春花国の式神姫

石田空

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神庭の正体

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 私が晦にそう訴えると、晦は少しだけ押し黙った。

「晦?」
「……見たほうが、早いと思います。ただ、見たあとは、私も姫様も丸腰です。速攻で引き返しますよ」
「……わかりました」

 こうして、私たちは白んだ景色の中、駆けていったのだ。
 白んだ景色がしばらく続く中、ポロンと琴の音を耳にした。
 琴の音に笛の音、鼓の音に琵琶の音。そして白んだ景色の中でも色鮮やかに見える、紅葉の赤。

「これは……」
「神庭ですね」
「待ってください。本来、神庭には社があり、そこに出家した人々がいるはずで……」

 岩肌に伸びる紅葉は艶めかしく、ずっと見ていられるものだった。一方、あちこちで奏でられる楽器を演奏する人々が見当たらない。
 そして、気付いてしまった。

「ぬし様」
「これ、あまりはしゃぐな」

 唖然としたのは、ようやっと見つけられた人の姿だった。
 王族から出家しただろう女性は、男に飼われていたのだ。綺麗な着物を着ている。かさねも季節感を取り入れられているから、一見すると大切にされているだろうが。その目は真っ黒な穴のようで、焦点が定まっていない。これでは、厩舎で飼われている馬のほうがまだ大切に扱われているように見えてしまう。
 そして男だが。その男はどう見繕ってもただの人には見えなかった。破れた袖から伸びた腕には赤い入れ墨が施され、その腕の太さは丸太を思わせる。なによりも金色の瞳に、口から見える牙、そして頭から生える角。
 どう見繕っても鬼にしか見えなかったのだ。

「ど、ういうことですか……どうして、あやかしが神庭にいて、女性を飼っているんですか!?」
「……こういうことだろうと思いました。どう考えても、神庭の結界は変質していました。神庭の理論と陰陽術の理論が違うとはいえど、あやかしを飼い殺しにする結界なんて、あっていいものじゃありません」
「こういうことって……!」
「本来、神庭は神に楽を奉納し、王族が代々管理する場でした。王族が神庭を管理することで、春花国一帯が繁栄し、あやかしが抑えられるもの……ですが、都の現状を姫様もご存じでしょうが」
「……とてもじゃありませんが、あやかしを抑えられているとは思えません」

 陰陽師が派遣されている桔梗区だったらいざ知らず、紫陽花区の荒れ具合は異様だった。家族を亡くした子たちを引き取って世話を焼いている晦や、未亡人になって行き場を亡くした女性たちを引き取って仕事を斡旋している薄月だけでは、とてもじゃないけれど手が足りない。
 なのに、どうして叔母上は……桐女王はなにも手を施さないのか。
 晦は走る。おそらくはここにいるあやかしたちに見つからないようにするためだろう。

「全部を全部、確証を得られた訳ではありませんが。おそらくは最初の結界を、出任せかなにかで突破したあやかしがいたのでしょう。ただの好意や善意。しかし残念ながらあやかしは人間と同じ情がありません。でなければ、番の呪いなんておそろしいものをかける謂われはありません」
「それは……はい」

 私は王族の目がうつろな女性たちを見た。彼女たちの首には、まるで飼い主が誰かを主張するかのように布が巻かれている。彼女たちのうなじには、私と同じように番の呪いの証である成人してもなお消えない噛み痕があるはずなんだ。
 本来、あやかしは人間と同じ時間の流れをしていない。だからこそ、成人してもなお、あやかしが番に指名した相手を迎えに来ないなんてことがざらにある。でも彼女たちはあやかしに飼われているということは、前に晦が言っていた、あやかしの番の上書きをされてしまったに他ならない。
 彼女たちは、私がすんでのところで助からなかったらありえたかもしれない未来の姿だ。私もまた、目が死んだまま、彼らに飼い殺しにされていたかもしれない未来があったのだ。
 私が唇を噛み締めて彼女たちに視線を送る中、晦は淡々と説明を続けた。

「おおかた、神庭に紛れ込んだあやかしの仔を、犬猫と同じように飼いはじめたのでしょう。それが結界の綻びになるとは、当時の王族の女性たちは気付きもしなかったのだと思います」
「結界に侵入できるようなあやかしが、ましてや仔でそんなものいるのですか?」
「言葉遊びになってしまいますがね。残念ながら言葉の力は無視できませんから。大神《おおがみ》が現れたのでしょう」
「大神……ですか」

 大神は狼によく似たあやかしだ。あれは人を無作為に襲ったりはしないものの、出会った人間が無事では済まないほどに、縄張り意識の強いあやかしだったはずだ。
 晦は頷いた。

「大神は名前の特性状、神に奉納を捧げて維持するという神庭の特性に強く、本来ならばあやかしを寄せ付けないはずの結界を突破してしまったのだと思います。特に仔には大人ほどの害意や悪意がなく、それで余計に結界では対処できなかったのでしょう。仔であったのなら、人に変質することはできませんが……育てば話は変わってきます」
「で、ですけど……たった一匹で結界を壊すことができるんですか!? それに、それだけだったら王族の女性たちが今まで被害に遭うほどの、巧妙な手口は……」
「私も桐女王に直接会うまでは、確証は得られませんでしたが、彼女に直接会って、ようやっと確証を得ました」
「……ええ?」
「神庭に番の呪いを受けた女性たちを集めたのも、彼女たちがあやかしに飼われているのも、全ては……たまたまの善意により結界に綻びが生じたことで、神庭を乗っ取ったものがいる。その乗っ取った真犯人により、その真犯人が自分の体をつくるために利用され続けたのでしょう。王族も、都も、神庭も」

 その言葉に、私の全身にゾクリとした冷たいものが走った。

「どうして!? どうしてそんなひどいことができるんですか!? 私たちはあやかしに飼われるために、全てを諦めた訳ではありません! そもそも、体をつくるって、なんなんですか……!!」
「婚姻統制です」
「え……?」
「極端な話になりますが、退魔の力というものは、遺伝です。よりよい退魔の血が欲しければ、よりよい退魔師同士で婚姻を繰り返すことで、最強の退魔の力を会得します。神庭を乗っ取った真犯人も、自分の器になるものをつくるために、徹底的に婚姻統制を繰り返し、自分にとっての都合のいい体をつくり続けたのでしょう」
「待ってください。その都合のいい体というものが、わかりません……」

 私の悲鳴のような叫びに、一瞬晦は黙った。その沈黙が重くのし掛かり、私は息苦しくなる。それでも、やっとのことで晦が口を開いた。

「早い話、体を乗っ取ることで生き続けるあやかしが存在するってことですよ。そして、そのあやかしも誰にでも取り付ける訳ではなく、自分にとっての都合のいい体でなければ乗っ取ることはできなかった……そのために、代々王族の中からいい体を選別し、不要と判断した人々を、出家や降嫁という形で王族から追い出していた……」
「ちょっと待ってください。その言い方だったら、叔母上は……桐女王は」
「先日お会いしましたが……彼女はあやかしに乗っ取られています」

 それに私はグラリと体が傾きかける。
 ……思えば、叔母上の現状とお父様の証言はおかしなことばかりだった。
 元々叔母上はお父様とお母様の結婚に賛成していたのに、女王に就任した途端に掌返しをして、お母様をいじめ殺した。お父様は人が変わってしまったと嘆いていた。
 ……代々女王就任があやかしに体を乗っ取られることだったなんて、どうしてそんなえげつないことができるのか。

「だとしたら……叔母上はもう……」
「残念ですが、彼女の魂は既にあやかしに食われて消滅しています」
「お母様が死んだのも! 私が番の呪いにかかったのも!」
「……全て、そのあやかしのせいでしょうね。姫様、大変申し訳ありません。知りたくもないことを教えてしまい」

 私はしばしの間、晦の頭に顔を埋めて泣くことしかできなかった。今だけは、彼の胡散臭い優しさに甘えることしか、気持ちを鎮める術を知らなかったのだ。
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