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待ちわびる恋人と届かぬ文
一
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あざみ姫と薄月の事件を解決してからも、陰陽寮にはいろんな事件が舞い込んでくる。
「明日からしばらくは物忌みで外に出られないのですが、よりによって油虫が出て」
「わかりました、退治しましょう。ごゆっくり物忌みに備えてください」
「はいっ」
……中にはどう考えても、わざわざ陰陽師が、それも晦みたいな筆頭陰陽師が解決に行くべきでないものも含まれていたが、それも解決に出かけていた。
相変わらず私のことは、晦以外だったらせいぜい薄月くらいしか見ることができず、隣を歩いていてもどうこう言ってくる人がいない。
「油虫って……自分でどうにかすればいいでしょうが。わざわざ陰陽師を呼ばずとも、それこそ下男とかに」
「物忌み前の殺生を嫌がる人というのはいますから」
「殺せなんて言ってません。逃がせば終わる話ですのに」
「意外や意外、姫様は油虫が怖くなく?」
「別に……見えるものはあまり怖くありません。武官の見えないほどの鋭い太刀筋や的を射る矢を見ていたら、そっちのほうがよほどおそろしく思えます」
「なるほどなるほど。姫様はわからないものは怖けれど、わかっている物に対してはそこまで恐怖心はないんですな」
そう晦に言われて、私も内心「なるほど……」と思ってしまう。自分ではそこまで考えが及ばなかった。
「そこまで考えたことはなかったけれど……そうなのかもしれませんね。ですけど、そう貴族の皆々様の相談に全部乗っていても埒が……」
「いえ。自分もわざわざ全部に乗っている訳ではありませんよ。ちゃんと陰陽寮に寄ってきた相談事、他の皆にも分けているでしょうが」
「まあ……そうですね?」
陰陽寮の本来の仕事は、正しい暦をつくること。方違えやら物忌みやら縁起の悪い場所に近付かぬよう、貴族たちに指示を出したり、朝廷に報告したりすることだ。その一方で正しい暦の運営を妨げるからこそ、あやかし退治もしないといけない訳で。
ただ、暦にかこつけて、陰陽師をなんでも屋のように扱き使う貴族というのは存外に多い。やれ油虫をどうにかしてくれとか、やれ恋人と連絡取れないとか、やれ見知らぬあの人に手紙を届けてくれとか。それは頼むから稚児や下男に頼んでくれというようなものがものすごく多い。
傍から見守っているだけの私でも辟易しているというのに、晦は涼しい顔だ。
涼しい顔のまま続ける。
「私が受け持っているのは、基本的に姫様たちが朝廷内で重要な役職についている場合です」
「……女官の方々を中心に相談に乗っていると?」
「はい。正攻法では陰陽師は堂々と朝廷には入れません。いろいろ難癖を付けて朝廷に無理に入って、黒幕に勘付かれても困りますからね」
「そういえば晦は言っていましたね。春花国で起こっているあやかし騒動は、朝廷側に黒幕がいるんじゃないかと」
「ええ」
そう言いながら、晦はくるくると手元で人形を回す。おおかたこれで結界を張って、どこの誰に聞かれて勘付かれないよう用心をしているのだろう。晦は本当に用心深く、誰にも見えていない私と話すときですら、結界を張っている場所でなかったら声をかけない。
でも。朝廷にいるってことは、叔母上がなんらかの形で巻き込まれているということになるけれど。それに私はどうしても胸に重い物がつっかえる感覚を覚える。
「姫様?」
「……いえ、叔母上は壮健なのかなと」
「そういえば。あなたは現女王の桐女王の姪に当たるはずですが。関係はあまりよろしくないようお伺いしましたが」
「……そうですね。お父様いわく、昔はそうでもなかったらしいんですが、ある日を境に豹変してしまわれたと。元々お父様とお母様の仲も、周りの反対を後押ししてくれたのは叔母上だと伺ったんですが……なにがどうなってお母様をいじめ抜いて殺してしまったのか、私も知らないんです」
