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迷子にしか入れない店
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多岐川さんと観劇に行ったあと、私たちは曾根崎警察署前の階段を降りて、例の泉の広場の近くへと行ってみることにした。
多岐川さんの指摘通り、そこには私が見た噴水はどこにも見当たらず、ごてごてとした電飾の施された木が立っているだけだった。
「本当に……ないですね?」
「うん。赤いコートの女もさまよえないしね。あとここの通りも全部つくり替えられちゃったんですよね。ちょい飲み横丁」
そう言って指さしたのは、うらぶれた雰囲気にしようとしても真新しさの抜け切れない通りに、立ち飲み屋やレストラン、食堂が集結した通りだった。
あのコーヒーの香りの漂う迷宮喫茶は、どこにもなかった。
「私、本当にどこにいたんでしょうね?」
「さあね。一応喫茶店はこの近くにも何件かあるけれど……どうしますか?」
本当だったら舞台の感想を言い合いたいし、どこかでお茶をして語らいたいところだけれど、今はなんとなくここから早く立ち去りたかった。
私にコーヒーとビスコッティをくれた店と店長さんは、いったいどこに消えたんだろうと、はてなマークが頭を飛び散って仕方がなかった。
****
それからも私は、たびたび大阪梅田の地下をさまようたびに、思いつきで迷宮喫茶を探すけれど、無駄に迷子になるだけで、その店に辿り着くことはなかった。
あれは結局なんだったんだろう。あの店は結局どこに行ってしまったんだろう。私は結局こんな都会のど真ん中で神隠しにでも遭ってしまったんだろうか。
だんだんその場所で飲んだブレンドコーヒーの匂いも、香ばしかったビスコッティの味も忘れかけた頃、唐突にその店と再会した。
そのときは、会社帰りに頼まれ物を届けに地下街をうろうろしていた。
「やっと届けられた……」
今は地上も閉鎖区域が多過ぎて、全部繋がっている地下から行ったほうがまだ行けるよと教えられたものの、地下は相変わらず工事のせいで覚えた道をまたも忘れてしまい、さまよい続けた末にやっと辿り着いたのだった。
梅田の駅前のビルもデパートもホテルも大型店舗も、全部地下で繋がってしまっているため、たしかに雨に打たれずに行くことができるのはありがたいけれど、ひとつ道が閉鎖されてしまうと、それ以外の道を探すのに非常に難儀なのである。
普段は一緒に行ってくれる多岐川さんは、用事で先に帰ってしまったために、未だに梅田地下街でさまよっている私がこうして迷子にならないといけなかった訳で。とほほ……。
疲れた体を引きずって、どうにか家に帰ろうとする。駅はどっちだっけ。普段使っている私鉄の駅までのろのろと歩こうとしたとき。
「あのう、すみません」
関西弁混じりの声をかけられ、私は振り返ってしまった。背中の丸まったおばあちゃんであり、カートを押している。
この辺りだとカートを押しながら歩くのはなかなか大変だろうに。私は「どうしましたか?」と尋ねると、おばあちゃんは困った顔で辺りを見回した。
「ここに本屋があったと思うんですけど、知りませんかね?」
「本屋、ですか……?」
そんなの知らない。そう素直に言いたかったものの、おばあちゃんは困った顔で、辺りを見回している。
「孫に頼まれて本を買いに来たんですけど、見当たらなくって。近所の本屋は全部潰れてしまったから、久々に梅田まで出てきたんですけどねえ」
「あー…………」
地元の本屋がバタバタ潰れてしまったら、そりゃ大阪まで出ないと本が買えないってあるよね。私の地元も、大型チェーン店の本屋がかろうじて頑張っているけれど、それ以外に本屋がないもの。
でも地下に本屋なんてあったかな。
「すみません。私、この辺りは最近来たばかりで」
「そうなんですか……」
「で、でも! 地上に出たらもうちょっと大きな本屋があったと思います! たしか」
一応私の普段使っている私鉄の近くに、大型チェーン店の大阪本店があったはず。私はそこまでおばあちゃんを案内することにした。
でも。よく迷子になるからって、私もさすがに普段使っている駅までは普通に行けるのに、なぜかいつまで経っても着かないし、だんだん知らない道に迷い込んできた。
「あ、あれ……?」
「どうしましたか?」
「すみません、私が案内したばかりに……せめて、どこか店舗があったら、そこの店員さんにでも聞きましょうか」
