13 / 20
ダンスと陰謀
しおりを挟む
オーケストラの音楽は遠い。月が綺麗なせいか、星の瞬きは微塵にも見えない。
その静けさの中、私はクリストハルト様と踊っていた。クリストハルト様のエスコートは完璧だった。私の手を取り、腰に手を当てて、囁くように教えてくれる。
「一歩分だけ足を出して、それで体勢が安定するから」
「は、はい……」
「あんまりちょこちょこ歩かないで。それが足を踏む元だから。ゆっくりと、足でリズムを取って」
「は、はい……」
言われるがままにリズムを取り、クリストハルト様に身を任せていたら、あれだけ物覚えが悪く、まともに一回転分踊ることもできなかったというのに、まるでダンスが上手くなったかのような錯覚に陥る。
私はそれに少なからず胸が弾んだ。
「あ、ありがとうございます! 私、初めてダンスを楽しいと思えました!」
「ダンスを上手く踊ることはできても、教えるのはなかなか難しいからね。それこそ、踊りながら教えないと、言葉だけじゃなかなか伝わらないから」
「すごいですね。クリストハルト様は、人に教えたりしてらっしゃるんですか?」
「私ではなかなか教えることはできないかな。私が教えるとなったら、授業で教えるしかないから」
「あ……そりゃそうですよね。ごめんなさい。失礼しました」
当たり前だった。
クリストハルト様のクラスは、基本的に王都在住の高位貴族しかいないし、どの家にも家庭教師がついてダンスを教え込んでいるようなところばかりだ。うちみたいにダンスの家庭教師ってなにそれおいしいのというところばかりじゃないんだ。
クリストハルト様がダンスで教える側に回るなんてこと、まずまずあり得ないことなんだもんなあ……。
ふたりで踊っていて、やがてどちらかから足を止めた。
「……今晩は、ありがとうございました。本当に楽しかったです。そろそろ、シャルロッテさんのところに戻りたいんですが」
私はそう言ってクリストハルト様の手を離そうとしたものの、なぜかクリストハルト様は、私の指に自身の指を絡めて、きゅっと繋いでくる……って、なに?
「あのう……外れないですけど」
「……今晩は帰したくないと言ったら、どうする?」
「ドーミーニークーさーん、たーすーけーてー!」
「私よりもドミニクのほうが信頼できるのかな?」
「こういうときはそうですかね!」
もうこのところさんざんやっている会話を繰り広げたところで、私は手を繋いだままこっそりと尋ねた。
「あのう……私が帰っちゃ駄目な理由って、なんかありますか?」
「今晩は王城からも大量に近衛騎士が派遣されているからね。私も君のところに送っただろう?」
「あ……あんな小さな子を私なんぞのために使いっ走りにしちゃ駄目ですよぉ。そりゃ真珠のネックレスをいただきましたけど。こんな高価なものはさすがにちょっと……」
「これはお守りだからね。君を守るための」
「その……わざわざこれを贈られる意味も、まだわからないんですけど……」
「本当は、私は君を巻き込みたくはなかったのだけれど、巻き込まれてしまった以上は、君を離したくはないんだよ」
その声色に、私はヒュン、と喉を鳴らした。
……惚れ薬で浮ついている声色じゃない。私の好きな、怜悧で冷淡とも取れる、低い温度の声だった。
「……あの、なにに対してですか?」
「私のことを嫌っている人たちっていうのは、結構いるからねえ」
そうクリストハルト様が答えたときだった。
バラの匂いの中に、土の匂いが混ざりはじめた。それに私はビクンと肩を跳ねさせる。
「……ここは神聖なる学び舎だ。踊る訳でもない人間には立ち去ってもらおうか」
「……殿下、覚悟」
バラ園から出てきたのは、あからさまに軽装で、中庭の影に紛れてしまえばもう見失ってしまう黒装束の人たちだった。そこに、ひとつだけ黒くないものが光る……どう見てもそれは剣だった。
近衛騎士は今、会場だ。そこには王太子殿下たちがいる以上、こちらまで来ることはない。
私は「ひいっ……!」と声を出す中、クリストハルト様が小さく私に囁いた。
「私の白鳥……踊って」
「は、はひぃぃぃぃ……!?」
