大正逢魔が時怪奇譚

石田空

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黄昏と初陣

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 十和子は要と別れ、教室に向かってからも、先程までの会話が本当のことだったのか、いまいちピンと来なかった。
 誠はそんなふたりのことを、勝手に興奮したように言ってくる。

「す、ごいわ、十和子ちゃん。姉妹になるなんて……! しかも要さんとよ? 今までどれだけお姉様になって欲しい子がいたというの……!?」
「うん、お姉様からそう言われて、わたしもびっくりしてるの」
「すごいわ! やっぱりおしゃれなお手紙を書くの?」
「もう、誠ちゃんは手紙の内容を人に読み聞かせるの? しかもお姉様のものよ?」
「ああ、ごめんなさいね、たしかにそれは行儀がよくなかったわ」

 女子校で姉妹と言っても、互いに近況報告の手紙をするくらい。そこまで表立ってなにかをする訳でもなく、ましてや色っぽいことがある訳でもない。
 十和子は要の事情を知っているが、まさか誠に本当のことを言える訳もない。

(まさか、お姉様が男だなんて言えないものねえ……)

 十和子がそう思っている間に、授業は終了した。
 そういえば、要は呼び出しがある際には連絡をすると言っていたが、どうやって連絡するつもりだろうか。

(たくさん紙があったし、手裏剣みたいに飛んでくるの? それは忍者か……)

 そう思いながら下駄箱で靴を履き替えようとする中。靴の上にカサリとしたものが入っていることに気付き、十和子は手を伸ばす。

「あ」
「あら、どうかした十和子ちゃん?」

 入っていたのは、スズランの柄の入った封筒。どう見ても恋文のそれで、エスの文通を思わせるものだったが。十和子はこれの意味に気付いていた。

(お姉様……用心深いのね)

 たしかに手裏剣なり人形なりを飛ばすよりも、よっぽど中身を読まれないだろう。十和子は誠に見つからないようにそっと封筒を鞄に忍ばせてから、会釈をする。

「どうも招待状が届いていたみたいだから、先に帰るわね」
「帰るわって……招待状ってなあに?」
「急がなきゃ。誠ちゃん、また明日!」
「また明日ー」

 誠は不思議そうな顔で首を捻っていたが、彼女の気質上これ以上詮索はしないでくれた。
 十和子は急いで家に帰ると、玄関の掃除をしていた母や、道場で門下生に稽古を付けている父に「ただいま戻りましたー!」と声をかけてから、自室へと駆けていった。
 自室で制服を脱ぎ、着物に着替えてから、要からの手紙を読む。

【今夜 逢魔が時にて校庭で】

 流麗だが読みやすい筆で、簡素にそう書かれていた。

「逢魔が時って……夕方よね?」

 逢魔が時。基本的に黄昏時とも呼ばれる、昼から夜に切り替わる時間のことを差す。
 空が金色で、影が伸び、青空の下ではわからなかった禍々しいものが、息を吹き返す時間。たしかにこの時間であったら、夜に校庭をうろうろするよりも、十和子も怖くはない。さすがに夜中にうろうろしたくない怖がりの十和子を気遣ってくれたのならありがたいが、要はそういう性質ではないように思える。

「とりあえず、普段着でいいのかしら?」

 薄緑は用意してくれるらしいから、手ぶらで行ってもかまわないのかもしれないが。
 とりあえず十和子は「今晩は宿題を頑張らないといけないから、お夜食をちょうだい」と母に言いに行くことにした。
 塩むすびを五つほど、竹の皮に来るんで持って行くことにした。これで、妖怪退治のあとも空腹で倒れることはないだろうと。

****

 十和子は母に「少し買い物に出かけて参ります」とだけ言って、塩むすびを持ってテケテケと胡蝶女学館へと走って行った。
 人はだんだんまばらになっていっているのがわかる。大きな街ならば、夜の昼とさほど変わらぬ明るさらしいが、残念ながらこの辺りは夜になったら暗くてなかなか歩けない。
 校庭に入った途端に、むわりと匂いが漂った。

