お江戸陰陽師あやし草紙─これはあやかしのしわざですか?─

石田空

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神隠し

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 あの大名屋敷の姫と旗本の渡辺が婚姻したらしいとは、それから風の噂で聞いた。狐の嫁入りを見たというのは、大変におそろしがられるために大名同士の婚姻は無理でも、せめてもの情けで江戸城直参から婚姻相手を探し出すのは親心だったのだろう。
 姫の浅知恵もここまで来ると、史郎も「参った」と言わざるを得ない。
 そもそもあのときに姫と関わったおかげで、このところはそこそこ裕福な生活を送っているのだから、いちいち悪口を言っていてもしょうがないというのはある。

「いいように使われましたのに」

 当然ながら椿は拗ねていた。それに暦を書き記しながら史郎は笑う。

「いいじゃないか。誰も損はしなかった。諭吉も故郷の嫁さんに仕送りができたし、旅芸人一座もいい宣伝になった。あのおひいさんも好きな男のところに嫁ぐことができたし、俺たちもこのところはそこそこ羽振りがいい。おまけに最近は菜の花も美味い」
「そりゃそうなんですけど……なんだか納得いきませんっ」

 そう椿は拗ねる。
 菜の花は二月前後になったら惣菜屋でも並ぶようになり、季節限定のおひたしを食べれば、春の旨みと苦みを同時に噛み締めることができた。
 久々に雑穀の入っていない白飯、菜の花と薄揚げのおひたしに、干し魚。このところは魚を買う余裕ができたのはいいことだった。普段はもっと節制しているのだから。

「まあ、このところは井戸水も温くなってきたし、あとちょっとしたら桃も咲くだろう。その次は桜で、いよいよ春めくな」
「そうですね……」
「春になったら花見にでも出るか」

 そうなんの気なしに史郎が口にすると、途端に椿はきょとんとした顔をした。

「なんだ?」
「いえ。先生が今日は優しいので、不思議に思いまして」
「なんだそりゃ。俺ぁとりたてて冷酷でないだけで、普通だよ。普通」
「だって先生、最初は私のことを邪険に扱ってましたし」
「あー……そりゃそうだろ。いきなり俺のところに押しかけ弟子になって、もののけを祓う方法教えてくれだなんて」
「だって、先生は陰陽師でしょう?」
「……あのなあ」

 どうしたものかと史郎は思う。
 薄々椿の素性はわかっているものの、数ヶ月も一緒に暮らしていたら普通に情も湧く。下手につついて椿を泣かせるのも可哀想で、どう切り出したものか未だに判別が付かない。

(お糸にでも聞くかなあ……この年頃の女の扱いはさっぱりわからない)

 代々小役人の家系なため、年頃の娘とはとことん縁がなかった。幼少期から暦の読み方を学び、空を見上げながら暦をつくる作業を覚える。勉学にばかり励んでいたため、年頃の武士や商人のように羽目を外した女遊びなどした覚えがなく、会話をしたことがないから扱い方がわからないまま、今に至る。
 史郎は自分の思惑を誤魔化すかのように、湯飲みに淹れた玄米茶に手を伸ばしてすすったところで「すみませーん」と戸の向こうから声をかけられた。

「はい」
「陰陽師さんのお宅ってこちらですかぁー?」

 元は椿が流した凄腕陰陽師の噂で、厄介事相談が続いていたが。衣替えの季節が近付くにつれ、皆家事に仕事に忙しくなってぱったりと持ち込まれる話が止んでいた。だから、久々の訪問であった。

「はい、そうですが。どうぞ」
「ありがとうございます。失礼しますね」

 戸を開けてきたのは、若い女性であった。長屋に若い女が越してきたら、大概は訳ありだ。江戸に寄ってくるのは、大名屋敷に詰めるような武士以外だったら、日ノ本津々浦々の次男坊三男坊がやってくる。何分財産は長男が全て受け継ぐものだから、次男以降は家を追い出される。家を追い出された者たちは、職を求めて江戸にやってきて、奉公先を探すのだ。
 女の場合は、大概は何人いても大切にされた上で嫁に出される。家が傾いたら売れば金になる。そのため、単身の女は目立つ。
 もっとも、元夜鷹の糸が大家を務めているこの長屋では、その手の女がやってきたところで「また糸がお節介を焼いているんだな」でとやかく言わず、特に関わりがないまま去って行くのを見送るのが常だった。
 こうしてわざわざやってきたのは初めてだった。派手ではないが、地味でもない無地の着物を着て、派手ではないが丁寧な結い髪をしている。彼女は金の使い方がわかっている人だ。どこかの大店の娘だったんだろうかと史郎がぼんやり思っている中、「あの」と彼女が口火を切った。

「私は松と申します。元々は仙台の料亭で働いていましたが、暖簾分けの際に若旦那が江戸で店を開きたいと申しましたので、私も着いて参りました」
「はあ……料亭の女中さんですか?」
「でした、ですね」

 どうにもきな臭く、史郎は口を挟んだ。

「あー……もし奉行所に行かないといけないって話だったらそっちを当たってくれ。うちはしがない陰陽師で、暦を読むのが仕事だ。もののけを祓う力はない」
「ええ、ええ……わかっております。ただ、奉行所でも掛け合ってくれませんでしたので」

 松はそう告げると、唐突に黙り込んだ。
 嫌な予感がすると、史郎はダラダラと冷や汗を掻く中、松はようやっと口を開いた。

「私が料亭を辞めて働きはじめたのは、濡れ衣を着せられて、料亭を追い出されたからです」
「……穏やかな話じゃねえな」
「ええ、穏やかな話ではございません、若旦那には、元々許嫁がおられまして。その方は桜様とおっしゃり、大変おきれいな方で、よく働く方でした」

 仙台ではどれだけの規模で店をしていたのかはわからないが、江戸に出てきて商売をはじめるんだったらなかなかに大変だ。なんと言っても、江戸と仙台では若干味の方向性が違う。その上手に入る食材だって変わってくるのだから、店が軌道に乗るまでは若旦那と奥方が二人三脚で働き、それを奉公人たちが支えるというのは必然になる。
 松は続ける。

「それが……その許嫁が急に影も形も見つからなくなったんです。原因はわかりません。それが原因で、奉公人の中でも古株だった私が、若旦那をたぶらかしたんじゃないかという噂が立ってしまったんです」

 それはむごい話だった。
 たしかに松は派手ではないが地味ではないし、明らかに金の使い方をわかっている格好をしている。そしてその器量は勝手にやっかみを受けることだってある。
 それがより一層美しかったがかえって凄みが出るためにやっかみを受けるそしりがない。逆に美しくなかったら勘違いしているという陰口は叩かれるだろうが、下手なやっかみは受けない。その間が一番、下手な嫉妬を受けるのだ。
 松は俯いた。

「それが原因で私は店の風紀が乱れるという名目で追い出されてしまいました……訳がわかりません。どうして追い出されてしまったのか。そして桜様はどこに行ってしまったのか」
「そりゃ大変だったね……糸に拾われてからは?」
「はい……親切なお糸さんが長屋の空き部屋を貸してくださり、仕事も斡旋してくれました。今は惣菜屋で働いています」
「それはよかった。で、うちに来たのは?」

 しばらく黙ってから、ようやっと松は口を開いた。

「まるで気味が悪いんです。そもそも桜様がいなくならなかったら、私はそのまんま働けたのに。わざわざ仙台から出てこなくってもよかったのに。故郷に帰れないんだったら、せめて桜様を探して文句のひとつでも言いたいんです……まるで、彼女が忽然と姿を消したのは、神隠しみたいで、気味が悪くて」

 そのとき、史郎の隣で静かに話を聞いていた椿の肩がピクンと跳ねた。それに史郎は違和感を覚えつつも、腕を組んだ。

(さすがに人捜しなんて、俺の領分じゃないが……)

 断ろうとしたが、それより先に「先生」と椿が訴えた。

「このままじゃお松さんが可哀想です。どうか桜さんを探し出して、お松さんの無実を証明しましょう」

 いつもいつも相談者に対して親切な椿ではあるが、今日はいつにも増して積極的だ。
 史郎はどうしたもんかと首を捻る。

「……自分も奉行所の人間じゃないんで、どこまでやれるかはわかりませんよ。それでよかったら」
「まあ、まあ……! ありがとうございます、ありがとうございます!」

 松に必要以上に感激され、史郎は思わず閉口する。
 縁もゆかりもない場所に放逐された恨みが桜に向けられないといいが。そう思わずにはいられなかった。
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