「ああ……では、泉の広場で聞きましょうか」
「はい?」
ついこの間、多岐川さんにも教えてもらって、私は見たばかりだ。
泉の広場の噴水は、とっくの昔に撤去されて、今はウォーターツリーしか生えてないと。
だというのになんということか。トポトポと水音が響き渡っているのだ。
「え、ええ……」
たしかに、そこにはこの間見かけた泉の広場の噴水が、水音を立てて噴き上がっていた。
おばあちゃんは小首を傾げている。
「噴水、なくなったと聞いてたんですけど」
「わ、私もそう思ってたんですけど……あっ!! あった!!」
私はびっくりして、噴水の斜め向こうを指さした。
ブリキの看板で、たしかに『迷宮喫茶』と書いてある。
私はおばあちゃんと一緒に「すみません、本屋はどこですか!?」と悲鳴を上げた。
そこには、この間たしかに私を迎えてくれた店長さんが、きょとんとした顔で私とおばあちゃんを見つめていた。
「あれま。なんや自分、また来たん?」
「こんにちは、お久しぶりです! 本屋を探してさまよっていたんですけど、見つからないんです! 知りませんか?」
「本屋って?」
店長さんはカウンターから出てきて、おばあちゃんと視線を合わせる。
カートを押していたおばあちゃんは、困った顔で店長さんと視線を合わせた。
「この辺りに、四階建ての本屋があったと思ったんですけど、久々に梅田に出てきたら、ようわからんくて」
「あー……多分曾根崎警察署の上のとこちゃう? あそこなあ、なくなってもうてん」
「あらまあ……」
そうだったのか、と言う顔をしている中、店長さんは「世知辛い話やなあ」と頷いた。
「あそこ、ほんまやったら改装工事するつもりやったんやけどなあ……土地代が高騰し過ぎて、本屋やと払えんなったから手放したんやわ。せやから本屋行くんやったら、阪急まで出るか、そこのホテルん中の本屋行くかやなあ」
「はあ……本当に久しぶりやったから……知らん内に」
「せやなあ。目ぇ離したらすぐ無くなってまう。最近はその速さは目ぇ見張るもんなあ。堪忍な、なんか奢ろか?」
店長さんが言うと、おばあちゃんはぶんぶんと首を振った。
「いーえ! 孫に頼まれた本、買わないと駄目ですから! お嬢さんもありがとうございます。私、帰りますね!」
「あっ!」
私が止める間もなく、おばあちゃんはカートを押してせかせかと去って行ってしまった。
私だけが残されて、やるせなく店長さんを見た。
「あの……私、ここの店を探したら、友達にそんな店ないって言われちゃったんですけど……それに、泉の広場ももうないって……」
「せやねえ。その友達が正しいわ」
「ありますよね!? 今私、たしかにその店の中にいますけど!?」
「せやねえ。それも正しいわ」
「説明……してもらえないでしょうか?」
ホラーとかオカルトとか言うのはよくわからないけれど、巻き込まれたほうからしてみれば、一ミクロンでいいから説明が欲しくなる。不条理が不条理のまま進んでいいのは、昔話だけで充分だ。
私が店長さんに詰め寄ると、店長さんは「うーん」と間延びした声を上げて、なぜかブレンダーを取り出した。そこにどかどかと果物を入れてそこに牛乳と氷を注いでいく。
「今からミックスジュースつくるけど、飲むぅ?」
「へあ?」
「つくりながら、話するけど」
そのままブレンダーのスイッチを入れると、果物が一気に攪拌され、ドロッとした液状へと変わっていく。最近はどこにでも果物ジュース屋があるし、一時期はスムージーなんかが持てはやされていたと思う。
でもこれは、大阪でよく見る定番のミックスジュースそのものだった。オレンジ色とミルク色の混ざったそれは、優しい黄色へと変わっていく。
「うーん、説明するの難しいんやけど、端的に言ったら、ここは迷子にならんと入られへん店なんやわ」
「迷子……ですか?」
「せやせや。この間お客さんが来たときみたいに、道に迷てるでもええし、人生に迷てるとか、岐路に立って途方に暮れてるとか、とにかく迷わん人は入られへんねんよ」
「はあ……あの、だったらさっきの泉の広場の噴水は……?」
店には窓がついておらず、外の様子を見ることはできない。でもたしかに、既に撤去されている噴水はそこにあったのだ。
それに店長さんは「あー……」と声を上げてから、ブレンダーのスイッチを切る。
