大正逢魔が時怪奇譚

石田空

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お姉様と夜の学校

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「ううううう……」

 二本の三つ編みを揺らし、竹刀袋を背負っている。
 お転婆が過ぎると嫁のもらい手がないと揶揄されがちだが、士族の娘が剣術のひとつもできないでどうするというのか。さすがに青あざばかりつくると、母に大変怒られるため、家での鍛錬以外では木刀を持つのは諦めて、比較的軽い竹刀を持ち歩いている。
 普段であったら校舎に入るのにはきちんとアイロンをかけた白いセーラー服でなければいけないのだが、まさか宿題を忘れたから取りに行くなんて親に言えないため、こっそりと家を抜け出してきたのだ。おかげで私服の着物に袴を合わせた格好で、可愛らしいことには可愛らしいが、夜の校舎にはそぐわないように思える。

「どうしてこんなときに限って、見回りさんがいないのよぉ……」

 もし見回りの用務員さんがいたら、頼んで宿題を取ってきてもらえば、夜の校舎に入らずに済み、自分もさっさと家に帰れるというのに。
 夜の学校は不気味で仕方がなくて、正直入りたくなかった。いくら喧嘩っ早いお転婆が過ぎる十和子《とわこ》でも、怖い物は怖いのだ。
 だからこそ、お守り代わりに竹刀袋を持ってきた訳で。
 不審者と戦うならいざ知らず、どうして幽霊と竹刀で戦おうとするんだ。もし母が知ったらそう言って普通に怒りそうだが、残念。家からこっそり出てきたために、まだ母は彼女が家を抜け出したことを知らない。
 彼女はギィーギィー……と軋む廊下の床板に「ひぃー!!」と言いながら、自分の組の教室を目指した。本当だったら灯りのひとつでも持ってこればよかったのだろうが、そんなものはなく、廊下から漏れる外灯頼りで歩くしかない。用務員さん。用務員さん。
 そんな中。なにかがぽわぽわと浮いていることに気付いた。
 ……人魂。

「ひっ……ギャアアアアアアア…………!!」

 とうとう十和子は悲鳴を上げた。
 いくら剣術を習っていても、殴れないものには弱いのだ。そのまま悲鳴を上げながら、竹刀袋を抱き締めて走りはじめた。もう帰ろう。宿題は忘れたと怒られよう。そう涙目で走っている中。
 廊下の向こうから、十和子を通せんぼするように、別の人魂が現れた。

「ギャアアアアア…………!! また出たぁぁぁぁぁぁ!!」

 人が叫んで悲鳴を上げているのは面白い。しかし叫んでいる十和子はちっとも面白くないのだ。冗談じゃない。用務員さんは本当にどこ行った。
 人魂がゆらゆらと揺れて、十和子を挟み込もうとしているのにたまりかねて、十和子は廊下の窓を開けた。
 ここは一階。このまま廊下から飛び出て校庭を突っ切れば帰れるはずだ。そのまま十和子はガラリと窓を開けて飛び出た途端。
 シャラン。と綺麗な音がした。

「こ、今度はなによぉ……」

 十和子は竹刀袋を抱え込んで涙目になっている中。
 綺麗な音と一緒になにかいい匂いまで漂ってきたことに気付いた。
 白檀。麝香。桂皮。その他大変いい匂いのものは、お香のようだったが。その匂いを漂わせているのは、何故か校庭に香炉を置いて焚き込めていたのだ。

「おやおや。今日は鬼門が騒がしいと思ったら。まさか君がいたとはねえ」

 その声に聞き覚えがあり、十和子はパチリと瞬きした。
 そこにいたのは、白い狩衣を纏い黒い烏帽子を被っているが……紛れもなく自分が知っている人物なのだが。
 普段は亜麻色の長い髪を束髪に藤色のリボンで束ね、セーラー服を靡かせている人物とは同一人物には思えなかった。

「……お姉様?」
「おやおや」

 十和子は見慣れたお姉様の、見慣れない姿に、ただ混乱していた。
 ここは女学校だ。つまりは通っている生徒は全員女子のはずなのに。目の前に香炉を焚いて立っている人物は、どう見ても男に見えるのだ。

「俺もまさか、仕事中に君に会うとは思わなかったんだけどねえ」

 要が肩を竦めてしまったのに、十和子はまたも悲鳴を上げて、とうとう気絶してしまった。
 夜の学校。用務員の不在。人魂。実は憧れのお姉様は男だった。
 もう十和子が抱えきれる量の情報ではなかったのである。

****

 胡蝶女学館《こちょうじょがっかん》。
 地元有数の女子校であり、卒業生の中には大学まで進学した生徒も多数存在するという、この時代においては最先端の考えを持っている女子校である。

「今時はいつなにがどうなるのかわかりません。そのためにも、女性が手に職を持てるように、知恵を働かせることが肝心なのです」

 どの家庭に入っても、その家庭にどんな危機が迫っても大黒柱になれるように。だから力を入れている授業は家庭科だけではなく、国語、そろばん、英語などにも力を入れている。
 結婚して家庭に入るのが幸せとされる考えが多数を占め、結婚のために女学校を中退することこそステータスとされる現代においては前衛的であり、胡蝶女学館に通っている女学生も一筋縄ではいかないような生徒が多かった。