「そこまでですか……」
「はい」
王族だからと言って、そもそも春花国では女性じゃなかったら重要な役目につくことはできない。王弟に当たるお父様の扱いも、お世辞にもいいものではなかった。本来ならば王族の立場を捨てて、どこかの貴族の姫の元に婿養子に入るところ、お母様との身分違いの恋愛の末に私を産んだことで、いわば罰の形で朝廷の小役人の立場を宛がわれて外に出られなくなってしまった。
お母様をいじめ殺して、お父様を飼い殺して。
私からしてみれば、なんで叔母上はこんなに人でなしなんだと憤慨するものの、お父様からしてみれば仲のよかった姉だから、なんであそこまで変わってしまったのかがわからないという。
私自身も、年始の挨拶くらいにしか叔母上には会ったことがなく、お父様の気持ちが未だに理解ができないでいる。
私の言葉に、晦は考え込んだように一瞬遠くを見たあと、話を変えるように「さあ、付きましたよ」と声をかけた。
今日出向いたのは桔梗区の一カ所に存在する邸宅である。
「ここは?」
「はい。朝廷内で文官を務めております藍姫の屋敷ですね。今は物忌みの関係で家に戻っています」
「……そうですかあ」
陰陽寮に一番多い相談事。
それは「恋人が音信不通になった。心が移り変わったのか本当に行方不明になったのか確認して欲しい」というものだった。
薄月のようにあざみ姫の出先で助けての出会いなんてごく稀で、ほとんどの人は手紙のやり取りをしてから、家に通い、恋人になることが多い。なにぶん女性はしょっちゅう朝廷で忙しく働いているため、男性から女性の家まで会いに行って口説くというのがこの国の主流だ。
そして音信不通になった場合。ほとんどは心変わりして、他の人の元に行っている。
本当に薄月みたいに音信不通になるほど忙しい例は稀で、晦と私はどうやって依頼者を慰めるか頭を悩ませていたのだった。
今回もその例じゃないかなと、私は警戒していたものの、晦はそうでもなかった。
「いえ、今回はいい機会だと思いましてね」
「いい機会って……」
「春花国、男が活躍できる例は二例しかないでしょうが」
「……陰陽師か、武官?」
「ご名答。そして藍姫の恋人は、ちょうど武官なんですよ」
「へえ……」
それには私は少し心が揺らいだ。
私も出家するまでは武官にばかり面倒を見てもらっていたんだから、知っているかもしれない人が音信不通になったというのは、ちょっと気になった。
私が知っている限り、そんないい加減な人はいなかったはずなんだけどな。
そう思っている間に、晦が声をかけた。
「失礼します、陰陽寮から来ました晦と申します。藍姫様はご在宅ですか?」
邸宅に声をかけたら、侍女がひとり飛び出してきた。
「陰陽師様、ようこそ起こしくださいました……!」
「それで、藍姫様は……」
「少し心労が祟って臥せり気味でしたが、今は元気になられまして、白湯を飲んでおられますよ、さあどうぞ」
その言葉に、私と晦は顔を見合わせる。臥せるほど弱っていたというのはただ事じゃない。
通された部屋では、たしかにしくしくという鳴き声と一緒に綺麗な髪の女性が座っていた。髪はややうねっているものの、肌は真珠のように滑らかで、名前の通り藍色に染まった羽織がよく似合う人だった。
「ようこそおいでくださいました……陰陽師様」
「はい、言付けを聞きましてこちらまで参じましたが。恋人が行方不明だという話でしたね?」
「はい……私の恋人の有明様が、先日伺って以降行方不明になったのです。どういうことかと武官のほうにも問い合わせましたが、寝ずの番以降行方を知らないと言われてしまって……なにが起こっているのかわからないのです」
武官が寝ずの番で朝廷に一日働くというのは珍しくない話だが、武官側も有明の行方を知らないというのは穏やかな話ではない。