すっかりと攪拌されたミックスジュースをグラスに入れると、私に差し出してくれた。私はおずおずと口を付けると、さっきのどろっとした見た目でもっとこってりしているのかと思ったのに、意外とあっさりとした口当たりにさっぱりとした後味で、目を白黒とさせる。でもよくよく考えたら、見た目に反して相当の果物の量を使っているんだから、これでおいしくなきゃ嘘だよなあと思い直す。
「ミックスジュースおいしいです」
「せやろ……で、泉の広場の噴水やけど、なんかある。としか言えんなあ」
「なんかあるってなんですか!?」
「それしか言えんからしゃあないやろ」
「でもここって、要は都市伝説の類じゃないですか!? 赤いコートの女みたいに!」
「赤いコートの女ぁ? あー……懐かしいなあ。まだそんな噂流れてるんや」
なぜか店長さんはしみじみと言った。
懐かしいもなにも、多岐川さんも普通に知っていた噂だったし、大阪にいたら知っているもんじゃないんだろうか。現に私が知らなかった曾根崎警察署付近の本屋の話だって、この人知ってたじゃないか。
私が思わずうろんなものを見る目で見たけれど、店長さんはからからと笑った。
「まあ、人助けしたとこやし、今日はおごったるから。もうあんまここに来えへんようにな?」
「……えっと、お金は払いますよ。なんかこれ、お金をちゃんと払わないと駄目な味ですし」
「別にええねんでー?」
「よくはないですよ」
そもそもさっきはおばあちゃんがいたとは言えど、私しかいない店なんだから、お金を払わないのは気まずい。それに。
お金さえ払ってたら、この店にまた来られそうな気がしたというのは、ちょっとだけある。
店長さんは肩を竦めた。
「自分、前から思てたけど、関西の子ぉちゃうやろ?」
「埼玉から来たんで違いますね」
「関西の子ぉ、見てるこっちが心配するほどに、タダより高いもんはあらへんってのを無視してタダに飛びつくから。まあええわ。値段はこんなん」
そう言ってメニューを叩いた。
私は前の通りに現金で支払ってから、「おいしかったです、ごちそうさま」と言って店を出て行った。
店を出たら、私の知っている場所に出て、もう噴水も泉の広場も消えてしまっていた。
「迷子にならないと来られない店って、結局なんだったんだろう……?」
私より先に出たおばあちゃん、無事に本屋に行けたのかな。店長さんが教えてくれたけれど。とりあえず私は、もし次に店長さんに会えたときは、自己紹介をして名前を教えてもらおうと心に決めてから、私の帰る駅に向かうことにした。
さすがに家に帰るのに迷子になるのだけは勘弁願いたい。
多岐川さんの指摘通り、そこには私が見た噴水はどこにも見当たらず、ごてごてとした電飾の施された木が立っているだけだった。
「本当に……ないですね?」
「うん。赤いコートの女もさまよえないしね。あとここの通りも全部つくり替えられちゃったんですよね。ちょい飲み横丁」
そう言って指さしたのは、うらぶれた雰囲気にしようとしても真新しさの抜け切れない通りに、立ち飲み屋やレストラン、食堂が集結した通りだった。
あのコーヒーの香りの漂う迷宮喫茶は、どこにもなかった。
「私、本当にどこにいたんでしょうね?」
「さあね。一応喫茶店はこの近くにも何件かあるけれど……どうしますか?」
本当だったら舞台の感想を言い合いたいし、どこかでお茶をして語らいたいところだけれど、今はなんとなくここから早く立ち去りたかった。
私にコーヒーとビスコッティをくれた店と店長さんは、いったいどこに消えたんだろうと、はてなマークが頭を飛び散って仕方がなかった。
****
それからも私は、たびたび大阪梅田の地下をさまようたびに、思いつきで迷宮喫茶を探すけれど、無駄に迷子になるだけで、その店に辿り着くことはなかった。
あれは結局なんだったんだろう。あの店は結局どこに行ってしまったんだろう。私は結局こんな都会のど真ん中で神隠しにでも遭ってしまったんだろうか。
だんだんその場所で飲んだブレンドコーヒーの匂いも、香ばしかったビスコッティの味も忘れかけた頃、唐突にその店と再会した。
そのときは、会社帰りに頼まれ物を届けに地下街をうろうろしていた。
「やっと届けられた……」
今は地上も閉鎖区域が多過ぎて、全部繋がっている地下から行ったほうがまだ行けるよと教えられたものの、地下は相変わらず工事のせいで覚えた道をまたも忘れてしまい、さまよい続けた末にやっと辿り着いたのだった。
梅田の駅前のビルもデパートもホテルも大型店舗も、全部地下で繋がってしまっているため、たしかに雨に打たれずに行くことができるのはありがたいけれど、ひとつ道が閉鎖されてしまうと、それ以外の道を探すのに非常に難儀なのである。