「おっはよー!!」

 セーラー服もまた、その前衛的な考えのひとつであった。まだ着物に袴を合わせた格好が女学生スタイルとされている中、動きやすいセーラー服にプリーツスカートの制服は物珍しく、この辺りではすぐに胡蝶の生徒だということがわかる。
 その中でお転婆に走り回る十和子もまた、この時代では珍しいほどの跳ねっ返りであった。

「おはよう、十和子ちゃん」

 そんな彼女をくすりと笑いながら受け入れる親友が、友枝《ともえだ》誠《まこと》であった。夜会巻きという流行髪に結い上げ、十和子と違い日焼けを知らない彼女は、いつ嫁入りの話が来てもおかしくないのだが、今のところはありがたくも友人関係を続けられるほどには、互いに浮いた話がひとつもなかった。

「今日は英語の授業がありますけれど、十和子ちゃんは宿題できましたか?」
「それがねえ……ぜんっぜんなの。というより、宿題を学校に忘れてきちゃったから……お願い誠ちゃん、見せてくれない?」
「あらあらあら、まあまあまあ……」

 十和子と誠。
 片や士族の跳ねっ返りであり、家の道場でさんざん父の門下生とも打ち合いをするようなお転婆。
 片や華族令嬢であり、既に婚約者もいる身ながらも、文通を続けて読書を嗜む文学少女。
 互いにテンポも話題も合わないはずながらも、不思議なことに馬の合うふたりは、いつも一緒にいた。

「いいですよ。じゃあ早く教室に参りましょうか」
「うん! ありがとう、誠ちゃん」

 そう言って校舎に入ったところで。

「あ、あのう! 私の! お姉様になってくださいませんか!?」

 廊下から声が聞こえて、ふたりとも振り返る。

「最近流行ってるねえ……今月だけで何件目だろうね」
「このところ雑誌で流行っていますものね、エス」

 女学校ではたびたびある話だった。
 先輩と後輩が「お姉様」と「妹」として過ごし、文通をする関係を、昨今流行りの雑誌でエスと称されて知れ渡っていた。
 この時代、婚約者同士でもない限り、文通以外することがなく、それ以上を求めるとなったらもはや結婚か駆け落ち以外に方法がなかった。
 だからこそ女学校でエスを見かけても、「お幸せに」とあえて見ないふりをするのが普通だったのだが。
 そこで「お姉様」と呼ばれている人物に、十和子は「んっ?」となった。
 亜麻色の長い髪を藤色のリボンで束髪にまとめ、セーラー服の上にはカーディガンを羽織っている。怜悧な目は涼やかで、胡蝶の女学生であったら、誰もが「お姉様になって欲しい」と遠巻きに眺めている人。
 それが天道《てんどう》要《かなめ》という人物であった。
 妹になりたがっている少女は、潤んだ目で要を見上げているが、要はちらりと十和子のほうを見てきた。
 十和子は「んんんんんんん……」と喉を鳴らす。
 それに誠は怪訝な顔だ。

「どうしましたか、十和子ちゃん。要さん、今日もお美しいですわね」
「そうなんだけれど……なあんか見落としているような……」

 十和子は昨日、たしかに宿題を学校に取りに行ったはずなのだ。
 そこで要に会ったような気がしているのだが、気付けば自室で着物も着替えず眠ってしまい、母に「年頃の娘がみっともないことしない!」と雷を落としたのだが。
 前後の記憶が何故か抜け落ちているのだ。

(わたし……要さんに会ったはずよね? でもなあんにも思い出せない……)

 何度喉を鳴らして記憶を探っても、宿題を取りに行った。行けなかった。忘れた。今日当てられたらどうしようということ以外思い出せず、学校でなにかをした記憶が抜けている。
 ただ要に会ったはずなのに。
 しばらく要を凝視していたら、要が姉妹に関して答えを見つけたらしい。

「ごめんなさいね、私はあなたのお姉様にはなれませんわ」

 甲高い柔らかい声がした。
 それに十和子の胸がチリッとする。

(なんか……違う? もっとハスキーな声だったような……待って。要さんの声を私はどこで聞いたのよ)

 おかしい。おかしい。
 そう思っている中。思っていたはずの要がこちらまで歩いてきたのだ。
 隣で誠は何故か顔を真っ赤にしている。

「私は、彼女を妹にしていますから」
「……へっ?」
「はい?」
「そうでしたか、お姉様……お幸せに…………!!」

 そのまま必死で思いを告げた少女は走り去ってしまった。
 そのまま要は笑顔で十和子を見下ろす。遠巻きに見ていても綺麗だった顔は、近くに寄っても綺麗だ。美形というものは近くても遠くても綺麗なものらしい。
 やがて、要は誠に声をかけた。

「申し訳ございません。彼女をお借りしてもよろしい?」
「ど、どうぞ」
(どうぞじゃありませんけど!? わたし、いきなりエスになりましたけど!?)

 十和子が要を見てプルプル震えている間に、要はたおやかに笑って「なら、参りましょうか?」と十和子に声をかけてきた。
 そのまま十和子は震えながら要についていった。
 ついていった先は、予備室のようだった。そこに要は慣れた手つきで鍵を出して開けている。

「あ、あのう……勝手に入ってもいいんですか……?」
「ここは俺が普段使っている部屋だからな、胡蝶の上層部はなにも言わんだろうさ」
「……!」

 それに十和子は目を見開いた。

(この人……やっぱり、昨日会った)

 先程までのたおやかな柔らかい口調はどこへやら、すっかりとハスキーな声に切り替わっていた。

「さて、なにから話しはじめようか」

 そう言って、十和子を連れて部屋へと入っていった。
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