負けヒロインはくじけない

石田空

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最初の要石

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 先祖返り。異形の血に飲み込まれてしまった、異形の血のなれの果て。
 平安時代に京の都を跋扈していた魑魅魍魎も、衣更に封印され、結界の中で少しずつ人間と交わることで血を薄めていき、やっとのことで異形の血の持つ凶悪な本能を薄めることに成功した。
 でも。一度異形の血に飲み込まれてしまったら最後、理性は蒸発する。
 人間だったときの倫理観は完全に消え失せ、異形以外の者たちを、捕食対象にしか見えなくなってしまう。
 作業員だった土蜘蛛も、既に先程ちらりと見せた作業員としての立ち振る舞いは欠片として消え失せてしまっていた。

「……ちっ」

 私は背中に背負っていた風呂敷を解いた。
 ……土蜘蛛退治は、本来だったら人間の体液を使わなかったら完全に倒しきることはできないのだけれど。私も風花ちゃんも既に先祖返りになってしまい、異形の血が濃くなり過ぎているから無理だ。
 神通刀を引き抜き、私は構えた。
 土蜘蛛は口から粘液を吐き出した。私はそれを避ける。どうにかして風花ちゃんを回収したいけれど、距離が微妙過ぎて届かない。

「風花ちゃん! 土蜘蛛から離れて!」
「でも……今だったら、要石を修繕できます」
「……この状態でやるの?」
「みもざちゃん。わたしたちに残されている時間は、あと七日間なんです。時間がもったいないので、やります……もうちょっとしたらうらら先生たちも到着しますから、それまで囮をお願いできますか?」
「……っ!」

 他の先祖返りだったら、神通刀で斬り伏せれば終わるけれど、今回は相手が相手だから、正直不得手だ。神通力の使えるうらら先生や、人間の桜子さんが来てくれたほうが確実に仕留めることができる。
 でも。要石に霊力を込めて修繕できるのは、人魚の血を使える風花ちゃんだけだ。
 私は頷いた。

「……わかりました。なんとかします」
「はい、頑張りましょう」

 私たちは頷き合って、それぞれの持ち場に着いた。
 うららちゃんは手を軽く矢尻を握って血を流すと、それを要石に振りかけた。人魚の血は癒やしの力。不老不死の力だ。その一滴で、霊力は満ちてくる。さらに人魚の血をかけて、そこに結界をつくれば……先祖返りはもう破壊することができなくなる。
 そのことに気付いたのか、土蜘蛛はすぐさま風花ちゃんに向かって粘液を吐き出そうとするので、私は刃を煌めかせた。

「そっちに行ってはいけません! 私が、相手です!」

 ひと払い。ふた払い。
 土蜘蛛はひと太刀を浴びて、背中を仰け反らせる。

「グギャギャギャガ……!!」
「ぐっ……!」

 刃から伝わるのは、土蜘蛛の硬さだ。霊剣だから折れないだけで、土蜘蛛は人間の体液がなかったら殺せない。でも、風花ちゃんを攻撃しようとしていた土蜘蛛は、ターゲットをこちらに移してくれたみたいだ。
 土蜘蛛は粘液をこちらに噴き出した。私はそれを避ける。途端に粘液は、ピンと張った糸へと替わった。
 ……困った。土蜘蛛の本領は巣作りだ。数種類の粘液を操り、それで捕食対象を拘束し、服を溶かしてモシャモシャ食べる。肝心の本人は、指令糸で木にぶら下がっている。

「……早く、うらら先生来て」

 先祖返りを元に戻すこと自体は、桜子さんでなければ無理だ。でも巣を破壊することは、私の神通刀では駄目。うらら先生の神通力でなかったらできない。
 それからも、私は風花ちゃんが要石の修復を済ませ、少しずつ霊力を固定していって結界をつくっていく様を見守りながら、土蜘蛛とやり合っていた。
 中庭の木には大量に蜘蛛の巣の糸がぶら下がり、少し触れただけでその粘液でコートが溶け、体を持って行かれそうになる。

「うう……っ!」
「ギガガガギャガヤヤ……!」

 コートの下のワンピースにまで粘液がかかりかけて、それはどうにかして避けるものの、とうとう蜘蛛の巣に神通刀が奪われてしまう。仕方がなく、私は逃げ回るしかない。
 風花ちゃんは……まだ終わっていない。
 せめて背後を取って蹴り飛ばし、また背後を取って蹴る、ヒットエンドランの逃げ方をするしかないと走っている中、土蜘蛛はいきなりギョロリとこちらに首を向けてきた。
 そのまま粘液を吐き出す。
 ……拘束用か、溶けるのかわからない……!
 私が避けた中。

「そのまましゃがみ込んでな」

 声が響いた。
 途端にポワポワと青い火の玉が浮かび上がった。
 狐火だ。それが意思を持って巣を次々と燃やしていく。タンパク質が燃える匂いがする中、やれやれと言った様子でうらら先生が立っていた。

「こっちが当たりだったかあ……風花は頑張ってるじゃないか。みもざも、ずいぶんとやられたねえ?」
「うらら先生……っ!」

 うらら先生の神通力が、土蜘蛛の巣を一瞬で焼き払ってしまった。
 中庭に火が燃え移らないよう、水の玉も浮き上がり、巣が燃えた灰を包んでいく。桜子さんは土蜘蛛の存在に気付いたのか、巣から落ちてきた神通刀を拾い上げると、それに唾を吹きかけた。