晦は「それはお気の毒に」と慰めの言葉をかけつつ尋ねる。
「それで、それはいつからですか?」
晦の見立て通り、今回は当たりなのかもしれない。
「明日からしばらくは物忌みで外に出られないのですが、よりによって油虫が出て」
「わかりました、退治しましょう。ごゆっくり物忌みに備えてください」
「はいっ」
……中にはどう考えても、わざわざ陰陽師が、それも晦みたいな筆頭陰陽師が解決に行くべきでないものも含まれていたが、それも解決に出かけていた。
相変わらず私のことは、晦以外だったらせいぜい薄月くらいしか見ることができず、隣を歩いていてもどうこう言ってくる人がいない。
「油虫って……自分でどうにかすればいいでしょうが。わざわざ陰陽師を呼ばずとも、それこそ下男とかに」
「物忌み前の殺生を嫌がる人というのはいますから」
「殺せなんて言ってません。逃がせば終わる話ですのに」
「意外や意外、姫様は油虫が怖くなく?」
「別に……見えるものはあまり怖くありません。武官の見えないほどの鋭い太刀筋や的を射る矢を見ていたら、そっちのほうがよほどおそろしく思えます」
「なるほどなるほど。姫様はわからないものは怖けれど、わかっている物に対してはそこまで恐怖心はないんですな」
そう晦に言われて、私も内心「なるほど……」と思ってしまう。自分ではそこまで考えが及ばなかった。
「そこまで考えたことはなかったけれど……そうなのかもしれませんね。ですけど、そう貴族の皆々様の相談に全部乗っていても埒が……」
「いえ。自分もわざわざ全部に乗っている訳ではありませんよ。ちゃんと陰陽寮に寄ってきた相談事、他の皆にも分けているでしょうが」
「まあ……そうですね?」
陰陽寮の本来の仕事は、正しい暦をつくること。方違えやら物忌みやら縁起の悪い場所に近付かぬよう、貴族たちに指示を出したり、朝廷に報告したりすることだ。その一方で正しい暦の運営を妨げるからこそ、あやかし退治もしないといけない訳で。
ただ、暦にかこつけて、陰陽師をなんでも屋のように扱き使う貴族というのは存外に多い。やれ油虫をどうにかしてくれとか、やれ恋人と連絡取れないとか、やれ見知らぬあの人に手紙を届けてくれとか。それは頼むから稚児や下男に頼んでくれというようなものがものすごく多い。
傍から見守っているだけの私でも辟易しているというのに、晦は涼しい顔だ。
涼しい顔のまま続ける。
「私が受け持っているのは、基本的に姫様たちが朝廷内で重要な役職についている場合です」
「……女官の方々を中心に相談に乗っていると?」
「はい。正攻法では陰陽師は堂々と朝廷には入れません。いろいろ難癖を付けて朝廷に無理に入って、黒幕に勘付かれても困りますからね」
「そういえば晦は言っていましたね。春花国で起こっているあやかし騒動は、朝廷側に黒幕がいるんじゃないかと」
「ええ」
そう言いながら、晦はくるくると手元で人形を回す。おおかたこれで結界を張って、どこの誰に聞かれて勘付かれないよう用心をしているのだろう。晦は本当に用心深く、誰にも見えていない私と話すときですら、結界を張っている場所でなかったら声をかけない。
でも。朝廷にいるってことは、叔母上がなんらかの形で巻き込まれているということになるけれど。それに私はどうしても胸に重い物がつっかえる感覚を覚える。
「姫様?」
「……いえ、叔母上は壮健なのかなと」
「そういえば。あなたは現女王の桐女王の姪に当たるはずですが。関係はあまりよろしくないようお伺いしましたが」
「……そうですね。お父様いわく、昔はそうでもなかったらしいんですが、ある日を境に豹変してしまわれたと。元々お父様とお母様の仲も、周りの反対を後押ししてくれたのは叔母上だと伺ったんですが……なにがどうなってお母様をいじめ抜いて殺してしまったのか、私も知らないんです」
「そこまでですか……」
「はい」
王族だからと言って、そもそも春花国では女性じゃなかったら重要な役目につくことはできない。王弟に当たるお父様の扱いも、お世辞にもいいものではなかった。本来ならば王族の立場を捨てて、どこかの貴族の姫の元に婿養子に入るところ、お母様との身分違いの恋愛の末に私を産んだことで、いわば罰の形で朝廷の小役人の立場を宛がわれて外に出られなくなってしまった。
お母様をいじめ殺して、お父様を飼い殺して。
私からしてみれば、なんで叔母上はこんなに人でなしなんだと憤慨するものの、お父様からしてみれば仲のよかった姉だから、なんであそこまで変わってしまったのかがわからないという。
私自身も、年始の挨拶くらいにしか叔母上には会ったことがなく、お父様の気持ちが未だに理解ができないでいる。
私の言葉に、晦は考え込んだように一瞬遠くを見たあと、話を変えるように「さあ、付きましたよ」と声をかけた。
今日出向いたのは桔梗区の一カ所に存在する邸宅である。
「ここは?」
「はい。朝廷内で文官を務めております藍姫の屋敷ですね。今は物忌みの関係で家に戻っています」
「……そうですかあ」
陰陽寮に一番多い相談事。
それは「恋人が音信不通になった。心が移り変わったのか本当に行方不明になったのか確認して欲しい」というものだった。
薄月のようにあざみ姫の出先で助けての出会いなんてごく稀で、ほとんどの人は手紙のやり取りをしてから、家に通い、恋人になることが多い。なにぶん女性はしょっちゅう朝廷で忙しく働いているため、男性から女性の家まで会いに行って口説くというのがこの国の主流だ。
そして音信不通になった場合。ほとんどは心変わりして、他の人の元に行っている。
本当に薄月みたいに音信不通になるほど忙しい例は稀で、晦と私はどうやって依頼者を慰めるか頭を悩ませていたのだった。
今回もその例じゃないかなと、私は警戒していたものの、晦はそうでもなかった。
「いえ、今回はいい機会だと思いましてね」
「いい機会って……」
「春花国、男が活躍できる例は二例しかないでしょうが」
「……陰陽師か、武官?」
「ご名答。そして藍姫の恋人は、ちょうど武官なんですよ」
「へえ……」
それには私は少し心が揺らいだ。
私も出家するまでは武官にばかり面倒を見てもらっていたんだから、知っているかもしれない人が音信不通になったというのは、ちょっと気になった。
私が知っている限り、そんないい加減な人はいなかったはずなんだけどな。
そう思っている間に、晦が声をかけた。
「失礼します、陰陽寮から来ました晦と申します。藍姫様はご在宅ですか?」
邸宅に声をかけたら、侍女がひとり飛び出してきた。
「陰陽師様、ようこそ起こしくださいました……!」
「それで、藍姫様は……」
「少し心労が祟って臥せり気味でしたが、今は元気になられまして、白湯を飲んでおられますよ、さあどうぞ」
その言葉に、私と晦は顔を見合わせる。臥せるほど弱っていたというのはただ事じゃない。
通された部屋では、たしかにしくしくという鳴き声と一緒に綺麗な髪の女性が座っていた。髪はややうねっているものの、肌は真珠のように滑らかで、名前の通り藍色に染まった羽織がよく似合う人だった。
「ようこそおいでくださいました……陰陽師様」
「はい、言付けを聞きましてこちらまで参じましたが。恋人が行方不明だという話でしたね?」
「はい……私の恋人の有明様が、先日伺って以降行方不明になったのです。どういうことかと武官のほうにも問い合わせましたが、寝ずの番以降行方を知らないと言われてしまって……なにが起こっているのかわからないのです」
武官が寝ずの番で朝廷に一日働くというのは珍しくない話だが、武官側も有明の行方を知らないというのは穏やかな話ではない。
晦は「それはお気の毒に」と慰めの言葉をかけつつ尋ねる。
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