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怪盗の日常は続く
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図書館はだいたい三層に別れている。一般開放されている一階は、王立学園の生徒だけでなく、王都民だったら誰でも本の閲覧が可能で閲覧席が広くできている。その奥には書庫が存在し、貴重な資料はそこで保管されている。そして最奥。
司書以外は閲覧禁止の禁書棚が存在している。怪盗トリッカーが目指しているのはそこだ。
(案の定、閲覧席には銃騎士がたくさんいる……今のところはエルマー以外には私が見えてないからいいけど……でも少しでも魔力の感知ができる人がいたら、すぐに捕まってしまう)
書庫に入らなければ、禁書棚にまで入ることすらできない。
普通に考えれば、見つからない内に書庫まで走ることだが、閲覧席の廊下は狭く、あちこちに銃騎士が並んでいたらぶつかる。
見ること自体は怪盗トリッカーの纏っている怪盗装束で隠されているものの、ぶつかってしまったら隠蔽が利かなくなる。こんな走りにくい場所では余計にだ。
どうするかと長考に入ろうとしたとき。
「この生徒は?」
「明日提出の課題を忘れてきたらしい」
おかしな話を耳にし、怪盗トリッカーは振り返り……ぎょっとした。
制服を着た、おどおどとした大人しそうな長い髪の少女が、銃騎士に連行されていたのだ。しかしその長い髪の少女の顔はあからさまに見たことがあった……トラヴィスだ。
(ちょっと待って。女装して直接来たの!? でも誰も彼が女装だって気付いてない……魔道具か!)
おそらくはこのまま閲覧席に侵入し、混乱を起こした末に銃騎士を攪乱させて、書庫から禁書棚に侵入しようとしているのだろう。
怪盗トリッカーは口元に手を当てて考える。
(ここで誰かの服を奪って変装し、この女装しているのは怪盗コンスタントだと暴く? 駄目、あっちは十中八九私を見つけ次第、怪盗トリッカーだと大騒ぎを起こした末に、禁書棚に行ってしまう……あの魔道具を取り払って正体を暴く?)
怪盗トリッカーの変装は、怪盗装束に加えて顔を覆っている仮面が物を言う。仮面を付けたまま服を着ることで、服の温度が残っている間だけなら服を奪った相手に変装することができるし、怪盗装束を着ている間は魔力を持っていない限りは存在を隠蔽して隠し通すことができる。
おそらくは怪盗コンスタントの変装も、似た原理が働いている。
怪盗トリッカーは、怪盗コンスタントに気付かれぬようにできる限り距離を置いてから、走りはじめる。
(……無理。ここで下手に怪盗コンスタントの存在を暴くより、彼より先に禁書棚に侵入したほうが、まだマシ)
そう思って彼女は鳥籠を出した。
鳥籠の中にはクルクルとした瞳のフクロウが入っている。鳥は夜目が利かないが、夜行性であるフクロウは別格になる。
怪盗トリッカーはフクロウに向かって囁く。
「お願い、ここで騒ぎを起こしてから、我が家に帰ってきて。できる限り銃騎士たちの注意を払ってね」
そもそもこれに対しては勝算があった。
王立学園の図書館には稀少価値の高い蔵書が多数補完されている。おまけにここは紙が多くて燃えやすい。こんな場所ではいくら銃騎士であったとしても銃を使うとは思えず、フクロウを撃ち殺されることもないだろうという判断だった。
フクロウを鳥籠から出すと、途端にバサリと羽ばたいて飛びはじめた。途端に辺りは騒然とする。
「おい、なんでこんなところにフクロウが!? あっ、待てこんなところで飛ぶな!」
「グシュンっ! これ、羽根以外にもなんか出てないか!?」
フクロウの足には胡椒袋を取り付けていた。羽ばたくたびに胡椒が振りかけられたら、その場にいる誰もが錯乱するだろう。その混乱に乗じて、怪盗トリッカーは書庫へと向かっていった。
(今は怪盗コンスタントも、胡椒袋と戦っているはず! その隙に私が禁書を……!)
「なるほど、フクロウに胡椒か。たしかに人は目の前が見えなくなると、それどころではなくなって、使命だって放棄するかもね」
この回りくどい口調。
思わず怪盗トリッカーは振り返ると、女装したまんまのトラヴィスが平然とした様子で、書庫に来ていた。
「これだけ騒ぎになってくれれば、しばらくの間は皆閲覧席から出ることもできないだろうさ」
「あなた……いったいどうやってここに来たの!? だって女装したあなたが……」
「見せ罠だよ。君に対するね。もし彼にちょっかいをかけるとしたら、君の隠蔽魔道具を剥いでいいって暗示をかけていたんだよ」
要は怪盗コンスタントもまた、閲覧席で騒ぎを起こすことを計算に入れていたということだ。違いは怪盗トリッカーは自前のフクロウを使って騒ぎを起こしたのに対して、怪盗コンスタントがやったのは、どこかの誰かに自分そっくりに見える魔道具を使い、騒ぎを起こそうと送り込んでいたということ。
どこかの誰かはそのためにわざわざ女装までさせられていたということだ。
「……あなた本当に最低ね?」
「君の愛玩動物はよくって、どこの誰とも知らぬ人だと駄目というのは、ずいぶんと不思議な言い方だね?」
「そのまどろっこしい言い方、私は好きではないわ」
「残念だね、それは」
そう言って肩を竦めた怪盗コンスタントは、仮面越しに怪盗トリッカーに触れる。それを彼女は払いのける。もう前のときのように、無理矢理唇を奪われかけてはかなわない。
怪盗トリッカーは腕を払いのけてから、鳥籠を持って走り出す。
書庫の通路は狭く、その上書庫のひとつひとつは移動式のカートが付いている。怪盗トリッカーはその書庫をひとつ押し出した。
「……あなたに絶対に、禁書は渡さない」
「健気だね」
「私、あなたみたいに人の気持ちをなにひとつ考えない人、大嫌い……!」
怪盗トリッカーは移動式のカートを強く怪盗コンスタントに押し出す。彼のマントをレーンに巻き込んで足止めしようとしているのだ。怪盗コンスタントはそれに気付いたのか、笑いながら避ける。
が、ここでずっと大きな音を立てていたせいなのか、それとも胡椒とフクロウから逃れてきたのか、書庫のほうに足音が聞こえてきた。
「ゲホッゲホ……ひっどい目にあったぁ……」
「なんなんだ、今日の怪盗トリッカーはやることが雑過ぎるんじゃないかい?」
「知らないよ、そんなの……って、なんだよこれ……棚がぐっちゃぐちゃになってるじゃねえか」
その声は、あからさまにエルマーとクリフォードであった。それに怪盗トリッカーはほっとしつつも、最後に大きくカートを押し出した。
「禁書は、私がいただくから……!」
それでも、棚をひっくり返して書庫を散乱させるような真似だけはどうしてもできなかった。
彼女にとっては価値があるのかどうだかわからない本でも、誰かにとっては大切な本。そして王立学園に通う人々にとっては宝かもしれない本。それが傷むような真似だけは、彼女にはできなかったのだ。
怪盗コンスタントはどうだかは怪盗トリッカーにもわからない。
何度も避け続けていた怪盗コンスタントも、とうとうマントをレーンに巻き込まれた。
「くっ……うっ」
「あなたは銃騎士さんたちのお相手をしていてちょうだい……!」
そのまま怪盗トリッカーは最奥目掛けて走っていった。
そこには、禁書がたしかに眠っている。
****
そこは乾燥した木の匂いで充満していた。
古書は傷みやすく、日に焼ければインクが劣化して紙に貼り付いたり、紙が傷んで破れたりしてしまう。だからこそ、日が当たらぬよう、それでいてカビや湿気が来ないよう、木に水分を肩代わりさせていた。だからこそ、冬の森のような匂いに包まれている。
その匂いを嗅ぎながら、怪盗トリッカーは問題の禁書を探した。やがて、鳥籠の戸が勝手に開閉しはじめた。
「そっちなんだ……なにこれ」
見たらそれが禁書……に成り代わった魔道具だと一目瞭然であった。
勝手に浮き上がり、勝手に踊っている。我が物顔で禁書棚にいたのだ。
「あなたね……すぐに回収するから……」
そう言いながら鳥籠の中に魔道具をしまい込もうとしているものの、その鳥籠にまたしてもマントがかけられる……いつかと同じく、鳥籠から魔道具としての反応が途絶えてしまった。
「怪盗コンスタント……」
「悪いけれど、今回の勝負、勝たせてもらうよ……」
エルマーたちとどういうやり取りがあったのかはわからないが、怪盗コンスタントの息は上がっていた。それに怪盗トリッカーはきゅっと目を吊り上げる。
「あなたには負けない。あなたみたいな、人の心がわからない人には……!」
「ああ、わからないさ。わからない。でもそれのなにがそんなにいけないんだい? 人の気持ちがわからないということが、なにをそこまで責め立てられなければならないのかね?」
そう言われると、怪盗トリッカーもたじろぐ。
(この人……私にむやみにちょっかいをかけると思ったら……人の気持ちがわからないことに苦しんでいたからなの?)
どうにかマントを引き剥がそうとするものの、どうもマントには粘着質なものを付けられたらしく、剥がれない。その間に、怪盗コンスタントが歩いてきた。
「私は優秀なんだよ。人間としても、怪盗としてもね」
「……自分からそんなこと言う人、初めて見たわ」
「不思議なものだね。持つものはひけらかせばいいものを、それをすると誰もが『恥知らず』と呼ぶんだ……持てるものを与えるためには、どれだけ持っているのかを知らしめなければ意味がないというのにね」
怪盗コンスタントは怪盗トリッカーが鳥籠に入れようとしていた禁書に簡単に触れた。魔道具は持つだけで人の正気を奪ってしまうというのに、怪盗コンスタントは怪盗トリッカーと同じくなんの反応も示さない。魔力を持っているということだろう。
「私はできないという人の気持ちがわからないし、それに寄り添おうとする気持ちはもっと理解できないんだよ。だから君に興味があるし、君を手元に置きたいと思ったんだよ。その気持ちさえ、否定されねばならないものかな?」
「それは……」
その言葉は愛の告白にしてはあまりにも淡泊が過ぎ、寂しさの吐露と言うにはあまりにも湿度がない。ただ、淡々とした言葉の羅列だ。
「……あのさあ。だから嫌がられるんじゃ、ねえのか?」
その言葉でまたも乱入してきたのは、エルマーだった。
「騎士さん……」
「……怪盗トリッカーも怪盗コンスタントも、なんなんだよ。本当に」
エルマーはあからさまにイラっとした様子だった。
「気持ちのいい言葉並べたとしても、窃盗だろうが。そこになんの説得力があるんだよ。あとさ、怪盗コンスタント。それ、全然告白でもなんでもないから。愛玩品欲しいって、チビのわがままかよ」
そう切って捨てる。
その言葉に、怪盗トリッカーは少しばかりの寂しさを覚える。
(そうだよね……エルマーからしてみれば、私はただの泥棒だもの……王都に騒ぎを起こす……)
寂しさを抱えつつも、彼女はエルマーが正論を突きつけて怪盗コンスタントを追い詰めている間に、なんとかマントを取らなければいけなかった。
剥がれないのだとしたら、破るしかない。怪盗トリッカーは、マントを貼り付けたままの鳥籠を、エルマーに大きく振りかぶった。いきなり鳥籠を投げつけられたエルマーは、思わずそれを払いのけようとするが。そこで怪盗トリッカーが叫ぶ。
「お願い、そのマント切り裂いて……!」
「……人に物を頼む態度なのかよ、それは」
エルマーは銃を取り出すと、その切っ先でマントを突き刺し、たしかに破いたのだ……鳥籠の魔道具としての力が解放される。それに対して怪盗コンスタントは焦る。
「なんてことを……!」
「……ごめんなさい、禁書を盗んでしまって。でもこんなもの、王立学園に広めることはできないわ」
鳥籠の戸が開き、たちどころに禁書を吸い込んでしまった。途端に鳥籠が光る。
「ううっ……!」
思わずエルマーが落としてしまったのを怪盗トリッカーは拾い上げると、そのままそれを持って逃げ出した。
「怪盗コンスタント。私の勝ちよ。怪盗稼業を楽しんでいるあなたには……絶対に負けられない」
彼女はそう言い残して、図書館から王都へと姿をくらませてしまった。
エルマーはいきなりの光で目がチカチカするのにどうにか耐えながらも、残された怪盗コンスタントを睨む。
「……内輪揉めだかなんだかはわからないけど……お前まで逃がしてたまるか」
「騎士くん。君はどうも魔道具の作用が一切利かないようだから、ひとつだけ教えてあげようか」
「怪盗から教わるものなんて、なんにもないよ」
「そう言わずに。君が魔道具に目がくらまず、魔力に当てられて心身を暴走させないことは、簡単な話なんだよ……君は魔力を持っているものから、相当愛されている。いつだって魔法を解く鍵は、愛において他にないんだよ」
それにエルマーはあからさまに固まってしまった。
怪盗コンスタントからしてみれば、今回はさんざんな目に遭った。ただのうだつの上がらない理想主義だと思っていた怪盗トリッカーには出し抜かれ、正攻法以外はぱっとしない護衛銃騎士団には妨害され、その上魔道具の小細工が一切利かないエルマーには何度も邪魔をされた。
せめて彼自身をからかうくらいしか、溜飲が下がることがなかったのだ。
裂かれたマントをひょいと持つと、怪盗コンスタントは笑う。
「また会おう……騎士くん」
「あっ……お前まで逃がしてたまるかよっ……!」
「止めたまえよ」
そう怪盗コンスタントが言った先。マントに仕掛けていた粘液が、エルマーの足を捕らえた。そのまま足が床に貼り付いて動けなくなる。怪盗コンスタントは、それを見ながら、これ見よがしに歩いて去って行ってしまったのだった。
司書以外は閲覧禁止の禁書棚が存在している。怪盗トリッカーが目指しているのはそこだ。
(案の定、閲覧席には銃騎士がたくさんいる……今のところはエルマー以外には私が見えてないからいいけど……でも少しでも魔力の感知ができる人がいたら、すぐに捕まってしまう)
書庫に入らなければ、禁書棚にまで入ることすらできない。
普通に考えれば、見つからない内に書庫まで走ることだが、閲覧席の廊下は狭く、あちこちに銃騎士が並んでいたらぶつかる。
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怪盗トリッカーは口元に手を当てて考える。
(ここで誰かの服を奪って変装し、この女装しているのは怪盗コンスタントだと暴く? 駄目、あっちは十中八九私を見つけ次第、怪盗トリッカーだと大騒ぎを起こした末に、禁書棚に行ってしまう……あの魔道具を取り払って正体を暴く?)