普段は一緒に行ってくれる多岐川さんは、用事で先に帰ってしまったために、未だに梅田地下街でさまよっている私がこうして迷子にならないといけなかった訳で。とほほ……。
疲れた体を引きずって、どうにか家に帰ろうとする。駅はどっちだっけ。普段使っている私鉄の駅までのろのろと歩こうとしたとき。
「あのう、すみません」
関西弁混じりの声をかけられ、私は振り返ってしまった。背中の丸まったおばあちゃんであり、カートを押している。
この辺りだとカートを押しながら歩くのはなかなか大変だろうに。私は「どうしましたか?」と尋ねると、おばあちゃんは困った顔で辺りを見回した。
「ここに本屋があったと思うんですけど、知りませんかね?」
「本屋、ですか……?」
そんなの知らない。そう素直に言いたかったものの、おばあちゃんは困った顔で、辺りを見回している。
「孫に頼まれて本を買いに来たんですけど、見当たらなくって。近所の本屋は全部潰れてしまったから、久々に梅田まで出てきたんですけどねえ」
「あー…………」
地元の本屋がバタバタ潰れてしまったら、そりゃ大阪まで出ないと本が買えないってあるよね。私の地元も、大型チェーン店の本屋がかろうじて頑張っているけれど、それ以外に本屋がないもの。
でも地下に本屋なんてあったかな。
「すみません。私、この辺りは最近来たばかりで」
「そうなんですか……」
「で、でも! 地上に出たらもうちょっと大きな本屋があったと思います! たしか」
一応私の普段使っている私鉄の近くに、大型チェーン店の大阪本店があったはず。私はそこまでおばあちゃんを案内することにした。
でも。よく迷子になるからって、私もさすがに普段使っている駅までは普通に行けるのに、なぜかいつまで経っても着かないし、だんだん知らない道に迷い込んできた。
「あ、あれ……?」
「どうしましたか?」
「すみません、私が案内したばかりに……せめて、どこか店舗があったら、そこの店員さんにでも聞きましょうか」
「ああ……では、泉の広場で聞きましょうか」
「はい?」
ついこの間、多岐川さんにも教えてもらって、私は見たばかりだ。
泉の広場の噴水は、とっくの昔に撤去されて、今はウォーターツリーしか生えてないと。
だというのになんということか。トポトポと水音が響き渡っているのだ。
「え、ええ……」
たしかに、そこにはこの間見かけた泉の広場の噴水が、水音を立てて噴き上がっていた。
おばあちゃんは小首を傾げている。
「噴水、なくなったと聞いてたんですけど」
「わ、私もそう思ってたんですけど……あっ!! あった!!」
私はびっくりして、噴水の斜め向こうを指さした。
ブリキの看板で、たしかに『迷宮喫茶』と書いてある。
私はおばあちゃんと一緒に「すみません、本屋はどこですか!?」と悲鳴を上げた。
そこには、この間たしかに私を迎えてくれた店長さんが、きょとんとした顔で私とおばあちゃんを見つめていた。
「あれま。なんや自分、また来たん?」
「こんにちは、お久しぶりです! 本屋を探してさまよっていたんですけど、見つからないんです! 知りませんか?」
「本屋って?」
店長さんはカウンターから出てきて、おばあちゃんと視線を合わせる。
カートを押していたおばあちゃんは、困った顔で店長さんと視線を合わせた。
「この辺りに、四階建ての本屋があったと思ったんですけど、久々に梅田に出てきたら、ようわからんくて」
「あー……多分曾根崎警察署の上のとこちゃう? あそこなあ、なくなってもうてん」
「あらまあ……」
そうだったのか、と言う顔をしている中、店長さんは「世知辛い話やなあ」と頷いた。
「あそこ、ほんまやったら改装工事するつもりやったんやけどなあ……土地代が高騰し過ぎて、本屋やと払えんなったから手放したんやわ。せやから本屋行くんやったら、阪急まで出るか、そこのホテルん中の本屋行くかやなあ」
「はあ……本当に久しぶりやったから……知らん内に」
「せやなあ。目ぇ離したらすぐ無くなってまう。最近はその速さは目ぇ見張るもんなあ。堪忍な、なんか奢ろか?」
店長さんが言うと、おばあちゃんはぶんぶんと首を振った。
「いーえ! 孫に頼まれた本、買わないと駄目ですから! お嬢さんもありがとうございます。私、帰りますね!」
「あっ!」
私が止める間もなく、おばあちゃんはカートを押してせかせかと去って行ってしまった。
私だけが残されて、やるせなく店長さんを見た。