急に持ち上げられたかと思ったら、私がピンと伸ばした足は、黒装束の顔面に思いっきりクリーンヒットした。靴、汚れてないかな。
「なにを考え……!」
「この場を切り抜ける方法を。時期に、私の騎士も他の騎士たちも気付く。騒ぎを大きくさせてもらおうか」
「おう……」
あからさまに荒事に手慣れているクリストハルト様に、私は内心胸が高鳴っていた。
……久々にクールな声を聞いたせいで、動悸がひどく、クリストハルト様に持ち上げられたからと言っても、思いっきり黒装束蹴り飛ばしてしまったにもかかわらず、推しが格好いいというのしか頭に入ってこない。
ここは恐怖を感じるところとか、ここはなにかに巻き込まれてないとか、いくらでも考えないといけないんだけれど。推し尊い、無理、久々の供給ありがたいというのばかりで頭が占められてしまったら、もう他になにも考えられなくなってしまう。
「くっそ……!」
「……君が語彙を持っていなくって、本当によかった、よっ!」
またも黒装束が剣を煌めかせようとすると、今度は私を抱えたかと思いきや、私を抱えたまま大きく蹴り上げた。剣の柄を思いっきり蹴りつけたことで、黒装束も剣を落としてしまい、その刃をクリストハルト様は思いっきり踏みつけた。
「……私の花を穢すことは、何人たりとも許さない」
「お、おお……」
これだけ緊迫している空気だというのに、私はもうなにも考えられずに、ただ真っ白の頭でどうにかクリストハルト様の雄姿を目にしっかり焼き付けようと、目をギンギンに見開いていた。
黒装束は、なおも諦めずに、懐からなにかを取り出そうとする……いや、本当に諦めようよ。危ないよ。クリストハルト様が。
でも、これだけ金属音を響かせていたら、いい加減にこちらに人も気付くもの。
「貴様、殿下になにを…………!?」
こちらにまで走ってきたのは、ドミニクさんだった。さすがに現状が現状だからか、シャルロッテさんは置いてきている。
黒装束は、帯剣を引き抜いたドミニクさんを見たあと、こちらにしか聞こえないほど小さく舌打ちをしてから、そのまま立ち去ってしまった。
それらをしばらく見つめていたら、私は一気に腰から力が抜けてしまった。
「あっ、あれ…………?」
「よっと」
クリストハルト様が私の腰を支えてくれて、どうにかそのまま中庭に座り込む自体は免れた。
「……怖い想いをさせてしまったね。済まない」
「い、いえ……あ、あのう、今のは……?」
「殿下。お戯れはその辺で」
クリストハルト様が答える前に、ドミニクさんが剣を腰に納めてから、ぐいっと私の腕を掴んできた。そして、鋭くひと言告げる。
「このことは、あとで近衛騎士団の元で事情聴取を行う。事情聴取内容は、くれぐれも外に話すな。シャルロッテ嬢にもだ」
「え……そりゃ話しますし、黙れと言われたことは黙りますけど……でも、本当になにがなんだかわかりませんよ」
「わからなくていい。殿下に感謝するといい」
「はあ……」
腰が抜けて本当に動けなくなっているため、ドミニクさんに引き摺られても上手く歩くことができないでいたら、クリストハルト様がひょいと抱きかかえてくれた。
「わあああああ……すみませんすみませんごめんなさいごめんなさい。なんか前々にもありましたよね、これ」
「かまわないよ。前のときとは違い、今回は私のせいで怖い想いをさせてしまったようなものだからね」
「殿下、このアホ娘……」
「ドミニク、あまり彼女をいじめてくれるなよ。彼女もまた、被害者だ」
私は意味がわからないまま、王族が来ているためいつもよりも物々しいことになっていた警備詰所に連行された。そこは近衛騎士だらけで、私のことを第二王子が抱えているため、若干ざわついていたものの、クリストハルト様が「目撃者だ」と短く言ったら、納得してくれたのか、ざわつきは治まっていった。
聞かれた内容に答えつつも、私はなにを聞かれているのかがわからない。
最後に「ありがとう」とここの詰所の責任者らしき人に言われて、ようやく解放されたものの、やっぱり私は膝が泣いてしまっていて上手く歩くこともままならなくなっていた。あのときは私は萌えることで精神安定をはかっていて、相当テンパっていたんだろうなあということがよくわかった。
