒と食事以外はなんでもいいし」

 それは遠慮してくれているのかしてくれてないのかどっちだ。
 私が頭を抱えている中、不明門《あけず》くんは尋ねてきた。

「うちの師匠は許可してくれたんで?」
「そりゃもちろん」

 先生まで許可出してるんだったら、もう私が抵抗しても同じじゃない。私は背中で大きく息をした。
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