「あの……私、ここの店を探したら、友達にそんな店ないって言われちゃったんですけど……それに、泉の広場ももうないって……」
「せやねえ。その友達が正しいわ」
「ありますよね!? 今私、たしかにその店の中にいますけど!?」
「せやねえ。それも正しいわ」
「説明……してもらえないでしょうか?」
ホラーとかオカルトとか言うのはよくわからないけれど、巻き込まれたほうからしてみれば、一ミクロンでいいから説明が欲しくなる。不条理が不条理のまま進んでいいのは、昔話だけで充分だ。
私が店長さんに詰め寄ると、店長さんは「うーん」と間延びした声を上げて、なぜかブレンダーを取り出した。そこにどかどかと果物を入れてそこに牛乳と氷を注いでいく。
「今からミックスジュースつくるけど、飲むぅ?」
「へあ?」
「つくりながら、話するけど」
そのままブレンダーのスイッチを入れると、果物が一気に攪拌され、ドロッとした液状へと変わっていく。最近はどこにでも果物ジュース屋があるし、一時期はスムージーなんかが持てはやされていたと思う。
でもこれは、大阪でよく見る定番のミックスジュースそのものだった。オレンジ色とミルク色の混ざったそれは、優しい黄色へと変わっていく。
「うーん、説明するの難しいんやけど、端的に言ったら、ここは迷子にならんと入られへん店なんやわ」
「迷子……ですか?」
「せやせや。この間お客さんが来たときみたいに、道に迷てるでもええし、人生に迷てるとか、岐路に立って途方に暮れてるとか、とにかく迷わん人は入られへんねんよ」
「はあ……あの、だったらさっきの泉の広場の噴水は……?」
店には窓がついておらず、外の様子を見ることはできない。でもたしかに、既に撤去されている噴水はそこにあったのだ。
それに店長さんは「あー……」と声を上げてから、ブレンダーのスイッチを切る。
すっかりと攪拌されたミックスジュースをグラスに入れると、私に差し出してくれた。私はおずおずと口を付けると、さっきのどろっとした見た目でもっとこってりしているのかと思ったのに、意外とあっさりとした口当たりにさっぱりとした後味で、目を白黒とさせる。でもよくよく考えたら、見た目に反して相当の果物の量を使っているんだから、これでおいしくなきゃ嘘だよなあと思い直す。
「ミックスジュースおいしいです」
「せやろ……で、泉の広場の噴水やけど、なんかある。としか言えんなあ」
「なんかあるってなんですか!?」
「それしか言えんからしゃあないやろ」
「でもここって、要は都市伝説の類じゃないですか!? 赤いコートの女みたいに!」
「赤いコートの女ぁ? あー……懐かしいなあ。まだそんな噂流れてるんや」
なぜか店長さんはしみじみと言った。
懐かしいもなにも、多岐川さんも普通に知っていた噂だったし、大阪にいたら知っているもんじゃないんだろうか。現に私が知らなかった曾根崎警察署付近の本屋の話だって、この人知ってたじゃないか。
私が思わずうろんなものを見る目で見たけれど、店長さんはからからと笑った。
「まあ、人助けしたとこやし、今日はおごったるから。もうあんまここに来えへんようにな?」
「……えっと、お金は払いますよ。なんかこれ、お金をちゃんと払わないと駄目な味ですし」
「別にええねんでー?」
「よくはないですよ」
そもそもさっきはおばあちゃんがいたとは言えど、私しかいない店なんだから、お金を払わないのは気まずい。それに。
お金さえ払ってたら、この店にまた来られそうな気がしたというのは、ちょっとだけある。
店長さんは肩を竦めた。
「自分、前から思てたけど、関西の子ぉちゃうやろ?」
「埼玉から来たんで違いますね」
「関西の子ぉ、見てるこっちが心配するほどに、タダより高いもんはあらへんってのを無視してタダに飛びつくから。まあええわ。値段はこんなん」
そう言ってメニューを叩いた。
私は前の通りに現金で支払ってから、「おいしかったです、ごちそうさま」と言って店を出て行った。
店を出たら、私の知っている場所に出て、もう噴水も泉の広場も消えてしまっていた。
「迷子にならないと来られない店って、結局なんだったんだろう……?」
私より先に出たおばあちゃん、無事に本屋に行けたのかな。店長さんが教えてくれたけれど。とりあえず私は、もし次に店長さんに会えたときは、自己紹介をして名前を教えてもらおうと心に決めてから、私の帰る駅に向かうことにした。
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