なんの陰謀に巻き込まれかけたのかはよくわからないものの、日頃からドミニクさんがクリストハルト様から離れない理由と、私にキレまくっている理由はなんとなくわかった。この人口が悪い割にはいい人っぽいから、本気で私が巻き込まれるのが嫌だったんだろう……私がなんかの陰謀に巻き込まれたらクリストハルト様が泣くからなのかは、さすがに希望的観測が過ぎるのか。
私がよれよれになって戻ってきたとき、放置されていたシャルロッテさんが慌てて走り寄ってきた。
「イルザさん大丈夫ですか!? いきなり騎士団のほうに連行されたから、なにがあったのかと……」
「うーんと、なんか事情聴取受けてたけど、内容は話しちゃ駄目だってさ。私もなにを聞かれたのかさっぱりだったんだけど……」
「事情聴取って……どうして?」
「わかんない……」
あの黒装束、なんだったんだろう。そしてクリストハルト様はこちらを心底申し訳なさそうに見ていたから、本気で巻き込む気はなかったみたいだった。
本来ならばもっと夜遅くまで舞踏会はある上に、未だにダンスフロアは王太子殿下とアウレリア様が沸かせていたけれど、さすがにおふたりを見ている元気もなく、私たちはまだ空いているのをいいことに馬車に乗って、そのまま帰ることにした。
シャルロッテさんは私のことを心底心配したらしく「クリストハルト様やドミニクさんになにか言われたんだったら、ちゃんと守らないと駄目ですよ?」とずっと言ってくれていた。
私はのろのろとドレスを脱ぎ、寝間着に着替える。
お守りだと言い張っていた真珠のネックレスに触れる。本当だったらすぐに外して片付けてしまいたいところだけれど、バラ園で襲われたことが生々しくて、外す気にはなれなかった。
「……どういうことだろう。クリストハルト様、誰かに狙われているの?」
あのときの黒装束のことを思うと胸が痛くなり、私はのろのろと布団に潜り込んで、そのまま寝込んでしまった。
****
楽しかったはずの舞踏会でさんざんな目に遭ったせいなのか、この間ぶりの自領の夢を見てしまった。
そこで私は偉そうに腰に手を当て、お酒にヘビイチゴを摘んで漬け込んでいた。
「これお酒に漬けちゃったら、もう食べられなくない?」
誰かにそう言われるものの、誰に言われているのかがどうにもわからない。私は偉そうに言う。
「食べてもいいけど、ぼんやりとした味よ? キイチゴほどもおいしくないわ」
そう言うと、私につっこんだひとは本当にヘビイチゴを食べたようだった。なんとも言えない声を上げる。
「……あんまり、おいしくないね?」
「そうなの。だからお酒に漬け込んで、薬にしちゃうの」
「そんな簡単に薬ができるの? すごい、宮廷魔術師なんて、いつも時間ばかり気にしているから、薬をつくるのはもっと難しいものだと思っていた」
「簡単なものは、本当に簡単につくれるのよ。マルメロはシロップ煮にして食べれば風邪薬になるし、リコリスは蜂蜜の代わりにお茶に入れれば喘息や胸の病気にも効くのよ」
「詳しいね。君だったら宮廷魔術師になれるかもしれないね」
「ねえ、その宮廷魔術師ってなあに?」
そういえば。忘れてた。
私が単位足りないなあと思って選択科目を眺めているとき、魔法薬調剤を選んだ理由。
誰かにやたらと説明されたんだった。宮廷魔術師の話を。
そのひとはそりゃもう、私に説明してくれた。
「宮廷魔術師はすごいよ。いろんな魔法を使えるんだ」
「私、薬草にはちょっと詳しいとは思うけど、魔法なんて使えないわ?」
「勉強すればいいよ。君もきっと王都に呼ばれるだろう? そのときに」
「私、ここしか知らないのよ……できるのかしら」
「できるよ」
むわりとローズマリーが薫った。
その薫りの中で、このひとはたしかに言った。
「待っているから」
****
「……ん」
私が身じろぎしようとしているとき、腕が痛いことに気付いた。麻紐が手首に食い込んでいるんだ。おまけに、口には猿ぐつわが噛まされていて、唾液を含んでベタベタになってしまっている。
って、なに? 夢じゃない……!
「んんんんっ……!」
「目が覚めました!」
「かまわん。引き摺りだせ」
「はっ!」
薄い服を着た男の人たちが、私を腕に食い込んだ麻紐を引っ張って引き摺ってきた。痛い痛い。腕千切れちゃう痛い痛い。
手荒に扱う割には、その人たちの動きは妙に洗練されていた。
……あれだ、私は普段から自領で平民の人たちとしゃべったりしているから、その人たちの言動を見ている。その人たちみたいな動きじゃないから……。
そのままベシャンッと床に叩き出された。
「ふごぉー……ふごぉー…………!!」
「お嬢さん、手荒な真似をして、しかも寝込みを襲ってしまって実に済まなかったね?」
男性はにこやかに言った。
「君にはどうしてもつくってもらいたいものがあるんだよ。ここに材料はちゃーんとある」
……つくれって……。
そこで私はヒクンと鼻を動かして、気付いた。
大量に摘まれた薬草。そしてその材料はどう見ても。
「君には、第二王子に飲ませた薬を量産してほしいんだよ」
その静けさの中、私はクリストハルト様と踊っていた。クリストハルト様のエスコートは完璧だった。私の手を取り、腰に手を当てて、囁くように教えてくれる。
「一歩分だけ足を出して、それで体勢が安定するから」
「は、はい……」
「あんまりちょこちょこ歩かないで。それが足を踏む元だから。ゆっくりと、足でリズムを取って」
「は、はい……」
言われるがままにリズムを取り、クリストハルト様に身を任せていたら、あれだけ物覚えが悪く、まともに一回転分踊ることもできなかったというのに、まるでダンスが上手くなったかのような錯覚に陥る。
私はそれに少なからず胸が弾んだ。
「あ、ありがとうございます! 私、初めてダンスを楽しいと思えました!」
「ダンスを上手く踊ることはできても、教えるのはなかなか難しいからね。それこそ、踊りながら教えないと、言葉だけじゃなかなか伝わらないから」
「すごいですね。クリストハルト様は、人に教えたりしてらっしゃるんですか?」
「私ではなかなか教えることはできないかな。私が教えるとなったら、授業で教えるしかないから」
「あ……そりゃそうですよね。ごめんなさい。失礼しました」
当たり前だった。
クリストハルト様のクラスは、基本的に王都在住の高位貴族しかいないし、どの家にも家庭教師がついてダンスを教え込んでいるようなところばかりだ。うちみたいにダンスの家庭教師ってなにそれおいしいのというところばかりじゃないんだ。
クリストハルト様がダンスで教える側に回るなんてこと、まずまずあり得ないことなんだもんなあ……。
ふたりで踊っていて、やがてどちらかから足を止めた。
「……今晩は、ありがとうございました。本当に楽しかったです。そろそろ、シャルロッテさんのところに戻りたいんですが」
私はそう言ってクリストハルト様の手を離そうとしたものの、なぜかクリストハルト様は、私の指に自身の指を絡めて、きゅっと繋いでくる……って、なに?
「あのう……外れないですけど」
「……今晩は帰したくないと言ったら、どうする?」
「ドーミーニークーさーん、たーすーけーてー!」
「私よりもドミニクのほうが信頼できるのかな?」
「こういうときはそうですかね!」
もうこのところさんざんやっている会話を繰り広げたところで、私は手を繋いだままこっそりと尋ねた。
「あのう……私が帰っちゃ駄目な理由って、なんかありますか?」
「今晩は王城からも大量に近衛騎士が派遣されているからね。私も君のところに送っただろう?」
「あ……あんな小さな子を私なんぞのために使いっ走りにしちゃ駄目ですよぉ。そりゃ真珠のネックレスをいただきましたけど。こんな高価なものはさすがにちょっと……」
「これはお守りだからね。君を守るための」
「その……わざわざこれを贈られる意味も、まだわからないんですけど……」
「本当は、私は君を巻き込みたくはなかったのだけれど、巻き込まれてしまった以上は、君を離したくはないんだよ」
その声色に、私はヒュン、と喉を鳴らした。
……惚れ薬で浮ついている声色じゃない。私の好きな、怜悧で冷淡とも取れる、低い温度の声だった。
「……あの、なにに対してですか?」
「私のことを嫌っている人たちっていうのは、結構いるからねえ」
そうクリストハルト様が答えたときだった。
バラの匂いの中に、土の匂いが混ざりはじめた。それに私はビクンと肩を跳ねさせる。
「……ここは神聖なる学び舎だ。踊る訳でもない人間には立ち去ってもらおうか」
「……殿下、覚悟」
バラ園から出てきたのは、あからさまに軽装で、中庭の影に紛れてしまえばもう見失ってしまう黒装束の人たちだった。そこに、ひとつだけ黒くないものが光る……どう見てもそれは剣だった。
近衛騎士は今、会場だ。そこには王太子殿下たちがいる以上、こちらまで来ることはない。
私は「ひいっ……!」と声を出す中、クリストハルト様が小さく私に囁いた。
「私の白鳥……踊って」
「は、はひぃぃぃぃ……!?」
急に持ち上げられたかと思ったら、私がピンと伸ばした足は、黒装束の顔面に思いっきりクリーンヒットした。靴、汚れてないかな。
「なにを考え……!」
「この場を切り抜ける方法を。時期に、私の騎士も他の騎士たちも気付く。騒ぎを大きくさせてもらおうか」
「おう……」
あからさまに荒事に手慣れているクリストハルト様に、私は内心胸が高鳴っていた。
……久々にクールな声を聞いたせいで、動悸がひどく、クリストハルト様に持ち上げられたからと言っても、思いっきり黒装束蹴り飛ばしてしまったにもかかわらず、推しが格好いいというのしか頭に入ってこない。
ここは恐怖を感じるところとか、ここはなにかに巻き込まれてないとか、いくらでも考えないといけないんだけれど。推し尊い、無理、久々の供給ありがたいというのばかりで頭が占められてしまったら、もう他になにも考えられなくなってしまう。
「くっそ……!」
「……君が語彙を持っていなくって、本当によかった、よっ!」
またも黒装束が剣を煌めかせようとすると、今度は私を抱えたかと思いきや、私を抱えたまま大きく蹴り上げた。剣の柄を思いっきり蹴りつけたことで、黒装束も剣を落としてしまい、その刃をクリストハルト様は思いっきり踏みつけた。
「……私の花を穢すことは、何人たりとも許さない」
「お、おお……」
これだけ緊迫している空気だというのに、私はもうなにも考えられずに、ただ真っ白の頭でどうにかクリストハルト様の雄姿を目にしっかり焼き付けようと、目をギンギンに見開いていた。
黒装束は、なおも諦めずに、懐からなにかを取り出そうとする……いや、本当に諦めようよ。危ないよ。クリストハルト様が。
でも、これだけ金属音を響かせていたら、いい加減にこちらに人も気付くもの。
「貴様、殿下になにを…………!?」
こちらにまで走ってきたのは、ドミニクさんだった。さすがに現状が現状だからか、シャルロッテさんは置いてきている。
黒装束は、帯剣を引き抜いたドミニクさんを見たあと、こちらにしか聞こえないほど小さく舌打ちをしてから、そのまま立ち去ってしまった。