「この匂い」
「結界だな」

 そう言って出てきたのは要だった。
 要は既に制服から狩衣へと着替えている。

「男が平然と女学校を出入りしていると知られれば事だし、陰陽寮との密約を公表する訳にもいくまいから、香炉で結界を張っている。香炉の匂いを嗅げば、普通ならば忘却術が働いて、妖怪退治のことなんて忘れてしまうんだがな」
「わたしが……忘れてなかったから、助手に選ばれたんですよねえ?」
「俺もまさか、全然忘却術の通じない相手がいるとは思わなかった。それで」

 そう言いながら、彼は長いひと振りの刀を差し出した。
 長さは日頃木刀を振るっている十和子からしても長く、その分だけ重く感じる。

「これが、かの源義経も振るったとされる重宝薄緑。大切に振るうといい」
「これが噂の……」

 鞘から引き抜き、その刀身を眺める。
 抜き身の刀は、金色の空の光を受けて艶めかしくきらめく。
 薄緑は膝丸、蜘蛛切、と切り落としたものにより名前を変え、最終的に薄緑と名付けられたと聞く。そのあとのことは通説がまちまちな上に、源氏の重宝が何振りもあったせいで、どれが正しいのかはわからない。
 ただ時代を越えて、奉納されていたその刀を借りて、十和子が戦うということだけわかればよい。

「長いですねえ……」
「あの時代は馬から刀を振るう関係で、刀身が長く大きく反りが入っていたらしいからな。江戸以降の現存の剣術や刀とは形も反りも違うが……使えそうか?」
「……いけると思いますけど。それでわたし、なにと戦えばいいんですか? さすがに刀で人魂は切れないと思うんですが」
「俺がわざわざ君を呼んで助手にしたんだ。その上わざわざ重宝まで与えて。そんなもの決まっているだろ」
「へ」

 そう言いながら、要はさっさと懐からなにかを出した。
 人形《ひとがた》は要が触れるとぶわりと浮き上がり、何枚もの人形が彼の周りに円を描いて舞った。

「鬼門から出るのだから、鬼に決まっているだろう」
「お、に」

 鬼。御伽草子を読み聞かせれば、大概敵役で登場するそれ。
 頼光四天王が酒呑童子を退治した物語が語られ、桃太郎が鬼ヶ島に渡って鬼を成敗した物語が語られている。
 あの鬼か。そう思って十和子がポカン、としている中。

クキュ
 キュウク
  クキュッキュ
   キュウウク
 クキュクククウ

 なにを言っているのか判別できない、それ以前に声なのかどうかも怪しい音が、人気のない校庭に響き渡った。
 もそもそもそと歩いてきたのは、鬼。小さくても赤黒い肌、もしゃもしゃとした髪、剥き出しの牙、そして額を割って生える角。どう見てもそれは、子鬼であった。
 それが大量に現れて、走りはじめた。
 要はそれに人形を飛ばす。

「あいつらは、邪気を食らって大鬼になる。子鬼の内に、全て滅するぞ!」
「は、はいっ……!」

 十和子はぎゅっと刀を握った。
 源氏の重宝のそれならば、かつての頼光四天王の長、源頼光だって持っていたことがあるはずだ。これならば、鬼を斬れる。
 十和子は刀を完全に鞘から引き抜いて、一気に子鬼を貫いた。肉の感覚は来ないが、まるで紙風船を割るかのように、パァーンッと割れる。

ピギャァ
 グギャッ
  クキャ
 キュククカ
  クキャキャ

 体液すら残さず、子鬼は刀で刺せば割れる。それに抵抗するかのように、子鬼は十和子に飛びかかってくるが、それは要の人形が貼り付く。途端にパァーンッと割れた。

「あ、ありがとうございます!」
「動きを封じてくれたほうが、こちらも狙いやすい」
「はいっ!」

 十和子の反射神経と日頃の鍛錬の成果、そして要の援護のおかげで、あれだけいたはずの子鬼に数も減り、だんだん鳴き声も聞こえなくなってくる。
 そして最後に一匹を十和子は一気に上から突き刺した。

