13 / 19
同室同衾次の課題
しおりを挟む他の挙式での新郎新婦はよく知らないけれど、私たちの挙式は夫婦揃ってたくさん食べ、馬車で屋敷に戻ったときにはもうなにも入らなくなっていた。
ただお土産で持たされた野菜のピクルスで晩酌を取るだけに留めていた。
「おふたりともお疲れ様です」
エリゼさんはにこやかに笑って、グラスにチェリーワインを注いでくれた。甘酸っぱい香りのおかげで、幾分かお腹がはち切れそうな中でも食欲を取り戻してくれた。
ジル様も普段はもっと穏やかだけれど、さすがに慣れないこと続きだったせいか、ぐったりとしてしまっている。
「いや、エリゼもありがとう。ええっと……シルヴィさん。今晩ですけれど」
「あ……はい」
そうだった。
今晩から同じ部屋で眠るんだった。心臓がバックンバックンとうるさいのは、眠れる気が全然しないからだ。そもそも私はその手の知識がとことん欠けているために、なにをどうすればいいのかなんて知らない。
私があわあわとしている中、ジル様は申し訳なさそうに告げた。
「……式の都合で今日の執務が終わっていませんので、申し訳ありませんが、うるさくなってよろしいですか?」
「はい?」
そういえば、元々部屋を分けていたのは、私が神殿にずっといた関係で貴族教育をほぼ受けてないんだから慣れてからというのの他に、執務が忙しいからうるさくて眠れないんじゃという配慮からだった。
そっかあ。そっかあー、私の早とちりかあ。普通にプロポーズも受けたし、普通に式も済ませたからと言って、はい今日から夫婦やってくださいと言われても、そう上手くはいかないかあ。
残念なのか、よかったと安堵すればいいのか、私にもよくわからなかった。
一方、ジル様にもグラスを差し出したエリゼさんが半眼で苦言を飛ばす。
「旦那様、新婚ですのでほどほどに」
「しかしエリゼ、自分の替わりはいないから……」
「先代もそれが原因で離縁の危機になったでしょうが。学習なさってください」
そうだったの? 私はその疑問の目を思わずジル様に向けると、ジル様は気まずそうに視線を逸らした。
「すみません、エリゼさんに聞かせても面白い話ではありませんから伝えてなくて」
「いえね、これに関しては奥様にも伝えなければならないでしょう。先々代の時代だったらいざ知らず、先代のときは呪いも蔓延していなかったのに、仕事にかまけ続けた結果、先代の奥様がたまたまクレージュ領を通った劇団の花形役者に落ちてしまって、そのまま駆け落ちしかかったんですから」
それ、ものすごく大変なことだったのでは。神殿にもたびたび宿が見つからなかった劇団が宿泊の交渉に来ていたし、役者に落ちてしまった行儀見習いの子が脱走しかかったのを、皆で必死に止めていたことがあったし。
でもなあ。私も姉の代打でここに嫁いだのだし、それをプロポーズ間際でしか伝えることができなかった訳だし、全然ジル様を責められる立場にないのでは。
私はしばらく考えてから、とりあえずピクルスをひと口囓った。爽やかなセロリのピクルスは、ハーブと一緒に漬け込んだピクルス液がよく染みておいしい。
「とりあえず、お仕事お疲れ様です。あまり無理なさらないでくださいね?」
「……ありがとうございます」
少し疲れた笑みを浮かべていたジル様が、少しばかり気がかりだった。
****
絶対なにもないだろうけれど、念のためということで、湯浴みのあとは本当に念入りにメイドさんたちからマッサージを受けたものの、ほぼほぼ全員「申し訳ございません」と謝られてしまった。
「旦那様、なにぶんとこう……不運に見舞われてますから」
「あら、そうなんですか?」
「はい」
湯浴みで洗った体に、もにゅもにゅと香油を塗りたくられるものの、多分これが功を成すことは今晩はない。
メイドさんたちの言い分は概ねこうだった。
「先代の際にはなにも問題が起こらなかったのですが……当代に入った途端に風評被害に見舞われて、その対処に追われていますから」
「呪い……ですね?」
「はい。でも住んでいる人間は皆心当たりがないために困っておりまして……現状は神殿が仲介に入ってくれているおかげでこの土地の野菜も酒も売れていますが、いつまでも神殿に頼る訳にもいかないですし」
「そうですねえ……」
神殿に近い村だったら、神殿に仲介に入ってもらって野菜を売れるからまだいいけれど。神殿から遠い村だったら神殿に運び込むまでに手数料がかかる訳だから、野菜が売れても儲からないという罠が待っている。
だからこそ、呪いの解決をしないといけない訳だけれど、原因がわからないと対処ができない。
今はジル様も風評被害に合っている村の対処に当たっているんだろう。
「とりあえず無理なさらないようには伝えておきますね」
「はい、お願いします」
出されたネグリジェも特にお色気もなにもない至ってシンプルなもので。私はいそいそと同室になった私室へと移動することとなった。
****
ベッドは大きめのものがひとつ。枕がふたつ。
前に見た村長さんの気遣いのベッドよりも気のせいか広い。
そして。色気の全くない本棚がたくさん並んだスペース。本棚の間にある机の上で、未だに湯浴みもせずジル様は執務に追われていた。
執務室にいるときと、なんら替わりがないもんなあ。私は仕方なく、ベッドに座ってその光景を眺めていた。
「あのう……」
「ああ、すみません。普段から寝る直前まで仕事をしていたもので」
「それはかまわないんですけど……日頃からそんなに体に悪いことをなさっていたんですか?」
「……すみません。自分は、なかなか仕事ができない人間で」
あそこまで仕事に追われている人が、仕事できないと卑下することはないと思う。私は思わず首を振る。
「いえ、ジル様が仕事できないとかは、ただの謙遜だと思いますけど。ですけど、それだけ被害が?」
「……はい。自分の代では呪いの風評被害についてはわかりませんでした。ただ自分たちの耳にまで風評被害が届いたときには、もうなかなか品が売れなくなっていましたから。今まではなんとか父の代までに蓄えていた貯金で補っていますが……そろそろ厳しくなるかと思います」
甘かった。私の見通しが甘かった。思わず私はこめかみに手を当てていた。
よくよく考えればわかる話だった。いくら祖父の代で約束していたとはいえど、ヘタレでも同義くらいわかる姉がその約束を違えて別荘に逃げ出すくらいなのだから、風評被害自体が呪いみたいに蔓延していてもおかしくなかったんだ。
私自身が神殿にずっといて、風評被害のことについて本当に知らないばかりに、それを甘く見ていたんだ……。
「私と式を進めたのも、挙式をすることで商人たちを呼んで、その風評被害に対抗しようとなさったんですね?」
「はい……そうなります」
「あれだけたくさん食べていれば、その意図は察しますよ」
そう。あれだけおいしく食べた、クレージュ領の野菜。
瑞々しく育つまでに、いったいどれだけ畑に手塩をかけただろう。雨風や快晴続き。畑の事情なんて空は気にしてくれないのだから、それらに立ち向かっていた村々の人々はすごいんだ。
私はベッドから立ち上がり、書類仕事をしていたジル様を見る。書類はなにも報告書だけではなく、各地からの嘆願書だった。
税を支払えないから待って欲しいという村や、ありもしない呪いの風評被害についての苦悩、畑を捨てて逃げてしまった人たちへの対応など……。たしかにこれだけのものを抱え込んでいたら、どこかで壊れてしまう。
私は黙ってそれをまとめた。
「……ジル様。一旦寝ましょう」
「ですが、仕事が」
「……わかっています。一発逆転なんて都合のいいものはないでしょうが、これらの仕事は朝にやるものであり、今やってたら間違いなく心を病みます」
ジル様のジャケットを脱がして一旦椅子にかけ、彼の手を引いてベッドに連れて行った。
「……私もいますから。今は寝ましょう」
「……寝れるかな」
「大丈夫です」
初の同衾だというのに、ただ仕事で疲れている人を寝かすだけの、色気もなにもないものになってしまった。ただ、私はジル様が眠れるまで、ずっと子守歌を歌っていた。
先延ばしにできないことはわかっていても、彼を蝕む重責から、今は一旦切り離して眠らせてしまいたかった。心を病んでしまったら、それらに立ち向かう力さえ残されてないのだから。
1
お気に入りに追加
179
あなたにおすすめの小説

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

そのうち結婚します
夜桜
恋愛
氷の令嬢エレイナはそのうち結婚しようと思っている。
どうしようどうしようと考えているうちに婚約破棄されたけれど、新たなに三人の貴族が現れた。
その三人の男性貴族があまりに魅力過ぎて、またそのうち結婚しようと考えた。本当にどうしましょう。
そしてその三人の中に裏切者が。
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

幼馴染がそんなに良いなら、婚約解消いたしましょうか?
ルイス
恋愛
「アーチェ、君は明るいのは良いんだけれど、お淑やかさが足りないと思うんだ。貴族令嬢であれば、もっと気品を持ってだね。例えば、ニーナのような……」
「はあ……なるほどね」
伯爵令嬢のアーチェと伯爵令息のウォーレスは幼馴染であり婚約関係でもあった。
彼らにはもう一人、ニーナという幼馴染が居た。
アーチェはウォーレスが性格面でニーナと比べ過ぎることに辟易し、婚約解消を申し出る。
ウォーレスも納得し、婚約解消は無事に成立したはずだったが……。
ウォーレスはニーナのことを大切にしながらも、アーチェのことも忘れられないと言って来る始末だった……。
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる