ちゅちゅん すずめのお宿

石田空

文字の大きさ
上 下
10 / 26

姫君のお誘い

しおりを挟む
 ひとりでのんびり露天風呂を楽しむ予定が、どうしてこうなったんだろう。
 そろそろとその人の隣に近付き、私は喉の奥で「ううっ」と呻き声を上げてしまった。
 そのひとと言うのは、どうにも顔が驚くほど整っているのだ。肌が透き通るほど白く、髪が艶ややかっていうのは、手入れの加減でできるだろうけれど。でも顔のパーツのひとつひとつを綺麗に丁寧に重ねていくって、無理じゃないのかな。
 温まってうっすらと上気した頬はもちろんのこと、プルンと濡れた赤い唇、長く弧を描いた睫毛と、なんで私はこんな極上の美女と一緒に風呂に入っているんだと頭を抱えてきた。
 そもそも会社が潰れたから仕方なく専業小説家になった身だ。パソコンの前に座りっぱなし、締切前はカフェインをガブガブ摂取しているような人間が、健康的な訳がないだろう。
 私が気まずい思いをして座っている中、彼女は楽しげに勝手に語り出した。

「いい景色ですねえ」
「そ、そうですね」
「私、紅葉と桜が一緒に並べるものだって知らなかったんですよ」
「はあ……秋咲きの桜があるっていうのは聞いたことがありましたけど、紅葉と並べられるというのは知りませんでしたね」
「ああ、ずるい。知ってたなんて」

 どうにもこのひと、子供っぽいひとだ。
 若彦さんが自分の正体を滞在期間中に当てて欲しいみたいなことを言っていたけれど。この人もまた、正体を当てたほうがいいんだろうか。
 私がひとりで考えていたら、彼女は楽しげに続けた。

「久々に降り立ったんだから、綺麗なものを思いっきり見たかったんですよ」
「はあ……降り立ったとは」

 何気なく天女さんを頭に浮かべた。あのひとも羽衣がないと困るらしいが、空の上に住んでいるのかどうかは知らない。幽世と現世の狭間のどこかに、空の上に住める場所があるんだろうか。
 私の言葉に、彼女はキャラキャラと笑う。

「ああ、私久々に月から降りてきたんですよぉ」
「は…………は?」

 月から降り立ってきた有名人。
 そして彼女はあまりにも綺麗が過ぎるひと。それに該当するひとなんて、私はひとりしか知らない。

「あ、なた……まさか……」
「ああ、現世だったら私たちのこと物語になってるんですって? 私、かぐやって言うんですよ」

 やっぱりか!
 悲鳴を上げなかった私は偉いと自画自賛した。
『竹取物語』は日本最古の物語として知られ、未だに作者の詳細は不明のままだ。そしてその話は日本初のSFとか、女の子が一番はじめに読む絵本とか、まあいろいろ言われている。
 私がひとりであわあわしていたら、彼女は小首を傾げた。

「あれ、私そんなに有名人? 今の現世ってあんまり本を読まないんでしょう?」
「いえ……今の現世でもかぐや姫を知らない人なんてほぼほぼいませんよ。私も小さい頃絵本を読んでましたし。でも久々に降りてきたっていうのは……その」
「ああ。現世と幽世だったら、いろいろと常識が違うもんねえ」

 かぐやさんはキャラキャラと笑う。

「月から来たのがそこまで珍しい?」
「ええっと……はい。今でも月に人が住んでるって話はなかなか聞きませんし」
「現世ってそういうところ不便ねえ。あるものがなくってないものがあるって、当たり前のことなのに」

 あれ、前にもそんなこと聞いたような。
 そういえば。同じようなことは若彦さんも言っていた。もしかしなくっても。

「……御伽草子や昔話にあって、今の現世にないのって、ロマン……とかですかねえ?」
「えーっっ、なにそれ」

 かぐやさんがキャラキャラ通り越してゲラゲラ笑う。おい、若彦さんのせいで笑われたぞ。私が思わずむくれている中、彼女は笑顔で「ごめんごめん」と返してきた。

「たしか私たちのことが書かれているのが、現世で言うところところの御伽草子とか昔話なんだっけ?」
「ええ、まあ……」
「そこにあるのって、多分浪漫とかみたいにひとによって変わるものじゃなくって、許容じゃないかな?」
「許容……ですか」
「そう、許容」

 かぐやさんはさも名言を言ったかのように大きく頷いた。

「だって現世って規則でがんじがらめになってるじゃない。規則を破ったらすぐに罰則って、息苦しいったらないわ」
「そうなんですけどね」
「幽世は幽世で、規則は緩いけれど常識ってもんがてんで役に立たないから困るけどね」
「幽世って常識があったんですか」
「そりゃあるよぉ」

 かぐやさんは言った。

「でもそういうのを許し合うのがいい付き合いってもんじゃない?」
「そうなんですか……そうかもしれませんね」
「でしょ?」

 どうにもふたりでへんちくりんな話をしてしまった。
 そう思っていたら、ちょうど湯気が和らいで、紅葉と桜がより一層くっきりと見えた。

「いい景色ですねえ」
「そうですねー」

 滑らかなお湯に極上の美女との戯れ。午後はいいものになりそうだと、私はそのときはそう思っていた。

****

「そういえば、あなたは現世のひとよね? 名前は?」
「奥菜です……」
「おきな! いい名前ねえ」

 そうにこにこする。
 思えば、奥菜は翁と音が同じだし、『舌切り雀』なり『竹取物語』なりでも活躍するひとと似た名前だから、皆親近感を湧いてくれるのかもしれない。
 そこでかぐやさんは提案してきた。絵本では十二単を着ていた彼女は、今は幸福湯の備え付けの浴衣を着ているけれど、全然美貌は衰えてはいない。

「そうだわ、おきな。あなたうちの部屋でご飯にいらっしゃいよ」
「ええ……私が行って大丈夫なんですかね? それにかぐやさんも予定があるんでは」
「ひとり旅だから心配ご無用よ! しばらくは滞在するつもりだし」
「なら私とおんなじですねえ……わかりました。ならうちの部屋付きの女中さんに伝えておきますね」
「ええ、ええ! 待っているわね!」

 そう言って一旦かぐやさんと別れた。
 私は鶴子さんを探すと、事情を説明した。

「そんな訳で、一旦かぐやさんの部屋で一緒に食事を取りたいんですけど……かぐやさんの部屋に私用の食事を持ってきてもらっては駄目ですか?」
「あらまあ……奥菜さん相変わらず引きがいいと言いますか、悪いと言いますか」
「はい?」

 鶴子さんの反応に私は「あれ」と思った。
 私が訝しがっている中でも、鶴子さんは続けた。

「かぐや様も悪い方ではないんですよ、決して。ただ、しょっちゅう幸福湯に騒動を持ち込んでくるので。念のため、店主様にはお話し伝えておきますね」
「あおじに話を通さないといけない案件なんですかあ……」
「違いますよぉ、奥菜さんに万が一のことがあったら、きっと店主様自分を責めますし、私だって申し訳ないからですよぉ」
「待って、かぐやさんってなにがそこまでまずいの?」

『竹取物語』を思い返すものの、彼女がアクティブな行動を取ったことなんてほぼない。
 成人した途端に求婚されまくったものの、彼女は無茶な要望を次々として、全ての求婚を断ってしまった。無茶な要望っていうのは、この世に……幽世では知らないけれど、現世でだったら絶対に存在しない宝物を持ってくるように伝えたけれど、当然ながら誰ひとりとしてそれを持ってくることはできず、さらには求婚者の中でひとり死んでいる。
 彼女はまあ、頭はよくても無茶苦茶受け身な人だったはずだよなあと思う。それがかぐやさんの全てかどうかはわからないものの。
 私が考え込んだのを見ながら、鶴子さんがそっとヒントをくれた。

「あのひと、基本的にひとでなしですから。お気を付けてくださいね」
「ええ? まあ、ありがとう」

 よくよく考えると。鶴子さんは恋に恋し過ぎる悪癖があるとは言えど、好きになった相手に対して全力で尽くすタイプのひとだ。
 それに対してかぐやさんは求婚者を千切っては投げ千切っては投げし、とうとう時の帝にすら求婚されてもなお、それを放置して帰ってしまったひとだから、鶴子さん視点では薄情に見えてしまうのかもしれない。
 うーん。ただの食事会だとは思うけど。私は首を捻りながらも、かぐやさんに教えられた部屋へと向かっていったのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった

白雲八鈴
恋愛
 私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。  もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。  ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。 番外編 謎の少女強襲編  彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。  私が成した事への清算に行きましょう。 炎国への旅路編  望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。  え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー! *本編は完結済みです。 *誤字脱字は程々にあります。 *なろう様にも投稿させていただいております。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

処理中です...