怪盗トリッカーの変装は、怪盗装束に加えて顔を覆っている仮面が物を言う。仮面を付けたまま服を着ることで、服の温度が残っている間だけなら服を奪った相手に変装することができるし、怪盗装束を着ている間は魔力を持っていない限りは存在を隠蔽して隠し通すことができる。
おそらくは怪盗コンスタントの変装も、似た原理が働いている。
怪盗トリッカーは、怪盗コンスタントに気付かれぬようにできる限り距離を置いてから、走りはじめる。
(……無理。ここで下手に怪盗コンスタントの存在を暴くより、彼より先に禁書棚に侵入したほうが、まだマシ)
そう思って彼女は鳥籠を出した。
鳥籠の中にはクルクルとした瞳のフクロウが入っている。鳥は夜目が利かないが、夜行性であるフクロウは別格になる。
怪盗トリッカーはフクロウに向かって囁く。
「お願い、ここで騒ぎを起こしてから、我が家に帰ってきて。できる限り銃騎士たちの注意を払ってね」
そもそもこれに対しては勝算があった。
王立学園の図書館には稀少価値の高い蔵書が多数補完されている。おまけにここは紙が多くて燃えやすい。こんな場所ではいくら銃騎士であったとしても銃を使うとは思えず、フクロウを撃ち殺されることもないだろうという判断だった。
フクロウを鳥籠から出すと、途端にバサリと羽ばたいて飛びはじめた。途端に辺りは騒然とする。
「おい、なんでこんなところにフクロウが!? あっ、待てこんなところで飛ぶな!」
「グシュンっ! これ、羽根以外にもなんか出てないか!?」
フクロウの足には胡椒袋を取り付けていた。羽ばたくたびに胡椒が振りかけられたら、その場にいる誰もが錯乱するだろう。その混乱に乗じて、怪盗トリッカーは書庫へと向かっていった。
(今は怪盗コンスタントも、胡椒袋と戦っているはず! その隙に私が禁書を……!)
「なるほど、フクロウに胡椒か。たしかに人は目の前が見えなくなると、それどころではなくなって、使命だって放棄するかもね」
この回りくどい口調。
思わず怪盗トリッカーは振り返ると、女装したまんまのトラヴィスが平然とした様子で、書庫に来ていた。
「これだけ騒ぎになってくれれば、しばらくの間は皆閲覧席から出ることもできないだろうさ」
「あなた……いったいどうやってここに来たの!? だって女装したあなたが……」
「見せ罠だよ。君に対するね。もし彼にちょっかいをかけるとしたら、君の隠蔽魔道具を剥いでいいって暗示をかけていたんだよ」
要は怪盗コンスタントもまた、閲覧席で騒ぎを起こすことを計算に入れていたということだ。違いは怪盗トリッカーは自前のフクロウを使って騒ぎを起こしたのに対して、怪盗コンスタントがやったのは、どこかの誰かに自分そっくりに見える魔道具を使い、騒ぎを起こそうと送り込んでいたということ。
どこかの誰かはそのためにわざわざ女装までさせられていたということだ。
「……あなた本当に最低ね?」
「君の愛玩動物はよくって、どこの誰とも知らぬ人だと駄目というのは、ずいぶんと不思議な言い方だね?」
「そのまどろっこしい言い方、私は好きではないわ」
「残念だね、それは」
そう言って肩を竦めた怪盗コンスタントは、仮面越しに怪盗トリッカーに触れる。それを彼女は払いのける。もう前のときのように、無理矢理唇を奪われかけてはかなわない。
怪盗トリッカーは腕を払いのけてから、鳥籠を持って走り出す。
書庫の通路は狭く、その上書庫のひとつひとつは移動式のカートが付いている。怪盗トリッカーはその書庫をひとつ押し出した。
「……あなたに絶対に、禁書は渡さない」
「健気だね」
「私、あなたみたいに人の気持ちをなにひとつ考えない人、大嫌い……!」
怪盗トリッカーは移動式のカートを強く怪盗コンスタントに押し出す。彼のマントをレーンに巻き込んで足止めしようとしているのだ。怪盗コンスタントはそれに気付いたのか、笑いながら避ける。
が、ここでずっと大きな音を立てていたせいなのか、それとも胡椒とフクロウから逃れてきたのか、書庫のほうに足音が聞こえてきた。
「ゲホッゲホ……ひっどい目にあったぁ……」
「なんなんだ、今日の怪盗トリッカーはやることが雑過ぎるんじゃないかい?」
「知らないよ、そんなの……って、なんだよこれ……棚がぐっちゃぐちゃになってるじゃねえか」
その声は、あからさまにエルマーとクリフォードであった。それに怪盗トリッカーはほっとしつつも、最後に大きくカートを押し出した。
「禁書は、私がいただくから……!」
それでも、棚をひっくり返して書庫を散乱させるような真似だけはどうしてもできなかった。
彼女にとっては価値があるのかどうだかわからない本でも、誰かにとっては大切な本。そして王立学園に通う人々にとっては宝かもしれない本。それが傷むような真似だけは、彼女にはできなかったのだ。
怪盗コンスタントはどうだかは怪盗トリッカーにもわからない。
何度も避け続けていた怪盗コンスタントも、とうとうマントをレーンに巻き込まれた。
「くっ……うっ」
「あなたは銃騎士さんたちのお相手をしていてちょうだい……!」
そのまま怪盗トリッカーは最奥目掛けて走っていった。
そこには、禁書がたしかに眠っている。
****
そこは乾燥した木の匂いで充満していた。
古書は傷みやすく、日に焼ければインクが劣化して紙に貼り付いたり、紙が傷んで破れたりしてしまう。だからこそ、日が当たらぬよう、それでいてカビや湿気が来ないよう、木に水分を肩代わりさせていた。だからこそ、冬の森のような匂いに包まれている。
その匂いを嗅ぎながら、怪盗トリッカーは問題の禁書を探した。やがて、鳥籠の戸が勝手に開閉しはじめた。
「そっちなんだ……なにこれ」
見たらそれが禁書……に成り代わった魔道具だと一目瞭然であった。
勝手に浮き上がり、勝手に踊っている。我が物顔で禁書棚にいたのだ。
「あなたね……すぐに回収するから……」
そう言いながら鳥籠の中に魔道具をしまい込もうとしているものの、その鳥籠にまたしてもマントがかけられる……いつかと同じく、鳥籠から魔道具としての反応が途絶えてしまった。
「怪盗コンスタント……」
「悪いけれど、今回の勝負、勝たせてもらうよ……」
エルマーたちとどういうやり取りがあったのかはわからないが、怪盗コンスタントの息は上がっていた。それに怪盗トリッカーはきゅっと目を吊り上げる。
「あなたには負けない。あなたみたいな、人の心がわからない人には……!」
「ああ、わからないさ。わからない。でもそれのなにがそんなにいけないんだい? 人の気持ちがわからないということが、なにをそこまで責め立てられなければならないのかね?」
そう言われると、怪盗トリッカーもたじろぐ。
(この人……私にむやみにちょっかいをかけると思ったら……人の気持ちがわからないことに苦しんでいたからなの?)
どうにかマントを引き剥がそうとするものの、どうもマントには粘着質なものを付けられたらしく、剥がれない。その間に、怪盗コンスタントが歩いてきた。
「私は優秀なんだよ。人間としても、怪盗としてもね」
「……自分からそんなこと言う人、初めて見たわ」
「不思議なものだね。持つものはひけらかせばいいものを、それをすると誰もが『恥知らず』と呼ぶんだ……持てるものを与えるためには、どれだけ持っているのかを知らしめなければ意味がないというのにね」
怪盗コンスタントは怪盗トリッカーが鳥籠に入れようとしていた禁書に簡単に触れた。魔道具は持つだけで人の正気を奪ってしまうというのに、怪盗コンスタントは怪盗トリッカーと同じくなんの反応も示さない。魔力を持っているということだろう。
「私はできないという人の気持ちがわからないし、それに寄り添おうとする気持ちはもっと理解できないんだよ。だから君に興味があるし、君を手元に置きたいと思ったんだよ。その気持ちさえ、否定されねばならないものかな?」
「それは……」
その言葉は愛の告白にしてはあまりにも淡泊が過ぎ、寂しさの吐露と言うにはあまりにも湿度がない。ただ、淡々とした言葉の羅列だ。
「……あのさあ。だから嫌がられるんじゃ、ねえのか?」
その言葉でまたも乱入してきたのは、エルマーだった。
「騎士さん……」
「……怪盗トリッカーも怪盗コンスタントも、なんなんだよ。本当に」
エルマーはあからさまにイラっとした様子だった。
「気持ちのいい言葉並べたとしても、窃盗だろうが。そこになんの説得力があるんだよ。あとさ、怪盗コンスタント。それ、全然告白でもなんでもないから。愛玩品欲しいって、チビのわがままかよ」
そう切って捨てる。
その言葉に、怪盗トリッカーは少しばかりの寂しさを覚える。
(そうだよね……エルマーからしてみれば、私はただの泥棒だもの……王都に騒ぎを起こす……)
寂しさを抱えつつも、彼女はエルマーが正論を突きつけて怪盗コンスタントを追い詰めている間に、なんとかマントを取らなければいけなかった。
剥がれないのだとしたら、破るしかない。怪盗トリッカーは、マントを貼り付けたままの鳥籠を、エルマーに大きく振りかぶった。いきなり鳥籠を投げつけられたエルマーは、思わずそれを払いのけようとするが。そこで怪盗トリッカーが叫ぶ。
「お願い、そのマント切り裂いて……!」
「……人に物を頼む態度なのかよ、それは」
エルマーは銃を取り出すと、その切っ先でマントを突き刺し、たしかに破いたのだ……鳥籠の魔道具としての力が解放される。それに対して怪盗コンスタントは焦る。
「なんてことを……!」
「……ごめんなさい、禁書を盗んでしまって。でもこんなもの、王立学園に広めることはできないわ」
鳥籠の戸が開き、たちどころに禁書を吸い込んでしまった。途端に鳥籠が光る。
「ううっ……!」
思わずエルマーが落としてしまったのを怪盗トリッカーは拾い上げると、そのままそれを持って逃げ出した。
「怪盗コンスタント。私の勝ちよ。怪盗稼業を楽しんでいるあなたには……絶対に負けられない」
彼女はそう言い残して、図書館から王都へと姿をくらませてしまった。
エルマーはいきなりの光で目がチカチカするのにどうにか耐えながらも、残された怪盗コンスタントを睨む。
「……内輪揉めだかなんだかはわからないけど……お前まで逃がしてたまるか」
「騎士くん。君はどうも魔道具の作用が一切利かないようだから、ひとつだけ教えてあげようか」
「怪盗から教わるものなんて、なんにもないよ」
「そう言わずに。君が魔道具に目がくらまず、魔力に当てられて心身を暴走させないことは、簡単な話なんだよ……君は魔力を持っているものから、相当愛されている。いつだって魔法を解く鍵は、愛において他にないんだよ」
それにエルマーはあからさまに固まってしまった。
怪盗コンスタントからしてみれば、今回はさんざんな目に遭った。ただのうだつの上がらない理想主義だと思っていた怪盗トリッカーには出し抜かれ、正攻法以外はぱっとしない護衛銃騎士団には妨害され、その上魔道具の小細工が一切利かないエルマーには何度も邪魔をされた。
せめて彼自身をからかうくらいしか、溜飲が下がることがなかったのだ。
裂かれたマントをひょいと持つと、怪盗コンスタントは笑う。
「また会おう……騎士くん」
「あっ……お前まで逃がしてたまるかよっ……!」
「止めたまえよ」
そう怪盗コンスタントが言った先。マントに仕掛けていた粘液が、エルマーの足を捕らえた。そのまま足が床に貼り付いて動けなくなる。怪盗コンスタントは、それを見ながら、これ見よがしに歩いて去って行ってしまったのだった。
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アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
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