「……お任せして申し訳ありません。みもざさん、これを」
「ありがとうございます、桜子さん」

 少しだけ、胸が温かくなった……コートはすっかりと溶けてしまい、ワンピースだけでは肌寒いはずなのに。
 私は桜子さんの唾で濡れた刃を、土蜘蛛に向けた。

「覚悟なさい……!!」

 またも土蜘蛛は粘液を吹きかけようとするものの、「させません!」と桜子さんが人形を飛ばす。人形の紙が解け、土蜘蛛の口を塞いでしまった……これでもう、粘液は吐けない。
 私はその隙を突いて、「はぁぁぁぁぁぁぁ!!」と刃を振りかざした。
 ひと太刀目を浴びせたときは、硬くて刃が折れるんじゃないかと思ったのに。桜子さんの唾を吹きかけた刃は、スルリと土蜘蛛に入っていき、一気に斬ることができた。

「アギャギャギャギャギャガヤ……!!」

 体液が噴き出て、それが地面を濡らした。そのあと、ブクブクに膨れ上がった体が元の作業員さんのサイズに戻っていく。
 これはあくまで応急処置だ。先祖返りの血を大量に流すことで、一時的に人間に戻しただけ。結界の修復が完了しない限り、この人の中の異形の血が再び目覚めたら、理性を削って人を襲ってしまう……私たちだって、理性をギリギリ繋いでいるから免れているだけで、こうなってしまう可能性はあるし……期限が過ぎれば衣更市ごと抹消されてしまう。
 私は「ごめんなさい……」と裸の作業員さんの上に溶けたとはいえどギリギリ布地の残っているコートを被せてから、ブンッと神通刀を振り払ってから、鞘に収めた。
 一方、風花ちゃんはどうにか要石に結界を張り巡らせ終わったようで「ふう」と息を吐いて座っていた。

「風花ちゃん、お疲れ様です」
「みもざちゃんも……危ない役をありがとう」
「いいえ。風花ちゃんがいなかったら頑張れなかったです」

 素直にお礼を言うと、桜子さんは要石のほうに寄ってきて、要石の周りを見回した。
 そこで、あれだけ季節が入り乱れて咲いていた花が、少し落ち着いた気がして「あれ?」となった。

「さっきまで、この辺りは季節関係なく花が咲き乱れていたんですけど……」
「おそらくは、要石が修復されたことで、季節の乱れが治まったんだと思います。結界に綻びが生じたことで、要石の力もいささか狂っていて、季節を乱してしまったんでしょうね」
「そうだったんですか……」

 見てみれば桜はすっかりと花を落としてしまい、芙蓉も彼岸花も萎びてしまっている。季節が少しだけ早い梅だけがいきいきと咲き誇っているようだった。
 私たちは食事が食べられるよう、私立図書館の飲食スペースに赴き、【ここ以外での飲食を固く禁じます】の注意書きを眺めながらお弁当を広げた。そして一緒に地図も広げる。

「これで最初のいさらメディアパークの要石は対処できましたが……今から次の場所に向かうのは……」
「それは止めた方がいいんじゃないかい? 衣更市は基本的に坂が多いから、地図だけだと平坦に見えるけれど、どこもかしこも到着するまでに結構時間がかかる。一日一カ所で、期限ギリギリに終わらせたほうがいい」
「……理想としてはそうなんですけど」
「海側と山側だったら、往復するのも大変だしねえ。今日は山側だったから、明日は海側に行けばいいんじゃないかな。海側だったら天文台があるねえ」

 うらら先生がそう言いながら、天文台を弾く。それを見ながら、桜子さんも「そうですか……」と納得した。

「私は残念ながら衣更市の土地勘に欠けていますので、うらら先生がそうおっしゃるのならそうしましょう」
「そうしよそうしよ。それにしても、みもざ。せっかくのコートが溶けて残念だったねえ」
「あはははは……まあ今回はコートだけでよかったです」

 ……そう。伝奇ギャルゲーの世界なんだから、当然ながらお色気シーンもそれなりにある。ゲーム内でも土蜘蛛と戦った際に、コートどころか服も溶けてすっぽんぽんで蜘蛛の巣に貼り付けにされてしまうスチルだってあったのだから、こっちは逃げるのに必死になる。痴女が過ぎて、帰りに電車に乗れなくなるじゃない。
 それに桜子さんは「それなら、どこかでコート見繕いましょうか?」と提案してくれた。それに私は「うーん……」と言う。

「……コート、買うお金ないですし」

 中身は社会人でも、現在は高校生だ。電車賃は定期券で賄えても、コートなんて高くつくもの買える訳がない。私がそう言うと、桜子さんはあっさりと言った。

「先祖返りと対峙しての結果ですから、普通に経費で服買えますけど」

 陰陽寮すごいな!? でもよくよく考えれば、陰陽寮は服以外も溶けるようなヤバイ妖怪と対峙している以上、そりゃ必要経費になるし、医療保険もろもろだって使えなかったら話にならないのかも。
 私はお弁当を食べ終えたあと、ふたりに「ちょっと服を買ってきます」と言って出かけることになった。
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