「これで、終わりぃぃぃぃ!」

ギャアアアアアアアア

 奇声を上げて、子鬼が割れたところで、残ったのは香炉から漂う匂いだけだった。

「はあ、今日はいつもよりも早く片付いた」
「お、お疲れ様です! いつもこんなことをひとりでやってたんですか? あ、終わったら食べようと思っていたので、塩むすびを持ってきたんですよ! 一緒に食べませんか?」

 そう十和子に尋ねられて、要は一瞬虚を突かれたような顔をしたが、やがて「いただく」とふたりで校庭の端に座って、塩むすびを食べはじめた。

「お姉様、ここに派遣されるまではなにをやってたんですか?」
「いきなりいろいろ聞くもんだなあ……」
「いえ。女装してまで女子校に潜入するんだから、仕事熱心なのかなと思ったんですよ」

 一応十和子の家は、上に兄ふたり、父も入れて、皆それぞれ軍で働いている。いかつい男ばかり見ていたために、余計に柳のような体格に女装しても衰えない美貌の要が珍しく思えたのだ。
 それに要は苦笑する。

「俺はばれたら、てっきり『女子校に男だなんて』と悲鳴を上げられると思っていたが」
「そりゃ華族のお嬢さんだったら、身内以外の男の人とおしゃべりしたら怒られちゃいますけど。わたしは士族ですし、上に兄たちがいますしね。しないといけない格好しているだけの人を、どうのこうのなんて言いませんよ」
「なるほど……俺の場合は、仕事熱心というよりも、それ以外にやることがないから、というのが正しいな」
「そう、なんですか?」
「君は見える人間のようだがな、基本的に人は、人魂は見えないし、子鬼だって見えないもんなんだ」
「え……? わたし、見えてましたけど」

 普通に人魂に追いかけ回されて悲鳴を上げたし、子鬼だって気味が悪かったがさんざん刀で突き刺した。それが普通じゃないというのは、今初めて知った。
 それに要は苦笑を深める。

「皆が皆、君ほどに気持ちのいい人間だったのならば、鬼門の邪気も跳ねようが。残念ながら皆が皆、そうとは限らないという話さ。ごちそう様。旨かった。君が握ってきたのか?」

 指先についた米粒をペロリと舐める要を見ていた十和子は、「そっ、そうです!」と胸を張ると、先程までの苦笑から一気に要は破顔した。その顔は、いつも怜悧な顔をしている人が見せる、いとけない顔であった。

「また食べたい……と、催促しているみたいで、駄目だな。済まない」
「い、いえ……」

 思わず十和子はブンブンと三つ編みと一緒に首を振る。

「また持ってきますよ。また鬼退治して、一緒にいただきましょう」

 そう口にしてから、十和子は絶対に母から塩むすびの握り方を習おうと決意した。
 要に薄緑を返却してから、十和子は「それでは私、もう帰りますね」と挨拶して家に帰ろうとしたとき。

「あと十和子くん、できればお姉様は勘弁して欲しいのだけれど」
「ええ……? 形の上では姉妹なんですから、いいじゃありませんか」
「俺が、こういうのに慣れていない……要でいい」
「……要さん、ですか?」

 要は小さく頷いた。それに十和子はペコリと頭を下げた。

「わかりました! では要さん、また明日!」
「ああ、また明日」

 十和子はもう一度要に挨拶をしてから、家に走って行った。

(今日は、なんかもういっぱいだ……)

 初めて鬼を……子鬼だったけれど……退治したこと。要と一緒に塩むすびを食べたこと。そして要を名前で呼んだこと。

(なんというか……エスにはまる人たちの気持ちがやっとわかったような気がする)

 十和子は、根本的なことが抜け落ちていることに、この時点では気付いていない。
 そもそも十和子は女ではあるが、要は男だということに。狩衣の姿を見せているというのに、それでもなお。
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