それらをしばらく見つめていたら、私は一気に腰から力が抜けてしまった。
「あっ、あれ…………?」
「よっと」
クリストハルト様が私の腰を支えてくれて、どうにかそのまま中庭に座り込む自体は免れた。
「……怖い想いをさせてしまったね。済まない」
「い、いえ……あ、あのう、今のは……?」
「殿下。お戯れはその辺で」
クリストハルト様が答える前に、ドミニクさんが剣を腰に納めてから、ぐいっと私の腕を掴んできた。そして、鋭くひと言告げる。
「このことは、あとで近衛騎士団の元で事情聴取を行う。事情聴取内容は、くれぐれも外に話すな。シャルロッテ嬢にもだ」
「え……そりゃ話しますし、黙れと言われたことは黙りますけど……でも、本当になにがなんだかわかりませんよ」
「わからなくていい。殿下に感謝するといい」
「はあ……」
腰が抜けて本当に動けなくなっているため、ドミニクさんに引き摺られても上手く歩くことができないでいたら、クリストハルト様がひょいと抱きかかえてくれた。
「わあああああ……すみませんすみませんごめんなさいごめんなさい。なんか前々にもありましたよね、これ」
「かまわないよ。前のときとは違い、今回は私のせいで怖い想いをさせてしまったようなものだからね」
「殿下、このアホ娘……」
「ドミニク、あまり彼女をいじめてくれるなよ。彼女もまた、被害者だ」
私は意味がわからないまま、王族が来ているためいつもよりも物々しいことになっていた警備詰所に連行された。そこは近衛騎士だらけで、私のことを第二王子が抱えているため、若干ざわついていたものの、クリストハルト様が「目撃者だ」と短く言ったら、納得してくれたのか、ざわつきは治まっていった。
聞かれた内容に答えつつも、私はなにを聞かれているのかがわからない。
最後に「ありがとう」とここの詰所の責任者らしき人に言われて、ようやく解放されたものの、やっぱり私は膝が泣いてしまっていて上手く歩くこともままならなくなっていた。あのときは私は萌えることで精神安定をはかっていて、相当テンパっていたんだろうなあということがよくわかった。
なんの陰謀に巻き込まれかけたのかはよくわからないものの、日頃からドミニクさんがクリストハルト様から離れない理由と、私にキレまくっている理由はなんとなくわかった。この人口が悪い割にはいい人っぽいから、本気で私が巻き込まれるのが嫌だったんだろう……私がなんかの陰謀に巻き込まれたらクリストハルト様が泣くからなのかは、さすがに希望的観測が過ぎるのか。
私がよれよれになって戻ってきたとき、放置されていたシャルロッテさんが慌てて走り寄ってきた。
「イルザさん大丈夫ですか!? いきなり騎士団のほうに連行されたから、なにがあったのかと……」
「うーんと、なんか事情聴取受けてたけど、内容は話しちゃ駄目だってさ。私もなにを聞かれたのかさっぱりだったんだけど……」
「事情聴取って……どうして?」
「わかんない……」
あの黒装束、なんだったんだろう。そしてクリストハルト様はこちらを心底申し訳なさそうに見ていたから、本気で巻き込む気はなかったみたいだった。
本来ならばもっと夜遅くまで舞踏会はある上に、未だにダンスフロアは王太子殿下とアウレリア様が沸かせていたけれど、さすがにおふたりを見ている元気もなく、私たちはまだ空いているのをいいことに馬車に乗って、そのまま帰ることにした。
シャルロッテさんは私のことを心底心配したらしく「クリストハルト様やドミニクさんになにか言われたんだったら、ちゃんと守らないと駄目ですよ?」とずっと言ってくれていた。
私はのろのろとドレスを脱ぎ、寝間着に着替える。
お守りだと言い張っていた真珠のネックレスに触れる。本当だったらすぐに外して片付けてしまいたいところだけれど、バラ園で襲われたことが生々しくて、外す気にはなれなかった。
「……どういうことだろう。クリストハルト様、誰かに狙われているの?」
あのときの黒装束のことを思うと胸が痛くなり、私はのろのろと布団に潜り込んで、そのまま寝込んでしまった。
****
楽しかったはずの舞踏会でさんざんな目に遭ったせいなのか、この間ぶりの自領の夢を見てしまった。
そこで私は偉そうに腰に手を当て、お酒にヘビイチゴを摘んで漬け込んでいた。
「これお酒に漬けちゃったら、もう食べられなくない?」
誰かにそう言われるものの、誰に言われているのかがどうにもわからない。私は偉そうに言う。
「食べてもいいけど、ぼんやりとした味よ? キイチゴほどもおいしくないわ」
そう言うと、私につっこんだひとは本当にヘビイチゴを食べたようだった。なんとも言えない声を上げる。
「……あんまり、おいしくないね?」
「そうなの。だからお酒に漬け込んで、薬にしちゃうの」
「そんな簡単に薬ができるの? すごい、宮廷魔術師なんて、いつも時間ばかり気にしているから、薬をつくるのはもっと難しいものだと思っていた」
「簡単なものは、本当に簡単につくれるのよ。マルメロはシロップ煮にして食べれば風邪薬になるし、リコリスは蜂蜜の代わりにお茶に入れれば喘息や胸の病気にも効くのよ」
「詳しいね。君だったら宮廷魔術師になれるかもしれないね」
「ねえ、その宮廷魔術師ってなあに?」
そういえば。忘れてた。
私が単位足りないなあと思って選択科目を眺めているとき、魔法薬調剤を選んだ理由。
誰かにやたらと説明されたんだった。宮廷魔術師の話を。
そのひとはそりゃもう、私に説明してくれた。
「宮廷魔術師はすごいよ。いろんな魔法を使えるんだ」
「私、薬草にはちょっと詳しいとは思うけど、魔法なんて使えないわ?」
「勉強すればいいよ。君もきっと王都に呼ばれるだろう? そのときに」
「私、ここしか知らないのよ……できるのかしら」
「できるよ」
むわりとローズマリーが薫った。
その薫りの中で、このひとはたしかに言った。
「待っているから」
****
「……ん」
私が身じろぎしようとしているとき、腕が痛いことに気付いた。麻紐が手首に食い込んでいるんだ。おまけに、口には猿ぐつわが噛まされていて、唾液を含んでベタベタになってしまっている。
って、なに? 夢じゃない……!
「んんんんっ……!」
「目が覚めました!」
「かまわん。引き摺りだせ」
「はっ!」
薄い服を着た男の人たちが、私を腕に食い込んだ麻紐を引っ張って引き摺ってきた。痛い痛い。腕千切れちゃう痛い痛い。
手荒に扱う割には、その人たちの動きは妙に洗練されていた。
……あれだ、私は普段から自領で平民の人たちとしゃべったりしているから、その人たちの言動を見ている。その人たちみたいな動きじゃないから……。
そのままベシャンッと床に叩き出された。
「ふごぉー……ふごぉー…………!!」
「お嬢さん、手荒な真似をして、しかも寝込みを襲ってしまって実に済まなかったね?」
男性はにこやかに言った。
「君にはどうしてもつくってもらいたいものがあるんだよ。ここに材料はちゃーんとある」
……つくれって……。
そこで私はヒクンと鼻を動かして、気付いた。
大量に摘まれた薬草。そしてその材料はどう見ても。
「君には、第二王子に飲ませた薬を量産してほしいんだよ」
0
お気に入りに追加
180
あなたにおすすめの小説
転生したらただの女子生徒Aでしたが、何故か攻略対象の王子様から溺愛されています
平山和人
恋愛
平凡なOLの私はある日、事故にあって死んでしまいました。目が覚めるとそこは知らない天井、どうやら私は転生したみたいです。
生前そういう小説を読みまくっていたので、悪役令嬢に転生したと思いましたが、実際はストーリーに関わらないただの女子生徒Aでした。
絶望した私は地味に生きることを決意しましたが、なぜか攻略対象の王子様や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛される羽目に。
しかも、私が聖女であることも判明し、国を揺るがす一大事に。果たして、私はモブらしく地味に生きていけるのでしょうか!?
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
不能と噂される皇帝の後宮に放り込まれた姫は恩返しをする
矢野りと
恋愛
不能と噂される隣国の皇帝の後宮に、牛100頭と交換で送り込まれた貧乏小国の姫。
『なんでですか!せめて牛150頭と交換してほしかったですー』と叫んでいる。
『フンガァッ』と鼻息荒く女達の戦いの場に勢い込んで来てみれば、そこはまったりパラダイスだった…。
『なんか悪いですわね~♪』と三食昼寝付き生活を満喫する姫は自分の特技を活かして皇帝に恩返しすることに。
不能?な皇帝と勘違い姫の恋の行方はどうなるのか。
※設定はゆるいです。
※たくさん笑ってください♪
※お気に入り登録、感想有り難うございます♪執筆の励みにしております!
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
転生先は推しの婚約者のご令嬢でした
真咲
恋愛
馬に蹴られた私エイミー・シュタットフェルトは前世の記憶を取り戻し、大好きな乙女ゲームの最推し第二王子のリチャード様の婚約者に転生したことに気が付いた。
ライバルキャラではあるけれど悪役令嬢ではない。
ざまぁもないし、行きつく先は円満な婚約解消。
推しが尊い。だからこそ幸せになってほしい。
ヒロインと恋をして幸せになるならその時は身を引く覚悟はできている。
けれども婚約解消のその時までは、推しの隣にいる事をどうか許してほしいのです。
※「小説家になろう」にも掲載中です
神の子扱いされている優しい義兄に気を遣ってたら、なんか執着されていました
下菊みこと
恋愛
突然通り魔に殺されたと思ったら望んでもないのに記憶を持ったまま転生してしまう主人公。転生したは良いが見目が怪しいと実親に捨てられて、代わりにその怪しい見た目から宗教の教徒を名乗る人たちに拾ってもらう。
そこには自分と同い年で、神の子と崇められる兄がいた。
自分ははっきりと神の子なんかじゃないと拒否したので助かったが、兄は大人たちの期待に応えようと頑張っている。
そんな兄に気を遣っていたら、いつのまにやらかなり溺愛、執着されていたお話。
小説家になろう様でも投稿しています。
勝手ながら、タイトルとあらすじなんか違うなと思ってちょっと変えました。
お金目的で王子様に近づいたら、いつの間にか外堀埋められて逃げられなくなっていた……
木野ダック
恋愛
いよいよ食卓が茹でジャガイモ一色で飾られることになった日の朝。貧乏伯爵令嬢ミラ・オーフェルは、決意する。
恋人を作ろう!と。
そして、お金を恵んでもらおう!と。
ターゲットは、おあつらえむきに中庭で読書を楽しむ王子様。
捨て身になった私は、無謀にも無縁の王子様に告白する。勿論、ダメ元。無理だろうなぁって思ったその返事は、まさかの快諾で……?
聞けば、王子にも事情があるみたい!
それならWINWINな関係で丁度良いよね……って思ってたはずなのに!
まさかの狙いは私だった⁉︎
ちょっと浅薄な貧乏令嬢と、狂愛一途な完璧王子の追いかけっこ恋愛譚。
※王子がストーカー気質なので、苦手な方はご注意いただければ幸いです。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる